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 全国的に有名な北の温泉地・・・その温泉街から少々離れた所に小道がある。

 多くの者は木々に守れるようにして存在するその小道を知らない。「数少ない選ばれた人間にしか見えないのだ」そう言う人間もいるが・・・真偽はさだかではない。

 その小道をたどる事十数分・・・そこに小さな温泉宿がある。

 道の終わりには、車が一台通るのがやっとの小さな門。その内側にある古い日本式の建物には、年経たモノ特有の風格が漂っていた・・・。

 星嶺亭・・・玄関に掲げられた看板には、こう書かれている・・・しかし、この宿を知る数少ない人間は親しみを込めて【けも耳温泉】と呼んでいた。

 


                           

けも耳温泉へようこそ!


作 OYAZI


 ようこそ私共の温泉宿へ! 私が女将の彰子でございます。皆様すでにお気づきとは思いますが、ここは普通の温泉宿とは少々趣が違います。この宿の従業員は私も含めて、すべて精霊、妖精が勤めさせていただいております。
 昔と異なり、今の世では私共の存在を認めない方が増えました。昔は人間と私共のような精霊、妖精は共存していたのですが・・・愚痴になりましたね。失礼いたしました。その様な方ばかりでは無いのは存じております。私は人間を好ましく思っておりますしね♪
 ここ、星嶺亭は人間と精霊達が共存する憩いの場でありたいと思っております。ですから、私共の存在を否定する様なお方の御宿泊はお断りさせて頂いております。ご了承くださりませ。
 


第一夜   葛の間  南 文通様


「あ〜あ・・・やっと着いたか・・・・・・」

 大きなリュックを背負った青年が門をくぐる・・・日はすでに落ち、辺りは薄暗くなっていた。

「完全に暗くなる前にたどりつけて良かった・・・」

 ため息をつきながら、玄関に入る。看板には【星嶺亭】と書いてあるようだ。

「すいませ〜ん! 小谷寺さんの紹介で来たんですけど・・・部屋はあいてますか〜?」

「いらっしゃいませ〜♪ どうぞお上がりください。部屋はあいてますよ〜♪ 人気の無い、さびれた宿ですからね〜♪」

 出迎えた少女が屈託無く応じる・・・だが青年は驚き絶句していた・・・何故なら、少女にはとがった耳と3本のしっぽがあったから・・・。

「あらっ? お客さま? どうかしましたか?」

「みっ耳が・・・それに・・・しっぽ?」

「くすっ♪ 小谷寺さんから聞きませんでしたか? ここは精霊の宿だって・・・」

「えっ・・・あっ・・・その・・・」

「くすくす♪ まずは上がってくださいね♪ お茶でもお入れしますから♪」

 ・・・・・・。

 ・・・・・・。

 ・・・・・・。

「落ち着かれました〜?」

 少女と青年はロビーで向き合いながらお茶を飲んでいた。

「すいません・・・落ち着きました。一応聞いてはいたんですが・・・冗談か比喩だと思っていたので・・・」

「あら・・・小谷寺さんは何と言っていたんですか?」

「いや・・・桃源郷みたいなモノだと・・・清らかな精霊に会えると言ってました。・・・まさか言葉通りの意味だったとは・・・私は精霊のような美人が働いているって意味だと思ってたので・・・」

「くすっ♪ 普通はそう思いますよね。でも美人を期待していらっしゃったのなら、がっかりさせてしまったかしら?」

「そっ・・・そんな事は無いですよ!」

 少女の問に青年は慌てて答えを返す。実際、少女の容姿はかなりの物だ(美人と言うよりは可愛いと言った方が似合っているが)美少女に嫌われたい男はいないだろう、青年が慌てるのも良くわかる。

