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品質には万全を尽くしておりますが、希に体質に合われて笑い出される方もございますので、深夜の読書はお控えください




前回までのあらすじ
存在自体がトラブルメーカー、皆瀬和久は白瀬美奈子となり日常に潜伏していた。マオ族の銀鱗を使い魔にし、更に力を増した。その力を使い、悪の魔法少女ラスカル☆ミーナとなり、全人類の夢である全人類猫耳化計画を壊滅させたのであった。
さて、今回、ラスカル☆ミーナはどんな騒ぎを起こすのやら……
(本編とは若干異なる点もございますので、前作をお読みになられることをお勧めいたします)


魔法少女 ラスカル☆ミーナ

作:南文堂


絵師:もぐたん さん




第4話 誰でもウェートレス

 皆瀬家の前に止まっている2トントラックからカーキ色のつなぎを着た若い男性が降りて、開け放たれた空のコンテナ前にいる沙織の前にやってきた。
「神埼様、コンテナ内をご確認していただけましたか?」
「はい。降ろし忘れはありませんでした」
「それでは、こちらの方にサインをお願いします。それと、アンケートの方にもご協力お願いします」
 沙織はさっと書類に目を通してサインし、アンケート用紙も手早く記入していった。
「はい。これでよろしいですか?」
「あ、はい。ありがとうございます。それでは、ご利用ありがとうございました」
「お疲れ様〜」
 走り去る2トントラックを見送って沙織は皆瀬家に向き直った。皆瀬家の家長、皆瀬賢治。その妻、琉璃香。従姉の子、白瀬美奈子が並んで立っている。沙織の隣にも夫の神埼博文が立っており、反対側には娘の芽衣美がボストンバックを一つ持って立っていた。
「それでは、琉璃香さん。ご迷惑をおかけしますが、芽衣美をよろしくお願いいたします」
 沙織は深々とお辞儀し、両隣の二人もそれに合わせてお辞儀した。
「安心して任せて頂戴。うちには既に一人居候がいるから、少なくとも寂しい思いはさせないと思うわ」
「……娘を頼みます」
 芽衣美の父親、博文が急に改めて賢治と琉璃香に頭を下げた。アメリカへの転勤も一年ぐらいだから、コロコロと学校を変わるのは可哀想だと無理矢理説得したので、まだ踏ん切りがついていないらしい。
「わかりました。責任を持ってお預かりいたします。ご安心ください。私は娘を持ったことはありませんが、美奈子ちゃんを預かって、その気持ちの一端を知ることが出来ました。さぞ、お寂しいとは思いますが、毎週ちゃんとご連絡はいたしますよ」
 頭を下げたままの博文を賢治が肩に手をかけて、頭を上げさせると硬い握手を交わした。
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします」
「写真も添えて送りますから、ご安心を」
 どこか不安顔の博文に賢治はウィンクした。
「おお、それはありがたいです。しかし、写真ですか。それはまた……」
「ビデオの方がよいですか?」
「いいえ。そんなことありませんよ。でも、ビデオ全盛の時代に写真とは通ですな」
 博文は同好の志を見つけた薄ら笑いを浮かべた。
「たまにはビデオもいいですが、写真の方が私は好きです。いつでもどこでも見れますし」
 賢治もそれに薄ら笑いで応える。傍目で見ている美奈子達には不気味で仕方ない。
「そう!その通り。それに、写真を見ていると不思議と声が聞こえてくるんですよね。『お父さん、大好き』とか……『芽衣美、お父さんのお嫁さんになる』とか……あああ、芽衣美!やっぱり、お父さん、アメリカへ行くのはやめる!日本に残る!会社も辞め……」
 思考がスパークして暴走する博文を後ろから拳骨で殴って沙織は沈黙させた。
「なにバカな事言ってるの!本当にもう、芽衣美のことになるといつもそれなんだから!」
「だって、沙織〜」
 かなり痛そうに涙目になりながら博文は沙織に目で訴えた。
「だっても何もありません!全く!……あ、すいません。うちの主人がお見苦しいところを。ほんと、男って馬鹿で困りますわ、ね、美奈子ちゃん」
「は、はははは……」
 元男としては笑うしかない美奈子はかいてもいない汗を拭うのに持っていたタオルで汗を拭いた。
「あら?そのタオル?」
「あ、これですか?これ、前にネコを助けるのに友達に借りて、さすがにネコをくるんだものをいくら洗濯したからといって、そのまま返すわけにはいかないから、同じものを買って返そうと思ってるんですけど、肌触りとかいいから使ってるんです」
「……そのタオル。高いわよ」
「え?」
「ほら、海島綿だから、多分2千円ぐらいかな?バラ売りは多分しないでしょうからセットで5,6千円か下手すると一万ぐらいするわよ」
「る、琉璃香さん」
「あら、知らなかったの?大変ね」
「えーと……」
「ダメ。我が家の規則は知っているでしょう?」
 小遣いは前借できない。皆瀬家では小遣いはその前の月に働いた分だけ支払われるシステムであるために毎月変動する。そのため、基本的に前借りは不可になっている。
「賢治さん!お願い、貸して!」
「貸してあげたいのは山々だけど、フィルムと現像代でほとんどオケラだからなあ」
「めい……い、痛いな、なんで殴るんだよ!」
「小学生からお金を借りようとしないの!」
「今日日の小学生はわたしよりもお金持ってるよ!学校帰りのアイスだって一段でやっとなんだぞ!トッピングも無し!ああ、一度でいいから落ちる心配しながらアイスを食べたい!」
「美・奈・子・ちゃん!なんて言葉使いしてるの!ネコを助けてあげた時の約束を忘れたのかな?」
「うっ!でも、それは……」
「ほほう、約束を反故にするつもりね。それなら、こっちも約束は反故にしてもいいのね。真琴に電話しておくわ。約束は守る必要ないって」
「あ、あう、そ、それは……止めてくださいまし、琉璃香お姉さまぁ」
「わかればよろしい」
「美奈子お姉ちゃん、色々と苦労してるんだね。あたしも応援してるから頑張ってね」
「あ、ありがとう、芽衣美ちゃん」
「でも、お金は貸さないよ」
「ありがとう、芽衣美ちゃん。プライドにかけて頑張る……わ」
 最後のやり取りでいささかあっけにとらわれつつも芽衣美の両親は帰っていった。父親の方は後ろ髪惹かれまくって名残惜しく、いつまでたってもその場から離れようとしないので沙織に襟首引きずられて行くことになったが。

