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 さあ! 寄ってらっしゃい、見てらっしゃい! 優しげな見掛けとは裏腹に、強力な術者、朋美お母さんに、女の子言葉しか話せなくなった瑞巴君。今回からは学校編。無事に男の子に戻れるのかどうか? それは見てのお楽しみ! さあ! お代は見てのお帰りだ(笑)。
桃香「見世物小屋のおっちゃんみたい……」



お憑きあいしましょう

作:南文堂




第3章



 瑞巴は小走りで体育館の裏へと急いだ。雅宣に相談がある言われ、放課後にそこで落ち合う事を約束したが、ちょっと用事で遅れてしまっていた。几帳面な彼ならば、早めに来るだろうから、あまり待たせてはいけないと、自然と歩調は早くなった。
 体育館裏に到着すると、雅宣は壁に背中を預けてひとり瞑想していた。彼以外には誰もいない。
「雅宣、待たせて、わるい」
 瞑想している彼に駆け寄って声をかけた。
「ああ、いや、そうでもない」
 彼はそう答えたが、だいぶんと待っていた事は長年の付き合いでわかっていた。
「わるいな、ほんと。で、相談ってなんだ?」
 もう一度謝ってから、単刀直入に本題を入ろうとした。そっけないが、これが気の置けない彼との間のいつもの会話である。
「あ? ああ、相談……な」
 歯切れの悪い物言いに怪訝な表情を浮かべた。
「何だよ、らしくないな。お前と俺の仲だろ? 何でも言えよ。秘密は絶対に守るから安心しろ」
「あ、ああ……」
 しかし、彼は困ったような曖昧な表情で、それ以上に曖昧な返事を返して、結局は黙り込んでしまった。
「……」
「……」
 二人の付き合いで、今までにない奇妙な時間が流れていった。
「おい? どうしたんだよ、ほんとに。いつもらしくないな。いつもはズケズケ言うくせに。相談があるって、こんなところに呼び出すのも変だけど、ほんと、どうしたんだよ」
 沈黙の重苦しさに息が続かずに、彼に詰め寄った。剣道部のエースで上背のある雅宣に対し、身長が平均以下の瑞巴は彼を下から覗きこむような格好になるので、構図的に締まりはないが、問い詰める語気は充分きつかった。
「……」
 雅宣は詰め寄られても顔をそむけて沈黙を続けていた。
「おーい。起きてるか?」
 雅宣のいつもと様子の違う様子に不安を感じ、瑞巴はわざと茶化すように呼びかけた。
「……だ」
 雅宣は半歩も踏み出せば瑞巴の足を踏めるぐらい近くで、しかも耳のよい彼にも聞き取れない程、小さな声で何か呟いた。
「なんだって?」
「……きだ」
「何て言ったんだよ。はっきり言えよ。こっちを向いて!」
 いい加減苛立ちが募ってきた瑞巴は彼の胸倉を掴んで怒鳴った。
 雅宣は瑞巴の方に顔を向けると、その色を青くしたり、赤くしたりし、落ち着きのない視線を彼に向け、そして、瑞巴の両肩に手を置くなり、いきなり腕を伸ばして彼を引き剥がした。
 瑞巴は突然のことだったので不恰好によろけながらも後ろに下がり、何とか転ばずに踏みとどまった。
「――っと! い、いきなりなにするんだよ!」
「お、おれ……」
「?」
「お……お、おれ、お前の事が……好きなんだ! 付き合ってくれ!」
 雅宣は貧乏学生のレトルトパック並に勇気を搾り出して、想いを口にした。
「……」
「……」
「……な、なにぃぃぃぃ!」