「それでは宿帳に記名をお願いしますね」

「わかりました」

 青年は宿帳に自分の名を書き記した。南 文通 これが青年の名前である。

「南さま・・・はい、ありがとうございました♪ 南さまのお部屋は葛の間になります。こちらへどうぞ♪ あっ、わたしは仲居の菜雪です」

 少女・・・菜雪は文通を案内して歩き始める。

「南さまは小谷寺さんとはどういった関係なのですか?」

「あっと・・・ここには撮影旅行で来たんですよ・・・動物・・・狐とかが好きで・・・」

「では、ひょっとして山で?」

「ええ・・・ちょっと深入りしちゃって・・・迷いかけてたらバッタリと・・・驚きましたよ〜、熊かと思いましたね」

 文通は山での事を思い出して、苦笑しつつ説明をする。

「とりあえず自己紹介して、色々と話をしたんですが、私の目的と迷ってる事を話したら、撮影の穴場に案内してくれて、その後は麓まで送ってくれました」

「その後でここのことを?」

「ええ。宿がまだ決まってない事を言ったら良いところを知ってるからって、車で小道の入り口まで連れてきてくれたんですよ」

「あらあら・・・それは運が良かったですね♪」

「そうですね。小谷寺さんに会ってなかったら、まだ山で迷ってたかも知れないですね。それにこんな可愛い娘とも会えなかった訳だし

「えっ?」

 菜雪が頬を染める・・・小声だったが聞こえたらしい。人間の耳とは性能が違うのだろう。

「もう・・・お上手なんですね!」

 菜雪が怒ったような声色を使うが顔は笑っている。まあ、可愛いと言われて怒る女性は少ないだろうが・・・。

「本気なんだけどな・・・」

 文通がつぶやくが今度は聞こえなかったらしい。

「こちらになります。食事の方は今から用意しますので・・・少々遅れて8時くらいになっちゃいますけど・・・よろしいですか?」

「あっ・・・はい! かまいません!」

 文通は夕方遅くに来た、飛び込み客である。食事が出るだけ有り難いと思っていた。部屋は八畳ほどの広さで落ち着いた雰囲気にまとめられている。大きめの窓が目を引くが外は暗くて良く見えなかった。

「その窓は渓谷に面しているんです。もう夜ですから、良く見えないと思いますけど・・・朝や夕方の景色は一見の価値が有りますよ〜♪ 特に今は紅葉の季節ですしね♪」

 窓から見える景色が宿の自慢の一つらしい。

「食事までは時間があるし・・・先にお風呂に入って来ようかな?」

「はい! わかりました! お風呂は五つありますからお好きな所にどうぞ♪」

「風呂が五つ〜!?」

「くすっ♪ 驚きました〜? 以前は室内の男湯と女湯そして混浴の露天風呂の三つだったんですけどね〜。この間、ドワーフの職人さんを7人雇いまして・・・露天風呂が二つ増えたんです♪ 特に露天風呂はそれぞれ泉質が違いますから、楽しめると思いますよ」

 菜雪は軽い口調だが・・・言っている内容はとんでもない。

「泉質が違うって・・・」

「ドワーフさん達が見つけてきたんです♪ 元鉱夫だけあって穴を掘るのは得意なんですって♪」

 やはり、人間と精霊では感覚が違うらしい・・・人間なら泉質の異なる湯脈を見つけるだけでも一苦労だろう。

「今日はお客さまは南さまお一人ですし、従業員用のお風呂は別に有りますから、お好きなお風呂に入って下さいね♪」

 お客が大勢いるときは男湯、女湯の区別をつけるらしいが、今日の客は文通一人である。だから、区別の必要が無い。文通は五つもの温泉を独り占めできるのである。

「はあ・・・こんなに良い宿なのに・・・どうして客が少ないんだろう・・・」

 思わず文通はつぶやいていた。部屋を見渡す・・・良い部屋である。今はわからないが景色も良いらしい・・・風呂は五つもあって、菜雪が自慢する程に良いらしい・・・はやらない理由が解らなかった。

