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 4章までを、“ししょう(支障)”なければ読んでね♪
桃香「……悪化してる。それじゃあ、全然、あらすじ紹介にもならないじゃないの! 全く、もう! 代わりに、あたしがやってあげる。
……可愛い幽霊として瑞巴に取り憑いたあたしは憧れの藤沢君に接近することに成功。やっぱり、藤沢君、格好いい。仲良くなったサヨと一緒に剣道の練習を見学する事になったの。いいでしょう?」
瑞巴「お前のもあらすじ紹介になってないって(苦笑)」




お憑きあいしましょう

作:南文堂




第5章

 放課後。雅宣に伴われ、瑞香と佐代子は柔道剣道場へとやって来て、道場の扉を開けると、独特の畳と汗の臭いが鼻をついた。瑞香は男の時は大して気にならなかったが、女の子になるとこうも気になるのかと少し驚いていた。
(女の子はあんた達と違って繊細なのよ)
 桃香はなにやら自慢げにそう言ったが、瑞香にしてみれば、繊細にしては随分と神経が図太いんじゃないかと思っていた。が、思っているだけで言わずにおいていた。
 そんなやり取りを心の中でしている間に、先に来ていた剣道部の部員達が瑞香と佐代子の周りに群がった。
「主将。どうしたんですか、彼女っすか?」
「主将。もしかして女子マネですか?」
「主将。俺、頑張ります! 頑張って、彼女らを甲子園に連れて行きます!」
「おまえら! 馬鹿なこと言ってないでさっさと着替えろ! 彼女達は俺のクラスメイトで、剣道に興味があるから練習を見学しにきただけだ」
「主将。ついに女子部員誕生ですね。任せてください、手取り足取り、腰取り、寝技まで指導します!」
「……」
 雅宣は黙って竹刀袋の紐を解いた。
「主将。即刻、着替えてきます! 練習、練習、楽しいな」
 部員達は弾かれたように更衣室へと我先にと逃げ込んだ。雅宣は二人に「適当に見学しててくれ」と言い残して部員達を追った。
 それを見ながら瑞香と佐代子は苦笑を浮かべた。
(それはそうと、女子部員は何だけど、女子マネ……いいわね。主将と女子マネの恋。定番だけど、王道ね。一緒にいる時間が増えて……)
(それだけは勘弁してくれ。他はなんでもいいから。頼む)
 桃香が女子マネに興味を持ち始めると、瑞香は苦渋に満ちた声で彼女に頼んだ。
(? まあ、別にいいけど……他は何でもするんなら)
 あまりにも瑞香の声が真剣だったので、桃香は怪訝に思いながらも、言質も取れたので深くは追求しなかった。
(ありがと、桃香)

 頭にたんこぶを作って出てきた部員達は円陣を組み、体操、腕立て、腹筋、背筋、素振り、切り替えし、打ち込みと剣道の基本的な準備体操を終えると各自防具をつけた。
 練習は先ずは、大きな振りで面を打ち込み、打たれたものは体を開いて、打ち込んだものはすり足でそのまま真っ直ぐ、竹刀を打ち込んだ形のまま突き抜ける。基本の打ち込みから始まった。
 こういった基本どおりの打ち込みは、まず本当の試合ではありえないが、基礎が出来ていないと手打ちになったり、自分の間合いがきっちりとつかめなかったり、残心が綺麗でなかったりするので、その点を踏まえて、きっちりと練習しているようだった。
 松林高校剣道部には未経験者は居ないはずであったので、未経験者用の練習カリキュラムではなかった。基礎を疎かにしない。
「雅宣らしい」
 瑞香は心の中でそう感想を漏らした。基本の練習はバカにされがちであるが、これをどれだけやったかが、試合で生きることもある。厳しい審判の時は特に。