 予想外の台詞に瑞巴の思考は一瞬硬直していたが、硬直が解けてそれを理解すると悲鳴ににも似た叫びを上げた。
「真剣なんだ。遊びじゃないんだ! おれ、俺、こんな気持ちは初めてで、上手く言えないけど、その、好きなんだ。真剣に……」
「ちょ、ちょっと待て!」
 雅宣は決壊したダムのように喋りつづけ、瑞巴はその洪水の中になりふりか構わずに分け入らなければならなかった。
「?」
「お、お前と付き合えるわけ無いじゃないか!」
 瑞巴はとにかく、なにをさて置いても、それを先に言った。
「…………だめか……そうだよな。ほっとくわけないよな……付き合っている奴がいるんだろ?……だけど、おれ……本気なんだ。それだけは信じてく……」
 雅宣は全ての表情を噛み殺して、湧き上がる感情を必至に抑えこんでいた。
「な、何言ってるんだよ、お前! 付き合っている奴なんていない。男のお前が、男の俺を付き合えるはずないだろ!」
 その無理している彼の表情に何故だか罪の意識を感じて、胸の奥に甘い苦味が広がり、それを誤魔化すように、瑞巴は怒鳴るように喋った。
「男?」
「ああ、ホモじゃあるまいし」
「何言ってるんだ、君は女の子じゃないか、瑞香さん」
 そう言って、どこから出したのか姿見の鏡を瑞巴の目の前に置いた。その窓の向こうには、肩まで伸びた長い髪の可愛い少女が学校指定のブレザーとズボンを穿いて、目を丸くして驚きの表情を瑞巴に向けていた。
「お、お、おんなぁ?!」
…………………………
 肌布団を跳ね飛ばして瑞巴は跳ね起きた。寝汗で身体に張り付いたTシャツの不快さも、目覚し時計の針も今は関係ない。可及的速やかに確認する事項は二つ。Tシャツを捲し上げて、胸のふくらみの有無を確認する事、パジャマのズボンの口から手を突っ込んで、男性特有の朝の生理現象を起した棒と握ると鈍い痛みを感じる二つの玉の有無を確認する事であった。
「ない! あった!」
 瑞巴は本当に文字通り、その場にへたり込んだ。
「昨日、幽霊に取り憑かれるなんて、変な夢見たから……。だけどなんで、俺が女の子にならなくちゃならないんだよ。少年少女文庫じゃあるまいし……」
 インターネットのサイトを悪夢の原因に決め付けて、ふと時計を見た。
 6時42分。
 いつもよりもかなり早いが、もう一度寝るには目が覚めすぎてしまっている。少々、後ろ髪を惹かれる思いではあったが、瑞巴は布団を畳んで起きる事にした。
(うーん、よく寝た。おはよう)
 布団を畳んで押入れに片付けたその時、目の前に向こうが透けて見える半透明少女が突如として、瑞巴の目の前に姿を現した。
「――っ! 夢じゃなかったのか!」
 少女、桃香の出現により、昨日の記憶が夢ではない現実のものである事を思い出してしまい、あからさまに嫌悪の表情を浮かべた。
(なに寝ぼけたこと言ってるの。失礼ね。いくら幽霊だからって、夢や幻にされたら、たまんないわよ)
 桃香は腰に手を当てて仁王立ちになって文句を言った。幽霊の癖に表情豊かな活気のある瞳が、怒っていても何処となく愛嬌を醸し出している。整った顔立ちも含めて、掛け値なしの美少女である。幽霊である事を除けば。
「たまんないのはこちだよ。朝に、おはようって出てくる幽霊に取り憑かれるなんて、非常識もいいところだ」
 そう言いつつ、瑞巴は重大なことを思い出して、くるりと彼女に背を向けた。
(じゃあ、朝に弱い幽霊ならいいの?)
