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“ごしょう(後生)”だから、5章までを読んで。お願い。
瑞巴「どこまで続けるつもりだ?」
桃香「一生やってなさいって感じ?」




お憑きあいしましょう

作:南文堂




第6章

 今は夏至を少し過ぎた頃なので太陽はまだ夕日というには、まだ少し高いが、それでもクラブが終わって帰宅する生徒の集団を見ていると、夕方の情景を思わせた。閉門の時間まで、まだ間があるので下校風景ものんびりとしたものだった。
「閉門の時間を越えて許可なく校内に残っていたら、名前を記録されて、内申書に響く上に、クラブ部員がのべ5人で注意、10人で一週間活動停止という校則があるのよ。だから、みんな閉門時間から余裕をみて練習を切り上げてるの」
 佐代子が瑞香に説明した。もちろん、瑞香はそのことを知っていたが、一応、転校生と言うことなので、「へえ、そうなんだ」などと相槌を打って、大人しくそれを聞いていた。
「お先に失礼します」
「お疲れさまぁ」
 そうこうしている間に、雅宣を除いた最後の剣道部部員が瑞香と佐代子に挨拶して帰っていった。さっきよりも、閉門時間に近付いてきたので、下校する生徒もまばらで、随分と寂しい雰囲気になっていた。
「悪い。待たせてしまって」
 雅宣は道場の戸締りを確認して、扉の外で待っていた二人に合流した。
「ううん。全然」
「それじゃあ、早く帰りましょうか。鍵も返さないとダメなんでしょう?」
 雅宣の手に持っている鍵を指差して佐代子は校舎の方へ向かおうとした。
「二人は先に校門のところへ行っててくれ、鍵を返してすぐに行くから」
「あ、待って! 防具は持っていってあげる」
 瑞香が校舎に向かおうとした彼を止めた。練習のあとに重い防具を担いで駆け足はさすがの雅宣でも堪える。彼もしばらく迷っていたが、「時間が無いんでしょ?」という佐代子の言葉に「頼む」と言って防具を置くと、校舎の中へと駆け出していった。
 それを見送ってから、瑞香は防具を肩に担いだが、予想していたよりも重い防具に少しよろけ、佐代子が慌てて、それを支えた。
「大丈夫? 後ろから支えてた方がいい?」
「だ、大丈夫。これぐらい一人で持てるよ。ちょっと、予想してたより、重かっただけだから。男だしこれぐらい……」
「え?」
 瑞香の不用意な台詞に佐代子が怪訝な表情を浮かべた。
「え? あ、えーと、男の子の防具だから、これぐらい重くっても普通だよねってこと」
「なんだ。そういうことね」
 佐代子が納得したのをみて、瑞香はホッと胸をなでおろした。
(……ほんとはバレて欲しいと思ってない?)
 桃香の突っ込みに「そんな事は絶対にない!」と危うく声に出すのを何とか押し留めることができらのは、瑞香にしては上出来であった。
「それじゃ、そろそろ、行こ。私たちが閉門に引っかかったら、笑いものよ」

「はやく、はやく!」
「あと、一分!」
 瑞香は時計を見ながら残り時間を読み上げた。閉門ロープを持った当番が校舎から走ってくる人影を残虐な笑みを浮かべて眺めていた。
 事故防止のためにロープを張って、閉門とし、鉄扉はその後に閉める決まりになっているため、以前のように完全に閉門するまで時間は掛からないようになっていた。
「あと、半分!」
 道場から職員室、職員室から正門。重い防具を担いでいないとはいえ、全力疾走するにはちょっと遠慮したい距離である。さすがの彼も練習の後にこのダッシュは堪えているのだろう、明らかに普段の彼よりもスピードが遅い。
「間に合わないな、こりゃあ。ついに剣道部の無敗神話もここに破れるか」
 当番の生徒が面白そうに必死で走ってくる雅宣の姿を見て、悪役地味た台詞を吐いていた。
 瑞香はそれを聞いて殴ってやろうかと思ったが、そんなことは出来るはずもなく、せいぜい睨みつけるぐらいしかできなかった。もっとも、それすらも可愛くなってしまった彼女がしても、全く迫力はなく、それどころか逆に喜ばせるだけであった。
「10秒前、9……、8……、7……、6……、5……」
 カウントダウンが始まった。雅宣は門まで残り50メートル強。ぎりぎり間に合わない。
(藤沢君、間に合わないよ! どうしよう!)
