目録に戻る
第5話へ

 
 
 
 
 
 
Auld Lang Syne

〜you'll be born again〜

作:ノイン







第六話
 
 
 蛍は未来を『視』ることができる。
 それは因果という流れを計測し、その中でもっとも確率が高い未来がヴィジョンとして精神に投影されるということだ。
 もしも、未来を予測できたらどうだろうか。
 具体的に言おう。たとえば、『死』について。
 人がもっとも恐れることの一つに『死』をあげることができるが、何故、『死』が恐れられているかという問いに対しては、こう答えることができる。
 『視』えないから。
 つまりは、『死』は誰にも予測できないものであるから、人はそれを恐れるのである。
 しかし、『視』えることもまた恐怖であろう。自らの『死』を悟ったとき、またそれが避けることができないと知ったとき、人はそれに恐怖する。
 蛍が今、直面している問題はまさにそれだ。あと8時間もすれば、両親が乗った飛行機が墜落する。
 幸いと言ってよいのかはわからないが、『死』は蛍自身に降りかかっているものではない。だが、転生後の仮の親ではあるとは言え、蛍としては彼らに対しての恩義もある。感謝の念も、そしてなにより死んで欲しくないという思いも。
 自分が『死』を恐れているから、他人の『死』も恐れる。恐れるからこそ生きていて欲しいと願う。それは積極的な生ではなく、むしろ『死』を忌避する心から来るものであった。
 しかし、誰が彼女を責めることができるだろう。彼女は『死』を傍らに抱いて、生きていたのだ。
「どうすればいいんだろう?」
 心の中で何度も何度も呟く。だが、それでも答えは出ない。
 運命。
 まさに人の生き死にだけは、人の意思は介入できない。だが、迫り来る未来をもしも知っていたならば――。
 蛍は惰性で学校へ向かっていた。足取りは重く、思うように前に出ない。
 頭の中では無数の考えがうずまき、唸りをあげて、嵐のように蛍の脳を揺さぶっている。
「もしも、こうすれば…」
 蛍は未来を『視』続けていた。たとえ確率がゼロに近くても、飛行機事故を未然に防ぐヴィジョンが『視』えたならば、それに賭けてみるつもりだった。
 しかし、『視』えない。
 事故を防ぐというヴィジョンは皆無なのだ。だんだんと蛍の中に絶望が充満する。
 サイコロの目にない数を出すことは出来るだろうか。
 可能性は無限の中に担保されているが、人間の限界というものはないのか。
 人の理性には限界がある。例えば、人は世界の終わりを知ることができない。世界が終るとき、時間の終焉があるとすれば、その先に何があるかを考えることができず、終焉がもしも無く、世界が無限に続くとするのならば、やはり人は無限の時間を捉えることはできない。
 だとすれば、やはり人には限界がある。限界の中に神のような無限の可能性は存在しないのではないか。
 しかしそうだとしても、蛍にはあきらめることはできなかった。あきらめることは自身のすべてをあの病室での死へと結びつけてしまうのだ。
 あの病室で何もできずに死んだ自分に。
 ただ死が充満し、絶望が満ちていったあの病室と同じ結末になりたくないという強い思いがあった。
 
 交差点を渡ると、学校が見えてきた。
 陰を縫うように渡りながら、蛍は学校へ入る。時間は残されていないが、どうすればいいかもわからない。
 昇降口で靴を脱いでいると、突然後ろから声がかかった。
「晴宮さん、おはようございます」
 ルーシアであった。蛍は伏せ気味になっていた顔をなんとか上にあげると、小さく吐き出すように返事をした。
「おはよ…」
「どうしたのですか? 晴宮さん。元気が無いように見えますが」
「なんでもないよ…」
 蛍は力なく答えた。
 それ以上何を言っても無駄なような気がしたのだ。諦めの心がだんだんと支配的になっていく。
 
 やっぱりだめなのかな
 
 違うと思いたかった。蛍はあともう少しで泣きそうなほどに瞳を潤ませて、それをルーシアに見られてはいけないと思い、先に教室に向かって駆け出した。
「蛍さん…」
 ルーシアが蛍の姿を目で追い、そのあと外の様子を眺めながら考え込む。今の蛍の様子は明らかに『計画』外だったのだ。
「少し調べてみる必要がありますね」
 ルーシアはプラチナブロンドの髪をさらりと一撫でし、それから携帯電話のような小さな銀色の機械を取り出すと、その中ほどについたボタンをいくつか押した。
 