 しかし、彼女は彼の正面にわざわざ回り込んで可愛く頬を膨らませて文句を言った。
「ああ! そっちの方がいくらかマシだよ!」
 瑞巴はにべもなく再び彼女に背を向けて、部屋を出ようとした。
 瑞巴君も年頃の男の子である。いくら幽霊といえども女の子にズボンの前が膨らんだ状態を見せたい! と思うほど嗜好は屈折していなかった。
(はやいところ、落ち着かせないと)
 表面上は平静を装っていたが、内心はかなり焦っていた。しかし、こういうときに限って、なかなか治まってくれないものである。
(ああ、あたし、実は朝日が弱いのぉ。このままじゃ、消えちゃう。早く、避難しなくちゃ)
 桃香の妙に芝居がかった台詞が瑞巴の背後で聞こえたが、避難するなら早いところして欲しいと、無視して襖を開けようとした。が、突然身体が固まって動かなくなった。
(ど、どうなってんだ!)
 彼は驚きの声をあげようとしてもその声すらも出ない。半ばパニックになりかけたときに口が勝手に動いて、思ってもいないことを喋りはじめた。
「へえ、男の子って、やっぱり視線が高いんだ。何だか気持ちいいわね」
(も、桃香か?)
「ピンポーン♪」
(なにが、ピンポーン♪ だ。どうなってんだよ!)
「身体を変化させなけりゃ、自由に動かすことはできるのよ」
(人の自由を勝手に奪うな! 早く出て行け!)
「残念。あたし、幽霊だから、お日様には弱いの。だから、あなたの身体の中に避難させてもらったのよ。どう? 幽霊らしいでしょう」
(ああ、わかった。幽霊らしい。だから、はやく、早く出て行けよ)
 瑞巴は焦っていた。感覚は共有なので、未だあれが治まっていないのはわかっている。気付かれる前に身体の自由を取り戻さなければ……。
「なによ。そんなに早く追い出したいわけ? 久々の生身の身体を実感させてくれてもいいじゃない。あっ!」
(!!!!)
 あれに気が付かれたと思った瑞巴は、脳裏に楽しくない未来予想図が封切りロードショーされていた。
「いい事、思いついちゃった。今日一日このままでいよ。そしたら、憧れの藤沢君と直接会話できるじゃない。きゃっ! やっぱ、あたしってば、天才っ」
(わかった、今日一日このままでいても、話しても何でもいいから、10分、いや、5分でもいいから、離れてくれ。頼む)  瑞巴はとにかく、それに気が付かれる前に何とかしなければという思いが先走りして、いつもの彼らしくもなく彼女に懇願した。もし、姿が見えるなら、90度以上に腰を曲げている事だろう。もしかしたら、土下座かもしれない。
「そう言って、お札かなんかで武装するつもりでしょう。そうは問屋が卸しませんよーだ」
 しかし、その殊勝さが裏目に出てしまった。
(――!)
「へへん、図星でしょう」
 言葉に窮したのを、図星を突かれたと思い、桃香は大威張りで胸をそらした。
「え?」
 そこで初めて、彼女は股間の奇妙な感覚に気が付いて視線を下げた。
(――――!!)
 万事休す。今までの苦労は水の泡と消え、先ほど脳裏をよぎった映像がリバイバル上映された。いや、後ろにUがついているかもしれない。
「へえ、噂には聞いてたけど、男の子って、……なるんだ」
 さすがに少し気恥ずかしいらしく、桃香は顔を少し赤らめた。
(せ、せ、生理だ)
「……それを言うなら、生理現象でしょう?」
(あう、あわわ)
「ふーん、へえー……見ちゃおっと!」
 既にまともに喋れない瑞巴をよそに桃香は暴走していた。
(ばかぁ! やめろぉぉ!)
 さすがそれには、パニックを起したままでは居られず、悲痛な叫びを上げて抵抗したが、それを無視して桃香の操る瑞巴の手によってズボンが引き下げられた。
(――――!!!)
「うっ。な、なんか、昔見たお父さんのと違う」
 桃香は自分の想像していたのと違うその形状に少したじろいだ。お風呂に一緒に入るぐらいの年齢の娘に欲情する父親はそう滅多にいないだろう。
「変なの。……うーん、ちょっと、触ってみよう」
(やめろぉ! ばか! へんたい!)