「雅宣!」
 瑞香が叫ぼうとした瞬間、強烈な一陣の風が地面から吹き上げた。
「きゃあっ!」
 その風に佐代子は咄嗟にスカートを押さえ込んだが、女の子若葉マークの瑞香は突然のことで全く対応できず、"巾着"されるようにスカートを全開で捲れ上げられていた。
「おおっ!」
 校門にいた当番の男子生徒達の間に歓声が沸き起こったのは言うまでもないことだろう。
 風が抜けて、スカートがゆっくりと重力に従って、所定の場所に戻ると、瑞香は顔を伏せて、肩を震わせていた。
「み、み、見たな!」
(そりゃあ、あれだけ派手に捲れ上がればねえ)
 瑞香は恥ずかしさで顔を真っ赤にして、歓声を起こした男子生徒たちを、ちょっと涙目になった瞳で睨みつけた。
「火星人を見たものは死んでもらう!」
 もはや何がなんだかわからなくなって瑞香は妙な事を口走っていた。
(スカートの裏には顔とか描いてないでしょうが!)
 妙な事に対して的確な突っ込みを入れる桃香。
「う、ううーっ」
 どうしようもない、やり場のない怒りに獣のような唸りを上げていた。
「ヨシヨシ。藤沢君が間に合ったんだから、よしとしましょう」
 佐代子が困ったような笑い顔で彼女の頭を撫でて慰めた。スカートが捲れあがったことにより当番生徒の時間を止め、雅宣はその隙に門をくぐり出たのであった。
(よかったわね、ただ見されなくて)
「ううー」
 佐代子と桃香の慰めの言葉にも、納得いかない表情でいると、そこへ雅宣がやってきた。さすがに息は少し荒いが、それも次第に落ち着きつつあった。
「助かった。アウトかと思った」
「よかったわね、間に合って」
「ああ、おかげでな」
 雅宣はなるべく瑞香を見ないようにしてそう答えた。顔がほんのり赤いのは暮れはじめた夕日のせいばかりでないのは明白だった。
「……見たの?」
 それまで沈黙を守っていた瑞香だが、上目遣いに彼を睨んだ。
「な、なにを?」
 睨まれて、ますます彼女を見られなくなった雅宣はわざとらしく、とぼけてみせた。
「あ、あたしのパンツ」
 その言葉に言った本人も、聞いた相手も双方、更に顔を赤らめた。
「み、見てないよ! 必死で走ってたから! 水色のストライプなんて見てない!」
「しっかり見てるじゃない! もう!」
 瑞香が手を振り上げたところで、佐代子が二人の間に割って入った。
「ハイハイ。痴話げんかはそこまで。聞いてる方が恥ずかしくなってくるから。瑞香もいいじゃない。おかげで、藤沢君が間に合ったんだから。ね?」
「うん、まあ、そうなんだけど……」
「俺が閉門に引っかかったら面目立たないからな」
 雅宣は真面目な表情に戻して頷いた。
「クラブも大変なのね」
「まあな。こういう時って、マネージャーがいないことが痛いよ」
 まさか自分のファンクラブがあって、それがマネージャーになる人の邪魔をしていたことを、今日、初めて知った彼は複雑な面持ちでそう答えた。
「あー、それって、マネージャーを小間使いと何か勘違いしてる」
 それを見て、瑞香は茶化すように彼にツッコミを入れた。
「い、いや、ち、違うよ。マネージャーがいれば、片づけするのも、もっとスムーズにできるし、練習をもっと効率的にできるから……えーと、その、小間使いとか、そういう風には……」
「わかってるわよ。藤沢君がそんな事考えているような人じゃないってことぐらい。ちょっとからかっただけ」
 慌てふためいて弁明している彼を見て、瑞香はくすくすと笑って、パンツを見られた事へのささやかな復讐を果たした。
「冗談きついな。でも、今日が初対面なのに随分と俺の事、信頼しているんだな、珠久さんは」
「えっ? えーと、そうね。今日、練習みてたせいかしら?」
「それだけで?」
「充分。太刀筋は心を写す鑑。真っ直ぐ綺麗な太刀筋だったもん、藤沢君のは」
「あ、ありがとう」
 彼は気恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべ、お礼を言った。
「本当に瑞香は剣道が好きなのね。冗談抜きで、マネージャーになったら?」
