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1〜12月分日誌


7/26 10万ヒット♪

 実は数日前に達成していたのですが、色々あって、日誌が今日になりました。それはさておき、めでたいことです。
 これも、皆様方が足繁く通っていただいたおかげと、大変感謝しております。ぼちぼち、新作も書き始めているので、そのうち、アップできると思います。期待せずにお待ちください(^^)
 それでは、これからも、のんびりですが続けていきますので、皆様方、変わらぬご愛顧のほどをよろしくお願いします。

7/11 選挙

 参院選挙の投票日。イラク、年金、その他。色々ある選挙であるが、名前を連呼して走り回る車は少なかった。やはり、そうじゃない事がわかってきたのか、とりあえず、その点は嬉しい選挙戦であった。
 まあ、二大政党よりも天下三分の計のほうがよいと思うなど、言いたいことは山ほどあるのだが、言いたい事があるなら、選挙に出ればいいというのが、私の考えなので、割愛♪
 さて、選挙には出ないけど、投票には行かねばならない。どうせならと、一番乗りを狙う事にした。朝六時ごろ、投票所の小学校に着くと、選挙管理員の人たちが準備でおおわらわになっていただけで、誰も並んでいないので、かなり恥ずかしい(^^;
 投票10分前ぐらいから人が集まり始め、投票開始時間になると10人ほど集まっていた。綺麗に列を作っているわけではなく、たむろしている感じであった。
 投票開始時間となり、選挙管理委員が投票の開始を宣言し、私が入ろうとすると、7時前に来たおじいさんが一番に入ろうとした。
「別にいいや」
 たかだか選挙の一番で目くじら立てることもない。気持ちのよい夏の朝に一時間ほどボーとしていたのは悪いものではなかったから、このよい気分を台無しにしたくはない。しかし、選挙管理員の人が「この人が一番最初に来てましたから」といってくれたので、無事に一番乗りを果たした。
 案内されながら、投票箱の中が空なのを確認する。ただそれだけだが、まあ、いい経験である。

7/4 『仔犬のワルツ』

 先週の土曜日、『仔犬のワルツ』というドラマが放映を終了した。ちょっとした事情(^^)で何度か視聴していた。このドラマの企画は野島伸司という人で、とても彼らしいファンタジーな内容で、ちょっぴり痛かった。
 しかし、このドラマで特筆すべきはそこではない。このドラマで野島伸司は企画をしただけである(最終回は彼自身の脚本だったようだが)。
 それにも関わらず、全編にわたって野島ワールドを展開しているのである。それがすごい。つまり、彼は自分の企画する内容を正確に脚本家達に伝達する事が出来ていたという事になる。その能力ははっきり言って、すごいことだと思う。
 しかし、残念ながら、正確に伝えられたことは、作品の良し悪しに無関係である事を証明してしまったようにも思えてならなかったのも事実である。
 そこで思ったのだが、自分のイメージを正確に伝える事は私的芸術作品において尊重されるものではないだろうか? そして、当然のことながら、正確に伝える事が出来たとしても、その評価は必ずしも賞賛とは限らない。むしろ、否定的な評価が多いと思う。それは受け取り手の心が狭いという意味ではなく、自分のイメージを正確に伝えれば伝えるほど、それは自分の嗜好に偏る――特殊化が進むのであるから、それにフィットする人間の数が減るのはあたり前の話である。私的芸術作品と書いたのはそういう意味である。
 人に読んでもらう小説は公共的な作品なので、そのあたりの匙加減を考えないとイメージの押し売りになりかねない。イメージを伝えると同時にそれを楽しんでもらえるような演出を忘れてはいけないと再確認させてもらったドラマであった。

5/27 タヌキ

 動物シリーズ?第二段。どうやら、近所の遊歩道にタヌキがいるらしい。しかも子ダヌキが。残念ながら狐ではないが、いるのなら見てみたいと思うので、暇があれば、探索がてらに散歩しに行こうと思う。
 しかし、ある程度、自然は残っているのだが、タヌキがいそうなところとの繋がりがない。つまり、山から下りてくるには交通量の多い道路を何本も横断しなければならない。根性があるタヌキなのか、それともペットとして飼われていたものが捨てられたのか。前者ならよし、後者なら複雑な思いである。
 とりあえず、干渉せずに遠くから眺めて逞しく生きるのを見守ろうと思う。