しばらくお待ちください

……しばらくおまちください

「……」
(……)
「……あはっ」
(あはっ。じゃない! うーううー……、変態!)
「い、いいじゃない。男の子になるなんてそうあることじゃないんだから、少しぐらい楽しんでも。あなただって、楽しんだじゃない!」
(そ、それは……)
 瑞巴もやっぱり、男の子。することはしていたらしいく、桃香のことをそれ以上は文句を言えずに沈黙した。
「でも、男の子って、毎朝、その……してるの?」
(しないって! トイレに行けば治まる!)
「へえ、単純なんだ」
 桃香は感心するやら呆れるやらで不思議そうにそれに視線を向けた。
(……もう、どうでもいいから。それよりも早く出てってくれ)
 瑞巴は自分のものをしげしげと眺められ、もはや、何も言う気力も失せてきて、力なく言った。
「なんで?」
(な、なんでって、当たり前だろ! 学校に行かなくちゃならないんだぞ!)
「『わかった、今日一日このままでいても、話しても何でもいいから』って言ったじゃない。男なら約束は守らなきゃ」
(約束って、それは身体から出てってくれたらの話だろ)
「そうだったかしら?」
(とぼけるな! だいたい……)
 瑞巴が文句を言おうとしたちょうど、その瞬間、ふすまが勢いよく開いた。あまりにも勢いがよすぎて、ふすまが跳ね返って再び閉まってしまうぐらい勢いがよかった。
「お父さん、ロウ塗りすぎ」
「中途半端に止まると格好悪いからたっぷり塗っておこうって、言ったのは朋美だろが」
「ものには限度がありますっ」
 なにやらふすまの向こうで口論が聞こえ、今度は慎重にゆっくりとふすまが開いた。
「話は聞いた!」
(……父さん、母さん)
 そこには昔の刑事ドラマのような、ちょっとガンマン映画も入っている気障なポーズで重幸と朋美が立っていた。
「おじさま、おばさま……」
 朋美は桃香に人差し指を左右に振って舌を鳴らした。
「おじさま、お姉さま」
 桃香はすぐにその意を汲んで、速攻で言い換えた。
「できれば、ワシもお兄ちゃんと呼んで欲しいが、瑞巴の声でに呼ばれてもな。まあ、そんな事より、話は聞いた」
「(?)」
 二人は頭にハテナマークを浮かべて重幸たちを見つめた。
「桃香ちゃんが、瑞巴の身体で学校へ行く。いいアイデアだから採用しましょう」
「うむ、生身の身体で自由に動くのも久しくなかっただろうから、小汚い身体だが、自由にするといい。藤沢君とも瑞巴としてだが直接、話ができるしな」
「あ、ありがとうございます、おじさま、お姉さま」
 喜色を浮かべて桃香はお礼を言った。
(なにが小汚いだよ! それになに、勝手に決めてるんだ。俺の身体だぞ! どういうつもりだよ)
「うむ、その方が……」
 重幸は少し言いよどんだが、朋美がその後を続けた。
「面白いからよ」
(それでも、親か!)