 美奈子は昼休みに屋上で一人、財布を広げて、風に飛ばされる心配のないお金を数えていた。
「一枚、二枚、三枚……全然足りない。はぁ」
 美奈子は何回数えても増えることない全財産に本日38回目のため息を吹きかけた。
 沙織に指摘された後にインターネットなどで調べた結果、5,800円のタオルセットの一枚であることが判明した。その時、現在の美奈子の全財産は1,158円。今週末に今月分の小遣い2,000円(予定)が入るが、それを足しても2,642円足りない。担当家事を増やして来月の小遣いの増額をすれば何とかなる額だが、それでは遅くなりすぎてしまう。
「こんなことなら、『魔法少女♪奈里佳』のビデオに手を出さなきゃよかった。うう、でも、ジャージレッドさんの原作で、しかも、みるくせーきさんのキャラデザを買わないなんて……我慢できなかったし……悪い魔法少女の研究のための必要経費って事に……ならないだろうな、ふう」
 39回目のため息を漏らしたときに美奈子は後ろから突然声をかけられた。
「よっ!美奈子。こんな所で何やってるんだ?」
「ひゃう!あ、あ、ああ!」
 美奈子は突然背後から声をかけられ、驚きのあまり、財布を取り落としそうになり、それを落とさないように手すりから身を乗り出して財布を抱きかかえた。声をかけた人物が美奈子の体を支えていなければ、多分落ちていただろう。
「さ、里美か。びっくりした」
 命拾いした美奈子はホッと一息ついて振り返って声をかけた人物に話し掛けた。
「びっくりしたのはこっちだよ。まったく、死ぬ気かい?それに、用事があるからとか言って何処か行ったと思ったら、こんなところにいるなんて、なにしてたんだい?」
「うん、まあ、その、ね。……えっと、みんなは?」
「うん?僕一人だけど?」
「そうか……ほっ」
「何か隠してるだろ?」
「え?!いや、何も隠してなんかいない、わよ」
「美奈子は顔に出るからすぐわかるよ。水臭いな。友達なのに。それとも僕は違うのかな?」
「そ、そんなことないよ。友達だよ」
「それじゃあ、話して。ここに来るときに番町更屋敷みたいな声を聞いたけど、たぶん、美奈子だろ?」
「聞いてたの?」
 美奈子は観念して、タオルの弁償のお金をどうやって捻出するか悩んでいることを打ち明けた。
「と、言うわけなの。このことはヨーコちゃん達には黙っておいてね」
「ふーん、なるほどね。でも、ヨーコは気にしてないと思うよ」
「でも、ちゃんと自分が言ったこと、約束したことは守らないと駄目でしょ?」
「えらい!いつもはおどおどして、気が弱くて周りに合わせてばかりだけど、ちゃんと芯が通ったところもあるんだ。見直したよ、美奈子。僕が男の子だったら絶対に彼女にするよ」
「あ、ありがとう、里美」
「うーん……よし!ここは僕が一肌脱ぐよ。放課後、時間空いてる?」
「え?うん、まあ。空いてるけど」
「それじゃあ、一緒に来て。悪いようにはしないよ」
「あ、うん」
 そして、あっという間に午後の授業は終わり、放課後になった。
「美奈子ちゃん。ご一緒に帰りましょう」
 庸子が帰り支度をしている美奈子に声をかけてきた。
「ごめん、ヨーコちゃん。今日はちょっと里美と約束があって」
「それは残念ですわ。今日は制服が可愛いと噂の喫茶店にご一緒しようと思ってましたのに」
「ヨーコちゃん、そういう趣味があったの?」
「無いとは言い切りませんけど、今回はおじい様から取材してきてくれと頼まれましたので。なんでも、メイドの制服の参考にしたいらしいですわ」
「はあ、そうなの?」
「まったく、おじい様にも困ったものですわ。コロコロと制服のデザインを変えるのですから」
 そういいながら結構嬉しそうな庸子であった。
「ははは、大変だね」
「美奈子!そろそろ行くよ」
「あ、ごめん!……それじゃあ、また明日!」
 里美が廊下から教室に顔を出して美奈子を呼んだ。このまま放っておいたらいつまでも喋りつづけそうだったので、美奈子はいいタイミングとばかりに話を切り上げた。
「ごきげんよう」
 庸子達と別れ、美奈子は里美に連れ添われて辿り着いたのは理事長室の扉の前であった。
 理事長室。一般の生徒がまず用のない部屋である。年に何人かの生徒が用事でこの扉をくぐるが、出てきたときには疲労困憊して、そこに何があったかは黙して誰も語らない。扉にかかった理事長室のプレートの下に「お気軽に入室ください」と誰が入ってもよいことになっているが、入った人間の様子が噂で伝わり、誰も入ろうとするものはいない。理事長室に何があるかは一ノ宮中学七不思議の一つに数え上げられている。ちなみに、七不思議の最後の一つは七不思議が七つ以上あることらしい。
「……という話なんだけど、本当にここでいいの?」
 何故、理事長室かわからない美奈子は不安を隠さずに里美に訊いた。里美も苦虫を噛み潰した表情をして頷いた。
「なるべく、ここにはきたくなかったけど……」聞こえるか聞こえない声でそう呟くと、美奈子のほうを向いて「入る前に一つだけ言っておくけど、中で何を見ても、それをけなしたりしたら駄目だよ。心から誉めろとは言わないけど、お世辞でもいいから、女の子らしく『かわいい』とかなんとか言ってくれたら、話がしやすいんだ。いいか?」
「う、うん。わかった」
 里美の真剣な表情に美奈子は緊張しながら答えた。これからどんなことが起こるか予測不可能なだけに、美奈子の不安はいやが上でも高まった。
「それじゃ、いくぞ」
 重苦しい雰囲気とは裏腹に軽やかに扉をノックした。中で何かごそごそと音がして人の気配がしたが、すぐにそれも収まって、しばしの静寂の後に「どうぞ、入りなさい」と返事が返ってきた。
「二年二組、尾崎里美」
「同じく、二年二組白瀬美奈子。入ります」
 緊張しつつ、扉のノブをゆっくりと回し、部屋の中へと扉を押し開けた。
「!」
 ミステリアスゾーンへの扉を開けて中を見た美奈子は言葉を失った。
 理事長室はくまのぬいぐるみ、クマのぬいぐるみ、熊のぬいぐるみで埋め尽くされていた。所狭しと積み重ねられたクマのぬいぐるみの谷間にオークの重厚な机が何とも不釣合いに置かれていたが、本来の理事長室には多分、似合いそうであった。そして、その向こうにいる理事長と思われる人物は美奈子たちに背を向けて窓の外を眺めてながら椅子に座っていた。
「いらっしゃい。そんなところに立ってないで入ってきたらどうだい?」
 中年男性の声が美奈子の耳朶を打ち、美奈子は少しだけ我に帰った。
「あ、はい。失礼します」
 美奈子たちは理事長室の敷居をまたいで、扉を閉めた。半ば放心状態の美奈子に対して、里美は全く驚いておらず、代わりに苦渋に満ちた表情をしていた。
「ご無沙汰しております。理事長」
 里美が重々しく口を開いた。どうやら旧知の仲だが、明らかに嫌っているのは半ば放心状態を続けている美奈子にもわかった。
「親しい人しかいないプライベートだ。堅苦しい呼び方ではなくていいよ、里美ちゃん」
 それに対して、明らかに好意をよせた軽い口調の返事が返って来た。
「では、孝治おじ様」
「ちっちっち。孝治お兄ちゃんだよ。忘れたのかな?」
「……っ、孝治お兄ちゃん」
 里美の言葉に含まれる感情をもし科学的に分析できるとすれば、嫌悪感の所のピークがずば抜けて高いことは間違いないだろう。
「よろしい。ところで、今日は何の用だい?里美ちゃん」
 椅子が回転して美奈子達の方に理事長は向き直った。その姿に美奈子は固まった。
 くまのぬいぐるみ。ふわふわのもこもこ、人と同じくらいの大きさをしたクマのぬいぐるみ。理事長は見まがうことなく熊のぬいぐるみであった。
「里美ちゃんから尋ねてくるなんて珍しいね」
 しかも喋っている。ちゃんと喋っている。入学案内に載っていた写真は人間の写真だったはずだし、入学式に一度、壇上で挨拶する理事長を見たことがあるが、確かに人間だったはずである。美奈子の脳は次々と送られてくる非日常的な情報を処理しきれずにオーバーフロー状態になっていた。
「孝治お兄ちゃん。少々ふざけ過ぎです。隠れてないででてきてください」
「ちぇ、全然驚いてくれないなんて、孝治お兄ちゃん、寂しいなあ。せめて隣の美奈子ちゃんぐらい驚いてくれたっていいのに」
 何かが閉じる音がした。美奈子が音の方向を見ると机の正面に変な凹みを発見し、覗き穴を閉じた音だと美奈子は直感した。
(机の下に隠れていたのか……)
 美奈子がそう得心した次の瞬間、何かをぶつけた鈍い音が理事長室に響いた。
「イタッ!」
 机の下から這い出るときに頭をぶつけたのだろう。それを想像して、美奈子は目眩を覚えた。しかし、それで一気に美奈子の思考は非常識対応モードに切り替わった。
(……ああ、僕の関わるところに平凡とか人並みなんて求めちゃダメなんだ)
 美奈子は自分の境遇に心の中で涙していたが、しかし、頭をぶつけたらしき音がしてから一向に声の主は姿をあらわそうとしない。
「ま、まさか、気絶してるんじゃ?」
 美奈子は心配になって机に手をついてその向こうを覗き込もうとした。と、その途端、机が奥へと倒れて、美奈子は傾斜のついた机の上を、滑り台を頭から滑るような格好で滑った。頭から床へと突っ込む前に何とか床に手をついてそれは避けたが、滑った弾みでスカートがめくれて、下着が露わになっていた。
「え?あ!きゃあ!」
 元男の子ならパンツが見えたぐらいでどうってことないかと言うと、そんなわけはない。