「人は変わってしまったから・・・」

 小さな声だった・・しかし、そこには大きな悲しみが含まれている・・・文通にはそう感じられた。

「さて、南様・・・浴衣はここに置きますから・・・当宿自慢の露天風呂を堪能してきてくださいね♪」

 一転して明るい声をだす菜雪・・・しかし、文通にはどこか無理をしているように見えた・・・。



「ああ〜・・・良い湯だね〜・・・・・・」

 自慢するだけあって、露天風呂も立派な物だった。生け垣に仕切られてはいるが渓谷の景色を眺める邪魔にはならない。暗くて良く見えないが、月明かりに紅葉が照らされる様はなかなかに見事だ。

 十数人が入れる、この湯船の底は階段状になっていて浅い所と深い所に別れている。それぞれの広さは1:3くらいで家族用に作られた露天風呂らしい。浅い所は子供に合わせてあるのだ。

「ん〜、疲れが取れる〜・・・・・・生き返るなあ・・・・・・」

 文通はすっかりリラックスしていた・・・何も考えずにボ〜っとお湯を楽しんでいるようだ・・・。夜になり気温が下がった為か湯気が凄い、そのために文通は他人が近づいて来た事に気付かなかった。

 バッシャ〜ン!

「わ〜いですの〜!」

 歓声をあげながら小さな女の子が飛び込んで来る。

「うわっぷ!? なんだなんだ ?」

 しぶきが顔にかかったようだ・・・ずいぶんと驚いている。あるいは寝かかっていたのかも知れない。

「あう? お客さまですの? ごめんなさいですの・・・」

 幼い女の子だった・・・まだ幼稚園に通う程度の年齢だろう・・・もっとも、キツネの耳としっぽを生やしているから幼稚園には通っていないかも知れないが・・・。

「いや・・・ちょっと驚いただけだからね・・・気にしなくて良いよ」

 実際、あれだけの歓声に気付かずにしぶきを浴びたのは文通の油断であろう・・・少々うかつだった。

「やっぱり、ごめんないですの・・・お客さまがいる時は、このお風呂に入っちゃダメなんですの・・・お姉さまに怒られてしまいますの・・・」

 幼い少女は今にも泣きそうになりながら謝っていた。文通に近寄ると何度も頭を下げる。

「だから、気にしなくて良いんだよ・・・」

 小さくなって謝る少女に微笑みかけ、そっと頭をなでる・・・。そのおかげで少女は落ちついた様だ・・・気持ちよさそうにしている。

「君は旅館の子かな? お名前は?」

「はいですの♪ 詩音と言いますの♪」

「するとお姉さまと言うのは?」

「菜雪お姉さまですの♪ もう一人久音お姉ちゃんがいますけど・・・今は旅館にいませんの♪」

「へ〜・・・あの菜雪さんの妹なんだ・・・・・・あんまり似てないね」

 詩音の外見は肌が白く、髪は赤みがかっていて、純日本人的な外見を持つ菜雪とはあまり似ていない。

「血のつながりは有りませんの、詩音と久音お姉ちゃんは養女ですの」

「えっ!?」

 悪いことを聞いてしまった・・・文通は後悔していた・・・。

「気にしないでくださいですの。優しいお母さまとお姉さまが出来て、詩音は幸せですの♪」

「ご免ね・・・」

「良いんですの・・・詩音も悪い事をしたからオアイコですの♪」

 詩音はそう言って笑った・・・。それは本当に幸せそうな笑顔だったが、だからといって罪悪感が消える訳では無い。文通はせめてこの子には優しくしようと決心していた。

「お客さまのじゃまになるから詩音は上がりますの・・・失礼しましたですの」

「せっかく来たんだ・・・ゆっくり暖まっていったら? 風邪をひいちゃうよ」

「でも・・・迷惑じゃないですの?」

 詩音は迷っているらしい・・・。詩音はこのお風呂が大のお気に入りだった、姉と一緒にお風呂に入る約束をしていたので、人影を見て姉と勘違いしたのだ。

「一人だとチョット寂しいしね・・・話し相手をしてくれるかい?」

 子供にもプライドがある。本当は残りたく思っていても、自分の為だけの理由なら残ったりはしないだろう。だから他に理由を作った、これで詩音もここに残りやすい筈だ。

「わかりましたの・・・おじさん優しいですの♪」

 もくろみ通りに詩音は残る事に決めたようだが・・・文通はショックを受けていた。

「お・・・おじさん・・・」

 無邪気なセリフだけにダメージが大きい・・・『結婚するまではお兄さんと呼ばれたい』切実にそう思うが・・・とうとう三十路に入った身ではおじさん呼ばわりも仕方ないと納得もしている・・・理性ではだが・・・。

「できれば名前で呼んで欲しいな・・・南 文通って言うんだ・・・」

「南さまですのね? わかりましたの♪」

 天使のような笑顔を浮かべる詩音を見て、文通は『本当に可愛いなあ・・・これでお兄ちゃんと呼んでくれたら・・・』等と考えていた・・・。

  



「はふう〜、気持ち良かったですの〜♪」

 お風呂から上がった詩音はご満悦だ。対する文通は黄昏ている・・・。おじさん呼ばわりはショックだったが、明るく可愛い子供に慕われるのは悪くない・・・文通は楽しい時間を過ごしていた。シャワーを使って髪を洗ってあげたりもしたし、妹がいたらこんな感じなのかな? 等と想像したりもしていたのだが・・・。

