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 さあ、さあ!前回までのお話だよ。可愛い見掛けとは裏腹に、強力な怨霊、桃香ちゃんに取り憑かれた瑞巴君。哀れ、女の子にされ、彼女の未練を果たさなければならなくなった!瑞巴君は無事に男の子に戻れるのか?さあ!ここから先は水飴買ってくれた子だけだよ(笑)
瑞巴「紙芝居のおっちゃんか?あんたは!」



お憑きあいしましょう

作:南文堂




第2章



「瑞巴って言うのもおかしいわね」
 朋美が誰とはなしにポツリと呟いた。重幸は社務所へ戻って、今は居間には見た目、朋美と少女の二人がいるだけだった。
「?」
 話し掛けられたのだろう少女、瑞巴はきょとんとした顔で朋美を見返した。
「設定は双子でしょう?なら、名前は変えないとね」
(そう言われてみればそうね)
 瑞巴に取り憑いた桃香もそれに同調した。
「ええ!そんなの嫌だよ」
 身体を変えられた上に名前まで変えられたら、何だか自分がだんだん無くなるような気になって、瑞巴はあからさまに嫌な顔をした。
「そうね……」
 朋美はそう呟くと腕組みして一生懸命、眉間にしわを寄せて考え込んだ。そんな姿を見ながら、瑞巴はやっぱり母親なんだなと少し嬉しくなっていた。
「……そうだ!これでどう?」
 朋美は電話の横のメモ帳を一枚ちぎって鉛筆で漢字を二文字書いた。
『瑞華』
「瑞巴の瑞に桃“華”ちゃんの“華”で瑞華ちゃん。音も瑞巴に似てるし違和感ないでしょ」
「……」
 瑞巴は絶句し、少しでも、ほんのミジンコの爪の先でも嬉しくなった自分が情けなくなった。一体、何年親子をやっているんだと。
(朋美さん。あたしの名前、桃香の“か”は花の“華”じゃなくて、香りの“香”です)
「あ、じゃあ、瑞香ちゃんね」
 朋美は華と言う漢字を鉛筆で塗りつぶすと香という文字に書き換えた。
「これでよし」
(ばっちりです)
「よかったわね、瑞香ちゃん。名前が無事に決まって」
「……いい加減にしろ!身体は変えるわ、名前は変えるわ!俺の事を何だと思ってるんだ!次は何だ?性格でも変えるか!」
「いいわね、それも」
 そういって、朋美は孔に糸を通した五円玉を瑞香の目の前にぶら下げた。
「さあ、あなたはだんだん女の子になる、元から女の子と思い込む、思い込む、思い込む……」
「いい加減にしてよ、お母さん!そんなので女の子になるわけないでしょう!」
「……なってるじゃない」
「!」
 瑞香は両手で口を抑えて目を丸くした。その仕草もどことなく女の子っぽい。
(朋美さん、すごーい)
「うーん、私にこんな特技があったとは……今からでも遅くないから、美人心理心霊霊能力巫女として売り出そうかしら?」
「もう!そんなことよりも、早く戻してよ!ものすごーく恥ずかしいんだからぁ!」
 真剣に考え込んでいる朋美に瑞香は少し鼻にかかったような甘い声で懇願した。
「いいじゃない。藤沢クンだって、男女よりも女の子らしい方が好みでしょう?目的にはぴったりじゃない」
(ほんと。言葉遣いとか仕草とかが不安だったけど、これならいけそう!)
「よかったわね、桃香ちゃん」
(はい!これも、朋美さんのおかげです)
「よくないわよ!あたしが気持ち悪いの!あたしは男言葉を話してるのに、勝手に女の子言葉が口から出るのよ。頭が変になりそうだわ」
 女性二人は盛り上がっていたが、瑞巴にとってはこの状況が面白いはずがなく、感情を爆発させた。でも、相変わらず、仕草も言葉も女の子そのものであった。
「あらあら、それは大変ね。でもそんなの簡単よ」
「?」
「瑞香ちゃんが女の子言葉を話せば、言葉のずれはなくなるわ」
「え?」
「さあ、『あたし』って言ってみそ♪」
 にっこり微笑みつつ朋美にそう言われて、なんとなくその微笑みに流されて瑞香はそれを素直に『あたし』と言おうとしたが、羞恥心が邪魔してなかなか言えずにいた。
「……あた、あた、あた、た、あ、た、あた、あた、あ……」
(……お前はもう、死んでいる)
「死んでいるのはあなたよ!大体、あたし……『あたし』なんて言えないわよ、あたしは男なのよ!」
 瑞香は桃香が茶化したのをきっかけに、感情があふれて、その場に泣き崩れるようにうずくまった。
「あら?言えてるじゃない。文脈からして、二回目の『あたし』は『あたし』と言った『あたし』ね」
「え?ほ、本当?」
 瑞香が顔を上げて朋美に聞き返すと、朋美は優しく笑って頷いた。
(本当よ。あたし、聞いてたから間違いないわ)
「ね、ちゃんと言えたでしょ?」
(やったわね!やればできるじゃない!おめでとう!)
「うん!ありがとう!二人とも!あたし、あたしって言う事ができたわ……って!ちがーう!全然、根本的解決になってないじゃない!」
(ちっ!気がついたか)
「惜しかったわね。絶妙のアイコンタクトのコンビネーションだったのに」
(ほんと。残念)
「アイコンタクトって、乗り移られてるから霊体は見えないんでしょう?」
「心眼。心の眼よ。そんなの常識よ」
(ねぇ♪)
