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1〜12月分日誌


4/26 JR福知山線快速電車脱線事故の報道

 まずは、事故に巻き込まれてお亡くなりになった方々のご冥福をお祈り申し上げます。そして、お怪我を負われた方々にお見舞い申し上げます。
 これを書いている現在、現場ではまだ被害者の救出作業が続いている。それなのにこの話題をすることは非常に心苦しいのですが、あえて書く事にします。それというのも、報道がこの事故をあやふやなものにしてしまうかもしれないと危機感を覚えたためです。
 そう感じたのは、次のような次第です。
 事故が発生した後、JR西日本が開いた3回目の記者会見(25日の昼過ぎだったと思う)で線路に車輪が石か何かを押しつぶした『粉砕痕』と呼ばれるものが発見された。と発表をした事がニュースで流れた。その後、北側国土交通大臣がその発表を「現時点でいうべき事ではない」と不快感を表した。
 そして、26日朝になって、とあるラジオ番組でパーソナリティーが大臣のコメントを「ごもっとも」といい、発表したJR西日本を批難していた。
 ちなみに、25日には同じラジオ番組で『粉砕痕』の報道はしつこいぐらいに流していた。そして、そのパーソナリティーはそれについて何のコメントもしていなかった。
 なんだかなー。と私は思っていたが、その番組は「被害者の救助をしている最中なのに、そんなことをいうなんてけしからん」などリスナーからの意見を交えて、そのパーソナリティーのタレントも一緒になって怒っていた。(そのラジオ番組は情報バラエティー番組で、出演者は感情に流されやすく公平さに欠けるものではあるが、他の報道も似た感じであったため、顕著な例としてあげさせていただいた)
 しかし、考えてみれば、JR西日本の記者会見発表よりも周囲の報道の方がいかがなものかと思えて仕方ない。
 こういった事故は複合的な原因によることが多い。そして、その原因を一つ一つ究明するには膨大な時間と手間が必要となる。そして、もうすでに事故調査のための専門チームが結成され、その調査に当たっている。彼らは現場検証や証拠品の収集と分析、様々な実験などをして原因を究明する専門家たちの集団である。
 にもかかわらず、各報道はどこからか専門家と称する人々を出演させて、事故の原因を分析させている。彼らに与えられている情報は記者会見などで発表されていることぐらいで、極端に少ない。いかな優秀な専門家であったとしてもそれで原因を分析できるものではない。しかし、実際、多くの報道で憶測の範囲を出ない『分析』がさも事実のように報じられている。
 結局、そのような報道で様々な憶測が飛び交い、一般市民はなんとなく原因が解明されたような気分になり、めでたしめでたしとなってしまう。そして、時間をかけてしっかり事故原因を分析した事故調査委員会の公式発表は世間を埋め尽くした憶測の中に埋没してしまいかねない。
 こういった事故が起きると人間は『犯人』を捜したくなってしまう。つまり、明確な『悪』を求めるのである。はやく『事故になったのは、○○のせい』と断言して、安心したいのである。しかし、実際はそんな明確なものではなく、世間が最も望まない『おそらく、○○、■■、△△などが原因で事故になったと思われる』と恐ろしく不明確なものとなる。
 少し余談になるが、実際の話、問題が発生した時にその原因が一つよりも複数であることのほうが圧倒的の多く、その方が対策しやすい場合もある。
 例えて言うならば、三つのさいころを振ってピンゾロになる時を『事故』とするならば、三つのさいころに細工をして、ピンを出にくくすれば『事故』は防げる。さいころが一つでも同じだろう。と思うかもしれないが、ピンを出さないようにオモシをつけたとすれば、さいころの出る目は6ばかりになる。6以外の目も出るようにすることもできるが、そうすればピンの出る可能性もあがる。『事故』を防ぐためにさいころの自由を奪うことになるわけである。さいころが一つならば、『事故』を防ぐために6以外の目を捨てなければならないが、三つなら、一つのさいころの目を6だけにするか、三つのさいころを「6のみのさいころよりも少し高いが充分にピンの可能性が低いさいころ」にしてやるか、など選択肢が増えるのである。
 さて、本題に戻る。私としても、早く事故の原因を追究して、再発防止の対策をして欲しい。しかし、本当にそう願うのであれば、事故調査委員会の調査報告を待ち、憶測に耳を貸さないで、自分勝手に『犯人』を探さないことなのではないだろうか? ちゃんと調べて、対策しなければ意味がないのだから。
 それと、憶測で『犯人』さがしをすれば、『冤罪』を生じかねない。これ以上、新たな不幸が生まれぬためにも、冷静な報道を望み、また、理性的な情報の受けとめをして欲しいと私は望んでいる。