 
 蛍はいまや絶望のただなかにいた。
 なぜ生きるのだろう。
 なぜ死ぬのだろう。
 考えてもわからない。死ぬ意味も生きる意味もわからない。そして自分の『視』る力の意味も。
「蛍ちゃん…?」
 机につっぷしたまま動かない蛍に奈美が優しく声をかけた。
「…」
 蛍は沈黙する。この闇の只中にあってもすべては明確な映像になって逐一、ダイレクトに伝わってくる。奈美の顔が鮮明に『視』えた。
「ああ、奈美ちゃん。ごめんボク」
 それだけ言ってまた顔を伏せる。腕をまくらにして闇の中で光を探す。映像は今も流れ込み続けているが希望は見えない。
 人の行為というものは限界があるのだろうか。
 しかしこのままいけば確実に飛行機は墜落するということはまちがいない。最後の一秒まで生きることを諦めたくないのだ。
 奈美は弱々しく身体を机に預ける蛍にそっと視線を送った。その隣では明美も心配そうな顔をしている。
「晴宮さん」
 不意に焦燥の混じった声がかかった。机に座っている三人は透明な声がしたほうへと視線を向けた。
「ルーシア君…どうしたの?」
 ルーシアは蛍の質問に答えずに逆に質問を返した。
「晴宮さん。身体の調子が悪いのではないですか?」
「ボク? そんなこと無いよ」
 身体を起こしかけた蛍は一瞬ふらりと身体が傾きかけ、ルーシアに支えられた。
「あれ? どうして…」
 いつのまにか身体に力が入らなかった。力を入れようと、ぐっと右手を握ってみるが朝の起きはじめのように筋肉が言うことを聞かない。
 
 デュナミスの使い過ぎですね
 
 ルーシアは一瞬だけ顔をしかめ、蛍に顔を近づけた。いきなりドアップになったルーシアの顔に蛍の顔もほんのり染まる。
「立てますか? 保健室に行きましょう」
「あ、でも」
 
 ボクはそんなことをしている暇は…
 
「ともかく、行きましょう」
 ルーシアの強い言葉に蛍はゆるゆると立ち上がった。軽く腕を添えられて歩きだす。
 蛍が歩くその足並みは歩き始めの幼児のように頼りないものだった。
「どうして、こんな…」
「無理のしすぎですよ。晴宮さん」
「無理なんてしてないよ。ボクはただ…」
「ただ…なんですか?」
「ボクはただがんばって生きているだけ」
「生きることは人が考えているよりもずっと大変なことですよ。だから、がんばりすぎるのはよくないと思います。時には力を抜くことも必要です」
「わかんないよ。力を抜いて生きるってどういうことなの?」
「そうですね。マラソンを考えればいいと思います」
 蛍がルーシアのほうへ顔を向けた。
「マラソン?」
「その競技では道端に寝っころがって休むのはいけません。時間はどんどん迫ってきますし、そもそも趣旨に反します。ですが、時にはふっと力を抜いて走ることも大切です。なぜなら、マラソンは全力で走ることが目的ではなく、ともかく巧い具合に力に緩急をつけて走り続けることが重要なのですからね」
「ボクはへたくそだと思う。走ることすらできてないのかもしれない」
「そんなことないですよ。人には人それぞれのペースというのがあります。自分なりの速さで走り続けるということさえ忘れなければ大丈夫ですよ」
 何が大丈夫かはわからなかったが、不思議と納得できた。蛍は軽く頷く。
 保健室の前に到着するとルーシアはドアを開け、中に蛍を導いた。
 ドアを閉めると、廊下のざわめきは遠くなる。奇妙なことに何か別の空間のように思え、蛍は自然と耳をすました。ルーシアの声が空間を伝わってダイレクトに響いてくる。
「先生はいませんね。ともかく一度横になったほうがいいですよ」
「ボクはそんなことをしている暇は…うっ」
 よろめいて倒れかける蛍。ルーシアがまた蛍の身体を支える。蛍はルーシアの顔を覗き込んだが、ほとんど見ることができないほどに疲れていた。空間認識がおぼつかず、幾重にも重なった位相から情報が爆発的に送られてきている。さながらそれは、数十のテレビ画面を重なったままの視覚で見ているような気分なのだ。
 ルーシアの顔の背後に複数の未来相が横たわって『視』えてくると、蛍は因果線のあまりの巨大さに一気に意識が拡散しそうになった。
「晴宮さん。失礼します」
 何かを認識する前に何かを感じ蛍がきょとんとした瞳で下を向く。
「る、ルーシア君。何を」
 認識すると恥ずかしさで蛍の顔が一気に赤に染まった。この状態はお姫様抱っこだ。
「すいません、失礼かとは思ったのですが、晴宮さんがあまりにも心配なので」
 見上げると本当に心配そうな顔だった。蛍は恥ずかしさもあったがされるがままに任せる。ルーシアは蛍の履いていた上履きを脱がせると、ベッドの上に横たえさせて、薄い毛布を上から被せた。
「少し眠ったらどうでしょう」
「ボク、やらなくちゃいけないことがあるんだ」
 起き上がろうとする蛍をルーシアは肩に手を添えて押し留める。厳しい視線が真正面で蛍のオッドアイを捉えた。
「満足に歩くことも出来ない状態なのに、いったいどうしようと言うのですか」
「それでも、やらなくちゃ」
「無駄なことはやめるべきです。今、自分がどうするべきかを考えるべきだと思います」
「ほっといてよ。ルーシアくんにはなんにも分からないんだ!」
 蛍は初めて怒りをぶちまけた。
 