 不意なことでパンツを見られることの恥ずかしさに男女の差はない。そして、女の子になっているので仕方ないのだが、それでも女性用のパンツをはいている事への羞恥心があるので、それが加わって、女の子以上に過剰な反応を示して、身体を支えていた腕で捲れあがったスカートを元の位置の戻そうとした。下着は隠れたが、当然、体は床へ向かって滑り出す。
「うわわわ」
 滑り始めてもすぐに下着のことなど放って置いて手を付き直せば、たいしたことではないのだが、らしくもない一瞬の躊躇でそれもできず、やっと決心して手をスカートから放した時には、頭をガードするのが精一杯、いや、それすらも間に合うかどうか微妙なタイミングであった。
 ばふっ!
 床にしては柔らかい衝撃が美奈子の腕と顔に伝わってきた。
「?」
 美奈子と床の間には、さっきまで理事長席に座っていたクマのぬいぐるみが挟まって、クッションになっていた。横を向くと床に横向きに寝そべっている中年の顔が目に入った。
「引っかかったのが里美ちゃんでないのが残念だが、まあ、美少女のあられもない姿を見れたのなら、それでよしとするか」
 美奈子は再びスカートがまくれあがって下着が露わになっているのに気がついて、恥ずかしさが再度沸きあがり、急いで机から降りようとしたが、それより先に中年男性が機敏な動作を見せて、机の下から這い出ると美奈子を軽々とお姫様抱っこの形で抱き上げてしまった。
「あ、あの……」
 美奈子は顔を真っ赤にして下ろしてもらうように頼もうとしたが、「いいから、いいから」と中年男性は笑顔でその申し出を言わせようとせずに、くまのぬいぐるみの間を縫うように進み、里美がいる側へと連れて行った。
「あ、あの……おろしてください」
 気恥ずかしさのあまり、美奈子は顔を真っ赤にして消え入りそうな声で懇願した。
「私としてはもう少しこうしていたいのだけどね」
 孝治は悪戯っ子のような笑顔で答えた。もうすぐ、五十らしいが、その表情は少年そのものであった。
「孝治お兄ちゃん。いいかげんにしてください。美奈子が嫌がっています」
「そんな怒った顔しないでくれよ。可愛すぎて思わず襲いたくなるじゃないか」
「殴るよ。真剣に」
「そいつは困る。私はともかく、美奈子ちゃんを下に落としてしまう。ごめんね、乱暴なお友達を持つと何かと苦労するね。友達のことを考えないんだから」
「え、えーと、あの……」
「美奈子、気にしなくていいよ。何かと僕に対して、こう言うことを言ってくるんだ、このおじさんは」
「ふふん、里美ちゃん。里美ちゃんが、いつもは近づこうともしないこの部屋にわざわざ来たということは何かお願いことがあるからじゃないのかな?それなのに、そんな態度をしていて、いいのかな?」
「うっ、そ、それは……」
「ふふふ、まあ、寛大な私ですから、そんな些細なことで判断を左右することはないけどね。多分」
「僕が悪かったです、孝治お兄ちゃん」
「流石は里美ちゃん♪素直でよろしい。だけど、まだ僕と言っているんだね。いいかげん改めたらどうだい?里美ちゃん」
「こればっかりは譲りません」
「ふう、そうか。……その話はまたにしよう。今日はお客様がいるからね。ああ、でも、いつになったら、立派な乙女――自分の事を『あたしぃ』とか『里美ぃ』とか言って、すれ違う人がきっかり三秒は硬直するようなフリフリヒラヒラのロリータファッションに身を包んで、クマのぬいぐるみを抱きながら、町を徘徊する立派な乙女になってくれるのでしょうか……とっても心配だよ」
 ため息交じりに孝治が美奈子に悩みを打ち明けた。
(そうなった方が、わたしは心配だと思う)
 美奈子はなんとも言えない表情で里美に視線を送ったが、里美は肩をすくめて困った表情で首を振った。
「それはさて置き、今日は何の用事なのかな?よかったら私に聞かせてくれないかな?」
 理事長、一ノ宮孝治は机の縁に軽く腰掛けて真面目な顔で二人に訊いた。
「今日はすんなりと本題に入らせてくれるんだね」
「このまま、里美ちゃんをからかって遊ぶのも楽しそうなんだけど、里美ちゃんがわざわざ訪ねてきてくれた理由も興味があるからね」
 里美は孝治理事長に事の経緯を話した。彼はそれを黙って、表情豊かに聞いていた。
「なるほど。見かけによらず、なかなか骨のあるお嬢さんなんだね、美奈子ちゃんは。それで、私にお金を借りに来たのかな?」
 それが違うことなどわかっていながら孝治は意地悪く訊いた。
「違います!美奈子がお金を稼げるように、バイトすることを許可して欲しいんです」
「校則は知っているね?」
 孝治は真面目な表情で里美と美奈子に訊いた。今までの軽い調子とは打って変わって威厳のある声に少し二人はたじろいだ。
「だ、だから、こうやって孝治お兄ちゃんに頼みにきたんじゃない」
「答えをまず言う。ダメだ。許可できない」
「そんな!孝治お兄ちゃんの力なら何とかなるでしょう?」
「なるならないは別問題だ。許可はできない」
「孝治お兄ちゃん!」
「里美ちゃん。それに美奈子ちゃんもよく聞いて欲しい。もし、ここで私が美奈子ちゃんのバイトを許可したとしよう。私にはそうする力が無いとは言えないからね。そしたら、他にお金を稼ぎたいと思っている生徒が、その噂を聞きつけて私のところへ許可を貰うためにやってくるだろう。生徒の来訪が増えることは私自身喜ばしいことだが、それをいちいち処理していたら大変なことになってしまう。わかるだろ?」
「……はい」
「それに、そんなことがまかり通るようになれば、校則が何の意味も持たなくなって、誰も校則なんて守らないようになる。何せ、自分に都合の悪い校則は私に許可さえ貰えば公然と無視できるんだからね」
「……」
「そうなると、私が校則となってしまう。どこかの野球の審判でもあるまいし」軽く笑顔を浮かべてすぐに真面目な顔に戻し、「それはいいことだろうか?どうだろう、美奈子ちゃん?」
「えーと、私のお父さんが言ってたことなんですけど、組織で上に行けば行くほど、権力とかを持てば持つほど、誰にも特別扱いはしたらだめだって。規律を守らせる側が規律を破るのが一番いけないことだって言ってました。だから、よくないことだと思います」
「なるほど。立派なお父さんだね」
「最近ちょっと壊れてますけど」
「里美ちゃんはどう思う?」
「……僕もよくないと思う」
 いつもの元気のいい里美とは思えない沈んだ小さな声でそう答えた。
「ありがとう。優秀な生徒で私は嬉しいよ。納得しなくても、理解してくれればそれでいい。後は自分の問題だからね」
 孝治は優しい笑顔を二人に向けた。
「美奈子……ごめん。僕……」
 何とかすると言っておきながら何もできなかったことへの悔しさか、孝治に言われた当たり前のことをわかっていなかった自分への軽蔑か、里美は色々なものが入り混じった顔で理事長室の床を見つめていた。
「気にしない、気にしない、里美らしくもない。元はと言えば、わたしの都合で悩んでただけなんだから。それに、他にどうにかできないわけじゃないしね。わたしのためにここまでしてくれたその気持ちだけで充分、ありがとうだよ」
 美奈子は落ち込んでいる里美の頭を撫でて笑顔でそう言った。
「……美奈子」
 里美は泣き出す一歩手前の顔で美奈子を見た。ふだんは男勝りで、自分のことを僕と言う彼女だが、こう言う表情をしていると、思わず抱きしめて守ってあげたくなる衝動に美奈子は駆られそうだった。
「理事長先生。お忙しいところをお邪魔してすいませんでした。この事は忘れてください」
 美奈子は抱きしめたい衝動を抑える為に孝治に向き直り、一礼すると里美を伴って退出しようとしたが、孝治が声をかけて、二人が退出するのを押し止めた。
「えーと、何か?」
「一つ、美奈子ちゃんに訊いていいかな?これからどうするつもりか、よければ聞かせてもらえないかな?」
「え、えーと……とりあえず、もう一度、お世話になってる家の人に掛け合ってみます。それで駄目なら、相原さんに来月まで待ってもらうようにお願いします」
「ふむ、それが最善の策だね」
「はい」
「さて、話は変わるが、私から美奈子ちゃんに頼みがあるんだ。私の知人がこの近くに喫茶店――『じぱんぐ』と言うんだが――それを経営していてね。そこの喫茶店、来週、バイトの子が休むらしいんだ。何でも、旅行に行くとかで。突然言われたから求人を出す間もない。しかも、一週間だけの短期。そこで、誰か手ごろな娘はいないかと今朝、私のところに相談があってね」
「はあ」
「どうだろう?美奈子ちゃん、そこのお手伝いに行ってくれないか?」
「え?でも、バイトは……」
「ボランティアで」
「孝治お兄ちゃん!」
 幾分落ち込みから回復した里美が孝治を非難するように名を呼んだ。来月のお小遣いをアップさせるために家事の分担を増やさなければならない美奈子にどうしてボランティアできる余裕があるのか。そう言いたいらしい。
「もちろん、美奈子ちゃんの働きぶりにいたく感激したオーナーがお手伝い終了時に心付けを渡すかもしれないが、それは学校側に報告する義務もないし、報告を聞かなければ関与しない。どうかね?人助けしてくれないかね?」
「なんで、わたしを?他の人とかも……」
「理由はまず募集する時間がない。次に私の親しい友人のところなものだから、いい加減な人間を行かせたくはない」
「わたしがどんな人間か……」
「一応、これでも教育に携わるものなんでね、人を見る目はあると思っているよ。それに、里美ちゃんにここまでさせる人物なら信用に値すると考えてるんだが、まだ足りないかな?」
「あの、いえ、その……」
「足りないのか……それなら、可愛いパンツを見せてもらったお詫びとお礼♪」
 美奈子は顔を真っ赤にして捲れ上がってもいないスカートの裾を抑えた。

