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 さあ、貴方は“むしょう(無性)”に6章までを読みたくなる、読みたくなる×10……
桃香「そんな催眠術にかかるのは瑞巴ぐらいよ」
瑞巴「とか言いながら、なんで第一章のファイル開いてるんだ?」
桃香「えっ! いつの間に!」




お憑きあいしましょう

作:南文堂




第7章

 キーンコーンカーンコーン
 チャイムが校内に鳴り響くと各教室が一斉に賑やかになった。帰る準備をする者、クラブへ行く準備をする者、友達と帰り道に寄り道する先を相談する者、それぞれ放課後の準備でおおわらわであった。
 そして、松前佐代子と珠久瑞香は、剣道場の隣にある女子更衣室で体操着に着替えていた。
「いよいよ、今日からマネージャーだね」
 佐代子はリボンタイを外しながら、弾むような口調で瑞香に話し掛けた。
「うん、そうだね」
 しかし、瑞香は抑揚のない声でそう答えて、沈黙してしまった。
「なんだか、ドキドキするね」
「うん、そうだね」
 佐代子は変わらずちょっと高めのテンションで話を続け、瑞香の方を見たが、彼女は俯いたまま黙々とワイシャツのボタンを外し、先ほどと同じように答えるだけだった。
「……剣道のこと、色々教えてね♪」
 ロボットのように無感情で黙々とボタンを外している瑞香に、佐代子は怪訝に思いながらも、口調を変えないように話を続けた。
「うん、そうだね」
 しかし、反応は変わらず、彼女は機械的に体操服を頭から被って、スカートの下にジャージを穿いていた。
「……荷物を運ぶことは?」
「うんそうだね」
「……もしかして、緊張してる?」
 佐代子は苦笑しながら、彼女に尋ねると、そこではじめて、着替えの手を止めて、顔に油性のマジックで『不安』と大書しているような表情を佐代子に向けた。
「どうしよう、サヨ。みんな、受け入れてくれるかな? 正式にマネージャーじゃないって、なんだか卑怯じゃないかな?」
 瑞香はたまらずに佐代子に不安をぶちまけた。
 雅宣の提案によって正式に入部はせずに、臨時のお手伝いとして剣道部に協力する形をとった。こうすることで、いつでも辞められるし、辞めても内申書には響かないで済む。マネージャーが二人にとって重荷にならないようにするための彼なりの思いやりであった。
「大丈夫。そんなこと気にするなんて男じゃないわよ」
「えっ!」
 佐代子の言葉に、瑞香の全身の血の気が滝のように引いた。
「自分達の練習を手伝ってくれる人をそんな風に思うなんてことないわよ。安心しなさいよ」
 しかし、続けた彼女の言葉で瑞香は勘違いとわかり、安堵の息をつき、撤退していた血の気を呼び戻した。
「そ、そうかな?」
「そうよ」
 佐代子にきっぱりと自信を持って言われ、瑞香は少し胸が軽くなり、不安が和らぐような気がした。
(すごいよね、松前さんは。何で、たった一言で、こんなに安心させてくれるんだろうね)
 瑞巴は改めて感心して、心の中で呟いた。
(ほんと。ライバルじゃなくてよかったわよ。でも、サヨの好きな人って、どうしてサヨの事を気づいてあげないのかな? 腹が立つわね)
 桃香もそれに同意するように、心の中で頷いて、こんないい人に惚れられている知らない男性に対して、怒りの声を上げた。
(そうだね。よっぽど、そいつ、鈍感なんだよ。くー! 羨ましいぞ! 何でそんな鈍感野郎を松前さんは好きなんだよ)
 珍しく瑞巴も桃香に同意して、腹を立てた。但し、腹の立てどころは違ったが。
(妬かない、妬かない。それに、鈍感さではあんたも相当なんだから、人の事いえないって)
「瑞香、ボーとして、どうしたの?」
 桃香と話し込んで、心ここにあらずの瑞香を心配して、佐代子は彼女の顔を覗き込んだ。
「え?! ううん、な、なんでもない」
「そう? それじゃあ、行きましょう」
 既に着替えの終わっている佐代子は瑞香の腕を取って引っ張った。
「うん……あっ!」
 瑞香はあることに気がついて短く声を発した。
「どうかしたの?」
「う、ううん、なんでもない。いこっ」
 怪訝な表情で振り返った佐代子に苦笑いに近い笑顔で首を振って、逆に彼女の手を引いて更衣室の外に出た。
(何かあったの?)