 練習は基本的なものから実践的打ち込みになり、振りはコンパクトになり、スピードが上がる。竹刀の切っ先が触れるか触れないところから、すり足で一歩踏み込み、相手の切っ先を抑えて打ち込む。実際の攻撃に近い練習となった。踏み込みの音と気合が剣道場を響かせていた。練習前はおちゃらけていた部員達も真剣で気合のこもった練習をしているのを見て、佐代子は感心するように「迫力あるわね」などと感想を漏らしていた。
 練習は、続いて技の練習になった。今日の技は出小手。相手が面打ちに来るときに隙の出来た小手を、面を打たれるより前に小手を打つ。後の先を取るオーソドックスな技であるが、タイミングとスピードの要求される技である。
「だめだ、だめだ! 出小手と面が同時だったら、審判は面を取るぞ! はっきりと力強くなかったら、先に決まっても無効にされるんだ。鋭く素早く打て!」
 雅宣は部員に技の指導していった。剣道を指導できる教員がいないので、名ばかりの部長は滅多に道場に顔を出さない。そうなると、自然に指導は経験者の雅宣達二年や、時々、訪れてくれるOBや近所の道場の師範にお願いしていた。
 余談だが、指導をお願いする師範の中に瑞巴の父親、珠久重幸も入っているのだが、滅多に顔を出さないので『幽霊師範』とありがたくもないあだ名がついていた。
「お父さんもヒマなんだから、ちょくちょく、指導にくればいいのに」
 瑞香は自分の父親がありがたくもないあだ名を頂戴していることに不満を漏らしたが、今、来られるのは困るかななどと、ワガママな事を考えていた。
 部員達の熱の入った練習に、元々剣道をしていた瑞香は楽しそうに見ていたが、剣道などほとんど知らない佐代子は、最初こそ物珍しさで瑞香に質問したりして、楽しんでいたが、だんだんと暇を持て余してきていた。
「ねえ、瑞香」
「ん? なに、サヨ?」
 瑞香は佐代子の方を見ずに呼びかけに応えた。
「瑞香、藤沢君のこと、好きなんでしょう?」
「え?! ど、どうして?」
 瑞香は驚いて佐代子の方を見ると、彼女はニヤリと微笑んでいた。その微笑で今のリアクションが質問の肯定であることに気が付いて、瑞香は慌てて口を押さえたが、五秒ばかし遅かった。
「やっぱりね。まあ、そんな感じがしたんだよね。みんなに囲まれてるときも、ちらちら藤沢君を見てたし、あたしに剣道の事を聞きに来たのも、藤沢君が剣道部と知っててでしょう?」
 瑞香は罠に嵌ったワトソン君の気分でホームズ君の名推理を拝聴した。
(何が『任せて』よ。ばればれじゃない)
「ねえ、どこで? 試合かなんかで見かけて一目惚れ?」
「う、うん、まあ、そんなとこ」
 佐代子の素晴らしい洞察力に舌を巻き、もはや誤魔化すことはできないと知って、瑞香は仕方なく白状した。
「まさか、一緒の学校に通いたくて転校してきたとか?」
 瑞香の前の学校は桃香の通っていた学校としていたので、正直言って、松林高校とはレベルが二つ程違うお嬢様学校である。よっぽどの事情がない限り、転校してくるとは思えなかった。
「ま、まさか! そんなわけないわよ。前の学校は遠いから、近くの方がいいだろって……」
「そうよね。珠久君……瑞巴お兄さん、いつ帰ってくるか、わからないものね」
「うん、そう。そうなの」
「まあ、そんなことより、ライバル多いわよ、藤沢君は」
 佐代子は何か含みを持った言い方で瑞香に忠告した。
「もしかして……サヨも?」
 それなら強敵だと瑞香は正直に困った顔をした。佐代子は容姿で分類すれば、美人に該当すると瑞香の主観では思うし、それに文句をつける人間も少ないだろう。そして、何よりも彼女の気持ちのいい性格は雅宣も嫌ではないだろう。もしかすると、むしろタイプかもしれない。実を言うと、瑞巴も彼女に対して淡い気持ちを持っていないわけではなく、その証拠に瑞巴は彼女と接近できたことをほんのちょっぴり、いや、かなり喜んでいた。