「……それじゃあ、校長と向こうさんに連絡しておくよって、有無も言わせず決められちゃったんだ。だから、今週末と来週一週間は帰りが遅くなるけど心配しないでね」
 家に帰った美奈子は夕食の時に、理事長室での話を家族に報告した。
「その喫茶店知ってる!ウェートレスさんの制服がとっても可愛いんだよ。いいなあ、美奈子お姉ちゃん、そんなの着られて!」
 芽衣美が心底羨ましそうにそう言った。
「まだウェートレスすると決まったわけじゃないって」
「ううん、美奈子お姉ちゃんをウェートレスに使わない喫茶店のマスターが、可愛い制服を採用するはずないもの。安心して、絶対ウェートレスだよ」
 何を安心するかは聞かずに美奈子は微苦笑を浮かべていた。
「それなら、一度、働いているところを見に行かねばな」
「いいわね。ついでに美奈子ちゃんに何かおごってもらいましょう」
「あたし、ちょこれーとぱふぇ!」
「私はケーキセットがいいな」
「おいおい、アルバイト料がいくら入るかわからないんだぞ。そんな無茶を言ったらダメだ。それぐらい父さんがおごるから」
 琉璃香と芽衣美のたかりにさすがの賢治も苦笑を浮かべて、美奈子をかばった。
「あ、ありがとう、賢治さん。さすがは……」
 お父さん、やっぱり頼りになる。と続けるつもりだったが、その前に賢治が口を開いた。
「ところで、美奈子」
「はい?」
「写真を撮るぐらいはいいだろう?」
「……だめ」
「ええ!いいだろう?写真ぐらい撮らせてくれても!」
「駄目に決まってるだろう!そんなの邪魔になるし、迷惑になるじゃないか!そ、それに、恥ずかしいだろ!」
「可愛い娘の姿を可愛いままで永遠に繋ぎとめておきたいと思う親の心がわからんのか、嘆かわしい」
「僕は息子で、娘じゃないって!」
「だったら尚更!写真に残したいと思って当然だと思わんか?美奈子、いい加減わかってくれ」
「わかりたくもありませんよーだ!」
 舌を突き出してアカンベーをして美奈子は応戦した。その可愛らしさに賢治は魅了され、反撃もできずに美奈子に軍配が上がる所であったが、思わぬところから反撃を被った。
「美奈子ちゃん。また、乱暴な言葉を使ってるのね」
「え?あ!ごめんなさい」
 突然の琉璃香の参戦に完全に虚を突かれた美奈子は完全に相手に主導権を奪われた。
「ウェートレスするなら、言葉遣いをまずは改めないとお店の人が迷惑するわよ」
「たしかに、そうだな。可愛い女の子が男の子みたいな言葉で接客されたら、ごく一部の人たちには受けがいいけど、ほとんどは面食らうだろうな」
 賢治も魅了から復活して参戦。
「そんなの、ウェートレスするかどうか決まってないのに……」
「もしそうなら、どうするの?接客も満足に出来ない人を寄越したと理事長先生の面目丸つぶれ」
「お給金も出ないかもね」
 芽衣美まで参戦して、美奈子の敗戦色はいっそう濃くなった。
「出ない事はなくても少ない可能性はあるわね」
「……そ、それは困るよ」
「というわけで、こういう時は……」
「こういう時は?」
「特訓よ!」
「特訓?」
「……それじゃあ、私はホットミルクティーを」
 怪訝な表情をしている美奈子をよそに、琉璃香は何か本を閉じるような動作をしてそう言った。
「父さんはアイスオーレを」
 それに賢治が続き、
「あたしは、オレンジジュース」
 芽衣美まで加わった。
「は?」
「は?じゃないでしょう?注文を受けたら、繰り返して確認して、注文のものを作って、給仕でしょう?」
「い?」
「い?じゃないよ。あ、ウェートレスさん、ついでに、この皿、下げておいて」
 賢治もノリよくそう言った。
「って、食後のお茶の支度をわたしに押し付けてるだけじゃない!」
「あら?私は美奈子ちゃんのためを思ってよ。実際に何かあったほうが、気分がノルでしょ?」
「ウェートレスさん、ふぁいと!」
 芽衣美が拳を握って小さく頑張れのポーズで応援した。
「みんな、鬼だ」
 ぶつぶつ言いながらもちゃんと全員の食後のお茶を煎れて、洗い物までしてしまう美奈子はやっぱり、美奈子であった。

