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Uni ☆ Birth



作:ノイン  絵師:地駆鴉





中編:人魚(セリナ)の涙




 よるの やみを てらす ように

 ろごすを こえて

 こころの ばいおりんが かなでる

 びぶらーと は

 はかない ながらも

 あいを はぐくみ

 いのちの ざんかを

 におわせる…





 パルーシアが……いいえ、『シア』が目覚めてから、はや2ヶ月が過ぎた。私はパルを生き返らせること、それさえ叶えば他はどんなことでも犠牲にできると思っていた。
 だが、その思いはいまだ心の中に決意として秘めているとはいえ、シアの笑顔を見るたびに、岩のように固いと思っていた決心が、案外脆いものだったと気づく自分がいた。  原因はシアの時折みせる笑顔がパルのそれと非常に酷似しているせいだろう。シアはパルではないと理性的にはわかっている。しかし、彼女をむしょうに抱きしめてしまいたくなる衝動を抑えきれないのだ。

 つくづく弱い女ね、私は……

 私はシアをモニタ―していた手を休めると、深い溜息をついた。疲れた…本当に。
 でも、その苦労もあと少しで終わる。シアを殺して、パルを完全に生き返らせる。それが、たとえ世界を壊してでも叶えたい願いだったじゃないの。

「私は……シアを殺す」
 私は自分自身に言い聞かせるように呟いた。言葉にしてみると、ひどくあっけないことに思えてくる。そう最初の予定どおりじゃないの。何を迷っているの? 私は…

 私は再びシアの身体をモニターし始めた。

「セリナ、もうやめよう…俺はもう絶えられない」
 私の部屋のドアが突然開かれ、気弱そうな男の声がした。
 顔を見なくてもだれかはわかる、私の夫だった男…ヴィッツだ。
 私は彼を無視して、作業を続けた。
「俺はもうこんなこと絶えられないんだ。シアを殺すことなんて、俺にはできない」
「あなたにはできないでしょうね。でも私はやるわ」
「こっちを向けよ、セリナ。本気で言っているのか?」
 私は彼のほうに向き直った。
「私は本気よ」
「俺は…俺はもうシアを殺すことはできない。シアはパルに似すぎている」
 そんなことは分かっている。でもシアはパルじゃない。
「あなたは私の研究の真意を知ったときから、黙認してたじゃない。今更何を言っているの!!」
「それはそうだが……シアはパルの記憶を一部受け継いでいる可能性があるじゃないか!!」
 それは私も気づいていた。シアが地球に帰りたいと小さな声で呟いたこと、そして、パルが好きだった、『あの曲』……ショパンの夜想曲(ノクターン)第二番のアクセス数が異常に高いことから分かる。おそらくは『シア』を創ったときに、パルの肉体からの情報が少しだけ転写されてしまったのだろう。だが、それはパルの記憶のコピーに過ぎない。
 彼もそのことは十分すぎるくらい理解しているはず。

 結局は彼も私とは別の意味で弱いだけ…

「あなたがシアを消さなくても、私は消すわ」
 反駁を許さない鋭い声で言うと、彼は押し黙った。





 実験の時間になった。私はシアの部屋の向かう。シアには悪いが、彼女は表向きには実験体に過ぎない。彼女の一生は――たった三ヶ月の命はあの部屋の中で終わる。
 そう考えると、ひどくやりきれない…
 今日の実験はもう一つ重大な意味を持っていた。
 それはシアの中に眠るPALを解放すること。一旦解放されたPALは少しずつ緩慢にだが、シアの人格を兵器PALの制御プログラムとして最適化していくだろう…
 それは与えられた死の宣告に等しい。シアの命は……終わる。
 だが…シアを消さなければパルの人格が、シアの育った人格によって、潰されてしまう可能性がでてくる。
 私は決意をあらたにすると、分厚く冷たい扉を開けた。
「おかあさ〜ん」
 すぐにシアが私に駆け寄ってくる。
 私は抱えきれないほどの激情に翻弄されつつも、なんとか理性を保とうとした。
「シア…今日の検査はちょっと違うことをするの、いいわね」
 一瞬、シアは怪訝そうな顔をしたが、すぐに笑顔を浮かべる。
「うん、わかった、がんばるよ」
 私はすぐに実験の用意を始めた。今日はシアにとって初めての実験になる。戦闘力を測る実験……すぐにフォーレが来るだろう。あいつには戦闘能力のコピーを渡せばいい。パルはオリジナルとして、私の管理下に置かれることになる。あいつも私が何をしたいのかはわかっているのだろう。私が逆らわないかぎり、パルは私のものになる。

