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日誌というより雑記


2/19 色塗り♪

 二月の最初に行って来た長浜の海洋堂ミュージアム入館記念フィギュアを塗装する事にした。翼のついた西洋ドラゴンのフィギュアである。
 というか、表面の離型剤がかなり残っているらしく、それをとるのに中性洗剤を薄めた水につけ置いたのを思い出したというのが正解か。
 洗剤を洗い流し、水気を切って、乾燥させ、サーフェイサーを吹き付ける。凹凸が埋まるかもしれないと不安だったが、意外に埋まらないので一安心。しかし、ベランダで吹き付けるので、寒くて……おまけに風で流れるし……囲いを考えないと塗装は難しいです。
 二度吹き付けして、乾燥後に塗りに入るのだが、塗料の手持ちがあまりなく、とりあえず、鱗は若竹色、腹と翼は下地そのままにしようと思って塗り始める。が、やっぱり腹と翼が寂しいので、銀色を塗る事にした。これがいい感じで塗れて、調子に乗って翼の外側まで塗り始めると大失敗。厚塗りになるが、もう一度若竹色を塗って、銀色をメッシュで入れて単調さを解消。口を赤茶色に塗り、目を金色で下地を入れて、黒を書き込む。土台を艦底色を塗り、完成。
 もっと丁寧にやりたいところだが、シンナーが充満して、これ以上の時間をかけると匂いが抜けなくなるので今日はこの辺にしておいてやる♪
 塗装は久々だが、なかなか楽しいものである。まあ、立体塗り絵ですね。

2/12 完成

 今日も仕事だったが、睡眠時間を削って『いちごいちえ』の推敲を済ませ、掲載した。
 誤字は結構あったのだが、文章に手を入れるところはあまりなかった。というか、いつもは手を入れるところを入れなかった。三人称で書いているのだから直さないといけない表現がいくつもあったのだが、散々迷った挙句、雰囲気優先とした。吉と出るか凶と出るかはわからないが。
 どちらにせよ、雰囲気を優先させつつ、きっちり書けるように練習しないといけないといけないと感じた。

2/10 二本目 第一稿完成

 『いちごいちえ』のために一時中断していたアクションコメディの第一稿が完成。タイトルは『ぱわふるどらごんてーる』 現段階でテキスト98kBである。あまりいじらないでよさそうだけど、これも熟成期間を置いて推敲する事にする。
 コメディといってもあまりギャグはないし、おいしいシーンは省いたという代物である。おいしいシーンはそれだけ別枠で書いたほうがいいと判断した。容易に別枠を書けるのもインターネット公開の小説ならではと思うので、その特性を使わせてもらう事にした。(まあ、おいしいシーンを書くのがあまり得意じゃないのもあるけど(^^;)

2/9 伏線を張る

 私の作品はそういうのが多いというのが一つの売りになっているようで、私もそれは嫌いではない。
 しかし、物語への影響力を考えて、伏線を張らないことも一種の技かなと考えるようになってきた。言葉で説明するのは難しいが、伏線を張らないことで、伏線を際立たせる。伏線を張ったものと張らないものでの差をつける。そういった一種のフェイントみたいなものといってもいいかもしれない。
 今書いている作品で試しているが、意外にも難しい。しかし、色々と利点がある事がわかったので、上手く使えるように頑張ってみたい。

2/8 誕生日

 今年も無事にやってきた誕生日だが、何が変わるというわけでもない。まあ、そんなものだろう。しかし、そのゆるみがずるずると無駄に時を過ごす結果になるので、少し気を引き締めて趣味にも邁進しようと決意しました。

2/5 熟成期間♪

 ここ最近、日誌で書いていた話が書きあがった。現在のところ、推敲前の第一稿で108KBの中編作品である。長さの割には早く書けた。
 話のタイトルは『いちごいちえ』。ノンTSで、話自体もありきたりのものなので、どこまで受けるか不安もあるが、楽しんでくれるといいなと思い、現在、熟成放置中である。
 話を書いてすぐは人に見せたくて仕方なくなるのだが、書き上げてから一週間ほど放置してから推敲すると経験上、作品の完成度が上がる。その一週間は読み返しもしないでおくのはストレスだが、せっかくの作品なので、きっちりと仕上てあげたいので、我慢の時である。
 その間に『いちごいちえ』を書くために中断していた話を再開することにした。アイドリングをして、書くぞ♪