 そして、アルバイト初日の週末の土曜日。
 喫茶『じぱんぐ』のオーナー、守部登(もりべ・のぼる)はにこやかな笑顔を美奈子に向けていた。
 登は精悍な顔立ちの中年男性で、上背がある上に、何かで鍛えているのだろう、喫茶店のオーナーにしては不必要なほど引き締まった体つきをしていた。しかし、今はそんな精悍さは何処へやら、鼻の下を思いっきりのばしていた。
「いや、まさか本当に、女子中学生を寄越すとは思っていなかったよ」
「あの、ご迷惑でしょうか?」
「いや、そう意味じゃなくって、そうならありがたいが、多分、そんなことはないだろうなと思ってたもんでな。うん、さすがは孝治だ」
「はあ」
「それじゃあ、早速、これに着替えて」
 手渡されたのは赤みの強いピンクをベースにしたエプロンドレスであった。
「あ、あの、これって……」
「ここのウェートレスの制服だよ」
「えーと、そういう経験ないんですけど……」
「誰にでも初めてはある。接客は誠心誠意。お客さんの気持ちになって行動すれば大丈夫!失敗してもフォローするから」
 そこまで言われてはもう何も言えず、美奈子は制服を持って更衣室に向かった。
「従業員休憩室、ここだな」
 美奈子がロッカールームを兼ねている休憩室の扉を開けると下着姿の大学生ぐらいの女性が白のストッキングをガードルに止めていた。
「す、すいません!」
 美奈子は慌てて扉を閉めて、扉の脇の壁に背中をあずけた。
「び、びっくりしたぁ、女の人が着替えてるなんて……」
 美奈子はまだドキドキしている胸の動悸を抑えようと胸に手を当てた。手の平から少し硬いがふくらみを感じ取った。
(あ……自分も女の子だったんだ)
「何やってるの?」
 中で着替えていた女性が下着姿のまま、ドアを少し開けて、表にいる美奈子に声をかけた。
「あ、あの……」
「今日から手伝ってくれる子でしょ?オーナーに聞いてるわよ。さあ、入った、入った」
 彼女は美奈子の手首を掴むと強引に部屋の中へと引き込んで、扉を閉めた。
「え、えっと……」
「あたしは風島なぎさ。大学二回生。あなたは?」
「し、白瀬美奈子、中学二年です。よろしくお願いします」
「あははははは、本当に中学生雇ったんだ。オーナーやるぅ!」
「すいません、中学生で」
「むくれない、むくれない。可愛いお顔が台無し……でもないか、むくれたお顔も可愛いわよ。美人って得よね、あたしもいつも思うけど。まあ、何はともあれよろしくね、美奈子ちゃん」
「えと、こちらこそ、よろしくお願いします。風島さん」
「なぎさでいいよ」
 お互い自己紹介が終わり、美奈子も着替えを始めた。女の子の身体に慣れてきたとはいえ、いまだに朝の着替え、お風呂では赤面してしまう、体育の着替えなどは嬉しさよりも気恥ずかしさが先立って、隅のほうでこそこそとしている美奈子には大人の女性の着替えを真正面から見る度胸は当然なく、やっぱり、部屋の隅のほうでなぎさに背を向けながら着替えていた。
「へえ、結構いいプロポーションしてるわね。可愛いおしり♪」
「ひゃ!や、やめてください!」
 着替えが終わったなぎさが美奈子の背後から忍び寄って軽くお尻を撫でた。美奈子は突然のことにびっくりして、身をよじって逃げようとしたが、それより早く胸を後から鷲掴みのように掴まれた。
「お、結構胸もあるんだ」
「や!やめてくだひゃい!」
 背筋を変なものが走り抜ける感覚に少し腰が落ち、美奈子は必死にもがいたが、身体を密着されていてはそう簡単には逃げられなかった。
「このまだ少し硬い、青い果実みたいなところがまたいいわ。さすがは中学生♪」
「な、なぎささん。も、もう、やめて……」
 背中に押し当てられているなぎさの胸の感触で和久の男の理性は暴走寸前、胸から伝わる感触に男の感覚が困惑混乱。頭の中では上を下へ、男を女への大混乱でオーバーヒート寸前であったが、その前になぎさが体を離した。
「なぎささん?」
 期待していたわけではないが、あまりに突然のことで美奈子は怪訝な声でなぎさに問いかけたが、なぎさは人差し指を立てて唇にあて、「黙って」の合図をし、気配を消して、そっと入り口の方に移動した。
 なぎさはドアのノブに手を軽く添えて、これ見よがしに大きな声で、
「あーら、美奈子ちゃん。感じちゃったの?こんなに濡らしちゃって!」
「な、なぎささん!」
 美奈子は赤面して怒鳴ったが、そんなことは全く意に介さずに、なぎさはドアノブを引っつかんで回し、扉を内側に開いた。それに連れもって、黒い塊が室内へと転がり込んできたが、それを確認する間もなく、扉は閉じられた。なぎさの全身のばねを使って繰り出されたローリングソバットによって。
 あまりの強力な蹴りによって一度閉じた扉が反動で再び開いた向こうには鼻血を流して廊下に倒れている登の姿があった。扉には心理テストで見せられるような形の血痕がついていた。
「オーナー!覗きはダメだって言ったでしょう!」
「あんまり遅いから様子を見に来ただけだ。だけど、女性の着替えている最中に不躾に入ってはいけないと思ったから、そっと中の様子を伺っていただけだ!」
 鼻をハンカチで押さえながらもオーナーは反論した。それ以外は何処も大丈夫らしい。よく鼻の骨が折れなかったものだと美奈子は変なところに感心した。
「それなら、外からノックして『着替えは済んだか?』とか言うだけで充分でしょうが!」
「それでは男のロマンが……俺の右脇腹の浪漫回路が満足せんのだぁ!」
「バカ野郎!」
 なぎさはなぜかそこにあったサバ缶を投げて、登を見事に撃沈した。
「現役女子中学生を弄ぶなんて滅多にない機会だったんだぞ!しかも、美穂みたいに洗濯板じゃない女子中学生!あたしの青春を返せ!」
(怒りの原点はそこなのか……)
 拳を握り締め、天井を仰ぎ見て心底悔しそうにするなぎさと、廊下にだらしなく横たわる登を見て、美奈子はもはや呆れて物が言えなくなっていた。
「なんだよ、登おじさん、またなぎささんの着替え覗こうとしたのかよ。まったく、ちょっとは進歩しろって」
 美奈子が乾いた笑顔を浮かべていると、登と同じ黒のベストに蝶ネクタイをした少年があきれた声でそう言って部屋の前までやってきた。
「に、西脇……君?」
 美奈子はその少年の名前、和久だった頃よくつるんでいた友人の名前を口にした。
「し、白瀬さん?!」
 少年は部屋の中に美奈子の姿を見つけて、彼女を指差したまま固まっていた。
 団結力がある二年二組といえども男子と女子の間にはやっぱり何かしら隔たりがあり、それに仲良く話などしていようものなら、「お前ら付き合ってるんじゃねーの?」などと茶化しに来る奴が一人や二人は絶対いるので、和久も美奈子になって以来、西脇を始めとする男の友人とあまり会話できずにいた。
 そんなこともあってか、美奈子は毎日学校で会ってはいるが、妙に懐かしさを覚えた。
「どうして、白瀬さんがここに?」
 依然固まったままの西脇が尋ねた。
「理事長先生にここの手伝いを頼まれて……西脇君は?」
「お、おれは、登おじさんの手伝い。登おじさんは俺の叔父になるんだよ」
「へえ、そうなんだ」
「うん、そうなんだ」
「……」
「……」
 美奈子は、西脇が依然固まったまま瞬き一つせずに自分を凝視していることが不思議に思い、その原因となっているだろう自分の姿を見るために視線を落とした。
 その途端、顔面の毛細血管が精一杯広がり、立っていられなくなるような羞恥心が全身を駆け巡った。自分でも信じられないくらい女の子な悲鳴をあげてその場にうずくまった。
 その悲鳴で西脇の金縛りも解け、理性を取り戻した彼は回れ右すると美奈子に背中を向けて「ごめん!」と謝って、走り去った。その際に登を踏んで行ったが、おそらく、踏んだ方も踏まれた方も憶えていないだろうから、問題になることはないだろう。
 何とか騒動も一段落し、美奈子はなぎさに教えてもらいながら、白いストッキングを履いてガードルに止め、パニエを身に付けドレスを被り、襟に赤いリボンを結び、エプロンを身につけて、髪の毛を纏め上げて、フリルカチューシャを頭につけて、鏡の前で全体をチェックした。
「な、何だか恥ずかしいですね、これ」
 鏡に映る自分の姿に照れながら美奈子は感想を漏らした。
「そのうち慣れるって。よく似合ってて、可愛いわよ。思わず襲いたくなるぐらい」
「やめてくださいね」
「何言ってるの。女同士の戯れじゃない」
「そっちはその気でも、こっちは違うんです」
 確かに元男の美奈子には違った。
「もしかして、その年でもうその道に目覚めたの?そりゃ、本気になられたら、あたしも困る」
「ち、違います!」
「まあ、嗜好は人それぞれだから、がんばりなよ。だけど、あたしは勘弁ね」
「だから違うって!」
「さて、また覗きに来ないうちに行きましょうか」
 美奈子の抗議は無視してなぎさはさっさと休憩室を出て店内へと移動した。美奈子も文句を言いたげにその後を追った。
「おお。美奈子ちゃん、似合ってるじゃないか。なあ、彰(あきら)?」
 登は鼻にバンソウコウをしてカウンターに立っており、その隣にいた西脇彰に話を振った。
「ああ、……うん……」
 彰は照れているのか下を向いて曖昧な返事を返した。そんなに恥ずかしがられては着ている美奈子の方が余計に恥ずかしくなって、俯いて小さくなって赤面し、小さな声で「ありがと」と返すだけが精一杯だった。
(まさか、西脇の前でこんな格好を晒すとは思ってもいなかった)
 向こうは美奈子が和久とわからなくても自分がそう感じてしまい美奈子は赤面したままであった。
「ほらほら、そんなのじゃ、仕事にならないでしょう?いくらお手伝いでも、これは仕事。仕事は仕事。割り切らなくちゃ。恥ずかしがってちゃ駄目。いい?」
 なぎさは美奈子のお尻を軽く叩いて背筋を伸ばさせると今までにない少しきつめの語気で美奈子に言った。
(そうだった。ここで恥ずかしがって、何も出来なかったら、お給料もらえなくなって、何しに来たのかわからなくなっちゃう)
 美奈子は自分自身のスイッチを切り替えて、気合を入れ直した。
「はい!わかりました」
 決めるまでは時間がかかるが、一度決めたら迷わない美奈子は先ほどとは別人みたいにしゃきっとして、なぎさに返事をした。
「うん、いい表情よ。やっぱり、女の子は切り替えが早いわ。彰君もいつまでも恥ずかしがってちゃ駄目よ。あなたが恥ずかしがると美奈子ちゃんも恥ずかしいんだから」
「う、……うん」
 まだ照れている彰はなぎさにも曖昧な返事を返した。それを聞いてなぎさは美奈子に向かって肩をすくめて苦笑を浮かべて見せた。やっぱり、男の子はだめね、と言いたげに。それに対して、元男の美奈子は苦笑を浮かべるしかなかった。
 その後、美奈子は仕事の手順などを説明されたが、一度で全部覚えられるはずもない。しかし、よく飲み込めていないうちに「習うより慣れろだ!」と実戦投入された。
 そんなわけだから、
「ご注文はトンカツサンド、ハムトースト、焼きそばパン…(中略)…アイスコーヒー3つ。以上でよろしいですね」
「違う違う。アイスコーヒー3つじゃなくて、アイスコーヒー1つにアイスレモンティー2つ」
 など注文を聴き間違ったり、はたまた、
「すいませーん。イタリアンスパゲティーを注文されたお客様はどちら様でしょうか?」
「おねえちゃん!こっち、こっち!」
 などと注文を受けたテーブルを忘れて何処に持っていけばいいのか迷ったり、さらには、
「ご注文はおき……あ!も、申し訳ありません!」
「あ、いいよ、いいよ。服にはかからなかったし」
 パニエで広がったスカートの裾を計算に入れていなかったためにコップを引っ掛けて水をこぼしたり、後は
「ありがとうございます。ブレンドコーヒー2杯で700万円になります……あれ?」
「なんでやねん!」
 と言う風にレジスターの操作を間違って吉本新喜劇的な値段を請求してみたり、他には、お皿を片付けようとして落として割ったり等、数々の失敗を繰り返していった。