 こうして、瑞巴の代わりに桃香が学校に行く事が確定したのであった。

「いってきまーす!」
「車に気をつけるのよ、その体はすり抜けなんて器用なことできないんだから」
「はーい」
 瑞巴の姿をした桃香が元気に玄関を飛び出していくのを見送って朋美は居間へと戻った。
 居間では重幸がお茶を淹れて、くつろいでいた。
「瑞巴の奴、怒っておったな」
「まあ、仕方ありませんでしょ。それが一番、あの子のためにもなるんだから。いつかはわかってくれますよ」
「そうだといいのだがな」
 重幸は淹れるのを失敗したお茶のせいか、渋い顔をして湯飲みのお茶を飲み干した。

「……というわけで、突然だが、今日で転校する事になった。まあ、立派な神主になるための修行だから仕方はないな。修行が終われば帰ってくるらしいから、しばしのお別れだな。珠久、みんなに何か言いたい事は?」
 教壇の前、クラス担任教師の香川(かがわ)の横で事情説明を聞いていた珠久瑞巴はきょとんとした顔をした。
(お前だよ、珠久は苗字だ)
「あ、そっか。……え、えーと、今まで、短い、ような長い間、ありがとう。また、きっと帰ってくるから、その時はよろしく。それじゃあ、みんな、元気でね」
 なんとも軽い、妙な別れの挨拶であったが、幸にも突然の事で動揺しているクラスメイトにも、突然の事で動揺しているのだろうと思われているクラスメイトにも不審には思われなかった。
(いいか、絶対、変なことするなよ)
 瑞巴は念を押した。今朝から、女子トイレに入りそうになたっり、女の子言葉丸出しで喋ったり、内股走りしたり、全く気が抜けないでいたから当然と言えよう。さらに、桃香がいきなり、勢い余って雅宣に告白しないかどうかなど、不安要素は山のようにあった。
「大丈夫。まかせて♪」
 しかし、そんな事を全く気にもしてない桃香は軽い調子で答え、瑞巴の不安を余計に増幅させていた。
 それでも、そんな瑞巴の不安をよそに、クラスメイトからいろいろとされる質問に桃香は無難に受け答えしていた。
(やればできるじゃないか)
 ある程度、クラスメイトの質問が落ち着くと後ろの方の席に座っていた長身の男が立ち上がって、瑞巴たちの方へやって来た。瑞巴の親友にして、桃香の想い人、藤沢雅宣(ふじさわ・まさのぶ)その人である。
 長身で、どちらかと言えば細身だが、ひ弱なイメージはまったくなく、日本刀のような鍛えられた鋭さがあった。髪は短髪で、通った鼻筋、真っ直ぐ見据える瞳、真一文字に結ばれた口が凛々しい。凛々しくはあったが、それはどことなく愛嬌を含んだいつもの表情ではなかった。
(あちゃ……)
 瑞巴はその表情が意味するところが、容易に想像できた。
(雅宣、多分、怒ってるぞ)
「……藤沢君。藤沢君があたしの方に来る……」
 しかし、その声は桃香に届かず、彼女は心拍数を上げ続けていた。
「おい、瑞巴。ちょっ――」  雅宣が声を掛けたその瞬間、桃香の心拍数はアルプス一万尺小槍の上でアルペン踊りを踊ったように跳ね上がり、顔を両手で覆い隠して、ダッシュで逃げ出した。
 雅宣は肩に手を掛けようと伸ばした手を所在無く宙に漂わせ、走り去る後ろ姿を呆然と見送った。

 桃香は校舎裏でやっと走るのをやめて、校舎の壁に背中を預けながら丸まるように座り込んだ。
(なんで逃げるんだよ。あれじゃあ、まるで変な奴じゃないか)
 瑞巴は声を荒げて文句を言った。親友に話し掛けられて、顔を真っ赤にして走り去る奴。贔屓目の友人割引で卸値まで差っぴいても、おかしな奴である。
「だ、だって、しょうがないじゃない」
(しょうがないじゃないだろ? だいたい、お前、告白しようと思ってたんじゃないのか?)
「そ、そりゃあ、そうだけど、あの時は、あの時の勢いっていうのがあるし、それに……」
(それに?)
「向こうから話し掛けてくるなんて、心臓破裂しそう」
(頼むから、人の心臓を勝手に破裂させないでくれ。だいたい、雅宣にとっては、今のおまえは瑞巴なんだから、話し掛けてくるなんて、わかりきってたじゃないか)
「そういう問題じゃないって、鈍感ね」
(鈍感でも、敏感でも、ヤカンでもいいけど、どうすんだよ、後始末)
「……こ、このまま知らんぷりで今日一日やり過ごす」
(お前、俺と雅宣の友情にひびを入れたいのか?)