5/18 いたち

 帰り道を歩いていると突然、目の前を長細い茶色いものが横切った。短い手足をちゃかちゃかと動かして走り去ったのは、紛れもなく、いたちである。
 小学生高学年の子供ほどの高さの石垣をスピードを落とすことなく登り切ると、その向こうの草むらへと姿を消した。
 いたちが走ってきた方には小さな川があり、走り去った向こうは短いながらも遊歩道で、餌はあるのだろう。一軒家もあるので、イエネズミなども獲っているかもしれない。
 しかし、道を横断とはなかなか、度胸のあるいたちだ。今は育児の季節のはずなので、それで餌場を広げたのかもしれない。とりあえず、車に気をつけて、育児をがんばって欲しい。

5/17 推敲のすすめ

 推敲の語源は、昔中国の詩人が詩を書いていて、そこに登場する僧侶に門をたたかせるか、おさせるかを迷って、友人の詩人に相談した故事から文章を練ることを推敲という訳である(推はおす、敲はたたくという意味で、推敲)。
 さて、一般的にこの推敲というのは文章の『言葉』を練ることと解釈されているが、実を言うと、これは狭い意味の解釈で、実際は全体を整える意味合いがある。
 語源となった故事は詩なので、一語が詩全体に影響を及ぼすため、論議したのであると考えれば(故事では、月夜の晩の静寂を僧侶が門を叩いて破るのは無粋ではないか? などと詩全体を視野に入れて論議された)、小説で詩の一語に相当するのは、一章か一段落になると考えても不思議ではない。
 一語一語を検討して文章を整えることは無駄ではないが、全体を見て整える事の方が重要であると私は思う。
 かく言う私も、最近まで文章を整える=推敲と思っていたが、書きあがった後に読みなおして、物語り全体を整える作業をするようになり、「これって、推敲かな?」というふうに思い至ったわけだから、あまりえらそうな事はいえないが。
 そこで私は、誤字脱字や助詞の直しを『校正』、言い回しや表現などの直しは『校正推敲』、全体的なバランスをとる直しは『推敲』と呼んでいる。そして、校正は作者の義務で、校正推敲は作者の意地で、推敲は作者の愛と考えている。
 文章にするということは誰かに読んでもらう事を前提としているのだから、校正するのは当然の義務であろう。校正推敲するのは作者の文章の技の見せ所と言える。手を抜くと読者に笑われるので意地を見せなければいけない。そして、推敲は一つと作品を世に送り出す作者自身の作品への愛―― 一つの物語として見栄えよく完成させて、多くの人に愛してもらえるようにすることではないだろうか?

5/10 納豆の食卓

 はっきり言って、意味不明のタイトルと思うが、これは私が以前人に説明するのに使った話である。
 あるところに、A君とB君がいました。二人は知り合いですが、それほど関係は深くもなく、お互いに同等の立場だとします。
 さて、A君は無類の納豆好きで、毎食、食べないと気がすまない。逆に、B君は納豆が大嫌いで、同じ食卓の上にあるだけでも、いやなほど嫌いである。しかし、お互い、そのことは知らないものとします。
 ある日、B君がA君の家に食事に呼ばれました。B君が行ってみると、そこにはおかずの中に納豆がありました。
 さて、あなたがB君だったら、どうしますか?
(1)自分が納豆が嫌いなことを告白して、A君の納豆も含めて、食卓から納豆を下げさせるようにお願いする。
(2)自分が納豆が嫌いなことを告白して、自分の分の納豆を食べないでおく。(A君のはそのまま)
(3)無理して黙って食べる。
 おそらく、ほとんどの人が(2)と答えたでしょう。
 次に、あなたがA君だったら、B君の納豆が嫌いという告白を知って、どうしますか?
(1)自分の好物が嫌いなど許さずに、無理やり食べさせる。
(2)自分は食べるが、B君の納豆は下げさせる。
(3)自分の納豆も下げさせる。
 これも、ほとんどの人が(2)と答えたでしょう。

 それでは、もし逆に、A君がB君の家に食事に呼ばれたとします。もちろん、この場合も、お互いに納豆の好き嫌いは知らないものとします。
 納豆嫌いのB君ですから、その食事の中に、納豆があるはずがありません。
 あなたがA君だったら、どうしますか?
(1)納豆を出すようにお願いする。
(2)我慢する。
 次に、あなたがB君だったら、A君の納豆が大好きということを知ったら、どうしますか?
(1)納豆を出す。
(2)我慢してもらう。
 多分、両方とも(2)が多いと思います。