ミーナ第4話 もぐたんさん

イラスト:もぐたん さん

「しかし、今日はやたらとお客さんが多いな」
 登はひっきりなしにやってくる客の多さに喜びながらも、何かイベントでもあったかな?と考えをめぐらせていた。もちろん、思いつくものもなかったが。
 そう思っているところへまた扉のベルがカラコロと音を立て開いた。
「いらっしゃいませ!……って、ヨーコちゃん?!」
 扉を潜って入ってきたお客さんを見て美奈子は接客にあるまじき素っ頓狂な声を出した。
「あら、美奈子ちゃん?!どうしてこんなところに?」
 来店した庸子に、美奈子はタオルのためにお金を稼いでいることがばれたのではないかなど色々と勘ぐってみたが、どうやら、彼女の方も美奈子がここで働いていることを知らなかったようで、驚いているのを見てとりあえずは胸を撫で下ろした。
「理事長にここの手伝いを頼まれたのよ。それだけ。本当に、それだけの話」
 美奈子はやっぱり嘘をつくのは気が引けて、少し不自然だったが、半分だけ本当のことを言った。
「はあ、そうなんですか。わたくしはおじい様に、可愛い制服の店を取材してくるように頼まれまして。それで、その取材の途中で、『ドジっ娘で可愛いウェートレスさんのいる喫茶店』があるとそこで聞いたものですから、来てみたのですけど……もしかしなくても?」
 そう言ってウェートレスの制服に身を包んだ美奈子を指差した。
「あはははは、確かにドジっ娘ウェートレスさんだったわよ。見せてあげたいぐらい」
 なぎさが豪快に笑いながら美奈子の失敗の数々を庸子に話して聞かせた。
「ああ!そんなことでしたら、もっと早くやって来ればよかったですわ。折角ビデオも持っていましたのに!」
 庸子は心底悔しそうにしてカバンの中からビデオカメラを取り出した。
「ヨ、ヨーコちゃん……」
「そんなに見たいのなら、見れなくもないよ」
 それまで黙っていた登が会話に加わった。
「本当ですか?!」
「うちの防犯ビデオはカラーで音声付♪」
「オ、オーナー!」
「ダビングしてください。お願いします」
「本当はダメなんだけど、誰にも見せないって約束してくれるんならいいよ」
「します!します!わたくし、個人的に楽しめればよいだけですから」
「それじゃあ、やっておくよ」
「きゃあ!やった!ありがとうございます。ダビングできましたら、ここに連絡くだされば、すぐに取りに参ります」
 庸子は普段の落ち着いた雰囲気は何処へやら、ぴょんぴょん飛び跳ねて喜び、自分の名前と連絡先を書いた紙を登に渡した。その後、庸子のビデオカメラで美奈子の働く姿をひとしきり撮影していた。
「ありがとうございました」
「ご馳走様でした。それじゃあ、美奈子ちゃん。また明日も来ますわ」
「はははは、ありがとう」
 もはや笑うしかない美奈子はちょっと乾いた笑いを浮かべて、うきうきの庸子を見送った。