 簡単なこと……

 PALの力を十分に見せ付けてやればいいだけ
 私はシアの頭にバーチャル空間内へのダイブ装置をかぶせた。これは簡単に言えば、コンピュータ上で脳波を現象に置換できる機械――帽子のような形状をしている。
「お母さん、今日はどんな実験をするの?」
 私はシアの言葉に絶句する。いいえ、考えすぎね、七歳児の設定だから言葉をまちがえただけ…
 でも、私はそのことをシアに確かめることはできなかった。シアの純粋すぎる目が痛い。
「シア…いまから、バーチャル空間へダイブするわ、そこに行ったら、私の指示に従って動きなさい」
「はぁーい」
 私は端末コンピュータ―を使い、シアの精神をバーチャル空間へ送った。すぐにモニターで確認する。どうやら何事もなくうまくいったようね。
 私はとりあえず、ほっと一息つくと、シアに呼びかけた。
「シア、今、周りの様子はどう見える?」
 シアは周りを見回している。今回使ったステージは20世紀のビル群だ。障害物が多く、複雑なミッション訓練が組める。私はしばしの間、シアの反応を待った。
「う〜んと、いっぱい建物があるよ」
「そう…少しの間、歩き回ってなさい、しばらくしたら指示をだすわ」
「うん、わかったぁ」
 シアは大きな声で答える。不安なのだろう。心拍数が相当程度上がっている。軽い緊張状態でもあるようだ。
 あと十分ほどで、初めての戦闘実験が行われる。
 その戦闘データはメインコンピューターに記録され、のちに国の兵器開発部に送られることになる。おそらくは最強の兵器になるだろう。私はそのようにPALを創ったのだから。
 フォーレが満足する結果が得られない場合、パルの廃棄処分も考えられる。
 手を抜くことは許されていなかった…

 戦闘実験が始まる2分ほど前に、フォーレがやってきた。
「いよいよ、実験開始ですか…いやはやここまでの道のりは長かったですな、セリナ博士の創った最強の兵器の実力、見せていただきますよ」
 言うと、フォーレは形式ばったお辞儀をする。
 こいつは何もかもわかったうえで、私にプレッシャーをかけてきている。
 だが、私にできることはせいぜい無視することぐらいだ。
 私はシアに呼びかけた。
「シア、今から……………」
「どうしたの、お母さん?」
 なぜだろうか? 私はシアにどう言えばいいのか迷っている。シアの悲しむ顔を見たくないと思っているのだろうか? 今さっきヴィッツにシアを消すと言ってきたばかりだというのに、決意してきたばかりだというのに…
「どうしたのですかな? セリナ博士、あなたの可愛らしいご息女がどうしてよいかわからず、おろおろしていますよ」
 フォーレはにやにやと笑いながら、私を促す。分かっている。やらなければいけないのは分かっているのに………
 心が軋む音がした。
「シア、今からちょっとしたゲームをするわ、目の前に現れるロボットをやっつけるの。できたらシアの勝ち、できなかったら負けよ」
「よくわかんないよぉ」
 シアはおろおろするばかり。そうでしょうね、いままでどれほどの力があるかなんてまったく教えてなかったのだから。…いいえ、私はシアに何も教えてなかった。そう思うと、ひどくむなしい。それでも私は、シアを…
「シア、あなたの中には途方もない力があるの、今日はその力の使い方を覚えるための訓練なのよ」
「うん…わかった……でも、どうすればいいの?」
「シアの体の中には言語認識システムがあるの、簡単に言えば、シアの言葉に反応して能力が変わるのよ」
「言葉? 能力?」
「それはこちらから指示するわ。いいわね、シア」
「わかった、お母さんの言うとおりにするね」
 私は溜息をついた。安心しているのかしら? シアが納得してくれて…
 だとすれば救いようがない人間ね、私は
 私は何も考えないように指を滑らせて、プログラムを起動させる。
 クモの形をしたロボットプログラムがシアの前に現れた。
 破壊という名を冠する『デストルク』
 これは今現在、国が保有する最強の兵器だ。レーザー砲と、簡易だがシールド装置を搭載している。これを破壊できれば、PALは最強の兵器だと認められるに違いない。