4/19 難解漢字症候群

 難しい漢字を多く使った文章は頭のよさそうな文章に見える気がして、日常は使わない漢字を使った文章を書きたくなった時があった。
 しかし、そういった漢字を使ったところで頭のいい文章になるわけでもなく、しかもパソコンで漢字変換しているのなら辞書を自分で引いて書いているわけでもないので手間がかかっているわけでもない。読者もそれを知っているので、そんな文章を見ても、何の感慨も無く、「ああ、病気が出たな」などと冷ややかなものであることを感じて、私の難解漢字症候群は治まった。
 漢字や難しい言葉を多用するのと、カタカナ語を多用するのは似ている。難しい言葉などは要所で使わなければ読者に軽く流され、結局は心にも留まることも無い文章となる可能性が高い。そのため、読者の心に留めないような演出をする場合以外は使わないことにしている。
 よく問題にされる漢字をひらくかひらかないかは、個人個人でレベルの差はあれ、漢文で書かれているわけでもないから難解漢字症候群に陥った文章であっても実際はあまり大差ない。知らない漢字があったとしても前後のつながりで推測できる。したがって、個人の自由裁量で好きにすればいいことである。
 その結果、読者が漢字を読み間違って意味を誤解されても、読みにくいと思われて読まれなくても、それは書いた本人も想定内のことだろう。
 難しい漢字や言葉を使うよりも、物事の切り口やそれをどう展開していくかといったことに独自性を持たせる方がよっぽど読者にとって知的好奇心を刺激される。私としては、そういった文章を書きたいと願っている。

二次方程式の解

 教科書に二次方程式の解の公式が復活するらしい。有名な式だが、文系の人間にとっては「何に使うの?」といった感想を持つ公式だろう。しかし、いろいろと物理などの計算をしていると使う機会が多い式である。
 二次方程式は別名、放物線とよばれているので、その兼ね合いで物理に登場するし、糸をたるませた時の曲線の近似曲線としても使用されることもある(高圧電線の弛みなどの計算に使用)。
 この公式は有名なのだが、有無もいわずに記憶させられる。どうしてそうなるかはあまり知られていない。
 この公式を導き出せといわれたら、理系の人間でも「え?」とつまってしまう人も多いだろう。ちょっとしたパズルである。なかなか面白いので好きな人は挑戦してみてはいかがでしょう? (正解は下に白文字で書いておくので、知りたい人は反転して読んでくださいね。)
 さて、この式が教科書に載っていなかったとすると、虚数解はどうやって教えていたのだろう? 虚数というのは二乗すると-1になる数のことである。そんな実数は無いので、虚数と名づけられた数学的な数である。
 それを習ったときに虚数を見てみようということで、虚数解になる二次方程式をグラフを書くことにした。二次方程式の解は二次方程式とX軸の交点である。
 するとX軸から浮き上がった放物線を書くことになった。このグラフがX軸と交わるところがあって、そこが虚数というわけである。あるのに見えない。なんだか狐に化かされたような気分でぞくそくしたのを憶えている(言っておくが、『狐に化かされた気分に』ぞくぞくしたわけではないです)。
 数学とはかくも不思議な、そして案外いい加減な道具なのだと感じた(実際はないのに数学上は無理やりあることにしてしまう強引さなどがそう感じさせたのだろう)。
 もし今の子供たちが虚数をただ単に『二乗してマイナスになる数』というだけとしか習わなかったのなら、私が味わったぞくぞくを感じることも難しくなるのじゃないかなと思う。
 ゆとり教育の弊害を学力低下だけと見ている人が多いが、本当のところは『学べる機会の減少』が最大の弊害と私は思う。多くの事を詰め込まれた時、子供なりに情報の取捨選択をする。そして、好きな事を見つけるのだ。面白くも無い砂漠のような授業の中にたった一粒のダイヤモンドを見つけた子供は次々とダイヤモンドを掘り起こし、鉱脈を見つけることもある。
 だから私は憶えていなくてもいいから多くのことを子供に教えて欲しいと願っている。学力の低下ではなく、学べる機会を増やすために。