「残念。外れ。あたしはもっと他の人」
「他の人? じゃあ、サヨ、誰か好きな人がいるの!」
 瑞香は佐代子に好きな人がいるというのを知って、身体を乗り出して、佐代子に迫った。
「うん。でも、藤沢君じゃないわよ。安心して」
「だれ? 教えてよ」
 瑞香は淡い気持ちが完全に壊れるのは怖いが、知ってしまった以上、中途半端にはされたくなかった。
「ふふふふ、秘密♪」
「あー、ずるい、あたしだけなんて!」
「自白しといて何を言うか」
「さいばんちょお、さっきのは、ゆーどうじんもんだと思います」
「却下する」
「うー、サヨ、ずるい」
「まあまあ、藤沢君との事、味方してあげるから」
 瑞香はむくれて見せたが、佐代子にお姉さんを気取られて頭を撫でられた。どう転んでも佐代子のほうが一枚も二枚も上手である。もし、彼女が雅宣を好きならば、相手にならなかっただろうなと、瑞香は改めて思った。
(なに、負けを認めてるのよ。まったく! 恋は本気の強気が勝機を呼ぶのよ。気迫で負けない! こんな調子じゃ、これから先が思いやられるわ。でも、まあ、心強い味方が出来たってことで許してあげるけど)
 桃香は弱気な瑞香を非難したが、思わぬ味方を手に入れて、上機嫌であった。
(こんなに順調にうまく行くなんて、何だか、今日はいい一日だわ。さすがは星占いで運勢最高だっただけあるわ)
「あたしは最低だったけど」
 瑞香はそう言おうとしたが桃香の気分に水を差すのは悪いと思って黙っておくことにした。
 しかし、二人があとで、一日がまだ残っている事を思い知るのであった。

 瑞香と佐代子が雅宣のことを話していると、すっと辺りが暗くなった。
「?!」
 瑞香と佐代子は暗くなった原因に目を向けると、そこには『藤沢』と白い糸で刺繍された垂れ(剣道の防具で腰に巻いたヒレ)をつけた雅宣が立っていた。
「あ! えっ! ま……ふ、藤沢君。い、今の聞いてた?」
 二人は完全に虚をつかれて、突然の雅宣の出現に狼狽して、のけ反った。
「? 何か言ってたのか?」
「え? べ、別に、なにも。ねぇ、瑞香?」
「え? あ、うん、なんにも。ねぇ、サヨ」
「? 変なやつらだな。まあ、いい。悪いが、ちょっと、手伝ってくれ」
「いいけど、あたし、剣道した事ないよ」
「いや。これから、かかり稽古をするんだが、このストップウォッチで二分毎に笛を吹いてくれないかな?」
 雅宣はストップウォッチと笛を二人に手渡した。
「ちゃんと、洗ってあるから、大丈夫だ」
「別に、そんなの気にしないわよ。うん、わかった、二分毎でいいのね」
「ああ。じゃあ、頼んだよ」
「ねえ、かかり稽古って?」
「今、あそこに五人立ってるでしょ? それで、他のみんなはその前に並んでいるでしょ?」
「うん」 「今から、そこに並んでいる先頭の人が、あそこに立っている人にかかっていくの。二分間、休みなしで攻め続けるの。終わったら、隣の列の最後尾へ並んで、五人全てに当たったら、抜けていくの。一人あたり、三人の列だから、二分打ち込み、四分休みね」
 瑞香の説明が終わるとともに雅宣が竹刀を上げて合図を送った。瑞香がそれを見て、笛に短く鋭く息を吹き込んだ。
 怒号と竹刀の防具を叩く音、床板を踏み込む振動、今まで以上に喧騒にあふれた道場を目の当たりにして佐代子は目を丸くした。
「なんか、しんどそう」
 肩で息をしながら重たい足取りで列に並び、短い休憩の後に再び竹刀を構えてかかっていく部員を見て佐代子は正直な感想を漏らした。
「ある意味、一番キツイ稽古よね。そろそろ、2分じゃない?」
「あ。うん……55秒……はい、2分」
 ピーッ!