 私は実験開始前にもう一度だけシアの状態を確認した。
 心拍数がさきほどよりも上がっているのがわかる。私の顔はひどく歪んでいるだろう。 苦しいの? 私はふと自嘲的な笑いをもらした。命を弄び、そして消そうとしている私が…苦しい? もっと苦しめばいい、心が壊れるほどに……
「さあ!! 早く始めてください」
 フォーレの言葉に、私は感謝の念さえ抱きつつ実験開始ボタンを押した。
 すぐさまシアの前で静止してあった、戦闘プログラムが動きだす。
「うわっ、わっ、お母さ〜ん!」
「落ち着きなさい、これはバーチャルだから、死ぬことはないわ」
 シアに言った言葉は嘘ではない。だが、訓練プログラムは緊張感をだすために、痛みが多少フィードバックされることになっている。フォーレが目の前にいる以上、手を抜くわけにはいかなかった。

 ごめんなさい…

 良心の呵責からか、心の中にふっと湧いたフレーズ…
 シアを消すという私の決意はぐらついている。
「どうすればいいの?!」
 シアは咄嗟にビルの陰に隠れて、デストルクのレーザーをかわす。
 ガシーン、ガシーンと轟音を響かせながら、デストルクは赤外線センサーを駆使して、シアの居場所をさぐる、発見されるのも時間の問題だろう。私の胸にさまざまな感情と記憶が呼び起こる。ああ…私は弱すぎる。
 私は…私は…シアを愛している!! しかし一方でパルーシアのことも…
 動けなかった……指先一つすら動かせない。
「知っているんですよ、私は…あなたはご息女を生き返らせるのでしょう? さあ、起動フレーズを彼女に教えなさい」
 ああ……フォーレの言葉がひどく甘く聴こえてくる。
「どうせ…アレは創られた人格に過ぎないじゃないですか。何を躊躇うことがあるのです」
「……私は……」
「私は別にいいですよ。、だが…起動すらできないのだったら彼女はただの欠陥品、国の権限で処分させていただくことになりますが」
 フォーレは計算高い男だ。私がこうなることまで読んでいたのだろう。
 だが、そんなことはどうでもよかった。
 フォーレの言葉が私にとって、免罪符になるように感じたのだ。
 シアを消す、シアを消す、シアを消す、念仏のようにリフレインを繰り返す。
 シアを消す……たいしたことではない…たかだか私が創ったプログラムの一つをデリートするだけ……………


 たいしたことではない…


「……シア、今から能力を起動させるための『言葉』を送るわ」
 私は端末コンピューターを通じて、シアに起動するための『言葉』を送った。
「お母さん、これが…言葉なの」
「そうよ……さあその言葉を使いなさい」
「でも……」
「シア…お母さんはシアを信じているわ」
 私は笑っている。心を凍てつかせながら
「うん、わかった、がんばるよボク」
 シアは迷いを吹っ切るように、一際大きな声で叫んだ。

臨在(パルーシア)!!!!」

 それは存在の意味の名前――すなわち存在者が了解されるための場――『今』という時
 私はパルーシアという名前をそういった理由で名づけた。
 あなたが存在するというのは、あなたが存在する『時』が存在するということ。  『時』は巻き戻ることはないのか? 『時』が存在を了解させるのなら、その『時』を生起させるのは『人』の『時』に対する存在了解、即ち認識――
 私が豁然と目を見開くと、シアが……最強の兵器『PAL-1』が存在していた。
 美しい…ただ一言、そう評されるのがふさわしいだろう。
 なにもかも忘れて、ただその姿に見いった。
 PALはフォトンを虚空に撒き散らしながら、自らの身体と同じ大きさの翼を放射上に展開している。
「天使ですか…素晴らしい」
 フォーレが言った言葉も見た目にはまったくそのとおりだと思う。
 だけど、そんなものじゃないわ…あれは死神…なのだから。

