目録に戻る

恐怖のマエバリ

作:猫野 丸太丸

 


 マエバリというものがある。
 主に女優がその裸体をカメラにさらすにおいて、己の陰部を撮影現場でカメラマン等から隠すために股間に貼りつける、小さな布のことである。
 一部に、熱烈な愛好者がいるアイテムである。
 いや、俺も正直、しらんかった。


 晴海の彼女はアイドルだった。十二歳なのに中学三年生役で月八のゴールデンドラマに出ているし、「紫藤 愛」といえばあの瞳の愛くるしいキャンディ・ヘアの娘だと小学生でも知っている。晴海といっしょに街を歩けば車がよそ見して追突事故を起こすほどの注目っぷりだ。
 晴海も俳優を目指している以上、つきあってる娘がアイドルだろうが気にしてはいけないのだが……。彼女がブレイクして以来ふたりの格の差は開く一方で、つい意識してしまうのであった。
 でも愛のほうは晴海に対してぜんぜん遠慮がなく、忙しいスケジュールの合間を縫っては電話してきたり、家に呼んでくれたりした。それは彼女の優しさの現われなのだろうか?

 いいや、まったく。

 愛からの電話が入ると晴海の携帯は特別の呼び出し音を鳴らす。このときだけは、五秒以内に出ないといけないのだ。
「ちょっとー、晴海。いまから今週のジャンプの早売り買っといてくれない?」
「え……。あの本屋さん、すごくガラの悪い繁華街にあるんだけど」
「だからあんたに頼むんでしょーが。あたしがそんなとこ行ったら襲われちゃうでしょ?」

「晴海、晴海、おねがい。こんどあたしん家に共演の三谷クンが遊びに来るんだ。部屋、掃除しといてよ」
「なんで僕が……」
「いいっ、もし万が一あたしの清潔イメージに傷が付くようなカーペットのシミとか残ってたら、承知しないからね!」

「晴海ー、おはよー、ハワイはいい天気だよー」
「あの、今、こっちは午前三時なんですけど」
「撮影の待ち時間でチョー暇なのっ。これから二時間、みっちりお話につきあいなさい」

 そのわがままっぷりから紫藤愛が裏では「非道 愛」と言われていることを、ファンはなかなか信用しない。でも晴海は彼女の裏の顔をこの一年間、もう、十二分にわたって思い知らされているのだ。
 でも、そんな愛に振り回されても彼女から逃げ出そうとしないのだから、この少年「乾 晴海」のほうも、けっこうマゾっ気があると言えるだろう。

 今回の呼び出しは、秋の夜長に晴海がテレビゲームをしているときにあった。
「はい、もしもし。あ、愛ちゃん? こんばんは」
「こんばんは。だいっ至急あたしん家に来なさい」
「え?」
「タクシー代は出すから。じゃ、くわしくはあとで」
 電話が切れると同時に、晴海はもう着替えをはじめた。晴海のママも手慣れた感じで身支度を手伝う。
「愛ちゃんからの呼び出しね。明日の学校にはあたしから連絡しておくわ。がんばって」
 つまり泊まりがけの仕事になるのは母親も容認ということである。母親はどうも、自分の息子が紫藤 愛と「清くねんごろな仲に」なることで、あわよくば息子も有名になれるかもと思っているらしい。そんな皮算用にあきれつつも、自分の実力だけでは愛に及ぶべくもないことはたしかに分かっている、大人な晴海だった。

 晴海は鏡の中の自分を見つめて、十秒間イメージトレーニングした。額にかかる髪と長い睫毛、二重瞼、小さい鼻、血色のよい唇、丸い顎。もうすこし男っぽければ女子校生やおばさんの人気をゲットできるのにと、いつも母親に言われる。晴海も思う、もうすこし男っぽければ、ずっと愛ちゃんのハートを引きつけられるのに。
「いってきます!」
 晴海と仲良しの口の堅い小型タクシーが、彼を渋谷区の愛のマンションへと運んでいく。