「南さまってお父さまみたいですの〜♪」

 詩音のこの一言で撃墜されたのだった。

「俺はまだ若い・・・」

「詩音ちゃん! どこに行ってたの? お姉ちゃんがお風呂に入れてあげるって言っておいたのに・・・」

「あっ! 菜雪お姉さま♪ 南さまにお風呂に入れてもらってたんですの♪」

 後ろから菜雪が声をかけてきた。妹に注意が集中しているせいか、文通には気付いて無かったようだが・・・。

「南さまに? あっ! いらしたんですね!? すみません、変な所をお見せしてしまって。妹がご迷惑をおかけしたようですけど・・・」

「ああ・・・怒らないであげてください。おかげで楽しかったですし」

「髪を洗ってもらいましたの〜♪」

「えっ? そんな事まで? 本当にすみません・・・まったく、この娘ったら・・・

 恐縮する菜雪に苦笑しながら、文通はもう一度気にしないように告げるとこう言った。

「それより食事はもう大丈夫ですか? さすがにお腹がペコペコですよ」

「あっ、はい! すぐに御用意いたします」

 パタパタと慌てて駆け出す。先程までの落ち着きが嘘のようだ・・・よほど妹が心配だったのだろう。案外これが地なのかも知れないが・・・。

「詩音ちゃんの事が心配だったのか・・・良いお姉さんだね」

 文通はそう言って詩音に微笑みかけた。

「はいですの♪ でもチョットあわてんぼさんなのが玉に瑕ですの♪」

 二人は声をあげて笑っていた。

 ・・・・・・。

 ・・・・・・。

 ・・・・・・。

「うわ〜、これは凄い!」

 出された食事は文通が驚きの声をあげる程の物だった。特別に豪華と言うわけではないが、旬の魚を中心としたこの土地ならではの食物が並んでいる。

「うん♪ 美味い♪」

 一口箸をつけると思わず笑みを浮かべる。それほどに美味かった、特別なご馳走と言う訳ではない家庭的な郷土料理だが、これこそが旅の醍醐味でもあろう・・・。

「それはチャンチャン焼きと言いまして、鮭に味噌を塗って焼いた物です」

 料理について菜雪の説明を聞きながら舌鼓をうつ。文通は夢中になって食べていた・・・。

「お客さま、お酒はお召し上がりになりますか?」

 そう言って着物姿の美人が入ってきた。お盆の上には御銚子が乗っている。頭には菜雪や詩音と同じ三角のキツネ耳、しっぽは隠してあるのか見えなかった。

「このたびは当宿をご利用下さいましてありがとうございます。私が女将の彰子でございます」

 そう言って頭を下げる。

「お酒ですか? ぜひ欲しいですね。でも、この辺に地酒なんかありましたっけ?」

 文通の知識では、この辺りには地ビールとワインは有っても日本酒は無かった筈なのだが・・・。