aχ+bχ+c=0
のとき、
χ=(−b±√(b−4ac))/2a
となる。

aχ+bχ+c=0
両辺をaで割る。
χ+(b/a)χ+(c/a)=0
この式が
Χ−m=0  ただし、Χ=f(χ)
となれば、Χの解は±√mとなり、Χを元に戻してχを求めればいい。というわけで、Χとmを探す。
Χ=χ+α
と仮定して、代入すると、
(χ+α)−m=0
χ+(2α)χ+(α2−m)=0
となる。
これが、
χ+(b/a)χ+(c/a)=0
と同じと考えればいいので、
b/a=2α
c/a=α−m
という連立式ができて、これを解けばいい。

b/a=2α
α=b/2a

c/a=α−m
α=b/2aを代入して、
c/a=(b/2a)−m
m=(b/2a)−c/a
m=b/4a−c/a
m=(b−4ac)/4a

これを
Χ−m=0
に代入すれば、

Χ−(b−4ac)/4a=0
Χ=(b−4ac)/4a
Χ=±√((b−4ac)/4a
χ+α=±√((b−4ac)/4a
χ+b/2a=±√((b−4ac)/4a
χ=−b/2a±√((b−4ac)/4a
χ=(−b±√(b−4ac))/2a
以上

零戦の強弱

 小説を書くための資料として読んだ戦闘機乗りの人が書かれた戦闘手記があまりにも面白かったので、第二次世界大戦のレシプロ飛行機に関する本などをちょこちょこと調べていたりする。
 そういったのを読んでいて、よく目につくのが『零戦は初期においては非常に優秀であったが、戦争が進むにつけて時代遅れとなった』という批評である。ある意味、正しいと思うのだが、私は少し違う気もしないでもない。
 飛行機の戦闘は、敵が味方の基地(空母)を攻撃するのでそれを邀撃するのと、敵の基地を攻撃するのと二種類に分けられると思う。(索敵などはここではおいておきます)
 守備と攻撃。実にシンプルなパターンである。そういうわけで、飛行機の種類も攻撃をする『攻撃機』。守備をする『戦闘機』の二種類に大別される。もちろん、戦闘機も基地を攻撃する事もあるし、攻撃機も敵機を邀撃する事もあるだろうが、得意分野というか、主たる目的はどちらかに決めている。
 それぞれの獲物を書くと、攻撃機→基地、戦闘機→飛行機(戦闘機&攻撃機)となる。
 さて、守備と攻撃がどのようなものか簡単に書くと、攻撃する側は攻撃機と戦闘機で敵の基地を襲う。敵の基地はそれを迎え撃って、戦闘機が出撃する。
 攻撃側攻撃機の目標は基地である。そして、守備側戦闘機の目標は攻撃側攻撃機。ということで、攻撃側戦闘機の目標は守備側戦闘機となる。
 何を当り前のことを……と思っている人もいると思うが、攻撃機と戦闘機というのは一緒になりやすいのでちゃんと書いておかないと私が混乱する(^^;。しかし、ご安心を。やっと本題です。
 もし日本の攻撃機の装甲が厚ければ、アメリカの戦闘機は武装を強化しなければならなかったハズである。
 しかし、戦闘機をはじめとする飛行機というのは制約が多く、何かいじるとあっちこっちに影響するという代物がほとんどである。
 したがって、改造の結果、アメリカの戦闘機に生じた不具合が日本の戦闘機に有利に作用する可能性というのは無かったのだろうか? と考えた。
 例えば、攻撃力を上げるために機銃の口径を上げたとする。その結果、搭載できる弾数が減って、時間的な攻撃力減少や、機銃の重みや大きさが運動性に影響するなど。
 そうなれば、日本の戦闘機――主に零戦――は欠点があったとはいえ、彼我の性能差は縮まっていたかもしれない。(もっとも、攻撃力が上がったことにより撃墜される確率が上がったかもしれないが)