 桃香が不安そうに瑞香に訊いた。
(松前さんと一緒に着替えてたんだ。それなのに、それなのに……ぜんぜん憶えてないっ! もったいなさすぎるぅ!)
 心の涙をはらはらと流して悔しがっていた。
(……ばか……)

「じゃあ、開けるわよ」
「うん」
 剣道場の扉の前で二人は妙に緊張した面持ちで顔を見合わせて、扉を開いた。
 扉を開けると歓声の奔流が二人を飲み込んだ。入り口で待ち構えた剣道部員達が上げたものであった。
「おお! 本物だ!」「本当だったんだ!」「主将! おれ、俺、剣道やっててよかったですぅ」「惜しい、ブルマだったら、満点だったのに」「我が青春に一片の悔いなし!」
 さすがの迫力に二人は気圧されて、たじろいだ。
「お前達! そんなことしてたら、また逃げられるぞ!」
 その後ろから苦笑混じりに雅宣が怒鳴ると、その一言で部員達はしぶしぶと引き下がり、練習前の整列して、その前に雅宣と佐代子、瑞香が並んだ。
「まあ、さっきも話した通り、これから練習のお手伝いをしてくれる、松前佐代子さんと珠久瑞香さんだ。あんまり二人に迷惑かけないように。それと、一応、約束で次の大会までと言う事になってるから、そのつもりで」
 そこで少しため息が聞こえた、瑞香はそれを敏感に聞き取り、目を伏せたが、気にしても仕方ないと、目を上げた。目を上げて見た剣道部員達は、残念ではあるが、仕方ないという表情であったので、瑞香も少し気が楽になって、軽く息を吐いた。
「それじゃあ、それぞれ、一言、挨拶してくれ」
「えーと、二年二組、松前佐代子です。剣道の事はまったく知らない素人ですけど、皆さんの邪魔にならないように頑張りますので、色々と教えてください。よろしくお願いします」
 佐代子はこういう場に慣れているのか、流れるように挨拶して、頭を下げた。
「あ、えーと、同じく、二年二組の珠久瑞香です。えーと……頑張りますので、よろしくお願いしますっ」
 代わって瑞香は全く慣れていない、しどろもどろになりつつ、とにかく頭を下げて挨拶を終了した。
「はいはいはい! 質問! シュク先輩って、珠久先輩の親戚ですか?」
 剣道部員の一人が手をあげた。時々、瑞巴の家の道場に出稽古に来るので、剣道部員とは大抵、顔を知った仲で、今、手を挙げているのは一年の中でも一番落ち着きのない奴である。
「はい……瑞巴兄さんの、双子の妹です」
 瑞香はなるべくボロを出さないように、できるだけおしとやかに答えた。瑞巴がそうする事に内心で照れまくっていたので、瑞香の頬がかすかの紅潮していた。それが剣道部員の心をぐっと掴んだのは言うまでもない。
「やっぱり! 似てるもんな」
「珠久も女顔だったから、尚更だな。見た時は一瞬、珠久が女装しているのかと思ったよ」
 その台詞に瑞香はびくっとなったが、
「ははは、それは珠久さんに失礼だよ。それに、あいつがするわけないだろう? 去年の学園祭の時に女装させられかけて、校内中を逃げ回ってたからな」
 すぐに別の部員が口を挟んだ。
(ふーん。巫女さんはしてたから、女装が好きなのかと思ったけど、違うの?)