 洗い髪のしっとりとした愛のトレーナー姿を見て、晴海はもうその場で「死んで」と言われてもいいと思った。さっきの晴海の顔が女の子っぽいとするなら、いまの愛は三百パーセント濃縮女の子って感じだろう。そのうえ親しい人には抱きつく癖があると知れば、ファンならなんと言うかわからない。いつかはキスもしてほしいなと、晴海は愛に抱きつかれながら思った。ああ、シャンプーの香りが……。
「じゃ、サービスはこのくらいにして」
 愛は晴海を突き飛ばした。こういうことをしなければ純真で通るのに。晴海のこころを知ってか知らずか、愛はすぐさま今日の命令を下した。
「晴海、明日のあたしの代役頼むわ」
「えええええっ!」
 来た。スターの代役。売れない俳優がこころ待ちにしている、一世風靡のチャンス。実力以上の演技で監督をうならせれば、一大出世も夢じゃない。で、でも
「ありがとう。で、代役って、誰の?」
「だからあたしの」
 晴海は硬直して考えた。ただの子役ってのならともかく、愛が出るなら美少女の役なんじゃないだろうか?
「それって、なんで」
「え? うちのババア(母親)がさ、またダブルブッキングしたのよね。今日の夜になって約束思い出すんだもん、やんなっちゃう」
「いや、僕は男なのに、愛の代役はできないんじゃないかって」
 それを聞いた愛は、満面の笑みを浮かべた。
「もちろん! だから晴海には女の子になってもらうのよ」
 疑問を差しはさむ暇は(いつものことだが)なかった。愛は晴海を脱がせて、トランクスにTシャツ一枚の姿にした。
「さすがにすねと脇の下は手入れしてあるわね。あとは、腕とももか」
 そう言いながら取り出したのは脱毛クリームのセットだ。晴海は抵抗しようとした。
「やめてよ、こんなの抜いたら、あとでうぶ毛がかえって濃くなる」
「だーめ。お肌つるつるにするんだから」
 愛は晴海の全身をなめまわすように手入れしていく。薄い毛でもそれなりに痛い。
「おつぎは眉ね」
 晴海の姿が三面鏡に映る。愛は、不自然でない程度に彼の眉を細くした。
「どう、これだけでもけっこうイメージ違うでしょ」
「う、うん」
 晴海はけっこう変な感じになった自分の顔を眺め、ひりひりする腕をなでさすった。
「最後に。パンツも脱いで」
「ええっ?」
 晴海はとっさに股間を押さえた。
「ひ、ひつようないよ、だって……」
「だって、なに?」
「まだ、生えてないんだもん」
 愛は肩をすくめた。
「関係ないわよ。いいから脱いで」
 むちゃくちゃだ。晴海は目をつぶり、思い切ってトランクスをずらした。愛が――すぐさま、おちんちんの先をつまみ上げた。
「はぅんっ」
「情けない声出さないの!」
 愛が、愛が、「なかなか収まりがつかないわね」とか言いながら、晴海のおちんちんをもてあんでいる!
「やめてよ! 女の子のくせに他人のおちんちんをそんな堂々と」
「んー、ああ、慣れてるから。だからもう少しじっとしてなさいって」
 美少女アイドルが男の股間に慣れているなんて。いったい、愛はいままでどんな体験をしてきたんだろうか……。
 恐ろしくなってきたけど、晴海はそれでもじっと目をつぶったまま耐えた。持ち上げたおちんちんの上から、なにやら布みたいなものが貼られる感じがした。粘着力のあるそれをしっかり貼りつけると、愛はその上から指でぺたぺたとたたいた。
「はい、できあがり」
 晴海はそっと、自分の股間をのぞいてみた。目に映ったのは肌色の三角形……。
「あああっ、おちんちんがないっ!」
 晴海はあわてて股間をなでこすった。
「なに慌ててんの、マエバリを上から貼っただけでしょ」
「あ……、そっか」
 たしかに、肌色の三角形の布の下には、自分のおちんちんの感覚があった。本当に地肌に近い色なので、貼った布が目立たないのだ。晴海はふう、とため息をついた。
「なんでこんなことするんだよ」
 愛は晴海の股の前から立ち上がって説明した。
「だって演技の最中に股間がもっこりしてたら、あたしの代役の女の子としての立場がだいなしでしょうが!」
 それはそうかもしれない。でも……。晴海は自分の股間を見つめた。なんだか肌色でのっぺりとしていて、遠目にはおちんちんがないように見える……。
「これ、剥がすとき、痛くない?」
「しらないわよ! さっさと下着を着なさい。はずかしい」
 晴海は愛に渡されるまま、女の子の下着とミニスカート、ニーソックス、丸襟のシャツにボレロを着た。
「髪はもとから長髪だから……ヘアピンとゴムで留めるだけでも女の子っぽく見えるかな……。よし」
「あ……」
 鏡で見ると、ぱっと見はすっかり女の子だ。
「これが、僕……」
「こら、惚けてないで。じゃ、行くわよ」
 愛は晴海にボストンバッグを持たせると、背中を押して部屋を出させた。居間には愛のお母さんがいる。
「あらまあ、あなたが愛ちゃんの代わりをしてくれるお友達の女の子ね……。あたしが予定を間違えたせいで、こんな夜にごめんなさいね……。ねえ、愛、さっき晴海君が来てたような気がしたけど、どうしたのかしら」
「やぁね、お母様。来たのはこの娘。晴海の奴なんか呼んでないわよ」
 愛と女の子晴海は、そのままお母さんの前を通り過ぎてしまった。晴海がささやく。
「愛ちゃんのお母さんは、僕だって分からなかったの?」
「そーよ。完璧な女装でしょ。あとは、あなたの演技次第」
 玄関で、愛は晴海の両肩をぎゅっと持って、強く言い聞かせた。
「さあ、未来の名俳優。あなたはいまから女の子よ。しっかり演じなさい」
「う、うん」
 十秒間イメージトレーニング。ぼくは女の子。愛ちゃんみたいな、かわいらしい女の子なんだ……。
「よぉし。乾 晴海! 十二歳の女の子でっす! いってきまーす!」
「あ、それから」
 せっかくの気合いを削ぐように呼び止めると、愛は晴海のボレロの胸ポケットに、キャラクターシール付きのかわいい携帯電話を差し込んだ。
「なんか困ったことがあったら、それで電話しなさい。それと、マエバリはこれから二十四時間、なにがあってもはがさないこと! いいわね!」
「うん! 愛ちゃんありがと!」
 晴海は愛の前でくるりと回ると、ガッツポーズをして見せた。
「……いまどきそんなブリっ子な女がいるわけないでしょ」
「そっかぁ。てへっ!」
 晴海は、迎えに来た撮影所のライトバンに乗り込んでいった。