「はい♪ 人間のお酒じゃ有りませんが地酒ですよ♪ これはドワーフの杜氏が造り、10年寝かせた物です。味は保証いたしますよ♪」

「へえ・・・それは美味そうだ・・・でも・・・・・・」

「あらっ? どうかなさいました?」

 口ごもる文通に女将が問いかける・・・何か不都合でもしたのか? と、菜雪も不安そうだが・・・。

「いえ・・・説明を聞くと貴重そうだし・・・俺の所持金で大丈夫かな? って・・・・・・」

 そう頭を掻きながら説明する文通に女将は安心した表情を浮かべるとこう言った。

「これは私が勝手に持ってきた物ですもの・・・サービスですよ♪ さっ、お注ぎしますから、まずは飲んでみてくださいな♪」

 文通はおそるおそる口をつけた・・・初めての酒、しかもドワーフ製の物だ。文通は自分が緊張しているのを感じていた。それが感動から来たものなのか、それとも未知の存在に対する恐怖からなのかは自分でも解らなかった。

「・・・・・・美味しいです♪」

 実に美味かった。適度に辛口なその酒はこくがあり、また後味が良かった・・・続けてもう一杯飲んでみる。

「美味しい・・・でも微妙に味が・・・」

 味が変わっていた、杯を重ねるごとに味が変わり飲む者を飽きさせない・・・文通は驚いていた。

「どうやったらこんな味が出せるんだろう?」

「どの杯も味が違う。それがドワーフの杜氏の矜持なのだそうです♪」

「へ〜」

 暫く杯を重ねていたが、ふと女将がこう言った。

「そうそう、お礼がまだでしたね。南さまには娘共が大変お世話になったそうで・・・私からもお礼を申し上げます。ありがとうございました」

「娘さん? 詩音ちゃんの事ですか? あれ位おやすい御用ですけど・・・待てよ・・・・・・詩音ちゃんと菜雪ちゃんは姉妹・・・って事は?」

「くすっ・・・菜雪も私の娘ですよ♪ もっとも、この宿で働く娘は皆、私の子供だと思ってますけど♪」

「そうでしたか・・・それにしても・・・菜雪ちゃんが次期女将なのか〜」

「どうせ、そうは見えないって仰りたいんでしょ♪」

 菜雪がふざけてみせる。すると・・・。

「当然です♪ そそっかしいし、落ち着きが無いし・・・心配で任せられるものですか!」

 女将の苦言に憮然とする事になってしまった。

「まあまあ、女の子はそのくらいが可愛くて良いじゃないですか・・・確かに、このまま成長しないのは問題でしょうけど♪」

 文通の言葉に菜雪が笑いながら怒って見せる。

「もう・・・フォローすると見せかけて私を貶すんですね?」

「そんなつもりは無いって・・・ご免ご免♪」

 文通は家族とじゃれあっているかのような錯覚に見舞われていた・・・初めて会った人なのに・・・いや、厳密には人ですら無いのに・・・家族団欒・・・この場の雰囲気はそう表現するに相応しいものだった・・・。

  