「だ、だめだよ! そんなの」
 瑞香はすぐにその提案を断った。今日一日だけでも剣道の虫が起きそうになったのに、これが毎日続けば耐えられるとは思えなかった。
「確かに、あの集団は何とかしないと、おちおちマネージャーもやってられないよな……」
 断った理由を曲解して雅宣は腕組みして考えながら少し歩いてから、立ち止まった。突然、足を止めた彼に「どうしたの?」と二人は怪訝な顔で振り返った。
「ちょっと、二人に頼みがあるんだが……」
 結婚でも申し込むのかと思うほど真面目な表情で彼は二人を呼び止めた。
「なに、藤沢君? だいたい予想はできてるけど」
(だね)
「?」
 女性二人は雅宣の次の台詞を予知したが、瑞香にはさっぱりわからなかった。
「二人に、剣道部のマネージャーになってもらえないか? 今度の試合まででもいいんだ」
 雅宣は土下座するような真剣な声で二人に頼んだ。
「ええ?!」
「やっぱりね」
(そうだと思った)
 驚いているのは瑞香のみで、その鈍さに、女性陣二人は藤沢雅宣との恋の成就を危ぶまずにはいられなかった。
「どうだろう? やってくれないか?」
「だ、だけど……」
 瑞香は明らかに逡巡した表情を浮かべた。できることなら、手伝ってあげたいという気持ちもあるが、自分自身が耐えられるかどうか不安だった。
(そんなの少し我慢しなさいよ! 男に戻りたくないの?)
 桃香の声に、うーんと唸って、真剣に考え込んだ。確かに、少しだけなら我慢できるかもしれないと思い始めていた。
「あの連中なら、俺が何とかするから」
 迷っているのはファンクラブのせいだと思ったのだろう。彼の声は熱かった。
「多分できないと思うわよ。恋する乙女の情熱は半端じゃないから」
「うん、確かに半端じゃない」
 瑞香は身近な最たる例を思い浮かべて佐代子の言葉を肯定した。
(それって、あたしへの嫌味?)
「まあ、そんな事はこっちでどうにでもなるから、いいんだけど。問題は瑞香がね」
 佐代子がちらりと視線を彼女の方に流した。
「珠久さんが?」
「あたし?」
 話の意外な方向転換に、思わず瑞香は目を丸くして自分を指差した。
「さっきから、どうしてだか、マネージャーになるのを極端に嫌がっているのよねぇ」
 詮索するような、それでいて嫌味のない顔で下から覗き見られて、瑞香は思わず、どぎまぎしていた。
「やっぱり、臭いし、お洒落じゃないからな、剣道は……」
 雅宣は自嘲気味に笑みを浮かべた。
「そ、そんなことないよ! 大好きだよ、剣道」
「じゃあ、なんでかな?」
 佐代子は少し意地悪く瑞香に訊いた。
「そ、それは……」
(ここまで頼んでるのを断ったら、後が気まずくなるでしょう! ずーっと女の子でいたいつもり?)
「うーん(それはいやだけど)……」
 悩んでいるということは、あと一押しと、佐代子は駄目押しの一言を求めて雅宣に話を振った。
「それにしても、藤沢君、随分と今日会ったばっかりの瑞香を買ってるのね」
「ああ、そういえばそうだな。なんだか、珠久さんとは今日初めて会ったって気がしないんで、つい……」
(そりゃ、そうでしょう。瑞香は瑞巴なんだから)
 桃香は少しぶっきらぼうにそういい、瑞香はそれに少し嬉しそうに心の中で頷いた。姿形が変わっても何とはなしにわかるものなのか、と。
「でも、よく考えたら、今日会ったばっかりで、こんなお願いするなんて、変だよな。ごめん。変なこと頼んで。そうだな……断ってくれても、全然、構わないから……」
「ううん、気にしないで」
 瑞香は首を横に振り、優しく笑った。
「藤沢君、ちょっと、タイムね。瑞香、こっちに来て」
 瑞香の微笑を見て、佐代子が彼女の腕を掴み、雅宣から少し離れた場所まで彼女を引っ張っていくと小声で耳打ちした。
「せっかくのチャンスじゃない。マネージャーになっちゃいなさいよ」
「でも……」
 いまだ迷う気持ちが心の迷宮を抜けられず、視線を下げた。
「私も協力するから。好きなんでしょう? 藤沢君のこと!」
(男に戻りたいんでしょう!)