(あれは、……小遣いのためだ。それに、巫女は袴だから、剣道の胴着と変わらないし……。とにかく、スカートは別だ。あんなひらひらしたのなんて穿けない)
(ふーん。今は平気なんだ。スカートどころか、ブラジャーまでしてるんだもん。そのこと、部員の人たちが知ったらびっくりするでしょうね)
(平気なわけないだろ! しかたないからしてるだけだ! それに、それというのも誰のせいだ、誰の!)
 心の中で桃香と喧嘩している間にミーティングは終了したようで、雅宣が練習を開始するように指示しようとしたその時、剣道場の扉が派手に開かれた。
 開かれた扉の向こうには、視線のスポットライトを浴びて、一人の女子生徒が血相を変えて立っていた。
「げっ! 昨日の!」
 瑞香は、その女生徒の正体を一目で判別して、思いっきり顔を引きつらせて、身を引いた。しかし、彼女はそんな瑞香は無視するように、雅宣に向かって、真っ直ぐに歩み寄って、背筋を伸ばして、
「一年一組、尾上野裕子っ。剣道部にマネージャーとして入部を希望します!」
 そう言って頭を下げた。
「おお! 女子マネが一気に三人も! 野球部なみだ!」「いや、野球部よりも一人あたりのマネージャー数は完全に上だ」「しかも、結構、可愛いじゃないか。そこでも勝ったな」
 剣道部員達は突然のマネージャー志望者に沸きあがった。
「ちょ、ちょっと! ファンクラブはマネージャー禁止じゃなかったの?」
 その沸騰した雰囲気に水を差すように佐代子が割って入った。
「そんなこと言ってたら、藤沢先輩は守れないもん! ファンクラブなんて関係ないわよ!」
 そう言って彼女はファンクラブの会員証を取り出して破り捨てようとしたが、ラミネート加工してあるそれは、伸びて変形はするが、破ける気配がなかった。
「ぬぅーーーーーーーっっっ!」
 意地になって、すごい形相で引っ張る裕子。その顔をみれば、百年の恋も冷めるだろう。
「わかった。わかったから。もういいから」
 素手で破くのを諦めてカバンの中からはさみを取り出そうとしている裕子を瑞香は見かねて止めた。
「ダメよ! こういう事はちゃんとしなくっちゃ!」
「いや、だから、その……」
 困った顔をしている瑞香を他所に裕子は会員証にはさみを何度か入れて、会員証を紙くずに変えていった。
「これでいいでしょう」
 最後のはさみを入れて、手を離し、細切れになった会員証が道場の床に散らばった。裕子は誇らしげに胸を張って見せた。豊に育った胸がなかなか迫力で、剣道部員達はそちらの方に注目していたが。
「よくない」
 しかし、佐代子は裕子の誇らしげな気分をぶち壊すように、不機嫌な声で短くそう言った。
「えっ?」
「誰が掃除するのよ、それ」
「うっ。……ちゃんと、自分で片付けます」
「なら、いい。で、どうするの? 藤沢君」
 隣に立つ剣道部の部長に新人マネージャーが問い掛けた。
「どうするもこうするも、……珠久さんは?」
 部長は少し困った表情で、もう一人の新人マネージャーに問い掛けをたらい回しにした。
「あたしは……」
(もちろん、反対でしょう!)
 佐代子も『反対するでしょう』という目で瑞香を見ていた。昨日の事を考えると、雅宣もそうした方が言いという顔をしていた。その空気を感じ取ってか、裕子は奥歯が割れるほど噛みしめて、瞬きもせずに瑞香を睨んでいた。瑞香にはその目が少し潤んでいるように見えた。
 瑞香はしばらく裕子と目を合わせた後、目を閉じて、少し考えてから目を開いた。
「あたしは……反対しない」
「瑞香!」
(どういうつもりよ!)