 戦争での敗因としてよく言われる一つとして、アメリカ側の技術力と工業力に負けた面もあるが、相手が大きな力士なのは戦う前からわかっていたことで小兵の力士としては小技で相手をかき回す方法を考えていなかったのが粘りきれなかった理由かもしれない(もちろん、そうなれば戦争はさらに長期化して、更なる悲劇が増えていただろう。ベトナム戦争がその例だろう)。
 『敵を知り、己を知らば、百戦危うからず』。誰もが知っている孫子の有名な言葉だが、この言葉の意味の一つが、『戦いを決めるのは優劣ではない。戦い方である』ということは意外に知られていない。
 新たな強いカードを手に入れるのは厳しくても、手持ちのカードでどうにか勝つ方法を考える。今の時代に最も求められている事かもしれない。零戦を強くするも弱くするも自分次第なのである。

3/3 モデリングに挑戦(準備編)

 ♪今日は楽しいひな祭り〜
 であるが、ひな祭りにまったくそぐわない内容です。
(本当はひな祭りに十二単衣のイラストをアップするはずでした。そして、それを肴にお話をしようかと思っていたのが、書きあがらずにこうなりました。完成まであと一ヶ月はかかりそう……)
 閑話休題。私のパソコンには一応、Shadeという3Dソフトがインストールしてあります。もともとは人体のモデリングをしようと思い立って、購入したのですが、人体のモデリングはかなり難しく、何度となく失敗し、現在に至っても成功していません。成功するにはまだ十何年もかかりそうです。
 しかし、失敗を重ねる努力の甲斐あってか、そこそこはソフトを使えるようになっているようです。イラストの背景や機械などを製作したりしているので、全く無駄というわけではない(と思わないと、ソフト購入費がもったいない)。
 そこで気がついたのだが、よく考えると、自分のHPにフル3Dのイラストがない(フル3D自体も寄贈したものが1点あるだけ)。というわけで、何か作って掲載しようと思い立った。
 色々と考えたのだが、折角だから、軍艦に挑戦してみようと思う。私はミリタリーマニアではないのだが、小学校の頃、その造詣が好きでよく戦車や軍艦のプラモを作っていたので、懐かしさもこめて、製作しようと思う。
 軍艦と一口にいっても色々ある。しかし、こういうときに真っ先にあがるのは『大和』だろう。あの宇宙戦艦にもなった『大和』。しかし、今回はそれはパス。理由は難しいから。構造物がいっぱいあるのは大変である。
 そういう理由からも、作るのは空母。それも『翔鶴』型空母の『翔鶴』にした。
 『翔鶴』型空母は第二次世界大戦中に活躍した日本の空母で、『翔鶴』『瑞鶴』の二隻が建造され、二隻は真珠湾攻撃にも参加し、その後、数多くの作戦に参加した。詳しい話を知りたい方は検索してください。
 『翔鶴』と『瑞鶴』は姉妹艦で全く同じ設計なので、どちらを作ろうがほとんど外観に差はないのだが、なぜわざわざ『翔鶴』にしたかというと、この両艦は例えて言うなら、「貧乏くじを引く『翔鶴』お姉ちゃんと、ちゃっかり世の中渡る妹の『瑞鶴』ちゃん」といった感じなのである。
 両艦とも同じ作戦に参加しているのに、『瑞鶴』は撃沈されるまでほとんど被弾しなかったが、『翔鶴』はことあるごとに被弾している。
 まあ、ちょっと不幸な香りのする『翔鶴』をつくろうとするのは、南文堂ぽくてよいかなと(笑)。
 それはさておき、作るとなれば、資料がいる。とりわけ図面が。検索したところ、入手はできそうなので一安心。本当は図面だけではなく、写真集なども見て検討しなければならないのだろうが、そこまでできる時間と予算があるかどうか……。どちらにせよ、拙い技術でどこまでできるかわかりませんし、気長にやろうと思っています。
 それと、「軍艦にはちょっとうるさいぜ」という方。良い資料などがございましたら、お教えください。よろしくお願いいたします。

