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きつねのいる風景
〜〜雷の鳴る季節〜〜


 ピシャッ!
「きゃうっ!」
 ゴロゴロゴロ……
「あゆぅ〜」
「どうした?」
 文机に向かっていた元親(もとちか)が回転座椅子をくるりと回して、見ると、部屋の真中で綾乃(あやの)が頭に飛び出た狐の耳を小さな手で押さえ、よっぽど怖かったのか、目尻に涙を貯めて、不安げに床を掃くようにふさふわの尻尾を動かしていた。
「カミナリ、ダメなんですぅ」
「おいおい、妖狐だろ、お前?」
「妖狐でも何でも、ダメなものはダメなんです――」
 ピシャッ!
「きゃうっん! いち……に……さん――」
 ゴロゴロゴロ……
「ふみゅぅ〜、3秒です」
「なに数えてるんだ?」
「知らないんですか? ぴかって光ってから、ごろごろって鳴るまでいくつ数えたかで、カミナリがどれだけ近いかわかるんですよ」
 ふるふると震えながらも少しだけ自慢気に少女は答えた。
「へぇ〜、そなのか。それで、今はどれぐらい近くにいるんだ?」
「えーと、3秒だから、……グリコ3粒分っ。あやや、近いですぅ」
 綾乃は改めて距離を計算して、その近さに怯えていた。
「グリコ3粒って……」
 一粒300メートルで換算だろうから、おおよそ合っていると言えば合っているが……。
 元親が呆れている間も雷は容赦なく光っては鳴っていた。綾乃は、その度に怖がりながらも律儀に数を数えていた。彼にしてみれば、そんなに怖いのなら、クッションでも頭から被ってしまえばいいものを、と思ったが、彼女にとっては、怖いものがどこまで近くにきているかわからない方が不安なのだろうと思い直し、一人納得した。
 耳を押さえて怖がっている綾乃を見ているうちに、ふと悪戯心が元親の心に芽生えて、少女に話し掛けた。
「そう言えば、耳ばっかりふさいでいるけど、カミナリといえば、へそを盗るんじゃなかったか?」
「へ、へそを?!」
 半ば丸くなって、うずくまりそうになっていた少女は驚いて体を起こした。
「そうだ。カミナリ様はおへそを盗るんだよ」
「盗られたら、どうなっちゃうんです?」
 綾乃はいつ泣き出してもおかしくないほど情けない表情を浮かべて訊いた。それを悪趣味にニヤニヤして眺めながら、少し考えるふりをして、口を開いた。
「そうだな……へそを盗られたら、かえると同じになっちゃうな。そしたら、コン♪とは鳴けないな。ゲコゲコ♪って鳴かないとな」
「そ、そんな! 盗られたら困りますっ!」
 ゴロゴロゴロ……
「ひゃん!」
 耳から手を離して、へそを押さえようとした時に、タイミングよく雷鳴が鳴り響いて、再び手で耳を押さえた。
「ううぅ〜〜……」
 へそを盗られるのも嫌だけど、雷の音を聞くのもイヤだと、心の葛藤でさらに泣きそうな顔になっていた。が、ぱっと表情が明るくなった。
 自分の尻尾を体の脇から前に持ってきて、ちょうどへそのところを隠すようにした。
「へへへー。これで安心です。へそもしっかり守れます」
 ガラッゴロロロ……
「きゃうっ」
 安心したところへ、ひときわ大きな雷鳴がして、体を強張らして目を閉じだ。