2/4 北海道旅行のはず……

 今日から北海道旅行。忘れ物の確認をして、家を出た。空港には一時間半前には到着して、カウンターでチェックインをすると
「雪のために出発が遅れたり、函館に着陸する可能性がありますので、あらかじめご了承ください。今のところ、通常通りに飛行する予定ですが」
 いやだと言っても仕方ないので、わかりましたと出発まで時間を潰した。
 九時に出発で、待合ロビーで待っていると搭乗が始まり、出発すると、ホット一息。しかし、乗り込んで席に座った途端、除雪の作業が遅れているので、出発が一時間以上遅れるということ。もう一度、飛行機から下ろされて、ロビーへ。一時間後に「もうしばらくお待ちください」と待たされ、それから三十分後に「天候回復の見込みがないため、欠航が決定しました」
 待ち合いロビーはなんともいえない空気になった。航空会社の人に怒るわけもいかず、かといって、この無念を……。といった微妙な空気が支配している所、航空会社の人たちはほぼ完璧な対応。
 あそこで下手うてば、お客の怒りは爆発していたでしょうから、そういったところはさすがと変に感心したものです。入社が難しいだけあって、社員教育もレベル高いんですね。
 航空券を別の日の便に変更するか払い戻すかを選択すると言う事なので、払い戻しを選択した。この欠航の便はいいが、帰りの飛行機は? と訊いたところ、そちらもキャンセル料なしで払い戻しできるというので、あわせて払い戻しをした。
 現地で落ち合う予定のかわねぎさんに、欠航になったことを電話連絡して、私の北海道旅行は終わった。
 北海道で、OYAZIさん、月山かなるさんと会う予定だったが、そちらも中止となった。その連絡をいれて、事後処理も終了。かなるさんとは初めて会うので楽しみにしていたが、残念である。
 この悔しさを紛らわせるためによっすぃーさんに電話を入れたところ、
「それなら、明日スキーに行くので来られます?」
 とのこと。雪に恨みをぶつけるべく、急遽、参加する事に。家に帰り、北海道旅行をスキー旅行に荷物を換装。
 その日の晩に出て、よっすぃーさんとMONDOさんと合流。多賀で仮眠を取り、今庄365スキー場に。
 天候は比較的よいほうで、雪質もよかった。充分に午前中いっぱい楽しんだ後、今庄のおろし蕎麦を食べて、スキー場横の温泉に浸かり、帰路に。
 途中、長浜で高速を降りて、海洋堂ミュージアムを見学に行った。たいした事はないだろうと思っていたが、結構、きっちりしたもので楽しめた。食玩やフィギアが好きな人は行ってみると楽しめると思う。
 そこから近くにある鴨料理を食べさせてもらえる店で、鴨うどんを食べた。あまりくせもなく、身体も温まり、美味しかった。フルコースも魅力だが、財布の中身を考えると……。
 さて、その店の看板がキツネだったので、理由を聞くと、近くの大通寺には、秀吉についてきた「お花」というキツネが住み着いたという昔話があり、参道のモニュメントはキツネで、橋の欄干もキツネという。それを聞いては素通りするわけにはいかないと、お参りして、無事帰れることをお祈りして帰った。
 北海道旅行は行けなかったが、楽しい休暇を楽しめた。行けなかったことは残念だが、いつかリベンジする予定。待ってろ、北海道!

2/2 いいところなの

 三日連続で睡眠時間四時間というのは、久しぶりのような気がする。やはり、慣れていないので少し身体がだるい。というわけで早く寝ようと思っている……。今週末は北海道旅行なので早く寝なければ……。でも……。
 今のところ、容量的に70ちょっと。完成はやっぱり100ちょっとになるだろうと思う。

1/31 久々の死闘娯楽(四当五落)

 先日の日記に書いた話を書くことにして、書き始めた。本当は他に書きかけで、約束したものがあったりする。そちらを優先すべきなのだろうが、今の状態で書けばドツボにはまりそうな予感があった。過去の経験でもそれは証明されている。というのも、その話はコメディータッチなので、今書き始めた話とは真逆で、テンションのかけ方が違うのである。切り替えをうまくできればいいのだけど、それほど器用でない。
 考えた結果、今のテンションならシリアス話を書くのがいいだろうと、順番を逆にさせてもらった。
 そう思って書き始め、気がついたら夜中の二時ごろまで書いていた。睡眠時間四時間は少しきついと思ったが、意外につらくなかった。テンションが上がっているからだろう。完全徹夜をしてもいけるかもしれない。しかし、ここで無理をするとあとでつけを払わされることになるので、無理は禁物。
 テンションが上がっているので筆の進みは悪くないが、話が話しなだけに量的にはさしたるものはない。アクションやコメディーでこれほどのテンションなら、25KBほどは書いているだろうが、今回は15程度であった。
 話はまだ序盤なので、この調子で行けば、100KBを越える話になりそうです。ちなみに、上で言っていた書きかけのコメディーも同じぐらいになりそうです。ちゃんと完成するのだろうか? どっちも好きな話なのでちゃんと完成させたいと思ってます。
 でも、このシリアスの話を思いつくきっかけを人が聞いたら、どこらへんからそうなったのか不思議に思うだろうな。