 しかし、内と外からステレオで説得され、心の迷宮にいつまでも留まることは許されなかった。
「……うん、そうだよね。……あたし、頑張ってみる」
 瑞香は決心して頷いた。それを見て、佐代子は満面の笑みを浮かべて彼女の両肩を叩いて、
「よし、それでこそ、女の子」
 彼女は再び瑞香の腕を取って、雅宣のところに戻ると、
「藤沢君。感謝しなさい。私の説得で瑞香は剣道部のマネージャーになることにしました。私と二人、これからよろしくね」
「あんまり役に立たないかもしれないけど、よろしくね」
 二人はぺこりと頭を下げた。
「ほ、本当か? ありがとう! こっちこそ、よろしく頼む」
 雅宣は二人の手を取ってぶんぶんと上下に振り回した。瑞香は瑞巴だったときですら見たことのない笑顔に少し嫉妬したが、すぐに、それが自分に向けられているのだから、「まあ、いいか」と笑顔を返した。
「それじゃあ、決まりね。じゃあ、わたし、家、ここだから。また明日ね。藤沢君、ちゃんと瑞香を家まで送っていくのよ。くれぐれも送りオオカミになっちゃダメよ」
 佐代子は瑞香の背中をぽんと押して、雅宣の方へと前に突き出すと意味ありげに彼女にウィンクした。
「当たり前だ。そんなこと」
 雅宣は釘を刺された真意がわからずに至極真面目に答えた。その答えに彼女は苦笑して家の玄関をくぐった。
(あたし的には、送りオオカミでいいんだけど……)
 おいおい、と瑞香は心の中で桃香にツッコミを入れた。

 そろそろ街灯が灯り始め、茜色のカーテンが藍色の天蓋を緩やかに降ろし、一つ二つと太陽に隠されていた星たちが姿を現し、夜空の神話を語り始めていたが、地上を行く二人は、佐代子と別れてから、これという会話らしい言葉も交わさずに、ただ並んで黙々と家へと続く道を辿っていた。
(何か喋ったら? せっかく二人っきりなんだから)
 桃香が沈黙に耐えかねて瑞香に会話を促した。
(なに喋ればいいんだよ。わかんないよ)
(さっきまで、あんなに喋ってたのに、情けない)
(じゃあ、お前が喋れよ。お前が言った事、そのまま喋ってやるから)
(な、なに、言ってんのよ! そんなの棒読みになって変になるだけじゃない。何でもいいじゃない、剣道の話でも何でもっ)
(うう……だけど、何だか、緊張しちゃうんだよ)
(ああ、もう! それでも、男?)
(今は女の子だから、いいんだよ!)
(女の子なら、女は度胸! このまま、何にもしゃべらないんだったら、帰ったら朋美お姉さまに言いつける!)
 それを言われると瑞香も弱い。朋美が何をするかわからないが、何かすることは確実なので覚悟を決めて、何か喋ろうと思って口を開く事にした。
「「あの……」」
 ソプラノとバリトンのハーモニーが響いた。
「え、えと、なに、珠久さん?」
「あ、あの、なに、藤沢君?」
 まるで、廊下で相手が譲ろうとした側に自分も譲るような間の悪さが、二人の間にしばらく流れた。
「藤沢君から、どうぞ」
 他愛もないことを喋ろうとしていた瑞香には雅宣が何か喋ってくれるのは大助かりであったので、素早く先に譲った。
「えーと、その……マネージャー、引き受けてくれて、ありがとう」
 彼も緊張しているのか、彼女のほうを見ずに、前を向いたままであった。
「ううん。剣道には興味あったから、お礼なんていいよ」
「でも、なんだか、珠久さん、すごく迷ってたから、その……」
(ほら、変に思われてるじゃない、どうするのよ! 何か、言い訳しなさいよ)
「え、えーと、そ、それは……実は、昔、剣道やってたの」
 そう言うと、彼は「やっぱり」と納得した。
「けど、怪我しちゃって。今日も見てて、やっぱり、やりたくなって、悔しくて……」
 奥歯を噛んで唇を引き絞った。昏くなり始めた辺りにあわせて空気も重くなった。雅宣が何か言おうと口を開きかけたが、すぐに思い直して口をつぐんだ。
「……左手首をやっちゃってね。剣道するには致命的よね」