「シア…破壊しなさい」
「了解…」
 シアは感情のこもっていない声で言った。シアの弱すぎる自我ではPALというシステムを完全に使いこなすことはできないのだ。結果、シアの自我領域はPALの制御にまわされてしまう。逆に言えば、これは狙いどおりの結果でもあった。なぜなら、もしもシアがPALの力を使いこなしているとなれば、それはシアの自我領域がPALを越えているということであり、つまりは、パルーシアの精神を侵しているということになるからだ。
 問題ないわね。そう思うと私は声を殺して笑った。いやらしく、フォーレと変わらない笑い…
 自嘲と愛と悲しみと憎しみの混ざった、自分でも認識することができない感情が湧き上がる。私はとっくの昔に、パルーシアが眠りについたあの時から、既に壊れていたのかもしれない。
「破壊します」
 シアはデストルクのレーザーを、超高密度のフォトンで拡散、無効化させつつ、一気に距離を詰める。
「速いですねぇ」
 シアを値踏みするように見ていた、フォーレが感嘆していた。
 実際、見ている私も、少々驚いている。戦闘力が予想とは桁違いだった。
 シアがデストルクの背中の部分に右手を付くと、デストルクが突然、轟音を響かせつつ崩れ落ちた。何事もなかったかのように立ち尽くすシアに、私とフォーレはしばしの間呆然としていた。
「今、なにが起こったのか、よくわかりませんでしたが…」
 フォーレが私に尋ねてきた。
「今のは、おそらく低周波だと思います」
「低周波か…なるほど…」
 納得したのか、フォーレが頷く。
 要するに、シアは超振動波を与えて、デストルクの繊細なコンピューターを超高速でシェイクし、内部から破壊したのだ。外側が固いあのロボットを破壊するにはもっとも効率的な方法だろう。
「素晴らしい!! すぐさま国にこの研究を報告し、量産ラインに乗せますよ、セリナ博士の創った最強の兵器を!!」
 フォーレがこぶしを握りしめ、興奮ぎみに語る。
「実験のコピーはメインコンピュータに保存されています、どうぞ持っていってください」
 あいつには一刻も早くでていって欲しかった。シアの残り短い命を汚されたくなかった。
「わかりました。それでは量産機ができたらお教えしますよ、技術的な点でシアさんにはまだまだがんばってもらいますけどね」
「わかっています…」
 私が短く言い放つと、フォーレはもう仕事は終わったとばかりに、踵を返して出て行った。






「あっ、お母さんだぁ。ボクどうしちゃったのかな?」
 弱々しい声でシアが聞いてくる。私は狂おしいほどのいとおしさと、絶望の混在する感情を持て余しながらも、しっかりと抱きしめた。
 シアの体温を感じると、一気に感情が爆発し、その残滓が涙腺を伝わって溢れ出してくる。
 なぜあのとき、私は言ってしまったのだろう、もっと別の方法もあったのではないか
 後悔の念に、私の心は押しつぶされそうになる。
「どうしたの? おかあさん?」
「シア…ごめんなさい…シア…」
「お母さん、大丈夫だから、泣かないで」
 シアは私の頭をなで始めた。ごめんなさい…シア…
 私にできることはもう…あなたをできるかぎり愛することだけ…





 私はシアと一緒に暮らし始めた。シアは弾けんばかりの笑顔を創り日々を生きている。
「シア、身体のほうは大丈夫か?」
「うん、大丈夫だよ、お父さん」
 ヴィッツがシアに絵本を読ませながら聞いていた。
 ヴィッツはシアの寿命を知っているはず――だが目の前でシアが起動するところを見ていなかったため、いまいち信じることができないのだろう。
 目の前で見ていた私だって信じたくないのだから。
 シアの寿命は残り一ヶ月ほどだろう。睡眠時間が徐々に多くなっていっている。いずれは眠りつづけるようになる。シアという人格は目覚めなくなる。
 わかっていたはずなのに、胸の奥が苦しくなった。

「おかあさん、この本を読んで」
「うん…わかったわ…」
 私は食事を作っていた手を休めると、シアに向かって読み出した。
 確か『人魚の涙』というタイトルの本だ。

『昔々、静かで真っ暗な森の中に小さな小さな湖がありました』

『その湖は満月になると、月の光を反射し、きらきらと輝くことから光の湖と呼ばれていました』

『その湖にはひとりの綺麗な"人魚"が住んでいます』

『ある日、ひとりの"人間"が"人魚"を捕らえようと湖にやってきました。』

『"人魚"の涙は不老不死をもたらすと信じられていたからです』

 私はそこまで言って、シアを見た。
 シアは床に寝っころがりながら、私の話に聞き入っている。
 私との触れ合いが嬉しいのだろうか?
 湧き上がる喜びを抑えきれずに、しきりに足をバタつかせたり
 ごろごろと転げまわっている。
 その純粋さがはかなすぎて…
 微笑ましいはずのその光景も、ひどく残酷に思えた。
 私はシアに優しい笑顔を返しつつ、絵本を続けた。それがシアに対するせめてもの贖罪に思えたからだ。