1/30 ラグビー観戦

 冬のスポーツといえば、スキースケート以外にもラグビーがある。別に冬だけといわけではないが、メインはやはり冬ということで冬のスポーツである。
 そのラグビーだが、現在、マイクロソフトカップというものを開催している。トップリーグという社会人ラグビーのリーグ戦で8位以上のチームによるトーナメント戦である。このトップリーグもマイクロソフトカップも去年から始まったもので、今年で二回目である。
 ラグビーは最近あまりテレビで放映しなくなっているように感じる。なかなか熱戦が多いと聞くのに残念である。CSとかでやっているらしいが、うちはアンテナが上げれないのでストレスがたまる。
 さて、それはそれとして、今日、花園で行われたトヨタ対ヤマハの試合は面白かった。先週の試合も面白かったが、今日のは手に汗握る展開で盛り上がった。30対33で負けていたトヨタがロスタイムにペナルティーゴールを決めて33対33となり、オフサイド(試合終了)。トライ数ゴールキック数共に同じだったので、くじ引きで勝者を決定する事になった。結果、勝者はヤマハとなったのだが、トヨタは非常に惜しかった。また、来シーズンがんばって欲しい。
 ところで、今回観戦して、よいと思った事で『反則をアナウンスしてくれる』というのがあった。
 ラグビーはルールが少し複雑なのだが、実際はルールをほとんど知らなくても楽しめる(かくいう私がそう♪)。しかし、反則などでプレーが止まってしまうと、「なんで?」と疑問に思ってしまう。何の反則なのかもわからないままゲームが再開されるのは、少し置いてけぼりのような感じを受ける。しかし、それをちゃんと場内アナウンスで「こっち側のこういう反則です」と放送してくれる。しかも、時々、その反則がどういう反則なのか説明してくれたりする。こういう配慮は私のような初心者ファンにはうれしかった。
 ということで、また機会があったら観戦しに行きたいと思ったのでした。
(注意:観戦するときには温かい格好で、座布団やブランケットを用意するとよいです。ちなみに花園の軽食スタンドで私のお薦めはトン汁。なかなか具沢山でおいしかった(^^))