 車は夜通しかけて、南伊豆の海岸まで走っていった。どうも、撮影の内容はその近辺の観光キャンペーン用ポスター、ビデオその他諸々らしい。後部座席で仮眠を取った晴海は、元気に車を飛び降りて朝日に手をかざした。
「おはよう、ございまーす」
 すでに撮影の準備をしていたスタッフは、晴海にまずはよい印象を持ったようだ。
「いやぁ、おはよう。紫藤愛ちゃんが来られないってんで一時はどうなるかと思ったけど、うん、君も、じゅうぶんかわいいよぉ」
 パンチパーマにサングラス、すり切れたジーンズにとっくりセーターという怪しい格好の親父が、にこやかに晴海に近寄ってきた。
「はじめまして、あたし、乾 晴海です!」
「あいさつも元気いいねぇ。そのめくれたスカートなんか、最高」
「うわっ」
 寝ている間にそうなったのか、スカートのおしりのほうがめくれていたのだ。あわてて直す、晴海。
(ばれなかったかな、男だってばれなかったかな)
「まずは感じをつかむために、その格好のまま海岸を歩いてみよう!」
 オーケーらしい。晴海は言われたとおりに、浜辺を歩いてみた。ちょっと背伸びしたり、新鮮な空気を吸ったり、足下の石ころを蹴っ飛ばしてみたり。
「うん。そんな感じで。じゃ、衣装に着替えて本番行ってみようか」
 晴海はライトバンのなかで用意された衣装を着て、メイクをしてもらう。たしかにマエバリのおかげで、着替えのときもメイクの人に前が膨れでいることを気づかれなかった。愛の下準備は成功したと言えよう。
「でも、これ、すごく体型が出るなぁ」
 新しい衣装はスカートの下がタイツみたいにぴっちりしていて、おしりの形がくっきり浮き出た。しかもシャツもぴちぴちでおへその上までしかない。ウエストのがもろに出ている。
「どうですか?」
 晴海はおもわずメイクの人に自分の容姿について尋ねてしまった。
「うん。君、スタイルばっちりよ」
 晴海は勇気を出してまた海に出た。海に映る自分の姿は、いい服のせいかけっこうウエストもくびれて見えて、うん、これならなんとかごまかせそうだ。
「いいね、似合うねー。愛ちゃんのために用意したものだけど、君にもぴったりでよかったよ」
 そうだ。この衣装はほんとうは愛ちゃんが着るはずだったんだ。それどころかさっきまで着ていた服なんて、愛ちゃんの普段着じゃないだろうか? 愛ちゃんの服を着て女の子に……。晴海は真っ赤になった。
「恥じらってもいいけど緊張しちゃだめよー。いままで撮影は何回目くらい?」
「あ、いちおう、幼稚園のころからやってます」
「そう、頼もしいね! 家族連れで海に遊びに来たって感じだからね。はい、いってみて!」
 十秒間イメージトレーニング。あたしは十二歳の女の子。今日はパパとママと弟と、伊豆に家族旅行なのですー。
 ひとりで駆け回って一回。家族役の俳優さんといっしょに一回。撮影は順調に進んだ。
「うん! 小学生の女の子のイメージが、よく出てるね!」
 がくっ。同い年の愛は中学三年生が似合うのに、あたしは小学生だって言うの? 年上に見られたい女の子みたいに、ぷー、とふくれる晴海。
「あはは、表情豊かだね。でも、今回はそれ必要ないから、はい。笑って」
「ごめんなさい、にこっ」
 最後にカメラの前でジャンプして、撮影終了。
「ありがとうございましたぁ」
「おーけー。はい、そのまま、ちょっとバックしてみて」
「でも、波がすこし荒いですね……あ、おっとっとっとっ!」
 晴海は転び、そのうえちょうど来た大波をかぶって、下半身が水浸しになってしまった。
「あはははは」
「わざとですか、ひどいっ。ああっ」
 薄いスカート地が濡れて、下半身にぴったり張り付いていた。まずい、ばれるかも? 晴海はとっさに股間を押さえる。そのとき、奇妙な感覚に襲われた。
「ん? あれれれれれ?」
「どうしたの? 晴海ちゃん」
「ちょ、ちょっと大事な電話!」
 晴海はあわてて海岸の奥、草むらのほうへ走っていった。しゃがんで股間を確かめながら、左手で携帯の短縮ダイヤルを押す。
「はい、もしもーし」
「愛ちゃん? 僕だよ、晴海!」
「はーいー、分かってるよ。この携帯はあんたとあたしのホットラインなんだから」
 愛も裏で仕事をしているはずなのだが、なんだか眠そうな声で返事が聞こえる。
「で、どうしたの」
「な、なんかへんなんだよ! あの、ま、ま」
「あー、マエバリ? どうへんなの」
 晴海は相当恥ずかしかったが、右手が伝える感覚について正確に答えた。
「なんかマエバリの上から触っても、アレの形が感じられないっつうか、触られてる感じもしないし、まるで、ほんとになくなっちゃったみたいに」
 電話の向こうで「ふふん」と笑う声が聞こえた。まちがいなく、面白がっている。
「やっとなじんできたのね、おもしろいでしょう。そのマエバリは画期的仕組みでできていて、貼ってからしばらく経つと下の物を完全に隠してしまうのでーす」
 愛は得意げに説明している。
「おかげで男だってばれなかったでしょ?」
「うん……。じゃ、その、なくなっちゃったわけじゃ、ないんだね?」
 そう叫びながらも、右手はなんかいもなにもない股間をまさぐっている。うっかり人に見られたら変態少女と思われるだろう。
「当たり前よ。触った感じ、ないように思えるだけだから! あわててはがすんじゃないわよ!」
「う、うん」
「じゃ、つぎはもっと重要な相談のときにかけてきてね。おやすみ」
 電話が切れた。肩で息をする、晴海。
「なんだよー。そういうことは前もって教えてくれてもいいのに。あーっ、あいつ、最後に『おやすみ』って言ったーっ! さてはまだ寝てるんだな!」
 つながっていない携帯に空しく絶叫したころ、さっきの監督さんがやってきた。
「おーい、用事はもう、済んだかい?」
「あ、はい、すいません」
 晴海はスカートをなんとか形だけでも直して、立ち上がった。濡れた布地が張り付いて、気持ち悪い。
「悪いことしたなぁ。じゃ、風呂のあるところまで帰るか」
「あ、よろしくおねがいします」
 晴海は監督の運転するミニバンに乗って、海岸をあとにした。