 瑞香の笛でかかっている部員が地獄から開放され、列の最前列の部員が安息から地獄へとかかっていく。かかっていく側が少しでも休もうとするなら、地獄の鬼よろしく、元立ち――かかられる方が竹刀で面や小手を強かに打ち、面を持たれて引き倒されたりしている者もいる。二分間は全力でかかっていくことを強いられる。それがかかり稽古である。
 たかだか400グラムも満たない竹刀が鉛の棒のように重たく感じられ、まともに振り上げることすら困難になる。防具が汗の発散を邪魔して、不快さが募る。目に入った汗も面が邪魔で拭えない。道着の袴が鬱陶しく足にまとわりついて、重くなった足を絡め取ろうとする。朦朧とする意識の中で何も考えずに竹刀を振り上げて休み無く攻め続ける。部員達はたかが二分がこんなに長いのかと、その倍の四分がこんなに短いのかと毎度のことながら、痛感させられていた。
 ピーッ!
 雅宣はかかってきた相手に面を打たせて、地獄から開放すると、
「それまで!」
 と、かかり稽古の終了を告げると、部員達全員に安堵の空気が流れた。
「次は地稽古。各自、組になれ。悪いが、今度は三分で笛を頼む」
 地稽古は対戦の練習で空手の組み手に当たる。ここで、練習した技を試したり、試合の駆け引きを練習したりする。稽古の中ではある意味一番楽しい稽古であった。対戦相手は「お願いします」と申し込めば早い者勝ちで、人気のある人から対戦が決まっていく。ちなみに、人気の無いのは打撃が強い人や故意かわざとか防具以外の場所に打ち込みをする人であった。
「でも、余った人が一番、情けないわね」
 佐代子は道場の隅に置いてある、打ち込み人形『ムサシ君』に打ち込みの練習をしている部員を見て言った。確かに、哀愁漂う情景だった。
「そうね」
 瑞香は心ここにあらずで佐代子に相槌を打った。
(藤沢君……かっこいい)
 これには瑞香も同意した。雅宣の太刀筋はスピードがあり、綺麗だった。試合では多少体勢が崩れていても一本を取れるにも関わらず、スピードのみに頼ることなく基本に忠実に相手を崩して打ち込むのが雅宣のスタイルであった。もちろん、残心も文句無く決まっているので、見るものに清涼感があった。
(相変わらずだな。やっぱり、雅宣は)
 雅宣の性格がその太刀筋によく現れていた。剣は己を映す鏡というが、本当にそうだなと瑞香は一人納得していた。
(ちなみに、あなたのはどんなのだったの?)
(……訊くな)
(さぞや、ひねくれてたんでしょうね)
(うるさいなぁ。どうだって、いいだろう!)
(まあ、別に剣道するわけじゃないからいいけど)
(……そうだな)
 瑞香は目の前で繰り広げられる技の応酬などを見ていると、自分も竹刀を持って、その輪の中に入りたい衝動に駆られていたが、自分が竹刀の持てない身体であることを思い出して、余計に心が疼くのを感じていた。
(やっぱり、見学なんてするんじゃなかったかな?)
 瑞香は剣道との決別はできたと思っていたが、やっぱりどこか未練がある自分を見つけて、『男らしくない』と叱責しようとしたが、『今は女の子だもんね』と桃香に茶化されそうで、やめておいた。
 楽しそうに剣道をする雅宣を見ていると、少し嫉妬に似た感情が胸の奥で燻っているのを感じた。
(いいなぁ……おれも……)
「もう、瑞香ったら、ほんとに藤沢君のこと好きなんだね。さっきからずっと、見つめっぱなしじゃない」
「そ、そんなこと無いよ。で、でも、藤沢君って上手いから、つい、目がいっちゃうだけよ」
 佐代子が呆れるように瑞香にそう言うと、自然と雅宣を目で追っていたことに気が付いて慌てて否定した。
「ハイハイ、そういうことにしといてあげましょう。あ、三分よ」
「う、うん」
 ピーッ!