1/30 なさけない

 本当に情けない。
 今日、とある小説のネタを思いついて、ポイントとなるところだけを書き出して、プロットらしきものを書いていたのだが、不覚にも、うるっときてしまった。
 自分の書いているものにうるってくるって、最低である。
 読み返した時に笑ったり、泣いたりするのはいいのだが、書いている最中にそれをしてしまうのは、非常にまずい。はっきりいうと、駄作の可能性がぷんぷんする。コメディーを書いているときでも、書きながら笑ってしまったところは、まずうけない。書いているときに感情をある程度抑制できないと一人よがりになってしまう。
 創作するのは情熱も大事だけど、冷静さも大事。二つを同時に上手く使ってこそ、いいものが書けると思っている。今回は、失敗したようだ。
 でも、駄作にならないように頑張る事にする。

1/29 本の紹介 『僕のご主人様?!』鷹野祐希 著

 まあ、TSの該当作なので、ご存知の方も多いと思いますが、たまには本も紹介しないと。
 今回、紹介する本は
『僕のご主人様?!』 鷹野祐希 著 富士見ミステリー文庫
 ストーリーは、しばらく疎遠になっていた幼なじみの女の子が立ちの悪い男に付きまとわれていることを知り、それを助けようとしていた主人公だったが、階段から転げ落ちて、気がつけば性別が逆転している世界で女の子になっていた。しかも、その幼なじみとは、そちらの世界ではメイドと主人の間柄であった。そのうえ、元の世界と同じく、たちの悪い女に付きまとわれているという。主人公は戻る方法も見つからず、その主人である幼なじみを守るため、躍起になって頑張る。――という話である。
 説明が下手ですいません。検索されれば、もっと上手く説明している人がいると思いますので、そちらを参考にしてください。

 さて、ストーリーを聞くと荒唐無稽なお話なのですが、意外にそうでもなく面白かったです。
 人に強く薦めるとまではいかないが、興味のある人は読んでみても損はないかもしれない。ただ、性別変化に特化したものを期待しているのであれば、今ひとつと言えなくもないといったところです。
 この小説はライト小説と呼ばれるジャンルで、軽いタッチで書かれてあり、気軽に読めるものです。しかし、ミステリーを軽いタッチで書くというのはなかなかに難しい。この小説はそのあたりも上手く折り合いをつけているところが感心させられます。
 前半部分は状況を、後半部分は展開をと、分けたところはライト小説を好んで読む読者層をきっちりと意識したわかりやすい構成をしているのは、とてもいいと思いました。しかし、そのために少しばかり一本道な話となってしまい、ミステリー的な面白みが薄れたのは仕方ないといえるでしょう。
 それでも、きっちりと伏線を張っているところは心憎い。中盤での突然の展開があるのですが、序盤の何気ないところで、ちゃんとそのあたりを押さえているのは、うれしくなりました。
 基本的にライト小説なので枚数が足りなかったのでしょう。ややキャラクターの深みを書く事ができず、不完全燃焼気味のところはあるのですが、作者の中では作りこまれているので行間を読んで補間できます。(個人的には少々、気になる言動もあったのですが、解釈の違い程度で充分許容範囲)
 TSということを抜きにしても、読ませる話だと思いました。
 ちなみに、この作品内で気に入ったキャラクターは千尋さんです。なかなかいい味を出しているので、構成上、あれ以上は出せないとはいえ、少々もったいないと思いました。外伝を書いてくれないかな?