 途中で緊急事態が起こった。冷えたせいか、二十分後トイレに行きたくなったのである。監督に頭を下げてパーキングエリアの女子トイレに駆け込んだはいいが、タイツを下ろして股間をつかもうとして、重要なことに気づいた。

「はいー、なによ、またあんた?」
「愛ちゃん! 肝心なこと忘れてたよ!」
「いちいち絶叫しないで! どうしたの?」
 洋式トイレの前に下半身裸で立ったまま、晴海は言った。
「おしっこ、どうやってするの? はがしちゃだめなんでしょ?」
「あー、そのこと」
 愛がなにやらめくっている音がする。説明書だろうか?
「そのまましなさい」
「はい?」
「女の子みたいに、座ってそのままして。おしっこがぐるっと回って、ちゃんと下から出てくるから」
 うそだ。そう思いながらも、我慢できなくなってきた晴海はトイレに座って、いちかばちか下腹部に力を入れてみた。
「…………」
「どう。出てきた?」
「…………ちょっと…………だまってて…………」
 たしかに。下から出てきたのだが。晴海はすごく不自然な感覚に襲われた。
(なんか、下から出てる……。男なのに、女の子みたいに……)
 晴海はそのまま電話を切った。下の部分を目をつぶったままティッシュで拭き取ると、すごくへんな感じがした。
 この体験は、男の子としては屈辱だ……。