「ダメかな?」
(当たり前だろ! これから瑞巴としては会えなくなるんだぞ。その前にそんなことしてみろ、誤解が膨らんで修復不可能になっちまうだろうが!)
「そんなことで崩れる友情は本物じゃないってことにならない?」
(本気で言ってるなら、怒るぞ。こっちが出来うる限りのことをした上で、やむにやまれないならまだしも、何もしないのに相手の友情に頼るなんて、それがほんとの友達かって)
「でも、相手にとってはどっちも同じじゃない」
(同じでも同じじゃない。なんていうか、その、気構えっていうか、――違うんだよ!)
「わかんないよ」
 桃香は膝を抱えて顔をうずめた。
「なにがわかんないんだ?」
 桃香は突然の声に驚いて顔を上げると、そこには雅宣が怪訝な顔で立っていた。走って追いかけてきたのだろう、額にじんわりと汗が光っていた。
「突然、逃げ出すからびっくりすだろ? どうしたんだ?」
「……」
(桃香、喋らないんなら、替われ!)
「……わるかった」
 桃香は瑞巴にとも、雅宣にとも取れる言葉を口にした。
「あ? 逃げた事か、それとも転校のこと黙ってた事か?」
「両方」
「構わねえよ、別に」
 雅宣は短い髪をかきあげるように頭を掻いて、軽く息を吐くと、瑞巴の隣に座った。
「正直、ちょっとムッとした。なんで一言も言ってくれなかったのかってな。だけど、転校は突然で、知らなかったんだろ? 逃げたのも、何か言えない事情があったんだろ」
「あ、あの……」
 転校なんて大嘘、逃げたのは自分が瑞巴でないから。などと口が割けても言えないが、嘘を突き通すには心が痛かった。本当のことを言ってしまった方がいいのじゃないかと、桃香は口を開きかけたが、どう言ったところで、信じてもらえるようなことでもないし、よしんば信じてもらえたとしても気持ち悪がられるかもしれないと思うと、言葉を紡ぎ出すことはできなかった。
「……いいよ、無理に言わなくても。言えるようになったら、言ってくれ。それまで俺も訊かない」
 雅宣は何かしら感じ取ったのか、そう言って、桃香を葛藤から解放した。
「ごめん」
「あやまんなよ。悪い事してるわけじゃないんだろ?」
「……うん」
 人を騙すことが悪いことなら、これは悪いことだろう。そう思うとますます桃香と瑞巴の心は痛かった。
「で、いつ頃になりそうなんだ、その修行が終わるのは」
「え、えーと……来週になるか、来月になるか、来年になるか、全然わかんない。あた……俺の決める事じゃないから、こればっかりは」
 あなたが決める事だから、と桃香は心の中で続けた。
「そうか……そうだな。修行だもんな」
 雅宣は空を見上げて呟いた。そして、おもむろに手の平に拳を打ちつけ、小気味のいい音を鳴らした。
「ちっ。今回こそ、お前に優勝するところ見せれると思ったのにな」
「え?」
(まだ気にしてるのか、あのこと)
 何のことか全くわからない桃香をよそに、瑞巴は何か苦いものを吐き捨てるように言った。
「まあ、だけど、帰ってきたとき、楽しみにしてろよ」
 悪戯っ子のような笑顔をした雅宣に、二人の間に何があったのか、わからなかったが、桃香は天にも上るほど幸せを噛みしめていた。
(ああ、夢みたい。藤沢君のこんな顔を見れるなんて……)
(そのまま、天に昇ってくれないか?)