 瑞香は笛を鳴らして相手の交代を告げた。

「正面に礼」
 道場の壁にかけてある額に向かって全員が正座したまま頭を下げた。
「それでは、今日はこれで解散。明日も朝練があるから、忘れずにな」
『はいっ!』
 雅宣の〆の言葉で部員達は緊張を解いて、「疲れたー」などと雑談しながら、自分の防具を片付けに入った。
 汗で汚れた防具は一種独特の臭気を漂わせ、特に小手(手にはめるグローブ状の防具)などは殺人的に臭い。この匂いが剣道の人気が今一つな原因なのだろう。瑞香も佐代子もだいぶ鼻が慣れてきたとはいえ、防具を脱いで開放された汗の匂いにはたまらず、表に出たぐらいである。
「ありがとう、助かったよ」
 胴着のまま雅宣が表に避難していた二人のところまでやってきた。一応、軽くは汗を拭いてはいるが、それでも、まだ後から汗が滲んで傾きかけた日に光っていた。
「ううん。大してお役に立てなかったけど」
 昼間の暑さが嘘のように吹き抜ける風が心地よく瑞香と佐代子の髪を揺らした。
「いや、地稽古は一人余るからいいんだけど、かかり稽古はね。結構大変なんだよ」
 雅宣は苦笑を浮かべてそう言った。瑞香は、雅宣にファンが多いのにも関わらず、誰もマネージャーになろうとするものがいないことに気が付いて、少し不思議に感じた。
「そうなんだ。大変だね」
「いっそのこと、マネージャーになったら? 結構詳しそうだし」
 佐代子が肘で瑞香をつついた。瑞香は苦笑いを浮かべて、マネージャーになる気はないと言おうとしたその時。
「ダメーっ! 剣道部のマネージャーは特別緩衝地帯なのよ!」
 突然、別の方向から声がして、三人はその方向に振り返った。
 そこにはやや茶色味のかかった黒髪を髪留めでポニーテールのように留めて、大きなぱっちりとした目を見開いて、瑞香と佐代子を睨みつけ、どこかから走ってきたのか、手摺を持って少し前屈みになりながら肩で息をしていた。制服のベストに縫い付けられているエンブレムの色から一年と知れたが、わかったことはそれだけで、瑞香が見かけたことのない女の子だった。
「だれ?」
 瑞香は誰かの知り合いだろうと佐代子と雅宣の方を見たが、二人とも首を横に振った。
「藤沢先輩ファンクラブ会員番号22番。一年一組、尾上野裕子(おがみの・ゆうこ)。超常現象研究同好会所属っ」
 裕子はポケットの中からファンクラブの会員証を取り出して三人に見せた。
「怪しい気配がすると思って来てみれば、まさか、マネージャーなんて! 主将と女子マネージャー。恋の一次方程式で一発解答の大王道じゃない。アレキサンダー大王も真っ青よ! ファンクラブの取り決めでマネージャー禁止になったのを知らないとは言わせないわよ!」
 彼女は自己紹介から一気に自分の言いたい事を一息で言い切った。
「……知らない。そんなこと。転校してきたばっかりだし」
 瑞香は瑞巴として松林高校にいたが、そんな事は聞いたこともなかった。
「ファンクラブがあるのは知ってたけど、そんな取り決めまであったの?」
 佐代子は裕子の言った事に半ば驚き、半ば呆れた。
「お前達の仕業か? マネージャーになりたいって来てくれた人が、やっぱり、やめると言ってくるのは」
 雅宣は髪の毛をかきあげるように額に手を当てて、裕子を少し睨んだ。
「ああ、ごめんなさい、藤沢先輩。でも、これも平和のためなの。恋する乙女の暴走をそっと見守って」
 裕子は両手を合わせて少し上目使いで甘えるように可愛く懇願した。
「見守れない見守れない」
 瑞香はいくら可愛く頼まれても、そんな無茶苦茶を認められないだろうと突っ込みを入れた。
「なんですって! 先輩には関係ない……ん? あなた……」
 裕子は瑞香の突っ込みに反応して、三人の方に近づいて何か言おうとしたが、彼女を見て片方の眉を顰めた。
「な、なに? なにかあるの?」
 何だかとてつもなく嫌な予感がして瑞香はちょっとたじろいだ。
「あなた! ――藤沢先輩、その女から離れて!」
 裕子が鋭さを持った声で雅宣にそう言って構えを取った。
「はい?」
 雅宣も佐代子も彼女が何を言っているのかわからずに、きょとんとした。
「その女! 怨霊よ!」
「おんりょう?」
 今度は佐代子が訊き返した。裕子と雅宣、佐代子との間にはあまりにも温度差がありすぎて、会話が成立していなかった。
「そうよ! 普通の人は騙せても、あたし、霊能美少女、尾上野裕子は騙せはしないわ!」
 裕子は温度差など何処吹く風で話を推し進めた。
「な、な、な、何を証拠に!」
 瑞香は冷静に答えようとしたが、見事に失敗した。
「その狼狽ぶり。それが動かぬ証拠!」
(ほんとに、あなたって……バカ!)