 晴海が精神ショックから立ち直る間もなく、車は伊豆の奥、谷間の風情ある宿へと着いた。
「修善寺温泉……」
 晴海は古い看板を見上げてため息をついた。監督がにやにやしながら手を叩く。
「伊豆から徹夜で来てくれたお礼だよ。温泉浸かって、ゆっくり体をあっためなさい」
「あ、ありがとう、ございます」
 晴海はぺこりと頭を下げた。たしかに濡れた服が気持ち悪くて、ひと風呂浴びたい気分ではあった。
 晴海は女風呂に堂々とはいる。
「よかった、だれもいない」
 すぐに衣装を脱ぎ、まっぱだかで浴室に飛び込んだ。湯桶で湯を汲み、頭からかぶる。
「きもちいいーっ」
 さっきの体験から、マエバリが水に濡れたくらいではぜんぜんはがれないことを晴海は承知している。そのまま湯に浸かって、手足を伸ばした。
「あ……」
 なにげなく自分の体を眺めて感じた。こうしてお湯を通して見てると、輪郭がぼやけて、ほんとに女の子がお風呂に入ってるみたいだ……。
 晴海はつぎに曇った鏡に全身を写してみた。やわらかい胸の肉をすこし寄せてみると、股間がつるつるして見えるのとあいまって、やっぱり女の子に見える。晴海はふざけて、腰をつんと突っ張って女の子っぽいポーズを取ってみた。
 十秒間イメージトレーニング。あたしは、十二才の女の子です。べつにこれから大きくなるんだから気にはしてないけど……やっぱり、胸って大きいほうがいいのかな? な、気分です……、
「あはは、はだかの女の子だ! ……なにをやってるんだ、僕は」
 自己嫌悪に陥った晴海は、浴衣を着てすぐに風呂から上がった。

 ところが、
「こちらでございます」
 通された部屋には、見知らぬ女の子がふたりいた。
「あ、よろしくおねがいしまーす」
「お先にお風呂入らせていただきました」
「え、え?」
 とまどう晴海に、肩の下まで黒い髪を伸ばした浴衣姿の娘が近づいてきて、晴海の鼻を指でつついた。
「ちょっと。あたしたちのほうが先輩なんだから、あいさつくらいハキハキっとしなよ」
「あ、はい。はじめまして、よろしくおねがいします」
「おし。いいかんじ」
 少女はにこっと笑った。ああ、えくぼがけっこうかわいい。もうひとりの、カチューシャをつけた娘がぺこりと頭を下げる。
「はじめまして。んと、この子は、笑ってないと男と間違えられる森 珠樹ちゃんです。私は、」
「とろくて撮影中に寝てしまう伝説のナマケモノ少女、甲斐 絵里だろうがっ」
 珠樹が絵里にヘッドロックをかけた。どうやら、このふたり、仲がいいらしい。

 監督とスタッフたちが遅れて入ってきた。
「身支度はいいかな? じゃ、この場で撮影会と行こうかー」
「え、そんな、聞いてないよー」
 晴海が首を振るのを、監督はやさしい笑顔で説き伏せようとする。
「だって、きみの海での演技、最高だったんだもの。ここで女の子三人で撮れば、もっとかわいく映れるよ。私には自信がある。うん」
「そんなこと言われても」
 晴海はあわてて廊下に出る。浴衣のたもとに入れていた携帯を取り出して電話。
「愛ちゃん。なんか監督が、温泉でまた撮影だって」
「はあ? 聞いてないけど……。まあよかったじゃん、監督に気に入ってもらえたんだから。しっかり撮ってもらいなさい」
「だめだよ! このあと、もし男だってばれることになったら」
「心配しないの。あのマエバリ貼ってる限り、ぜったいに男だとはばれないんだから」
 なにを根拠にそんなこと言うんだろうか。晴海はふと、目を上げた。窓ガラスに、浴衣姿の女の子が映っている。
「あれ……。なんだか、僕の顔がすっかり女の子に見える」
「でしょでしょ。あのぶらぶらしたもんを抑えこむだけでも全身がひきしまるものよ。がんばんなさい」
 晴海は不思議な面もちで、電話を切った。なんだか、自分が別人になってしまったみたいだった。

 とりあえず最初は浴衣姿で、三人は思い思いの場所に座っている写真を撮ったり、旅館の庭でバンザイしてるところを撮ったりした。珠樹は晴海よりよっぽど男っぽい態度をとるし、絵里は終始ぼんやりしているんだけど、やっぱりふたりとも本物の女の子だから、女っぽさでは晴海はとてもかなわない。晴海はちょっとくやしいと思う。でも、
「おい、監督! さっきから晴海真ん中で撮ってばかりじゃないか?」
「そーいえば、そうですねー」
監督は晴海のほうを気に入っているらしい。晴海は自信を持ち、だんだん演技に活気がこもってきた。
「よし、気合い出てきたね! じゃ、衣装替えていこう!」
 体操服を着て、旅館の庭の錆びたネットの下でバスケットボールごっこ。ジーンズをはいて、自転車で坂道を駆け下る。木登りは、珠樹と競うように枝の上でおちゃらけたポーズを取った。
 そうやって演技していくうちに、晴海の立ち振る舞いは、すこしずつふたりに影響されていった。日が暮れて
「おーし、おつかれさん」
と監督に肩を叩かれたころには、男の人の手を恥ずかしげに避ける仕草まで身に付いていた。
(ああ、だんだん、女の子になっていく……)
 そのあとは夕御飯。いつもならがつがつと食べるところが、今日はあっさりしたものをすこししか食べない。それどころか、監督やカメラマンにいそいそとお櫃のご飯をよそってあげる晴海。やっと、
「いいお嫁さんになるな」
と、監督に言ってもらった。得意がっていたら、珠樹に
「調子に乗るなっ」
と、頭を叩かれてしまった。