 瑞香は手首を押さえながら持ち上げて見せた。瑞香になったことによって、もしやと期待して、昨日の晩に試しに素振り棒を振ってみたが、百も振らない内に左手首が言うことを聞かなくなってしまった。姿形は変わっても、この身体は間違いなく瑞巴の身体なのであった。
「瑞巴と同じか……」
「ぐ、偶然よ。たまたま」
 彼は目を伏せ、彼女は指摘されて初めて、そのことに気が付いて慌てて言い訳した。がしかし、再び沈黙が二人の間に重くのしかかった。
(まったく、正直すぎるのよ、あんたは! あんたが瑞巴ってバレたらどうするのよ)
 桃香の声に心の中で彼女が反省していると、ゆっくりと彼が口を開いた。
「そうか……でも、それなら、悪いことしたな。瑞巴も言ってたな、見てるだけが辛いって。ごめん」
 彼女に頭を下げて謝った。それを見て、慌てて頭を上げさせた。実直なのはいいが、少し考え物だと彼女は微苦笑を浮かべたが、すぐに苦味を消して微笑んだ。
「気にしないでいいよ、そんなこと。出来ないのは、まさ……藤沢君のせいじゃないし、こうやって、剣道部のお手伝いするのも結構いいかも。ほら、名伯楽として世界チャンピオンを育てるってのも一つの道だし」
「泪橋ジムのおやっさんみたいにか?」
 拳を構えて左手を内側に抉るようにジャブを打って見せた。
「立つんだじょー、ってね」
「それじゃあ、ハタ坊だよ」
 そう言って、二人で大笑いして、その笑いが収束すると再び妙な間が開いてしまった。
「えっと、珠久さん、さっき、何か言いかけてたのは?」
 その間を嫌って、彼は取って付けたように彼女に訊いた。
「え? えーとね……」
 瑞香はまさか、話を戻されるとは夢にも思わなかったので何を話そうか焦っていた。
(告白しちゃいなさいよ)
(な、なんでそうなるんだよ!)
(いい感じじゃない。夕暮れ時、二人っきり、チャンスよ)
(そ、そんな、突然に言われてもだな……)
(目的でしょうが、告白するのも! さあ、果敢にアタックよ!)
(だいたい、玉砕したらどうするつもりなんだよ)
(そんなことはありえない!)
(なんで言い切れるんだ。どこにそんな根拠があるんだよ)
(女の勘、言うなれば野生の第六勘よ)
(漢字が違うぞ、それ)
(黙ってたら、わからないのに。第一、台詞の漢字が違うって事がどうしてわかるのよ)
(女の第六感♪)
(つまんない事言ってないで、告白しちゃいなさいよ。 今! ここで! すぐに! ♪恋は強気なくらいが上手くいくのですってね)
(フライングがチャンスの命取りになるってこともあるよ)
(言ってみなくちゃ、わからないでしょう! さあ、するの? やるの? どっち?)
(どっちも同じだよ、それ)
(あんたに選択権なんてない!)
「珠久さん?」
「はひぃ?!」
 雅宣に突然声を掛けられて驚いた瑞香は裏返った声で返事をしてしまった。かなり恥ずかしいが、彼は心配そうに彼女の方をうかがっていた。桃香との口論に神経を集中していたために傍目から見ると、呆けたようにしか見えなかったのだろう。
「いえ、あの、そのー」
(さあ!)
「あ、あのね……」
「うん?」
 雅宣は怪訝な表情で瑞香の顔を覗き込んだ。アップで迫られると彼女の心臓は一気に回転数を上げて鼓動が連続音に聞こえそうなほどであった。
「あ、あのね……実は……あたし……」
 決心して彼を見上げて、見据えた。彼女の視界では彼の顔が遠くなったり近くなったり感じて、緊張はピークに達していた。
「しゅ、珠久さん?」
 自分を見つめる彼女に何か違う空気を感じて、彼も同じように緊張していた。
「あたし……」
 そのとき、一陣の風が吹き抜けて彼女の髪を揺らした。髪の一房が彼女の顔にかかり、鼻先をくすぐった。
「へ、へ、へ、へっくちゅん! てやんで、べらぼうめ!」
 瑞香はなんとか最悪の事態――雅宣の顔に唾をかけること――は避けられたものの、これ以上ないというくらいダイナミックにくしゃみをしてしまった。
(なにやってるのよ、あんたは! くしゃみなんて、我慢しなさいよ!)