「そんなの証拠にならないわよ」
 瑞香はとりあえず反論して、後でオカルトかぶれした女の子の戯言にすればいいと平静を取り戻した。
「論より証拠!」
 裕子はそう言うと髪留めになっていた数珠を外して手に構え、印を組んだ。なかなか様になっていて、三人が感心していると、彼女は口の中で何かを唱え始めた。
 瑞香はそんなのはこけおどしと無視して、雅宣が妙な誤解をしないようにフォローしようとしたが、突然、目眩に襲われた。
(あの子、ふざけてるけど、本物の術者だわ)
 瑞香は何か訳のわからないものが圧し掛かるようにして自分を押しつぶそうとしているのを感じた。息苦しくなり、呼吸が浅くなり、動悸が激しくなる。全身からは脂汗がにじみ出てきた。 「どう? 密教真言の味は? 迷わず成仏させたげる」
 裕子は真言を一時中断してくすりと笑うと再び真言を唱え始めた。
(これで、桃香が成仏したら、男に戻れる)
 息も絶え絶えになりながら瑞香はそんな事を脳裏によぎらせた。
(バカ! あなたの魂に取り憑いてるのよ。無理矢理成仏させられたら、あなたの魂を半分ぐらい持って行くことになるのよ。それぐらい強引に成仏させようとしてるのよ、あの子は!)
(は、半分? そんなに持っていかれたら……)
(よくて無気力人間。普通は廃人。最悪、植物人間)
「それは、いやぁ!」
 しかし、瑞香に裕子の真言を返すための準備も何もない。せめて、五十鈴があれば何とかなるだろうが、それすら持ち合わせていないことを悔やんだ。
(どうすんのよ!)
 焦る桃香の声に瑞香は必死に対抗手段を思い出していた。
「と、とりあえずは……にぎはやひのみことおんかみたてまつりまする ふるのみたまのおおかみこと あまつしるしみずたからとくさ おきつかがみ へつかがみ やつかのつるぎ いくたま まかるがえしのたま たるたま ちがえしのたま おろちのひれ はちのひれ くさぐさのもののひれ ゆらゆらふらば かくれたもうものもおこさせん……」
 瑞香は口の中で祝詞を唱えながら、細かくステップを踏んだ。その途端、彼女を押しつぶそうとするような得体の知れない力が幾分軽くなった。彼女の踏んだステップ、十種神宝の歩法(とくさのかんだからのほほう)の五式、死反玉で何とか時間は稼げても、真言の影響が今以上になれば、間違いなく歩法は踏めなくなり、強制成仏させられてしまう。
 人形呪法を知っていれば、少しは勝機があっただろうけど、瑞香はそれを習っていなかったのをこのときばかりは後悔した。
(なんで習ってないのよ)
(見たい番組があったんだよ)
(パタリロか、あなたは! ビデオがあるでしょうが、ビデオが!)
(だって、ライブで見たかったんだよ)
(うっ、その気持ちわからなくもないけど……やっぱり、あなたのせいよ!)
 二人が言い合っているうちにだんだんと裕子の真言の影響が強くなり、次に打つ手もないまま二人は崖っぷちへと追い込まれていった。
 裕子もそれを感じ取れたのか、余裕の笑みを浮かべてますます真言を唱える声を強めた。
(ああ、何もいい事がない人生だった。思い起こせば……)
(何、走馬灯の用意してるのよ。頑張りなさいよ!)
 桃香は瑞香を励ましたが、どうする事もできないことはわかっていた。そして、ついに徳俵に足がかかった。
(思えば17年間、ろくな目には……)
(いやあ! 成仏なんかしたくない!)