「ふあ〜〜〜あ・・・うん? まだ、こんな時間か・・・」

 ゆうべは疲れと酒が入ったせいで、早々と寝てしまった。そのためか夜中に目が覚めてしまったらしい。時間はまだ午前2時だった。

「さすがにこの時間じゃ朝風呂って訳にもいかないし・・・寝直すにも目が冴えちゃったしな〜」

 する事が無い・・・困った文通はとりあえず裏庭にでも出てみる事にした・・・。

「まあ、夜風に当たれば眠れるようになるかも知れないな・・・夜中にキツネが遊びに来るって話も聞いた事だし・・・」

 文通は大きな音を立てない様に注意しながら裏庭へ向かう・・・そーっと出入り口に近づいた時その声は聞こえた。

「うん・・・良い人だよ・・・・・・明るくて・・・優しい人・・・でも・・・・・・」

 星が出ていた・・・煌々と月が照らす中、一人の美少女がキツネに話しかけていた・・・。菜雪であった・・・キツネは菜雪を心配そうにのぞき込んでいる・・・文通には気付いていないようだ・・・。

「やっぱり怖いよ・・・・・・」

 怖い? 俺が? 文通はショックだった・・・すっかりうち解けたと思っていたのだが・・・。

「あの人達とは違うって判ってはいるの・・・でも・・・優しくされているのに・・・笑いかけてくれてるのに・・・私は心の中で無意識に身構えてるの・・・酷い事はされないか? いじめられるんじゃないか? って・・・」

 ク〜ン・・・

 キツネが慰めるかの様に鼻を鳴らす。

「うん・・・判ってるよ・・・・・・お母さんの結界が有るもの・・・悪い意志を持つ人は入って来れないって・・・・・・ここに泊まれる人は私達、精霊を認めた人だけ・・・迫害はしない筈だって・・・」

 文通は思った。迫害? そんな事があったのだろうか? それにしても・・・なんて悲しそうな呟きだろう・・・。

「たぶん・・・私は人間が怖いんだと思う・・・・・・私がホントの精霊なら・・・・・・純血の仙狐なら・・・人間界から消えてるよ・・・こんなとこにいないよ・・・でも・・・・・・」

「私は混じりモノだもの! 人間の血が混じった妖狐だもの! 自分の半分を嫌い続けるの!? 自分の半分を否定して捨てるの!? そんなのできっこ無いよ〜!!」

 それは絶叫だった・・・心からの叫びだった・・・・・・菜雪はキツネに抱きつくと声を殺して泣いていた・・・。

 いったい過去に何が有ったのか・・・文通に判る筈がない・・・文通に判っていたのは自分が『この娘の涙を止めてあげたい』と思った事、『この娘の悲しみを癒してあげたい』と思った事だけだった。

「泣きたいだけ泣いて良いよ・・・俺の胸で良ければいくらでも貸すしね・・・」

 文通は気が付くと菜雪を後ろから優しく抱きしめていた。

「過去に何が有ったかは知らない・・・たぶん、人間を嫌いになって当然の出来事があったんだろ? だから・・・人間が嫌いなら嫌いで良いよ・・・でも・・・お願いだから自分で自分を傷つけないでくれ・・・自分自身を嫌わないでくれ・・・お願いだから・・・」

 菜雪は驚いていた・・・自分がここまで近づかれて気付かなかった・・・この人に邪心が無いから? いえ・・・私はこの人に気を許しているの?

「南さま?」

 振り向いた菜雪が見た物は一筋の涙だった・・・この人・・・私の為に泣いてくれてるの? チョット独り言を聞いただけなのに・・・私の事をそんなに心配してくれるの? 菜雪は心が暖かいもので満たされていく気がした・・・。

「ぐすっ・・・うわーん!」

 菜雪は泣いた・・・文通の胸の中で思いっきり泣いていた・・・男の優しさに抱かれて・・・嫌な事を振り切るために・・・。

 ・・・・・・。

 ・・・・・・。

 ・・・・・・。

「全部、聞かれちゃったんですよね・・・」

 暫くして落ち着いた菜雪が文通に問いかける。

「ご免・・・立ち聞きするつもりは無かったんだけど・・・」

「いえ・・・良いんです・・・私がうかつだったんですから・・・それに・・・貴方には知っていて欲しい気がする・・・」

 菜雪は語りだした・・・自分が仙狐と人間のハーフである事、幼い頃は自分を人間だと信じていた事、そして・・・通っていた小学校で正体がバレ迫害された事・・・。

「子供って正直ですよね・・・大人に教えられた通りに反応したのかな? 友達だって信じてたのに・・・私をお化けだって・・・食べられるのは嫌だって、泣き出した女の子もいましたよ・・・」