「いいのか、珠久さん?」
 三人から一斉に驚きの声があがった。
「うん、あたしも同じ事したくないから。それに――」
 ちらりと瑞香は裕子を見ると、彼女は鳩が豆鉄砲を食らったようにきょとんとしていた。その顔を見て、瑞香は苦笑を浮かべ、言葉を切った。
「それに?」
 しかし、その続きが気になる佐代子が続きを促した。
「それに、負けない自信があるもの。そんな姑息なまねをしなくても。だから、正々堂々と勝負しましょう」
 瑞香はにっこりと微笑んで無い胸を張って、そう言ってのけた。その言葉に今度は佐代子が唖然とし、裕子は目に闘志の火を入れた。
「なっ! あ、あたしだって、あんたなんかに絶対負けないわよ!」
「さっきまで、泣きそうになってた人が随分と強気ね」
「泣きそうになんてなってないわよ!」
 裕子は髪留めの数珠を外して手に構えた。瑞香の方も何処に持っていたのか、五十鈴を取り出して構えた。しゃんとした涼やかな音が道場内に響いて、空気が張りつめた糸に変わった。
「珠久さん! 尾上野さん! 二人ともやめろ!」
 しかし、雅宣の怒声がその糸を一刀両断した。
「二人とも、喧嘩するようなら、出ていってくれ。手伝ってもらう件も、もういい!」
 いつもは温和な雅宣だが、その声は怒気を隠さず、激しかった。
「そ、そんなぁ……」
(あっ! しまった! 雅宣は喧嘩が一番嫌いだったんだ)
 瑞巴は親友の性格を思い出して、最悪の失策を認めた。
(バカ瑞巴! どうすんのよ!)
「藤沢君、剣道部の皆さん、ごめんなさい。今後、尾上野さんと喧嘩をしないと誓います。ですから、お手伝いさせてください」
 瑞香は速攻で雅宣と部員全員に謝った。雅宣と付き合いが長いだけあって、彼の性格を知り抜いている瑞巴は、ここは余計な言い訳などせずにすぐに謝ったほうがいいと判断したのであった。
「え、あ、えーと、藤沢先輩、部員の皆さん、ごめんなさい。あたしも喧嘩しませんから、マネージャーにしてください」
 出遅れた裕子もそれに続いて、謝って頭を下げた。
 しかし、雅宣の怒気は納まっておらず、険しい目をしている。
「謝ってもらっても、もういいと言って――」
「ハイ。藤沢、そこまで」糸目の部員が雅宣の言葉を切ると、二人の方に向き直り、「珠久さん、それと尾上野さん。今、言った事は本当かな?」
 糸目がにこやかに二人に向けられた。笑ってはいるが、表情は真剣であった。
「「はい、もちろんですっ」」
 二人は仲良くハモって答えた。
「それじゃあ、これからよろしく。藤沢も異存ないよな?」
 彼女たちの返事を聞いて、再び、雅宣の方に向き直った。
「俺は……」
 しかし、納得しかねる表情の雅宣は言葉を濁した。
「まったく、頭が固い奴だな。そんなんじゃ、女の子にもてないぞ。二人も反省しているし、それでいいじゃないか」
 糸目の彼は顔を顰めた。
「しかしだな……」
「このままマネージャーを辞めさせて、別の場所で喧嘩をさせるか? 見えないところでやる分には、我、関せずか? 一緒にマネージャーをやってもらって、仲直りする機会を作るほうが有益と思うんだが? どう思う、藤沢主将殿」
 静かだが強い口調で糸目の部員は雅宣に詰め寄った。
「……いつもお前の言う事は正しいよ、中沼副部長殿」
 ため息を一つついて雅宣は白旗を挙げた。それを聞いた糸目の部員、中沼は振り返って、瑞香達の方に向いて、
「というわけだ。二人とも、仲良くしてくれるね」
 二人は「もちろん、仲良くします」と答えて、数珠と五十鈴を収め、表面上は仲直りした。