1/13 発明の価値

 青色発光ダイオードなどの特許を巡る会社と元社員の裁判が和解したという報道があった。一審では会社側に約200億(満額)支払うようにと判決だったが、会社側が控訴し、二審では東京高等裁判所が和解を勧め、8億4391万円で和解したとのこと。
 しかし、記者会見に出てきた元社員はこの和解を不服として、記者たちに対して日本の司法制度はおかしいと声を荒立てて批難している映像が流れた。
 和解をしたのは誰でもない、その元社員であったのに妙な話である。聞くところによると、最高裁まで争ったところで増額は望めないどころか、裁判費用などを考えると実質的に減額となり、時間も浪費すると説得されたそうである。
 もし彼が納得いかないのなら最高裁まで行って争えばいいと思う。たとえ、減額になろうとも自分が納得するまで戦えばいい(もっとも最高裁までだが)。説得に応じ和解したのなら四の五の言うのはアンフェアーというものだろうと感じた。
 確かに研究開発者に対する会社の評価というのはそれほど高くはない。研究開発者として輝かしい功績を持っていても会社のトップになることはあまりない。企業の采配を振るうのと試験管を振るのは畑が違うからであろう(優れた技術者であり優れた経営者という稀有な例もあることはあるが)。私もその事に関して異論は唱えるつもりはない。それだけに研究開発に対する評価をちゃんとして欲しいと思っていた。そういう意味では今回の裁判はこれからの研究開発するものに明るい希望を与えたものだろう。
 しかし、100億円の儲けになる契約を取ってきた営業マンが会社に設けた分け前を要求するようにも感じて、今ひとつ納得もできないものもある。
 それというのも、彼が会社と契約してフリーでやっていたのならまだしも、社員として会社の利益を上げるために働いていたのならある程度会社に搾取されても仕方がないことだと思う。
 会社は海のものとも山のものともわからない社員を雇い入れ、成功するか失敗するかわからない研究にお金をつぎ込み、リスクを負った上でのことなのだから利益が出ればそれを受ける権利というものがあると思う。
 もし、彼が多額の研究費をつぎ込み、失敗してもそれを弁償しろとは言われないだろう。彼は会社の一員ということでリスクを会社全体で分散しているからである。もちろん、失敗に対して彼の会社の中での立場などが悪くなる事があるだろうが、何億も請求はされない。
 リスクを背負うことなく成功したら報酬をもらおうというのは少々、虫が良すぎるように思える。研究だって、その会社にいたからできたのだろうし。それに、会社側も譲歩して、8億も払ったんだから折り合いをつけるのが後々のためと思う。
 どっちにしても、私にはあまり関係のない話であるが、ノーベル賞受賞した田中さんとは対照的だなと真っ先に感じたニュースでした。

1/8 新年明けましておめでとうございます

 新年明けましておめでとうございます。今年も一年、ぼちぼちとやっていきたいと思いますので、懲りずにお付き合い、よろしくお願いいたします。
 新年早々、いきなり去年のことを振り返るのもなんですが、去年は色々とあった一年でした。
 その中でも一番はやはり、北海道に狐を見に行ったことでしょう。知床半島で若い野生の狐を三頭、登別では二頭の狐に出会うことができました。皮膚病を少し患っているものもいましたが、その愛らしさや美しさは感動ものでした。この感動を書き始めると止まらなくなりそうなので辞めておきます。
 しかし、実際行ってみて思ったのですが、北海道はでっかいどうなどというだけあって広いです。数日では回れる所などたかが知れています。北海道に行くときは、『コレ!』というテーマというか、ポイントを絞って行くのがよさそうです。これは旅行全般に同じ事がいえるのですが、特に広い北海道ではそう思いました。
 もったいないからあれもこれもと言っていれば、あっという間に移動時間だけで終わってしまいます。フリーで計画を立てるのならば、見たいものの優先順位をつけておくのがいいでしょう。
 今回は知床と釧路を中心に回ったのですが、知床はお薦めです。釧路はあいにくの悪天候でしたので、お勧めかどうかは判断が難しいですが、晴れていれば一日中歩き回っても飽きないところだとは思います。ただし、双方とも自然が好きならば、の話ですが。
 知床に行ったら見て欲しいものの一つが、星です。ナイトツアーに参加して、市街から離れたところで見る事ができたのですが「星空って、こんなんだったんだ」と純粋に感動しました。ホテルの窓から見た星も充分に綺麗でした。どこでも見れるだけに、どれだけ綺麗かよく比較できます。それを見れば、空気すら美味しく感じます(^^)。
 今度は知床のみでプランを組んでゆっくり回って見たいと考えています。
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