 お膳を片づけたら、部屋でひと休み。晴海はTシャツ姿で、絵里に乱れた髪を直してもらう。なにを思ったか、絵里が晴海の耳を触る。
「晴海ちゃん、耳がかわいい」
「え、そうかな」
「耳が出る髪型のほうがいいと思う。ほら、似合うよ」
 十秒間イメージトレーニング。あたしは今親友の女の子たちといっしょに旅行に出かけています。旅館の鏡を見つめながら、男の子にもてそうな髪型を考案中。自分で言うのもなんだけど、昨日よりちょっと、かわいくなれたような気がします……。
 晴海が鏡に映る自分の顔に見とれているすきに、絵里はえいっと、晴海の胸を触った。
「でも、胸はちょっとかわいらしすぎるかな」
「い、痛いっ」
 押された胸が思いのほか痛かったので、晴海は身を震わせた。
「あ、ごめんなさい。そっか、いまふくらみかけなんだね。痛いってことは、これから大きくなるよ」
「そうなんだ……。ええええっ?」
 晴海はまたぴょんと立ち上がると絵里から逃げ、中庭に面した縁側で携帯を取り出した。
「愛ちゃん! ちょっと、愛ちゃん!」
「なにあんた、まだ撮影してたの? ずっと電話なかったからもう終わったのかと思った」
 晴海は息せき切って尋ねた。
「撮影はだいたい終わったけど、からだが……へんなんだよぉ」
 晴海はTシャツを脱ぐ。その胸には、太っているにしては不自然なふたつのふくらみが、ある。しかも、押さえるととても痛かった。
「ねえ、へんだと思わないでよ、思わないでよ」
「要点をさっさといいなさい」
「ぼくに、おっぱいができかけてるんだよぉ。腫れてて痛いんだ」
 愛から返事はなかった。晴海はかまわずまくしたてる。
「ウエストだってくびれて見えるし! お尻も丸いし、ももとももの間にすき間が開いてきてるし! いったいなんなんだよ、これ!」
「うーん。それは……マエバリの、副作用よ」
「なんで? こんな布貼っただけで全身が女の子化するわけないだろ! 非科学的だよ!」
「それは……」
 電話の向こうで舌打ちするのが聞こえる。とうとうごまかしきれなくなったらしい。愛は言った。
「ああ、もう、しょうがない。全部話すわよ。あんたが貼ってるそれはね、魔法のマエバリなの、よ」
 晴海はきょとんとして黙った。まほう?
「いい、これはぜったい秘密だからよく聞いて。美少女アイドルの女の子の三分の一はね、
じつは、魔法少女なのよ」
「あのー、おっしゃってる意味がよく分かりません」
 愛は怒り狂った。
「漫画やアニメでよく見るでしょ! アイドルにあこがれる女の子は、魔法の国からアイテムもらって魔法少女になって、んで変身しては悪い奴らと戦ったりしてるの!」
 どかーん。晴海の頭のてっぺんから、湯気が立った。
「つまりーっ? 愛ちゃんって、魔法少女だったんだ」
「そうよ。恥ずかしくて一回しか言わないから、よく聞きなさい。
 みずのほしのいきとしいけるもの、すべてのねがいをこめて! あくをうちはらえ! セイントキャノン!」
 どかーん。こんどはほんとうになにかが爆発する音がした。晴海の目の前で、中庭の小さな池の水がぜんぶひっくり返ったのだ。晴海は池のなかに火の玉のようなものが落ちるのを、たしかに見た……。愛が息を切らせているのが聞こえる。
「ふう、伊豆まで飛ばすと威力が弱いわね。どう、そっちでなんか起こった?」
「い、い、いまのは隕石だ。ぜったいにメテオストームだ、そうなんだ」
「そうともいう」
 愛はほんとうに魔法使いだったんだ……。晴海は水しぶきをかぶった縁側にぺたりと座りこみ、丸いお尻が冷たいのを感じた。きゃしゃな肩、柔らかい股の関節、小さな手。そう、晴海は女の子っぽっくなったと言うより、魔法で女の子になっていたのだ。
 電話の向こうで、愛の照れるような声が聞こえる。
「心配しないでよ。マエバリ剥がしたら、きれいにもとの姿に戻るから」
「ほ、ほんとに?」
「うん」
 晴海は立ち上がった。愛のことを信じよう。
 愛が、つぶやいた。
「……もしかして、怒ってる?」
 愛がそんなことを訊いてくれたのは初めてだった。その言葉を聞いただけで、晴海は幸せになった。
「ううん……。おかげで、今日はいっぱいたのしかったよ。ありがと」
「そっか。俳優スキルも上がったらいいね」
「うん!」
 今の僕は女の子として演技がうまくなり、監督に認められてる……。晴海は携帯をたもとにしまうついでに、そっと自分の左胸に手を当ててみた。やわらかくてちょっと痛くて、どきどきする感触。
 女の子も、いいかもしれない。
 でも、ほんとうの自分は男だもんな。晴海は胸から手を離して、両腕にぎゅっと力をこめた。
 いまから、監督にもふたりの女の子にも、自分が男だって言おう。そして男の子としての自分を見てもらおう。それがいちばんだ。
 遠くで絵里の呼ぶ声が聞こえる。
「お布団敷いちゃいましたよー。そろそろ、おかたづけして寝ませんかー」
「はーい。そのまえに、もういっかいお風呂ー」