「ぬぅわぁ!」
 二人がもうダメかと諦めかけた、その時、どこかで奇声が聞こえたかと思うと、瑞香を押しつぶそうとしていた力がふっと消え去った。それによって、ギリギリを保っていた緊張感が一気に解けて、その場に崩れ落ちようとしたところを雅宣に脇から支えられた。
「まさ……藤沢君。あ、ありがとう」
 瑞香はお礼を言って、雅宣からそっと離れた。
「い、いや。だ、大丈夫か?」
 雅宣も何だか気恥ずかしそうに顔を赤らめて瑞香に訊いた。
「う、うん。大丈夫。ありがとう」
 それを見て、ますます恥ずかしそうに瑞香は俯いた。
(もったいない! もっと抱かれていればいいじゃない)
(ば、ばか! そ、そんな恥ずかしい事できるわけないだろう!)
 瑞香の心臓は爆発しそうなほど激しく脈打ち、密着していて、それが知られる事を考えたら、恥ずかしくて一秒足りとも身体を預けていられなかった。それどころか、こうして離れていても心臓の音が聞こえるのじゃないかと瑞香は不安で仕方なかったぐらいだった。
(な、なんで、こんなにドキドキするんだ? 相手は雅宣だぞ、男だぞ)
 瑞香は自分でもわからないこの心臓の動悸に困惑して今までにない雅宣に対しての感情を持て余していた。
(なに言ってるのよ! その藤沢君と付き合うために接近してるんじゃないの。ドキドキしないでどうするの! あなた、今は女の子なのよ)
(お、おれは男だぁ! そ、それより、なんで助かったか確認しなくっちゃ)
 そこで初めて、どうして真言が止んだのか疑問が浮かび、裕子の方を見ると鼻を押さえて涙目になっていた。彼女の前には小手を持った佐代子が仁王立ちになっていた。どうやら、佐代子が真言を唱えている裕子の鼻に小手を押し付けたようだった。
「ぬぁ、ぬぁんてことふるんでふふぁ? ふぇ、ふぇんふぁい!」
 裕子はまだ、鼻を押さえているところを見ると、かなり強烈だったのだろう。
「何てことするんですか、ですって? それはあなたでしょう! どんな手品を使ったか知らないけど、瑞香に何かしたんでしょ!」
「だけど!」
「ほほう! 先輩にあくまで逆らうつもりなのね。よっぽど、小手の匂いが気に入ったのかしら?」
 佐代子は静かな声で裕子に言って、手に持った小手を振った。それを見て、裕子はびくっと痙攣するように後退って、涙目になって首をふるふると左右に振った。
「よろしい。それじゃあ、瑞香に謝って、さっさとどこかに行きなさい」
「う、う、う……いつか成仏させてやるんだから! 夜は月夜の晩だけじゃないのよぉ!」
 裕子は半泣きになりながらダッシュで逃げて行った。
「あ! こら! ちゃんと謝って行きなさい!」
 佐代子は追いかけようとしたが、瑞香がそれを止めた。
「全く、最近の一年は……」
 一年しか学年が違わないのにまるで十年以上年が離れているかのように言う佐代子に瑞香はくすりと笑った。
「ありがとう、サヨ。助かったよ」
「え? あっ。う、ううん。いいのよ。友達じゃない。それより、どんな手品を使ったのかしら?」
 佐代子は何か照れて顔を赤らめて、裕子の逃げていった方向を見て話題を変えた。
「さあ、あたしにもわからないよ。世の中不思議なこともあるもんね」
 瑞香はそう答えて苦笑を浮かべた。
「悪かった」
 騒ぎも一段落したところで雅宣が瑞香に頭を下げた。
「え? なんで、藤沢君が謝るの?」
「いや、その。俺のファンとか名乗る娘が迷惑かけたから……」
 雅宣は困った顔でそう言って、再び頭を下げようとしたが、瑞香がそれを押し止めた。
「そんなの関係ないよ」
「そうよ。自分のしたことは自分で責任を取る。当たり前のことよ。他人のしたことまで責任感じる必要はないわよ」
 佐代子も瑞香の意見に賛同した。
「だけど……」