カミナリ怖い

「そんなに雷が怖いのか?」
「当たり前です。落ちたら、びりびりってなるんですよ!」
 何でそんな事を聞くのか不思議でたまらないという風な表情で綾乃は言い返した。
「落ちたらって、直撃食らった事があるのか?」
 元親はちょっと意表をついた返答に唖然として、尋ねてみた。
「まだ、山にいたときに一回。すっっっっごく、痛かったんだから!」
「カミナリ直撃が痛いで済むとは……ふみゃっても妖狐だな」
 感心するやら呆れるやら微妙な口調で感想を言った。
「だから、嫌いです」
 しかし、綾乃はそんな事はお構いなしに、可愛らしく眉根を寄せて断言した。
「そうか。それじゃあ、雷の落ちないオマジナイを教えてやろう」
「え?! そんなのがあるんですか!」
 その言葉に表情がぱっと明るくなって、尻尾を振りそうになったが、へそを押さえている方が優先されたらしく、ピクリと動いただけで、それ以上はなかった。
「ああ。カミナリは、天神様――菅原道真公が鳴らしていると言われててな、その菅原道真の領地だった桑原には落ちないというらしい」
「今からそこにはいけないです。外はカミナリなんですよ」
 期待はずれな回答にありありと落胆の色を浮かべ、口をへの字に結んだ。
「そうだな。だから、『桑原桑原』と唱えて、ここは桑原ですよ。雷を落とさないでくださいって、お願いするんだ」
「『くわばら』、ですね? それじゃあ、くわばらくわばら……くわばらくわばら……くわばらくわばら――」
「……ごめんください。どちらさまでしょうか? 綾乃の主人です。お入りください。ありがとう♪」
「? なになんです、それ? それも呪文ですか?」
 綾乃は元親の謎の言葉に呪文の詠唱を止めて、不思議そうに彼を見つめた。
「いや、……桑原って言うから、やっぱりお約束かなと」
 真顔で突っ込まれて元親はバツの悪そうな顔で頭を掻いた。
「吉本新喜劇なんて知らないです」
 しっかり知っている。そんなボケとツッコミの間にもカミナリは鳴り止む気配がなく、さらに激しさを増していた。それに加えて降り出した雨が屋根を激しく打ち鳴らした。
「オマジナイ、効き目ないです」
「誰も止むとは言ってないよ。落ちないオマジナイだって」
「う〜、でも……」
「しょうがないな。ほら」
 そう言うと、元親はあぐらをかいた自分の太ももをぽんと叩いて、綾乃を呼んだ。
 少女は雷の鳴っていない間にトテトテと大慌てで彼の元に行くと彼女専用の特等席にどすんと座った。
「ぐぇっ。もうちょっと、静かに座れよ」
「だって、ぐずぐずしてたら、カミナリが鳴っちゃいます」
「まったく……どうだ? これで安心だろ?」
「暑いです。それに、元親さんの膝の上に乗っただけだから、何の解決にもなってないような……」
「いってろ」
 元親は苦笑を浮かべて、雷鳴が鳴るたびに身を硬くする綾乃をふわっと包んでやった。
 綾乃も膝の上に座った事で、少し落ち着いたのか、徐々に雷鳴のたびに体を強張らせなくなってきていた。そのうちに、雷鳴自体も遠ざかっていっていた。
「カミナリなんて、なんであるのかな? 怖がらせるだけで、カミナリなんて、なかったらいいのに」
 カミナリ嫌いはだんだんと遠ざかる雷鳴に嫌悪の声を口にした。
「そうだな。妖怪なんて、何でいるのかな? 人を怖がらせるだけなら、妖怪なんて、いなかったらいいのに」
「えっ?!」
 綾乃は、頭の上で囁くような静かな声で言われた言葉に落雷の音を聞くよりも身を強張らせ、自分を膝の上に乗せて守ってくれている人を振り返って仰ぎ見た。
 優しい厳しさのある瞳と目が合って、綾乃は雷が鳴っていたときよりも不安な気分になって、瞳に怯えの色を浮かべた。
「綾乃も、そんな事言われたらイヤだろ? 世の中、必要なものしか要らないなんて言っちゃダメだよ。この世の中はね、たくさんの無駄なものが詰まって、それが世界なんだよ。世界にとって、一つぐらい欠けても世界にとっちゃ、全然差し障りないけど、あるものにとってはとっても大事なものかもしれないだろ?」
「……」
「地球がなくたって、宇宙は困らないけど、僕たちは困るだろ? 雷だって、誰かの大切なものかもしれない。もし、誰にとっても大切なものじゃなくたって、将来、誰かの大切なものになるかもしれない。それに、折角あるのに、それが無くなっちゃうのは悲しい事だと思わないかい?」
「……ごめんなさい」
「誰に謝ったの?」
「カミナリさん……」
「よく出来ました。綾乃は偉いな」
 元親は、ぽふっと綾乃の頭に手を乗せて、優しく撫でてやった。彼女はちょっとびっくりしたが、嬉しそうに微笑んだ。
「さて、怖い雷も何処かに行ったようだし、お昼にしてくれるかな? はらぺこなんだ」
「あ、はいっ」
 綾乃は元親の膝の上から勢いよく立ち上がるとエプロンをつけて、台所へ元気に走っていった。それを微笑んで見送ってから、元親は再び文机に向かって書き物を再開した。
 程無くして、綾乃がいい匂いのするお皿を二つ運んできた。
「元親さん、出来ました」
「おっ、今日はチャーハンか。それじゃあ、いただきます」
 そう言って、元親は書き物を中断して、チャーハンを胃袋の中に納めていった。食後のお茶で口の中を洗い流した。
「ご馳走さん」
「ああ! 元親さん、また、とうもろこし残してる! ちゃんと食べないとダメっ」
 元親の皿を覗き込んで綾乃は皿の上に綺麗に選別された黄色い粒を指差した。
「とうもろこしはどうも、苦手なんだ」
「人間なんて苦手!」
「え?!」
「妖怪とみると、こっちが何もしてないのに怖がって、すぐに退治しようとするもん」
「おい?」
「……って言われたら、元親さんもイヤでしょ? だから、とうもろこしさんもイヤなの。ちゃんと謝って、食べなきゃダメ!」
「うっ……ごめんなさい」
「誰に謝ったの?」
「……とうもろこし」
「えらいえらい」
 綾乃は勝ち誇ったように元親の頭を撫で、彼はそれに苦笑を浮かべた。
「それじゃあ、とうもろこしさんをちゃんと食べてね」
「うぅ……」
 元親は、嫌いなとうもろこしだけを口一杯に頬張る事になり、お茶で流し込むのに一苦労していた。
♪ちゃんちゃん


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