 さて、ここで、(2)の答えが一番いい。といったところ、ある人が、『A君はB君の家で納豆を我慢したのに、B君はA君の家で納豆が食卓に乗っていることしか我慢していない。これは不公平である。』と言ったとする。あなたは、どう思いますか?
 私は不公平とは思わない。A君はB君が納豆を食べようと食べまいと自分が食べれれば、損はない(それどころか、B君の残した納豆も食べれるので、お得かもしれない)。逆にB君は納豆のにおいですら駄目なのであるから、納豆を出した段階でB君は損をするからである。
 もし、A君がどうしても納豆が食べたい。納豆を食べないと死んでしまう。というのであれば、A君が妥協案を考え、B君に提案しなければならない。そこは、B君のテリトリーなのだから、自分の欲求を満たすためにはA君自身が努力する必要があるのは当然だろう。
 では、A君の家での設問が三択なのに、B君の家は二択なのか? それは、A君の家で三択に幅を広げたB君と、B君の家で二択にしてしまったA君の差である。もし、A君が
(3)食事が終わったあと、B君のいないところで納豆を食べる。
 という選択肢を作っていれば、交渉の余地はあったはずである。

 ……何が言いたいかよくわからない。と言う人が多いと思う。(前回、話したときも納得させれなかった)
 『郷に入れば、郷に従え。従えないのなら、自分の力で交渉する。交渉するためには、選択肢を広げる必要がある』というこというのが一番近いかな?
 本当は、この先に、二人がお店に食べに行った場合、どうするか? というふうに続いて、『自分の正義の適用範囲』という話になるのだが、それは各自が考えてみたり、話し合ってみると面白いと思う。

2/8 今年も一年

 年に一回やってくるのが、この誕生日。この歳になると嬉しいのかなんなのかはよくわからないけど、何とはなしに、ちょっとだけ自分が主役のような気分になれるので、よしとしよう。もちろん、気分だけでなのだが(^^;
 それで、何をしていたかといえば、惰眠をむさぼっていた。落書きを書いていた。と、無駄に時間を浪費していたわけだが、ここのところ、あわただしかったので、のんびりするのもよいものだ。
 動かないのが好きかというと、そうでもない。先々週は横浜の動物園、ズーラシアに行って来たし、先週はよっすぃーさん、MONDOさんと福井の方へスキーであった。そのレポートはまた、後日に回して、両方ともすごく楽しかった。動き回るのも好きなのだが、動き回るには少し資金が必要なので……まあ、そういうことである。
 なんにせよ。今年一年も張り切ってやっていこうと思っていますので、よろしくお願いいたします。

1/7 電磁波の閉じ込め

 いきなりややこしい話ですいません。まあ、いうなれば、たわごとなので真に受けないでくださいね。
 ニュースで聞いて、驚いたがまさか、あんな穴ぼこだらけのもので出来るなんてびっくりである。まあ、それはそれとして、色々と考えてみた。
 私の予想では、あの構造が電磁波を量子化して、その物体自身が電磁波をまとった状態になるのではないかと考えている。
 1000万分の一秒の閉じ込めに成功したと言うことは、電磁波は光の速度で進むので、300mをあの中に閉じこもっていたわけだが、フラクタルな構造が電磁波の所在をうやむやにしてしまったのではないかと思ったりした。つまり、あの構造体自身が電磁波と一体化した状態になったということである。
 そこで、試しに計算してみた。構造体は27mmの立方体。つまり、位置を27mmで限定されているとすると、不確定性原理に代入すると、0.72h≧0.079h 9倍ぐらいになる。時間に関して言えば、800h≧0.079h 約10000倍。パターンの繰り返しが3で、閉じ込められる周波数はそれの二乗に比例する。同じ大きさでもう一回パターンを繰り返して4にすれば、16になり、1.78倍の14GHzあたりの電磁波を捉えられると予想している。閉じ込めの時間に関しては、8Gの方しかわからないのでなんともいえないが、繰り返しのパターンに何らかの要因があると感じている。
 今後、詳しいデータが発表されるのが楽しみ。

1/7 新年明けましておめでとうございます

 新年明けましておめでとうございます。今年も一年、ぼちぼちとやっていきたいと思いますので、懲りずにお付き合い、よろしくお願いいたします。
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