「そこまで言うんなら、瑞香を家まで送ってあげれば? あの子も仕返しに来るかもしれないし。ね♪」
 佐代子はちらりと瑞香を横目で見てウィンクした。
「そんなの、悪いよ」
 瑞香は両手を振って断った。瑞香の家は雅宣の家より学校から遠い位置にある。方向は同じでもかなり遠回りになるのであった。
(なに、遠慮してんのよ! チャンスじゃないの)
「いや、是非、送らせてくれないか? もし、迷惑じゃなければ」
「いいじゃん、いいじゃん。送ってもらいなさいよ。せっかく、そう言ってくれてるんだからさ」
 佐代子はわざわざお膳立てをしたのであるから、そのお膳に箸をつけてもらわなければ、引っ込められないので、強引にお膳を勧めた。
「でも……」
「遠慮しない。姫をお守りするのは剣士の務め。でしょ? ね、藤沢君」
 佐代子は今一つ煮え切らない瑞香を後押しするために雅宣に話題を振った。
「ははは、そうだな。それでは、姫君方、拙者が道中、護衛つかまつるでござる」
 雅宣はちょっと時代劇がかった仕草でお辞儀した。その仕草に思わず瑞香は吹き出して笑ってしまった。
「もう、それじゃあ……同行することを許す。よきに計らえ」
 瑞香は笑ってしまってはもう断るわけにもいかず、送ってもらうことを了承した。
「はは。ありがたき幸せ。この身に替えましても姫君方をお守りいたすでござる」
「藤沢君も瑞香もノリノリね。――って、姫君方って、もしかして、あたしも?」
「もちろんでござるよ、松前の姫」
「そうじゃ。かの娘を追い返したのはそなたであろう? 仕返しに来るとすればそなたの方が危なかろ?」
「そんなのダメだって!」
 今度は佐代子が両手を振って拒否した。
「いいじゃない。一緒に帰ろ、佐代子姫」
 瑞香は甘えるように佐代子の腕を取った。瑞巴だった時はとてもできそうにないことだが、女の子になったせいか、自然とそういうことをしてしまっていた。
 それを聞いて、雅宣は荷物の片付けと着替えをしてくると、道場へと姿を消した。
「まったく、瑞香ったら、せっかく二人っきりで帰れるチャンスなのに」
 雅宣がいなくなってから佐代子は呆れた口調で瑞香にそう言った。
(その通りよ! まったく、なに考えてんだか。こんな調子だったら、瑞巴の身体で迫った方がよっぽどマシだわ)
 瑞香はそこで初めてその事に気が付いて、あっと手で口を押さえた。
「でも、まあ、いいじゃない。一緒に帰ろ」
 瑞香は気を取り直して、もう一度そう言った。
(正直、今、雅宣と二人っきりにされたら、間がもたないよ。桃香じゃないけど、心臓爆発しそうだよ)
(何だかんだ言いながら、瑞香も充分、恋する乙女じゃない。まあ、二人っきりになれなかったのは残念だけど、その心境の変化だけで今回はチャラにしてあげる)
(俺が、雅宣に恋してる? そんなバカな……)
 瑞巴は認めたくない思いを桃香によって指摘され、困惑して、戸惑っていた。
 裕子と遣り合って、それが原因で心臓の動悸が激しくなったのを、雅宣に対しての気持ちの表れと勘違いした事に二人は気付いていなかったが、そんな事は些細な事であった。勘違いも思い込めば本物になるものであるから。




あとがき
 ああ! 週刊お憑きあいしましょうが……(涙)
 ウィルス許すまじ! スキャンするのに時間がかかったから間に合いませんでしたが、エセ週刊お憑きあいしましょう。最後までお読むくださって、ありがとうございます。
 今回は尾上野裕子ちゃん登場編です。ちょっとしか出てませんけど(汗)。これから、裕子ちゃんが二人を引っ掻き回してくれるといいんだけど、どうなるかは謎です。しかし、私の書くライバルのキャラクターって……なんでだろう?(爆)







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