 慌てて駆けつけた彰子によって、子供達や教師の記憶は消去されたが、菜雪にはトラウマが残った・・・自分を完全に否定する人間と言う存在を無意識に恐れる様になったのだ・・・。

「父は亡くなっていましたから、人間界にしがらみは有りませんでした・・・だから人間のいない仙界に逃げてたんですけど・・・可笑しいですよね、そんな私を仙界の仙狐(ひと)はこう言って嫌ったんです。混じりモノ・・・半人間って・・・」

 文通は何も言えなかった・・・菜雪はまだ幼い頃に自分の居場所を無くし、自分自身を否定されたのだ・・・それも、人間と仙狐の両方に・・・。

「私達は・・・ここに、星嶺亭に避難してきたんです・・・でも、お母さんはこう言ってました。『ここはただの避難場所じゃないの・・・ここは人間と精霊の交流の場・・・皆の憩いの場・・・お父さんと私もここで知り合ったのよ』って・・・今なら、母の言葉の意味が判る気がします・・・」

「菜雪ちゃん・・・」

「正直言って・・・私はまだ人間が怖いです・・・・・・でも・・・父の事は好きでしたし・・・南さまの事も好きだと思う・・・」

 真っ赤になる菜雪・・・そんな菜雪を文通は愛しく思っていた・・・『今時、こんな純真な娘はいないよ・・・なんて可愛いんだろ』 だが同時に驚いていた・・・俺のどこが良いんだろう? たいした事してないのに・・・。

「好き? 俺の事が?」

「はい・・・初めてだったんです・・・・・・私の為に泣いてくれた人って・・・」

 なんて健気な少女だろうか・・・愛しかった! 抱きしめたかった! 文通は感情に素直に行動していた。

「みっ南さま?」

 文通は菜雪を抱きしめていた。優しく・・・しかし離れる事を拒むかの様にしっかりと・・・。

「俺も君の事が大好きだよ・・・」

 菜雪の耳元でそっと囁く・・・。

「あっ・・・」

 菜雪の顔が歓喜に染まる・・・ありのままの自分を受け止めてくれる人がいた・・・自分を好きだと言ってくれた・・・。

「菜雪・・・」

「南さ・・・いえ・・・文通さん・・・」

 何時しか影は一つに重なっていた・・・・・・。

   

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



「どうもお世話になりました」

 チェックアウトを済ませて文通は立ち去る事になる・・・。もっとも、また直ぐに来る約束はしてある。今度は指輪を持って・・・。将来はどうなるか判らない・・・菜雪の人間恐怖症が直れば一番良いが・・・いざとなったら自分がこっちに来ればいい。文通はそう思っている・・・。愛があるとは言え、このご時世に転職まで考えるとは・・・もっとも精霊と恋愛するにはこの位の覚悟が必要なのかも知れないが・・・。

「いえいえ、また来て下さいね♪ 家の娘も待ってるでしょうし・・・私、初孫が早く見たいです♪」

「文通お兄ちゃん、菜雪お姉さまをよろしくですの♪ 寂しがりやだからお願いですの♪」

「なんで知ってるのよ〜!」

 母と妹のセリフに菜雪が思わず叫ぶが・・・。

「ふふふ、この宿の事でお母さんに判らない事が有ると思いましたか?」

「お母さまが教えてくれましたの♪」

「だからって、こんな時に・・・・・・も〜〜〜!!」

 娘が怒って叫ぶ、そんな娘を恋人が優しく見守り・・・母と妹が二人をからかい笑いあっていた。

 そんな家族を朝日が照らしていた・・・少々騒がしいが幸せそうな家族を・・・・・・ただ優しく照らしていた・・・。
 

第一夜 終

 


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