『"人間"は"人魚"を探しますが、今は空に月はなく、湖は真っ暗で見つけることができません』

『しかも"人魚"が湖の底から上がってくるのは、夜だけと決まっていました』

『"人間"は満月の夜まで待つことにしました』

『やがて時が満ち、"人魚"が湖の水面まで上がってきます』

『"人間"はその隙を逃さず、"人魚"を捕まえてしまいました』

 シアが悲しそうな顔をする。私は数瞬、間を置いてから更に続けた。

『お願いします、私を湖に返してくださいと、"人魚"は"人間"に頼みます』

『だめだ、"人魚"の涙を頂くまでは帰さない』

『"人間"はそのまま、"人魚"を町に連れて帰りました』

『"人間"は"人魚"の涙を手に入れようとしますが、どうしても涙一滴すら流しません』

『どうして涙が欲しいの? "人魚"は"人間"に問い掛けます』

『人は誰だって死にたくないからさ』

『死なないことがどれだけ残酷なことか、あなたは知らないのよ』

『"人魚"の言葉に怒った"人間"は"人魚"に暴力をふるいます』

 いきなり涙を流し始めるシア。この子の心は七歳児という設定だが、それは知的レベルに過ぎず、経験から培われる感受性はいまだ初雪のように綺麗で、脆い。  私はシアを後ろから抱きしめつつ、続きを読んだ。

『"人魚"はついに涙を流しました』

『"人間"は喜んでそれをビュレットに集めます』


「ねえ、お母さん」
 シアが眠たそうな顔で聞いてきた。
「な〜に、シア?」
「ビュレットって何?」
 たしかに絵本にしては、難しすぎる単語ね。
「ビュレットっていうのは、メモリがついていて、先端が細くなっているガラス管よ。シアには少し難しすぎたかしらね」
 私はシアの頭を優しく撫でながら、続きを読んだ。


『"人間"は科学者でもあったのです』

『すぐに"人魚"の涙を濃縮して、不老不死の薬を創りました』

『"人間"には愛していた者がいました』

『"人間"が"人魚"の涙を欲しがったわけは、"その人"を生き返らせるためだったのです』

『地下の一室に、"その人"は眠りについています』

『もうずっと起きないはずの眠りでした』

『"人間"は"人魚"の涙を口に含ませました』

『しかし、"その人"は目覚めません』

『"人間"は何故目覚めないのかと聞きました』

『死んだ人間を生き返らせることはできるはずがないのよ』

『うそに決まっている!!』

『"人間"は生き返らなかったのは、"人魚"の力が足りなかったのだと思いました』

『そして、前よりもまして暴力を振るいます』

『ある日、"人魚"は言いました』

『あなたが私を湖に帰してくれるのなら、生き返る方法を教えましょう』

『"人魚"の言葉を疑いながらも、"人間"はそうすることに決めました』

『さあ、教えてくれ、どうすれば"人"を生き返らせることができるのか』

『私の涙を月に一晩照らして口に含ませなさい、そうすれば生き返るでしょう』

『"人魚"の言葉に、人間は喜びます』

『しかし、"人魚"は付け加えました』

『きっと、あなたは後悔することになるでしょう』

『"人間"はすぐに"人魚"に言われたとおりにしました』

『"その人"は目覚めました』

『でも、"その人"は人形と同じで何の反応も示しません』

『"その人"に命をつくりだすことはできたのです』

『ただし、こころを創りだすことはできなかったのです』

『"人間"は激しく後悔しながらも、"その人"をかいがいしく世話をします』

『やがて…』

 見ると、シアはすやすやと眠っていた。疲れたのだろう。
 ヴィッツがシアをベッドまで運んだ。
「あと、どれくらい持つんだ」
「わからないわ…でも起きている時間はもう残り少ないと思う」
 ヴィッツは私を責めることはなかった。
 だが、私はあのときから、自分を責めつづけている。もしかしたらヴィッツも私を止めれなかったことを悔いているのかもしれない。
「君も少し眠った方がいい」
「いいえ、大丈夫よ」
 私はほとんどシアにつきっきりだった。せめて彼女が起きているあいだは、ずっと一緒にいてあげよう、そう思ったのだ。
「君がダウンしたら、シアも悲しむ、仮眠をとるんだ」
 ヴィッツが珍しく声を荒げて言った。
「わかったわ…シアを見ていてね」
「ああ…」

 私は部屋を出て、自室に向かう。
 自室の扉が閉まりきると、感情の波が堰をきったように、溢れ出してきた。
 私は人魚であり、そして人間でもあった。
 "人魚"は私の生命への律として…
 "人間"は私の生命への執着として…
 結果として、私は"人間"であることを選んだ。  シアを生んだ私は、生命を歪め…弄んだ……
 だが、そんな歪められた生命だとしても
 あの子にはまったく罪はない
 せめて今だけは…
 今だけは……
 笑顔で生きていて欲しいと願う…

中編:人魚(セリナ)の涙 end...

 
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