 部員達は、マネージャーがいなくなる危機が去って、瑞香と裕子の周りに集まって、「よかったね」などとお祝いの言葉を投げかけていた。
「さあ! 練習を始めるぞ! 全員、整列! 準備体操!」
 少し釈然としない雅宣の号令により、集まっていた部員達も準備体操をするために散っていった。瑞香たちは邪魔にならないように剣道場の壁際に集まって一塊になっていた。
「危なかった。もう少しでクビになるところだったわ」
 瑞香は壁に体を預けて、胸を撫で下ろした。
(まったく、後先、考えないんだから)
「ほんとに気をつけなさいよ。中沼さんがいなかったら、どうなってたことか」
「ごめん。でも、ほんとに助かったわよ。神様、仏様、中沼様よ」
 桃香と佐代子に同時に責められて瑞香は苦笑を浮かべた。
「それじゃあ、追い出されないように仕事しましょうか。先ずは、胴着の洗濯からだったわね」
 瑞香たちは早速、仕事に取り掛かった。

「何でこんなにあるのよ! 信じられない!」
 洗濯機の前にうずたかく積まれた胴着を目のあたりにして裕子は悲鳴に近い声を上げた。口には出さなかったが、瑞香も佐代子も同じ思いであった。
「まあ……こんなもんでしょう。男子のクラブって」
「卒業したOBが置いていくから溜まっていくんだって」
 とにかく、やらないことには終わらない。と、一同覚悟を決めて、胴着を色物と白に選り分けて、洗濯機に放り込んだ。洗濯機を使用できるといっても、三人はかなり妖しい匂いを放つ洗濯物にかなり悪戦苦闘していた。何度も洗わないと怪しい匂いが消えないつわものもあり、洗濯板まで登場する始末であった。
 何度目か数えるのも嫌になったぐらい洗濯機の洗濯層から脱水層に胴着を移し変えしている最中に瑞香がふっと時計を見た。
「そろそろ、かかり稽古に入るから、時計をしなくっちゃいけないわね。サヨ、やり方、知っているわね? お願いできる?」
「うん、いいけど、二人で大丈夫?」
「もう、ほとんど終わっているから大丈夫よ」
「……そう? それじゃあ、気をつけてね」
 佐代子はそう言ってちょっと心配そうに何度も振り返りつつ、剣道場の方へと戻っていった。
(二人っきりになって、本当に大丈夫なの?)
 昨日の事があって、さすがに桃香も不安らしく、声に張りがなかった。瑞香はそれに短く、「大丈夫」と答えて、佐代子が見えなくなるのを見計らって裕子の方に向いた。
「で、何か言いたい事があるんでしょう?」
「瑞香“先輩”。言っておきますけど、あたし、先輩のことを認めたわけじゃないんですから。もし、藤沢先輩に何かするようだったら、絶対、あたしが藤沢先輩を守るんだから!」
 裕子は目は真剣そのもので、間違いなく本気である事は瑞香にも十分感じられた。
「はいはい。わかったわよ、裕子“ちゃん”。でも、本当にまさ……藤沢君の事が好きなのね」
「当たり前です! そういう珠久先輩はどうなんですか!」
「もちろん、好きよ。告白して、OKもらって、デートして、キスしてもらいたいわよ」
 瑞香はあっさりと言い放った。あまりにもあっさりと言われて裕子の方は面を食らって言葉が継げずにいた。
「ところで、裕子ちゃんは藤沢君の何処が気に入ったの?」
 言葉の継げない裕子に質問を浴びせた。
「な、な、突然、なに訊くんですか!」
 完全に主導権を奪われてあたふたと言い返したが、主導権が動くわけではなかった。
「やっぱり、優しいところ?」
「それもありますけど、あたしは強いところ。一本気で真面目で正義感が強くって、それでいて優しい。それに……」
「それに?」
「美形だから」
 大真面目の裕子の発言に瑞香は思わず噴き出した。