1/21 芸術の行き着く先

 芸術に関して私はさほど造詣は深くない方だと思う。しかし、だからと言って、何も思っていないかというとそうではない。特に最近は小説などを書くようになってじっくりと考えてみることはある。
 昔から思っていたことなのだが、絵や音楽、本を読んで人によって感じ方が違う。どうしてそうなんだろうと不思議に思っていた。しかし、逆にみんな同じことを思ったのなら、それはとても怖いだろうなとも思った。
 私は人によって違うように思うのは、きっと生きていくための知恵なんじゃないかと考えている。それは考えていることではなく本能的な知恵である。もし、全員が同じことを考えるのなら、それは集団ではなく、一つの個体と考えた方がいい。個体が少なければ、何かあったときに種として生き残るチャンスは激減する。個体差があるからこそ、危機的状況になった時、危ないところをなんとか耐える特殊な才能を持った個体が生き残り、種を伝える事ができる。
 では、何故絵を描くのか、音楽を奏でるのか、本を書くのか? 多分、多くの人は自分を表現するため。自分の感じたものを他人に伝えたいから。そう答えることと思う。実際にも小説を書いている人が『自分の頭の中の映像を見せる事ができれば』とか『自分の思っていることを100%伝える事ができれば』と言っている人は時々見かける。
 そういう人たちにとって、芸術というものは自分の感じたことを他人に正確に伝える事が目的なのだろう。つまり、誰もが自分と同じことを感じてくれれば、それが究極の芸術という事だろう。
 しかし、私にとって、それは悲しい芸術と思えて仕方ない。過激な言い方をすれば、気持ち悪くさえもある。
 正確無比な機械のような芸術。全てが同じことを感じることしか許されない、一方的に押し付ける芸術。もし、それが芸術の究極の姿というのであれば、私は芸術に絶望するだろう。私にとって、芸術とは自由に感じることのできるものである。
 たとえ、世界的な名画であろうと、名演奏であろうと、名著であろうと、私にとってつまらないものなら、それはつまらないものなのだ。芸術の価値は周りが決めるものではなく、自分で決めるもの。
 もちろん、自分の感じ方が時間と共に変化することはある。小さな時は好きでなかったものが、大きくなって好きになるのは食べ物でよく経験することだろう。それと同じことである。だから、好きではないものでも、いつか好きになるかもしれないものであり、大切にできるのである。
 人が同じものを見て違うことを思うのは私は素晴らしいことと思う。そして、だからこそ芸術が素晴らしいのだろうと思う。同じものを見て違うものを感じるからこそ、違うものを作り出し、それを見て、また違うことを感じて違うものを作り出す。
 芸術は何かの模倣という。特に小説は聖書の時代に話のパターンの全てが出尽くしたという。しかし、それでもなお、現在でも書かれ続けているのは、同じものを読んでも違うことを感じるからだろう。
 だから、私にとって究極の芸術とは自由に感じさせるものなのである。十人が十人、違う感想を抱くもの。そういうものを作りたい。

 ついでなので、もう少し。よく絵や音楽、本などは『記号』の塊と評される事がある。ここで言う『記号』は文字や数式などの記号ではなく、どちらかというと『パターン』といった方がいいだろう。つまり、『こういう絵はこういうふうな印象を人に与える効果がある』といったようなものである。まあ、定石みたいなものである。
 確かにそういう一面もあるが、それは全てではない。前述したとおり、人によって感じ方は異なるのだから、その『パターン』は絶対ではない。それに固執するあまり、『こういうことを表現したいから、こういう風にした。鑑賞者はこう感じろ』という押し付けがましい作品を作ってしまい、見る人に息苦しさを与えてしまう。
「技術的なものを駆使して、相手の感じ方をコントロールするような作品を上手くなると描きたがるものだが、所詮は自己満足でコントロールなど中途半端で、逆に技術に縛られて息苦しくて醜い作品になる」。
 高校時代の美術の先生で、美術高校の講師をしている合間に非常勤で来ていたのだが、そういうことを授業を通して教えてくれた。
 セオリーは知っていて損はないが、それにとらわれるのは馬鹿らしい。そういうことだろう。
 あるとき、授業の時に風景画を描いていて、遠くのものを霞ませて描いていたら(いわゆる空気遠近法)
「遠くのものをはっきり描いても面白いよ。透明感のある都会というのも面白いじゃないか。画面がごちゃごちゃするなら、誤魔化して省略してしまえばいい。面白いと思ったものは近くでも遠くでも主題にすればいい。はっきり見えなくても構わない。そうだったらいいのにっていう風に描けばいい」といったこともある。
 正確さが必要と思っていた写生でそういわれたのは驚きだった。
 私はあまりできのいい生徒でなかったので、絵などでその先生の教えはあまり守れずにいるが、その考えはとても参考になった。
 ふと、最近、その考え方は禅宗の教えに通じるものがあるのではないかと思えてならない。禅宗の考え方はある意味、記号論とは反対の考え方である(不立文字:その教えを文字にすることはできないという禅宗の教えの一つ)。
 芸術というのは記号でありながら禅でもある。私は先に書いたとおり、自由に感じる作品を作りたい。だから自分の作品、小説やイラストを記号の塊にはしたくない。だから記号と禅を織り交ぜた読むものにより形を変えるものにしたいと考えています。
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