「ん?キャベツと玉ねぎ、にんじんをそろそろ補充しておかないとダメだな。豆も……オリジナルとブルマンが切れかけてる。美奈子ちゃん、彰、悪いが、裏の倉庫からちょっと取ってきてくれないか?ついでにちょっと休憩してくるといいよ」
 登はお客さんが一段落着いたところで、予定以上の来客で減った物資を補充するために二人を倉庫に派遣した。
「はい。ありがとうございます。いこ、西脇君」
 美奈子は彰を誘って裏手の路地へと出た。エアコンは効いていない屋外、少し気温は高かったが、風があるのでそれほど不快でもなく、人工的な快適な環境よりも少しぐらい快適でなくても、自然の方が好きな美奈子には心地よかった。
「でも、おどろいた…わよ。まさかこんな所で西脇君に会うなんて思ってもみなかった」
「俺もだよ。無茶苦茶びっくりした」
「でも、コーヒー煎れるの上手だね。尊敬しちゃうよ」
 和久の時も知らなかった彰の特技を知って美奈子は尊敬の眼差しを彰に向けた。
「あ、ああ、結構好きだったから小学生の頃から煎れてたんだ。変だろ?コーヒー好きの小、中学生なんて……だから、あんまり、誰にも言ってないんだ」
 彰は照れくさそうにそう言うと頭を掻いて照れ隠しした。
「ううん、そんなことないよ。とっても大人って感じがするよ。それに、わたしは苦いのがあんまり得意じゃないけど、西脇君の煎れたコーヒーはおいしかったよ」
「ありがとう。でも、まだまだ、登おじさんには敵わないけどね」
「向こうは年の功。こっちは若さで勝負しなくっちゃね」
「それもそうだな。……俺、将来、喫茶店のマスターになるのが夢なんだ。何だか地味な夢で恥ずかしいけど」
「そんなことないよ。立派な夢だよ。わたしなんて、何にも将来のこと考えてないから、それに比べたらお釣りがくるほど立派と思うよ」
「そ、そうかな?」
「うん、そうだよ。それに、西脇君なら絶対、いい喫茶店のマスターになれると思うよ。わたしが保証する」
「何だか、そう言ってもらったら、自信が出てきたな。よーし、頑張るぞ!」
「その時はわたしも常連さんになるよ。だから、安くしといてね」
「ああ、もちろん。……あ、それで、あの……」
「あ、もうこんな時間だ!そろそろ、品物もって戻らないとオーナーが怒っちゃうよ」
「……そ、そうだね」
「ん?あ、ごめん。さっき、何か言いかけてた?」
「ううん、なんでもないよ。あ!倉庫の鍵を持ってくるのを忘れてた。ここで待ってて、取って来るよ」
「うん」
 美奈子は彰が何を言いかけていたのか考えたが、何も思い浮かばずに倉庫の前で一人ボーと待っていた。
「おじょうさん」
「はい?」
 一向に戻ってこない西脇を呼びに行こうか迷っていた美奈子に一人の中年男性が声をかけてきた。四十代前半ぐらいで頭に少し白髪が目立ち始めたが、額の後退はまだ始まっていないが、顔の表面には脂が浮き、こってりとした印象は受けさせる。身長は平均よりも高めだが、少し小太りなためにそれほど高くは見えず、どちらかと言うと太った印象を強く受けた。
「君はそんな格好をして、それは私を誘惑しているのだね」
「え?なんのことですか?」
 その中年男性は舌なめずりしながら美奈子に近付いてきた。美奈子は生理的嫌悪感で、一歩後退した。
「かまととぶっても無駄です。私には君が私を誘っていることがわかるのです。なぜなら!私はウェートレスさんが好きなのだから!」
「ちょ、ちょっと!な、なんなんですか!」
 いきなり逝っちゃっている中年男性に美奈子は身の危険を感じ、店の中に逃げ込もうとした。しかし、見た目とは裏腹に中年男性は素早く、美奈子の退路を切断した。
「逃げようとしても無駄です。離れれば離れるほど私に近づいているんです。だって地球は丸いんだもーん」
(ああ!また変なのが!平穏な日常がぁ!)
 美奈子は、ここは変身するしか、逃れる術はないのかと諦めかけたその時。
「お待ちください!」
「はへ?」
 声のした方を見ると路地に並ぶ五つの影。それぞれ外食産業のフロアースタッフの制服に身を包んだ女性たちが立ち並んでいた。
「にっこり笑って、お客に接し」
「かわいい仕草でお客を魅了」
「些細な失敗、笑顔でカバー」
「お気楽仕事に見えるけど、結構ストレス溜まってます」
「ストレス溜めても笑顔は絶やせぬ過酷な職業」
「そんなウェートレスの守護神!我ら、ウェートレス五人衆!ここに見参!」
 とっても恥ずかしい自己紹介を終了すると更に恥ずかしい決めのポーズをして、静止。ここで背後に爆発でも起こればまさに特撮戦隊物である。
(ちょっと!爆発が起きないじゃないの)
(昨日の雨で火薬が湿気ちゃったのよ)
(ああ、もう。外装ケチるから!)
(仕方ないでしょう!予算少ないんだから!)
(それよりどうするのよ、結構、このポーズ疲れるんだけど)
 誰もいない静かな路地ではひそひそ話もよく聞こえるもので、美奈子は「また、ややこしいのが出てきた」と辟易していた。
「何だね、君達は?君達は私の邪魔をするのかね?それなら、例え可愛いウェートレス姿といえど容赦はしないよ!」
 美奈子と違ってオヤジの方は、せっかくよいところを邪魔されてずいぶんとご立腹で五人に抗議した。
「まあまあ、そう言わずに、お客様。ご注文は?」
 その抗議によってやっと静止ポーズから開放された五人はホッと一息つきながら、ちょっと卑屈にそう言った。
 これはチャンス!と美奈子は
「助けて!」
 そう言おうとしたが、それよりも先にオヤジが注文してしまった。
「帰ってくれたまえ。以上だ」
「以上でご注文はよろしいでしょうか?それではご注文を繰り返します。『帰ってくれ』一つ。以上でよろしいでしょうか?」
「ああ、早く帰ってくれ」
「かしこまりました」
 五人は一斉に頭を下げるとそのまま帰ろうとした。口々に「今日は楽だったね」「いつもこうだといいんだけど」などと言い合っているところを見ると本当に帰ってしまうらしい。
「ちょ、ちょっと待って!助けに来てくれたんじゃないの?」
 美奈子はこの際、ワラでも何でもすがりたい気分で五人を呼び止めた。
「でも、お客様のご注文ですし」
 五人のウェートレスは立ち止まって振り返り、その内の一人が困った顔をした。
「この人はお金を払っていないからお客じゃない」
「ああ、なるほど」
 困った顔をしていた女性がぽんと手を打った。
 しかし、オヤジは財布から素早くお金を出して福沢諭吉を五人、扇状に広げて見せた。
「「「「「毎度ありがとうございます」」」」」
 五人の綺麗なハーモニーが路地裏に響いた。
「正義の味方が買収されるな!」
「だって、あなたがお金を払っていないからお客様でないと言うから、こうなったんじゃない。買収じゃないわ。商売よ。あなたも他人ばっかり頼らずに自分の力で何とかするように努力なさい。それが、天があなたに与えた試練です」
 ウェートレス五人衆はそう言い残して、福沢諭吉を連れて立ち去ってしまった。
「さて、邪魔者もいなくなった。五万円も払ったんだ。存分に楽しませてもらうよ」
「わたしは貰ってない!」
「そんなのは君の勝手だ。私が五万円払ったことには変わりはない」
「それこそ、あなたの勝手でしょうが!」
「ああ、そうだ。だから勝手にさせてもらう」
(くそ!また、自分で何とかするしかないのか!)
 美奈子は覚悟を決めて、手にバトンを出現させた。
 赤みの強いピンクが黒へと色を変えつつ、身体のラインにぴったりするものへと変化し、袖が手にそって解け落ちて肘まである長手袋へと姿を変え、白いストッキングが黒いロングブーツになっていた。黒髪が金髪に変わり、今回は纏め上げていたので髪がまとまるシーンはカットされた。
「魔法少女、ラスカル☆ミーナ。悪い心に惹かれて参上です!」
 ミーナは名乗りとポーズを決めた。そこまでして、ミーナははっと我に返った。
(し、しまった!芽衣美ちゃんに無理矢理、練習させられた登場シーンを無意識にやっちゃった!)
 ポーズのまま固まっているミーナ。事態についていけず硬直するオヤジ。間抜けな一幅の絵画が路地裏に展示公開されていたが、すぐにそれは取り払われた。
「き、きみはなんだ!何処から湧いて出た!私の、私のウェートレスさんを返せ!」
 幼児のように手をぐるぐる回しながらオヤジはミーナに襲い掛かってきた。
「だ、誰がお前のものだ!いっぺん自分がセクハラされろ!」
 ミーナは襲い掛かってくるオヤジに、バトンに力を込め、ハリセンにすると、光の軌跡を残しながらカウンター気味に叩き飛ばした。
 オヤジの背広がショッキングピンクの色に変わったかと思うとエプロンドレスへと変化して、頭にフリルカチューシャが生えると、メイド型ウェートレス変態オヤジバージョンが出来上がり、そこから一気に、髪の毛が淡いピンクに変色すると腰まで伸びて、腕はか細く、脚は滑らかに、首は細く、顔は小さく、瞳は大きく、唇は柔らかく、鼻は愛らしく、頬はふっくら、胸は膨らみ、腰はくびれ、お尻は丸く愛らしいウェートレス少女の姿に変身した。もちろん、片手にお盆とコップ、反対の手にはお冷のポットが握られていた。
「やった!成功よ!」
 思わぬ方向から歓声が上がってミーナはそっちを振り向くと、そこには先ほど風のように現れて、オヤジから五万円を掠め取って去って行ったウェートレス五人衆の姿があった。
「ありがとうございますぅ、スカイチーフ」
 ウェートレスオヤジはちょっと舌足らずなソプラノボイスでそう答えた。
「なかなかよくってよ、広沢」
「これも全部、ロイヤルチーフの計画が完璧だったおかげですぅ」
「ふふふ、でも、まだこれは第一段階。これからが本当の勝負よ」
「わかってますですぅ、フジチーフ」
「今回は上手くいきそうですね、グランドマネージャー」
「当然よ。今回はいつもと元手が違うもの」
「当然ですぅ。私たちの理想は全人類総ウェートレスさん化。その理想が叶うためにはいくらつぎ込んでも惜しくはないですぅ」
「それじゃあ、第二段階作戦はわかっているわね?」
「もちろんですぅ、マクドチーフ」
「それじゃあ、ウェートレス広沢!発進!」
「広沢、行きまーす!」
 ウェートレス広沢は路地からカタパルト発進されるかのごとくダッシュで表通りに駆け出して行った。五人衆もその後を追うように路地を後にし、その一人のポケットから封筒がひらりと舞い落ちた。
 事態がまったく飲み込めずに一人置いてけぼりを食らっていたミーナが、とりあえず、その封筒を拾い上げて、どうやら何かのダイレクトメールのようだが、既に開封されているその中身を取り出して広げた。
「え?えーと……『全日本ウェートレスマニア振興協会御中
 草木も深緑を増す……(前略)……さて、この度、当研究所ではあなた方の計画をより現実的に実行するためのお手伝いをするサービスを開始いたしました。どんなことでもさせられる悪の魔法少女を破格の値段でレンタルいたします。
 悪の魔法少女?我々は正義と真理の使者だ。そんな者の手は借りない。そう仰るところもあるかと思いますが、悪の魔法少女なのですから、どんなに利用してポイ捨てしても、まったく良心の呵責を感じる必要はありませんし、正義と真理を実行するために利用されたのなら、悪の魔法少女も少しは世間の役に立つというもの。それに、正義のためなら多少の手段は正当化されます。
 しかも、悪の魔法少女といえども、まだ子供。手玉にとるぐらいは他愛もありません。もし、計画に万全を尽くしたいと言うことでしたら、こちらで作戦立案もいたします。お気軽にご相談ください。
 この機会にあなた方の夢を実現してみませんか?
暗黒魔法少女 ラスカル☆ミーナ 主な能力:
他人を伝染性変身させられる。もしくは限定変身魔法の使えるようにさせられる。
連絡先 暗黒魔法少女研究所……所長 マコト』って、これって?真琴お姉さまの仕業?!……どうあっても平穏な毎日を送らせてくれないのか……くそ!」