 晴海は男風呂へ向かった。お湯で体を流したあと、軽く体を拭いて鏡の前に立つ。女の子の姿が、ちょっと名残り惜しい。
 最後にもう一回だけ、イメージトレーニング。あたしは魔法の国の女の子。今日一日だけ、晴海くんに会いに来ました。いっしょに遊べて、楽しかったよ……。
「ああ……。愛ちゃんのこんな姿を見ることができたらなぁ……って、それはむちゃか」
 鏡のなかの女の子に軽くキスして別れを告げると、晴海はマエバリの上の端をつまんで、痛くないようにそおっと、はがした。したには、隠れていたおちんちんが……。あれ? おちんちんが……。晴海はなにか間違えたのかと、下腹を爪でこすった。
「いやあああああああああああっ」
 すくなくとも縦の割れ目は、晴海には刺激が強すぎた。

「もしもし。またなによ、晴海? さっきので納得したんじゃないの?」
「ななななななな、なんでだよっ」
「……はぁ?」
「かんぜんに、女の子になってるじゃないかぁっ!」
「完全にって?」
「その……あそこ、が」
 それを聞いた愛の「えっ」という小さな声と、近くの目覚まし時計をつかむチン、という音が聞こえた。
「ちょっと、まさかもう、マエバリはがしちゃったの?」
「だって、もとにもどりたくって」
「貼ってから二十四時間経つまで、まだ三十二分十五秒もあるでしょうが!」
「さんじゅう? じゅうごびょう?」
 愛の、いままで聞いたこともないような叫び声が聞こえた。
「『一日二十四時間』たつまえにはがしたら、晴海は完全に女の子になったまま戻れないの!」
「なーんだってーっ!」
 晴海はあわててはげおちたマエバリを、もういちど股間に張りつけた。マエバリにはもうそこを覆い隠す粘着力はなく、手を離すとすぐにぺらりとはがれてしまう。
「うわ、うわ、うわ」
 自分自身のいけないところを何回も触ったせいで、下半身がひりひり痛んできた。晴海は座りこんだまま身動き取れなくなってしまう。 こんどは左手で胸をつかんで引きはがそうとする。無駄な努力で、晴海の指はただするりするりと自分の乳をなでるだけだ。
 晴海は放り出した携帯を拾って叫んだ。
「たすけて、たすけてよぉ」
「……これも運命なのね」
 電話の向こうで愛もかしこまったらしく、こほんとせきばらいがする。
「おめでとう、乾 晴海くん。あなたはほんとうの美少女アイドルになりました。きっとうまくいくわよ、あたしだって成功したんだから」
「?」
 晴海はあわてて聞き返した。
「……『あたしだって』? どういう、こと?」
「え、えっと。あたしもね、もと男なんだよ。アイドルになりたいって願いが魔法の国に届いたらね、あっさり美少女にされちゃった」
「じゃ、愛ちゃんって――。変身前は、ジャイアンみたいだったの?」
「違うわよ、ジャニーズジュニア系!」
 つまらない冗談だった、世界一女らしい愛がもと男だなんて。きっと気を使ってそんなことを言ってくれたに違いない。電話の向こうでだろう愛を想像して、晴海はちょっとほろりときた。
 しかしそんな気遣いで収まる事態ではない。晴海はもういちど、自分の体を見た。さっき憧れた鏡のなかの女の子が、頭からつま先まで自分自身になっている。なまじ美少女な体であるだけに、ショックは大倍増であった。
「う、うそだと言ってー!」
「さーわーがーないっ! もとの姿より人気が出るだろうし、きっと、アイドルとして売れるから!」
 晴海は思いっきりかわいい声で、すねるように愛に言った。
「ちがう、ちがうんだもん」
「なにがよ」
「女の子になったってことは……愛のボーイフレンドじゃ、なくなったってことじゃないか……」
「え?」
 晴海は携帯電話を握る指に力を込めた。
「女の子じゃ、ボーイフレンドじゃなくて、ただの愛のライバルだよ。きっと嫌われていじめられて、芸能界を追放されるんだ……」
「いったいあんた、いままであたしをどういう目で見てきたのよ」
 愛は、あきれたように言った。
「あんたがどんな姿でも、あたし、ずうっとあんたのそばにいてやるから」
「……」
「だからね、あんた、女の子としてのジョーシキをいっぱい覚えなきゃいけないだろうし、あたしがついて手取り足取りね」
「ほんとー!」
 晴海は、携帯電話を抱きしめた。裸のまま、脱衣所をごろごろと転がる。
「わわっ、なによ、このへんな雑音は」
「うれしーっ、うれしーっ、うれしいよぉ」
 晴海は携帯が切れてないのを確認すると、きっちり正座して、話しかけた。
「愛ちゃん、ずっと、ずっといっしょだよ」
「うん」
「もう、ぜったい、はなさないからね」
「う、うん」
「一生、僕と愛ちゃんはいっしょだからね!」
「おーけーっ!!」