「うるひゃい! 生理現象だ!」
「う、うん、そうだよな。生理現象だな」
「へ?」
 雅宣はなんと言っていいか困った表情で瑞香を見ていた。そこで初めて、思わず桃香への反論を口に出していた事に気が付いて、誤解を解こうと彼の方を見ると、その背後の車の窓ガラスに移った自分の姿が目に飛び込んできた。
「!!」
 くしゃみで催眠術が切れているため、雅宣の前でスカートをはいている自分の姿を急に意識し始め、もう、そうなると、羞恥心のゲージは青天井に跳ね上がり、顔は体中の血液を集めたかと思うほど赤くなっていた。
「あ、あ、あ、あた……、え、えーと、家、そこだから。おくってくれて、ありがと。じゃ、じゃあ、また、明日っ!」
 そう言って、瑞香は全力疾走で雅宣から離れた。当然、家まではまだかなり距離がある。彼女は顔を伏せて、スカートを翻し、夕闇に沈む町並みの中へと溶け込んでいった。残された彼は唖然としてそれを見送ることしか出来なかった。
(莫迦! 馬鹿! バカ! 瑞巴の大ばかぁ!)
 桃香は罵声を聞きながら、大分と走ったところで路地に飛び込んで、5円玉を胸元から引き出して、目の前にぶら下げて、呪文のように「俺は女の子、女の子、女の子……」と呟いて、羞恥心の潮が引くと、壁に背中を預けて藍色の空を見上げた。
(まったく、なにやってるのよ! あれじゃあ、変な女の子と思われるじゃない)
「ごめん。でも、仕方ないじゃない。感覚が男に戻ったんだから、恥ずかしくって、恥ずかしくって……」
(そんなの、ちょっとは我慢しなさいよ。くしゃみといい、こらえ性が無さ過ぎっ!)
「まったく、その通りね」
「お、お母さん?!」
(朋美お姉さま!)
 路地の入り口には拳銃無宿のように壁に背中を預けて腕組みしている朋美の姿があった。
「せっかくいい雰囲気だったのに勿体無い。神風まで吹かせて、アピールさせてあげたのに」
「かみかぜ……って、あの校門で吹いた風って、もしかしてお母さんの仕業?」
「当たり前じゃない。そうじゃなきゃ、あんなにタイミングよく吹くものですか。それよりも、くしゃみぐらい気合で止めなさい」
「そんなの無理よ。無茶言わないでよ」
「ボクサーは気合で血だって止めるわよ」
「あたしボクサーじゃないもん」
(モデルは気合で汗だって止めるらしいわよ)
「だから、モデルじゃないって」
「なんにしても、その後が最悪ね。逃げちゃダメよ」
(そう! 最悪よ!)
「だって……」
 顎を引いて上目遣いに瑞香は抗議した。
「かわいこぶってもダメ。そういう仕草が、催眠術なしでもできるようにならないと」
「で、できっこないよ。そんなの」
 瑞香は想像しただけで目眩がした。催眠術で仕方なくと、自ら進んでとでは瑞香にとっては雲泥の差があるらしく、乙女心は複雑なのであった。
(そんなこと言ってたら、永久にできないわよ)
「その通り! 特訓なくして、勝利はなし!」
「特訓って……山に篭ってクマと戦ったり、山頂から転がってくる岩を避けるとか、ボーリングの玉をレシーブするとかするの?」
「したいなら」
 瑞香は力一杯首を左右に振った。
(じゃあ、どんな特訓なの、朋美お姉さま?)
「これよ」
 朋美はポケットから取り出した胡椒を見せた。
「ま、まさか……」
 瑞香はそれを見て顔を引きつらせ、朋美はまるで魔法のステッキでも振るかのように胡椒の入れ物を振った。
「へ、へ、へ、へっくちゅん! てやんで、べらぼうめ! ……な、なにすんだよ、母さん!」
「今日はそのままで、女の子らしくしていること。ちゃんとしないと晩御飯抜きよ」
 逆光でよく見えなかったが、見えなくても瑞香の脳裏には朋美の嬉しそうな顔がありありと浮かべられた。
「ふぇーん、はずかしいよぉ〜」
(瑞香、ファイトぉ!)
 夕暮れに沈む町に瑞香の泣き声がこだまして、月と星の見守る中、瑞香は女の子の特訓を受けるのであった。合掌。





 やっと、瑞香の登校初日が終了。某妖精並に時間経過が遅いが、あちらは精緻な描写のせい、こちらはただ単に、作者がサボっているせい(汗)。いやはや、申し訳ないです。というわけで、第7章もお待たせすることになると思いますが、のんびり待っていてくだされば、幸いです。





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