(冗談! まだやりたいことは山のようにあるのよ)
「来年は絶対、インターハイ出てやるからな」
 瑞巴と桃香の心の中でのやり取りを知らずに、雅宣は話を続けていた。
「が、頑張ってね」
「ああ。だから、お前も早く修行を終わらせて帰って来いよ。じゃないと、俺の一世一代の晴れ舞台を見逃すことになるぜ」
「う、うん。わかった。頑張るよ」
 修行の終わりは桃香の成仏を意味するので、桃香は複雑な気分だった。
「……」
「……」
「……だあーー! ダメだ! こういうしみったれた雰囲気は! 教室に戻ろう。何も二度と会えなくなる訳じゃないんだしな」
「……う、うん」
 雅宣は素早く立ち上がるとズボンの埃を払って、すたすたと先を歩いて行った。それを桃香が追いかける格好になった。
「ねえ、あのことって?」
 雅宣と距離が開いた隙に桃香はさっき会話に出てきた謎の言葉を瑞巴に小声で訊いた。
(ああ、あのことね。昔、あいつが怪我しそうになったときに、俺がそれを助けたんだよ)
「へえ」
(俺の左腕にでっかい傷があっただろ?)
 桃香は瑞巴にそう言われて左手の手首内側の大きな傷跡を見た、完全に治ってはいるが、痛々しい傷跡である。
(それがその時に出来た傷。靭帯をやられてて、普通に生活するにはいいけど、剣道は……無理って言われてな。だから、あいつ、それを気にして、せめて助けられた価値のある選手になるって、俺に約束したんだよ)
「そんなことがあったんだ」
 ほんの少し苦い香りのする声に静かな時間が過ぎた。
(……もう、二年も前の話だよ。剣道出来なくても、それなりに俺は楽しくやってるんだから、気にしなくていいのに、バカなやつだ)
「そんな言い方ないんじゃない?」
 好きな人を馬鹿にされて桃香は少しむっとし、語気を荒く瑞巴に反論した。
(いーや、バカなやつだ。大馬鹿野郎だ)
 それを受けて意固地に瑞巴は言い返した。
「藤沢君は馬鹿じゃない!」
「俺もそのつもりだけど、お前、さっきから何一人でぶつぶつ言ってるんだ?」
 桃香は知らない間に雅宣に追いついていたらしく、更に小声のレベルとはるかに超えた声で喋っていた。
「え? いや、その、藤沢君はいい人だってこと」
 桃香は慌てて取り繕った。慌てすぎて脈略もない取り繕いであったが。
「なんだよ、お前? なんか、今日のお前、おかしいぞ。いつもは、『お前』とか『雅宣』って呼ぶのに、『藤沢君』って……大丈夫か? 顔も赤いし、熱でもあんのか?」
 雅宣は奇妙な言動を熱のせいかと考えて、額に手を当てた。それによって、ますます顔を赤くして、その手を振り払うように一歩後ろに後退った。
「だ、大丈夫だよ、ま、ま、まさ、まさのぶ」
 桃香はこれ以上、怪しまれないようにファーストネームを呼ぼうとしたが、余計に怪しくなった。
「ほんとに大丈夫か? 無理するなよ」
「な、何ともないよ。さ、さあ、教室へ帰りましょう」
 雅宣は不安そうだったが、これ以上何かされては本当に心臓が爆発しそうなので桃香は出来の悪いロボットよろしく、カクカクと動きながら回れ右して教室へと歩き出した。
「ああ! せっかく、お話できたのに、全然ロマンチックじゃない!」
 桃香は心の中で泣いた。
(当たり前だ。男同士でロマンチックな会話なんてしたくない)
「だって、ちょっと、期待してたんだもの……」
 桃香が何を期待していたのか知らない、知りたくもないが、少なくとも、相手が桃香のことを瑞巴と思っている以上、雅宣との会話にロマンチックなどという要素は逆さにふってもでてこなかった。
 こうして、桃香の初登校は無事(?)に幕を閉じたのであった。




あとがき
 結構、間が空いてしまいましたが、第三章です。あれ? 少年が少女になるTSが入っていない?! あかんやん(笑)。
 しかも、あまりお笑いが入っていない。元々予定だったとは言え、期待してくださってた方、ごめんなさい。



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