 愛の、告白だぁーっ!

 晴海はそのまま天に昇って失神しそうな気分だった。しかし、
「ちょっと、なにが嬉しいのよ、ひとりで騒いじゃって」
「あのー、晴海さん。そっち、男風呂ですよ」
「あ……、珠樹ちゃん、絵里ちゃん」
 晴海は脱衣かごのバスタオルで前を隠した。風呂場を仕切るのれんから恥ずかしそうに顔を覗かせていたふたりは、あきれて晴海を女風呂のほうへ連れていく。
「そんな格好なさってたら湯冷めしたでしょ。あらためてお風呂に入りません?」
「おーっ、れっつらごー!」
「ええっ、ふたりと? そんな、はずかしいよ……」
 晴海は二度目の女風呂に入った。こんどは正真正銘女の子として。しかも、女の子ふたりといっしょに。みんなハイになって、湯船で泳いだり、背中の洗いっこをしたりする。前を隠しすらしない。
「あ、マエバリはがしたんだねー。かゆくなってない? だいじょうぶ?」
「だ、だいじょうぶだよ、あはは……」
 どうどうと同じ形のあそこを見られて、晴海のこころのなかでなにかが壊れていった……。


「こんにちは! あたし、乾 晴海です、視聴者のみなさん、お元気にしてましたか? はい。こんど、あたしたち四人で写真集を出すことになりましたぁ(ぱちぱち)。
 たとえば愛ちゃんとか、『なんであたしが』って最後までしぶってたんですけど、そこはそれ、あたしとぉ、愛ちゃんは、永遠にひとつにむすばれた仲ですから問題ないんです」
(うしろで珠樹の「ひゅーひゅー」というかけ声)
「あたしたち四人が出会うきっかけになった監督さんが、いっしょけんめい、とってくれたんです。みなさん、かってくださいね! ぺこり」
(愛がマイクをひっつかむ)
「こいつ、今はこんなかわいこぶりっこしてますけどね、先月まであたしの、下僕というか召使いというかボーイフレンドっていうか、はっきりいって『ぴー』(消去音)だったんですよっ」
「ひどーい、愛ちゃん、ふたりの秘密をばらす気っ」
「誤解されるような言い方、しないでよっ」

 芸能界に突如デビューしたカルテット。そのトップスターと、もうひとりの超絶かわいい少女の「アヤシイ仲」も噂して、初の写真集は、五十万部の売れ行きを誇ったという。

「んーっ、晴海、しあわせっ」
「……悪夢だわ……」
「てことは、あたしは絵里狙いでもするかな」
「遠慮いたします。晴海ちゃんはほんとうは、あたしのものですから」
「いーやーだ。晴海は一生、あたしのものと決まってるのよ」
「んーっ、晴海、やっぱり、しあわせっ」


あとがき

 ええと、こんばんは。猫野です。
 久々に「何の悩みもなく女の子になれてうれしいな」という話を書きました。
 ……問題はそういうところにあるんじゃないって?
 こういう言葉があるそうです。
「当り前だのクラッカ〜、当りまえばりはがしたら〜」
 もっと詳しく知りたい方は、googleで「マエバリ」検索するといっぱい引っかかるでしょう。
 お、俺をそんな目で、みるなぁ〜!

この作品の感想は感想掲示板へどうぞ。

目録に戻る