 だって、じーとしてたら全然事件とか起こしてくれそうにないんだもの。そう言う声が聞こえてきそうだが、ミーナはダイレクトメールを握りつぶして、その場に捨てると表通りへと急いだ。
(とにかく!騒動が大きくならないうちに、あの広沢とかいうオヤジの魔法を解いてしまおう)
 そうミーナはウェートレス広沢達の後を追ったが、それは少し遅すぎたようだった。彼女が表通りに着いた時には既に通りはウェートレスでごった返していた。
「いらっしゃいませぇ」
「?なんだね、きみは?店に入った覚えはないよ」
「まあ、そう言わずに。お水は如何ですか?」
「いや、結構だ」
「ええ?!飲んでくれないんですかぁ?ぐすっ……エリカの、エリカの接客が悪いからなんですね……」
「い、いや、そんなことは……わ、わかった。水を飲むだけでいいんだね。飲むから、泣かないでくれ」
 そうして、中年サラリーマンは水を飲むとくるくる巻き毛の可愛いウェートレスさんに変身してしまった。
「さあ、新しいお客様をゲットするのよ」
「はい、お姉さま」
 こうして、次々とウェートレス化が進んでいく。しかも、飲ませなくても水をかぶせるだけでも効果があるらしく、派手に転んで、ターゲットに水をぶっ掛けて変身させているウェートレスもちらほらいた。
 通りは状況を飲み込めずに右往左往する人と、騒ぎを見に集まってきた野次馬達で混乱を極めていた。
「くそ!これじゃあ、どれがウェートレス広沢かわからないじゃないか!」
 人が多い上にコスチュームは統一性がなく、種類は千差万別である。ミーナはそれでも何とかウェートレス広沢を捕捉しようと周囲を見渡して探した。
「すごいすごい!見る見る人がウェートレスさんに!」
「このペースで行けば、『全人類ウェートレス化計画』なんてすぐに達成してしまいますね」
「ああ!ついに長年の夢が適う時が来たのね」
 歩道の花壇の上に仁王立ちするウェートレス五人衆を見つけたのはそんな時だった。
(あいつらを人質にとって、おびき出すしかないか?)
 ミーナは最も効率のよい作戦を思いついたが、何だか考えることが悪役じみてきた自分に嫌気を感じて、実行しようかどうか逡巡していると、
「人の迷惑顧みぬキャッチセールスお断り!無理矢理人を変身させる悪逆非道のその蛮行!黙って見過ごしてなんかいられない!」
 聞き覚えのある声と口調がミーナの耳に響き、そちらの方を振り返ると、円柱型ポストの上に見覚えある派手な衣装に身を包む少女が立っているのを見つけ、ミーナは目眩を覚えた。
「愛と正義と良心の魔法少女、ファンシー・リリー!オーダー無しでも即参上!」
 リリーはポーズをとろうとしたが、ポストの上ではバランスが悪いので上半身のみの中途半端な格好でかなり不細工なものだった。
「正義の魔法少女?なんでそんなのが出てくるのよ?」
 ウェートレス五人衆は口々に帰れコールをリリーに浴びせた。
「世の中全員ウェートレスになったら、一体誰に給仕するのよ!世の中全員失業者にするつもり?」
(いや、それもそうだが、それ以前の問題だろう?)
 ミーナは心の中で突っ込みながらも、ここで出て行こうかどうかタイミングを計っていた。
「う、うるさいわね!そんなのはなってから考えればいいのよ!」
「無計画この上ないわね!」
 リリーに言われたらお仕舞いなような気がしたが、無計画なのは確かだった。
「その点、私なんかは作戦ばっちり!大元の変身したウェートレスがどれかわからないように隠しているようだけど、そんなことは無駄よ!」
 リリーはそう言って、バトンを振って雷撃を加えた。攻撃目標はウェートレス五人衆の一人。
「な、なにするのよ!」
 ロイヤルチーフと呼ばれていた女性が雷撃で黒焦げになって倒れて、足の先を痙攣させていた。当然と言える抗議が四人になった五人衆からリリーに浴びせられたが、リリーはそれを無視して、周りのウェートレスに向かって大声で呼びかけた。
「さあ!最初に変身させられたウェートレスさん!早く出て来ないと大事な幹部の人たちが黒焦げになるわよ!」
「せ、正義の味方が脅迫するな!」
「正義のためなら多少の手段は正当化されるのよ♪」
 リリーはバトンを振って更に一人、今度はスカイチーフと呼ばれていた女性を屠った。三人になった五人衆は顔面蒼白、戦々恐々であったが、その一人、マクドチーフが思い出したように口を開いた。
「そうだ、私たちにはラスカル☆ミーナがいたんだ!ラスカル☆ミーナ!でてきて、あの無茶苦茶な魔法少女をやっつけちゃいなさい!」
 その途端、全員の視線がミーナに集中した。群集の中でよく見つけられたものだと思ったが、周りは全員ウェートレス姿。それ以外の服装をしているミーナを見つけることなど他愛もないことだった。
「ラスカル☆ミーナ!また、あなたの仕業なのね!」
「仕業というか、なんと言うか……」
 ミーナはしどろもどろでなんと答えていいか迷っていた。
「言い訳無用!この間の崖から落とされた分も含めてきっちり借りは清算させてもらうわよ!」
「そ、それはわたしじゃない!」
「問答無用!行くわよ!ウッちゃん!準備オッケー?」
「もちろんだよ、リリー」
 ぬいぐるみ犬のウッちゃんは大きな耳を奇妙に丸めて耳に入れていた。絵的にはかなり変であるが、妙に自信満々である。
「ふふふ、喰らいなさい!新必殺技!広域魔法『爪黒板』!」
 そう言うとリリーはポシェットの中から黒板を取り出してそれに爪を立てて思いっきり引っ掻いた。
 魔法によって増幅させられたその音が周囲の人間の鼓膜を震わせて、神経を障りまくった。耳を塞いで逃げようとする者、力が抜けてその場でうずくまる者、希にだが、恍惚としているものもいた。
 ミーナも決して例外でなく、両手で耳を押さえて、眉間にしわを寄せた。背筋が気持ち悪く、全身が粟立ち、腰が落ちるのを何とか我慢していたが、大音量で響くあの音にいつまで耐えられるか自信はなかった。
「ふふ、効いている。効いている。どんどん行くわよ!」
 ウッちゃんに耳を塞いでもらっているリリーは音の影響を受けずに心行くまで黒板を引っ掻き回した。
 攻撃しようにも両手を耳から離せば、その途端、力が抜けてその場にへたり込みそうで怖くて離せない。
(そうなると、足技か……でも、この格好で蹴るのは……パンツが丸見えになるから、いやだなぁ)
 それでなくても、今回は下着姿を二度も晒しているのでミーナもさすがに躊躇った。
 二度あることは三度ある。行け!ラスカル☆ミーナ!みんなのために。大丈夫!文章だから見えやしないさ。想像されるだけだって。
 何処からともなく、そんな声が聞こえてきそうだが、それはさて置いても、このまま手をこまねいて負けてしまったら、「手抜き」になってしまうかも知れず、どうしようかミーナは心の中で葛藤を続けていた。
 葛藤を続けているミーナの肩をぽんぽんと誰かが叩いた。彼女が後を振り返るとそこには猫耳メイド姿の芽衣美、マイティー・メイが平然と立っていた。
『ミーナおねえちゃん。助けに来たよ』
 テレパシー領域も不快音で満たされているのでテレパシーも使えず、落書き帖に筆談でメイが呼びかけた。
『何で平気なの?耳が四つもあるのに』
 落書き帖とペンを受け取り、ミーナは耳を塞いだまま器用にそう書いた。
『耳栓してるからだよ』
 メイが黄色いスポンジのようなものを取り出してミーナの耳に入れてあげた。
『なるほど。これでひらめちゃんの歌も……じゃなかった、両手が自由に使えるわ』
『それじゃあ、ぱぱっと済ましちゃおうよ。今日の晩御飯は鮭のホイル包み焼きだよ』
 リリーは自分の技に陶酔して周りを見ていない。ウッちゃんがメイの出現に気がついてリリーに注意を喚起しているが、耳を塞がれていては聞こえない。テレパシーも使えないので、気が付くわけがなかった。
 すたすたと近付いてくるミーナとメイにウッちゃんは一人恐怖していた。
 残り20メートル。リリーは快調に黒板を引っ掻いている。
 残り15メートル。ウッちゃんの顔が青ざめてくる。
 残り10メートル。リリーはシンフォニーホールで独奏するヴァイオリニストのように恍惚と自分の世界へと入っていた。
 残り5メートル。ウッちゃんはついに意を決して、リリーの耳を塞いでいる手を離して、リリーに警告した。
「リリー!ミーナとメイが近付いてきてるよ!目を覚まして!」
 しかし、突然、音源の一番間近でダイレクトにその不快音を聞かされたリリーは警告を理解するよりも早く、その音に精神の奥まで侵食されてその場にへたり込んでしまった。
「リ、リリー!」
 ウッちゃんは自分の行動の間違いに気がついたが、既にその時は遅く、アッパースイングで繰り出されるミーナのバトンによってリリーはお星様へと変わっていた。
「リリー!ミ、ミーナ!無抵抗の人間を攻撃するなんてひどすぎるぞ!ジュネーブ協定で訴えてやる!」
 ウッちゃんは遠くできらりと光るリリーを追いかけて全速力で追いかけた。余裕はないはずなのに捨て台詞は忘れないところが律儀であった。
『さて、それじゃあ、ウェートレス広沢を探すとしましょうか』
『ミーナおねえちゃん。もう、耳栓外せば?』
「あ、そうだった」
「ところで、ウェートレス広沢って誰?」
「周りの人たちをウェートレスに変えた元凶。そいつの魔法を解けば全員元に戻るから、メイちゃんも一緒に探して」
「周りの人って、全員普通の人だよ」
「へ?」
 リリーに気を取られていて周囲を見ていなかったが、道で脱力しているのは普通の格好の人ばかりでウェートレスなど一人もいない。
「くそ!広沢があの音に弱いことを知って仕掛けてくるとは、ファンシー・リリー!やるわね。今日は一時撤退よ!」
 グランドマネージャーが正体を無くしてヘロヘロになって、元の中年男性に戻っている広沢を引きずって、他の二人が黒焦げの二人を背負って徒歩で撤退して行った。
「やっぱり、車ないと辛いですね、グランドマネージャー」
「今回の費用にうっぱらったから我慢しなさい」
「貧乏は辛いですね」
「言うな!モットーは欲しがりません、勝つまではでしょう?」
「何だか悲しいですね、それ」
 夕日に向かって撤退していく全日本ウェートレスマニア振興協会の全構成員はミーナが追い討ちをかけるのも躊躇うほど、哀愁に満ちていた。
 こうして、喫茶『じぱんぐ』前ウェートレス騒乱事件は収拾した。
 この事件がきっかけとなり、毎年、事件のあったこの場所でウェートレスカーニバルが開かれるようになったのはあまりにも有名な話であり、これは後世の歴史家も認める全日本ウェートレスマニア振興協会の功績だが、それが語られるのはまだ少し先の話であった。

すぐに続く

二話一挙公開だけど次回予告!
漆黒の闇に咲く一輪の赤い薔薇。血のように赤く美しく、その美しさに惹かれた者はその刺の犠牲となる。
悪の組織の紅一点。無意味な高笑いも高露出も高飛車もあなただったら全てオッケー。
毒々しいコスチュームに身を包む、残忍非常な情熱家。
次回、第5話!なんたって女幹部!!
お楽しみに!

あとがき
 どうも、今回も長い乱文を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。南文堂です。
 今回は何だか笑いも萌えも少ないようで、すいません(萌えが少ないのはいつものことでした(汗))しかし、中学生にバイトさせるって難しいですね。こんなことなら高校生にすればよかった……それじゃあ、魔法少女にはちょっと、とうが立ちすぎる?(笑)
 最後になりましたが、私の拙作に快く出演許可をしてくださいました、ジャージレッド様、みるくせーき様に心より感謝いたします。ありがとうございました。




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