「笑っているけど、先輩はどうなんです? いくら強くて優しくって、性格がよくってもやっぱり、不細工だったら嫌でしょう?」
 そう訊かれて、瑞香は想像力を働かして、空想に過剰勤務させてしまい、思いっきり眉を寄せた。
「……そうかも」
「でしょう? 優しくって、強くって、美形。こんな好条件揃った人、今時、漫画でも滅多にいないわよ。なんとしてもゲットしなくちゃ」
 裕子は握りこぶしを固めて力説した。
「言われてみれば、そうよね。気がつかなかった」
 瑞香は親友の思わぬ評価を聞いて、素直に驚いて納得した。
「“先輩”も怨霊にしては、人に取り憑く以外の能力も無いみたいだし、大した力も持てるわけじゃないし、このまま悪い事しないのなら大目に見ていてあげるわ。おじい様にも手を出さないほうがいいって言われたし……」
「それはありがとう。おじい様って、裕子ちゃんのお払いの師匠?」
「そうよ。ものすごく凄い人なんだから。そのおじい様が、珠久と名乗るものには関わらない方がいいって言ってるの。あなた一体、何者? というか、珠久瑞香……つまりあなたの取り付いている人間って?」
「ははは、えーと、なんなんでしょうね……そ、そう言えば、大した力を持ってる怨霊って、どんなの?」
 あまり突っ込まれたくない瑞香は強引に話題を変えた。
「え? えーと、あたしもまだ、そんなのには遭ったことないけど、取り憑いた相手の身体を変化させる強力な怨霊もいるんだって。まあ、あくまで噂だけどね。でも、もし、そんなのに遭ったら、さすがのあたしも手も足も出ないでしょうね」
「へえ、そうなんだ(桃香って、強力な怨霊だったんだな)」
(恋する乙女はウシより強いのよ)
「まあ、あなたぐらいなら、そこらへんにゴロゴロいるけどね」
 目の前の瑞香が瑞巴を変身させたとは知らずに裕子は大威張りで言った。いつでも成仏させられるといいたいのだろうか。瑞香は苦笑を浮かべて、はいはいと答えて、ちょうど終わった洗濯物を籠に入れて持ち上げた。
「さあ、戻りましょう。サヨが待ってるから。真面目にマネージャーしてないと、また、くびを言い渡されちゃうわよ」
「へいへい、瑞香先輩」
 道場に戻った二人はマネージャーの仕事を真面目にこなし、その後、何事もなく、終了時間を迎えた。こうして、瑞香達の剣道部マネージャー初日は無事に終わったのであった。

 学校から帰ってきて、朋美に女の子の特訓を受け、やっとそれから解放された瑞香は布団の上に倒れこむように寝転んだ。マネージャー業と特訓のおかげで身体は疲れているし、布団のひんやりとした感触が心地よかったし、彼女の睡眠を妨げるものは何も無いはずだが、なかなか寝付けずに何度も寝返りを打っていた。
(特訓と初めてのマネージャー業で気が高まってしまったのかな? 妙に胸が苦しい……)
(瑞巴、さっきから言おうと――)
「なあ、ところで、桃香」
 桃香がなかなか寝付けない瑞巴に何か言いかけたが、最後まで言う前に口を挟まれた。
「今まで訊くの忘れたけど、何で雅宣を好きになったんだ?」
 再び寝返りを打って、仰向けに天井を見上げた。天板の木目が闇に慣れた目に薄く映っていた。
(昼間もあの子に訊いてたけど、好きになるのに理由なんているの?)
「うーん……でも、ほら。男前だからとか、面白いからとか、色々あるじゃないか。惚れる原因みたいなものがさ」
 それがわかれば、男に戻った時にもてる秘訣みたいなものが、あわよくば、松前佐代子を今の片思いの相手から振り向かせれないかと瑞巴はぼんやりと考えていた。
(好きになる切っ掛けみたいなもの?)