 どうして、こんなにもうまくいかないんだろう。どうして。
 
 頭の中に幾重もの思いが去来する。心を支配する空虚な感覚。それは死ぬよりも生きるよりもつらい気がした。
「蛍さん…」
 ルーシアの声が響く。
「蛍さん…」
 一つ。また一つ。独特の緩急を持って響いてくる声色に蛍はゆっくりと首をもたげて、そちらを向いた。
「ルーシア君がボクのことを蛍って呼んでくれた…」
「ずっと、そう呼んでました。心の中では」
「なんで?」
「そう呼びたいと思っていたからです」
 ルーシアは別の話題に変えるようにゆっくりと視線を逸らし、また蛍へと戻した。
「蛍さん。ともかく一度、目を閉じることです」
 数秒間、何も無い虚無的な時間が流れる。蛍は目を開けたままぽつりぽつりと話し始めた。
「ルーシアくん。ボクの目はかたっぽだけ色が違うでしょ」
「ええ」
「そこから、ボクはいろんなものを『視』たよ。綺麗なもの、美しいもの、かけがえのないもの、目をそむけたくなるもの、どうしようもなく恐くて捨てちゃいたいと思ってしまうもの。ボクはいろんなものを『視』てきた。どうしてボクだけが…」
 ルーシアは蛍の問いには答えずに、保健室のカーテンを閉めながら言う。
「人の感覚の中で『視』るということは一番未来的な感覚であると思います。時間と空間を隔てて思いを馳せるとき、人はまずイメージを思い描くでしょう。想像することと『視』ることはほぼイコールであると言えます」
「想像することが『視』ることなんだ…」
「ええ、そうです」
 ルーシアはカーテンを閉め終わると、ベッド際に戻り、蛍の髪を優しく撫でた。
「おやすみなさい、蛍さん」
 ルーシアの声を最後に蛍の意識は遠くなっていった。すぐに規則正しい寝息がルーシアの耳に届く。
「よっぽど疲れていたようですね。さて……どうしましょうか」
 ルーシアはすぐに保健室に行くと、昇降口に向かった。そろそろ授業が始まる。途中の廊下にあった時計を見ると、針は午前11時を指していた。
 昇降口はもう人影は無かった。そこでルーシアは上着のポケットから例の金属体を取り出した。
 これは奇妙な形態をしているが、機能は携帯電話とそれほど変わらない。
 文字盤の上に手を滑らせると、すぐにコール音が響く。
「マリア様」
「ルーシア君ね。晴宮蛍はどうだった?」
「やはり、『視」すぎてましたね。それはそれとしてどうして飛行機事故が発生『する』のでしょう。オラクルによるとそういう事故はそもそも起こらないはずでは」
「相互連関幻想潮流に影響を与えることができるのはデュナミスだけ。蛍はまだ自身で変えることまでは意識していない。ということは、必然的に蛍以外にも巨大なデュナミスを操れるものがいるということになるわね」
「そんな存在はありえないはず」
「そうね。デュナミスは『私達』にしか認識できないはずだもの」
 そこで一拍だけ間が空き、ルーシアは決意に満ちた声を出した。
「ともかく、私は飛行場に行って、事故を未然に防ぎます。幻想潮流の流れを元に戻さなければなりませんからね」
「よく考えれば矛盾よね。私達がしていることは幻想潮流の流れを捻じ曲げることだもの」
「いずれは、私達が変えた潮流が歴史そのものの流れになります。私達がしていることは治水と同じことですよ。私達は人のために動いています」
「ええ、わかっている。わかっているわ…。それじゃ頼んだわよ」
「はい。必ず止めてみせます」
 ルーシアは金属体の動作を止めた。
 最後に一度だけ蛍のいる保健室の方向に視線をやり、それから外に向かって駆け出した。
 
 続く
 

 
 あとがき
 遅い…遅すぎるぞ自分。
 激しく続きが遅かった。一年だでよ、おい(汗)
 待っていたかたごめんなさい。
 続きもどうなるかわかりません。でも最後まではいつかは必ず書きますのでお待ちを。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この作品の感想は感想掲示板へどうぞ。

目録に戻る