「うん、そんな感じ」
(あたしの場合、ほとんど、一目惚れに近かったから……)
「じゃあ、完全に一目惚れじゃなかったんだな。なんだよ、その原因って」
(人の揚げ足取らないでよ)
「桃香は幽霊だから足は取れませーん」
(屁理屈ばっかり! だから、もてないのよ!)
「今はそんな事いいじゃないかよ。なんなんだよ、惚れた原因って」
(……誰にも言わない?)
「言わない言わない」
 そもそも、桃香の事を誰に言うのか想像もできない。
(……あのね、今年の春休みの事なんだけど、街で友達と待ち合わせしてたの。その子、時間にルーズで、その時もまた遅刻して、ぼんやり一人で待ってたの。そしたら、あたしってば、可愛いからナンパされちゃって)
「はいはい」
(でも、そいつらって、結構やばい系だったの、だから無視してやり過ごそうと思ったんだけど、囲まれちゃって。ものすごく怖かったの、友達は来ないし)
「うん、それで?」
(でね、周りに一杯人がいたのに誰も助けてくれなかったのよ。ひどいでしょう)
「なかなか勇気がいるぞ、そういうところに助けに行くって。それでそのまま連れ去られたのか?」
(違うわよ、勘が悪いわね。そこで藤沢君が助けてくれたのよ。何気なく囲みの中に入ってきて、あたしに近づいて声をかけたの、『よお、ワルイ。待たせたな』ってね)
「雅宣にしちゃ、上出来だな」
(そんでもって、あたしにちょっかいをかけてきた連中を睨んで、あたしに『知り合いか?』って訊いて、首を振ったら、『俺の彼女に何か用か?』って言ってくれたのよ。映画みたいでしょ! ほんとに格好よかったんだから)
「それで惚れたというわけか。なるほどな。それにしても、あの時に雅宣が珍しく時間に遅れた原因は桃香だったのか。あいつ、全然言い訳しないからわからなかったよ」
(え? あんたとの約束の時間を遅らせてまで助けてくれたの?)
「そうだよ。名前と学校はおおかた、竹刀袋の名札でわかったんだろ?」
(うん、そうよ。『松林高校 藤沢』って刺繍してあったから)
「じゃあ、間違いない。竹刀を買いに行くのに付き合った時だ。それで、後はお定まりのストーカーってことか」
(人聞きが悪いわね。追っかけって言ってよ。でも、すぐに自分から行かなくっちゃダメってことに気が付いて、告白の決心したら……)
「……わるい。事故のこと思い出さしちゃったかな」
(まったくよ。死ぬ時って死ぬほど痛かったんだから。まったく、誰よ! 死ぬ時は痛くないって言ったのは。いっぺん死んでみなさいって。そんな事言えなくなるから!)
「……たしかに、言えなくなるな、死んでるんだから」
(もう! また、揚げ足取る!)
「わるい、わるい。でも、わかったよ。まあ、あんまりうまくは行かないかもしれないけど、俺、頑張るよ」
(うまく行ってくれないと困るの! 絶対、上手く行かせてよ)
「わかったよ。善処します。そのためには早く寝ないとな。寝不足は美容の敵だ」
 再び寝返りを打って、眠ろうとしたが、やっぱり眠れない。桃香の話を聞いて余計に目が覚めてしまったのだろうかなどと思っていると、
(……さっきから言おうと思ってたんだけど、寝る時はブラ外しなさいよ)
「……もしかして、寝苦しかった原因って……」
(……まぬけ)
「しゃ、しゃあねえだろう! 初心者なんだから!」
(そんな事もわからないなんて、鈍感すぎるのよ! そんなんで藤沢君のハートをゲットできるわけ無いでしょう!)
「うるさい! こっちは発展途上なんだ!」
(悠長なこと言ってたら、あっという間にお婆ちゃんになっちゃうわよ)
「うるさい!」
 瑞香が桃香の未練を果たす日はまだ遠い。






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