「ハイハイ、あたしが非常識だったわよ。それよりも、真剣、元に戻してよ。明日は男に戻って、学校に挨拶に行かないとダメなんでしょう?それで、こんなオカマ言葉だったら、みんな不信がるわよ」
(と言うか、気持ち悪がるわよね)
「あなたが言わないでよ!元はと言えば、あなたのせいでしょう!」
(何よ!あたしがやったわけないわよ。かかった、あんたが間抜けなだけよ!)
「まあまあ、桃香ちゃん。バカな息子だけど、当面の問題だけは的を獲ているから、大目に見てやって」
(朋美さんがそう言うんなら……)
 瑞香は話が母親と桃香の間だけで進んでいることに何か釈然としないものを感じながらも、この異様な感覚を脱せられるのなら何でもいいと口を閉じていた。
「それじゃあ、瑞香ちゃん。くしゃみして」
「はい?」
 瑞香は何を言われたか理解できずに間の抜けた声で返事した。
「だから、くしゃみ。胡椒がいい?コヨリがいい?」
「だから、なんでくしゃみなのよ?」
 言っている言葉は理解できるが、言っている意味が理解できずに怪訝な表情を浮かべて瑞巴は朋美に訊き返した。
「この状態は私の催眠術をきっかけに桃香ちゃんの魂の一部があなたの魂の一部にオーバーラップしたせいなの。口調が桃香ちゃんに似てるでしょう?」
(そ、そう言えば、なんとなく……)
「本当なら桃香ちゃんは全体にわたってオーバーラップしようとしたのだけど、後一歩届かずに身体だけの変化に止まったわけ。その曖昧なバランスの時に私の天才的催眠術で瑞巴の魂の堤防が一部決壊して、あなたの心に床上浸水した状態が今の状態なの。わかる?」
「なんとなく。それで、だから、なんでくしゃみなの?」
「くしゃみと言うのは、魂が飛び出すと信じられていたの。くしゃみの後に口汚い言葉を吐くのはその魂を死神に持っていかれないようにするためのおまじない。まあ、死神は迷信だけど、飛び出すのは本当よ。正確に言うと飛び出したから、それを引き戻すためにくしゃみをするんだけどね。噂をされるとくしゃみをするのも言霊によって魂が引き寄せられて体から飛び出した状態になるから、それを引き戻すのにくしゃみをするわけ」
「そんなの、信じられない!」
「あら?噂をするとその人がやってくるのは言霊で魂ごと身体が引き寄せられるからよ」
 朋美は世界の定説といわんがばかりに自信満々でそう言った。普通なら信じられないだろうが、今こうして不思議な事が起こっていては、変に信憑性を感じて瑞香は信じかけていた。
「……うーん、なんだかねえ……」
 信じかけてはいたが、どこかまだ半信半疑な瑞香を無視するように朋美は話を続けた。
「それで、くしゃみをする条件に持っていくことで魂を一旦外に出して、くしゃみをして魂を身体に戻す時に状態を再編する。意識せずにそれはできるはずよ」
「ほんとう?」
 瑞香は思いっきり猜疑心に満ちた視線を朋美に投げかけた。
 この状況で頼れるものは朋美だけ。元祖心霊霊能力少女で巫女の彼女は藁どころか大船クラスの助けだが、泥でできた救命ボートを下ろしかねない不安が瑞香には拭い去れなかった。
「信じるものは救われる。疑ってかかったら、まず無理ね。まあ、私はそのままでも全然問題ないけど?不気味がられるのは瑞巴だし」
「ううっ。わ、わかったわよ。信じるわよ」
「そう。素直でいい子ね」
 朋美は嬉しそうに胡椒を瑞香に手渡した。それを受け取って、わざとくしゃみをするために胡椒を振るなんて、漫画の中だけの話だと思っていた。と瑞香は複雑な表情を浮かべながら鼻先に胡椒を振りかけ、むず痒い感覚に鼻が襲われた。
「へ、へ、へっくちゅん!てやんで、べらぼうめ!」
(ガラ悪いわね。もっとお上品にしなさいよ。それに何よ、その最後の台詞)
「うるひゃい!」瑞香は桃香に鼻声で反論すると、残っている胡椒と余韻をティッシュで拭って「……くしゃみするのに上品も下品もあるかよ。最後の台詞は俺の癖だ。ほっといてくれ……今、俺って言えた。男言葉に戻ってる!やった!」
(なんか、残念)
「まあ、明日の挨拶が終われば、女の子言葉になってもらうから安心して、桃香ちゃん」
「誰がなるか!催眠術なんかかからないよ−だ」
 舌を突き出してアッカンベーをするように瑞香は言った。
(朋美さーん。こんなこと言ってるぅ)
「ふーん……瑞香ちゃん、お小遣いあげるから手を出して」
 朋美は薄ら笑いを浮かべながら突然そう言って、財布を取り出した。
「え?」
 驚きつつも素直に手を出す瑞香。
 瑞香の差し出した手の平の上にドーナツ状の金色の硬貨を一つ置かれた。
「瑞香ちゃんは女の子なんだから、女の子らしくしないとだめよ」
「たった5円で買収するつもり?馬鹿にしないでよ。いくら、あたしでも……あたしでも?あたし?」
(女の子言葉に戻っちゃったね) 
「なんでよ!」
「瑞香ちゃん、単純だから、5円玉を見せて『女の子』といえば、戻るかな?と思ったけど、本当に戻ちゃったわね。我が子ながらホントに単純だわ」
 朋美は自分でしておきながら、胡椒を片手にため息をついた。
「元に戻させてよ!もう!」
 瑞香は胡椒を奪い取ろうと手を伸ばしたが、朋美はそれを巧みに紙一重でかわしていた。
 無駄な動きをせずに最小限の動きで避けるためと言うよりも、あと少し、届きそうで届かない悔しさを募らせるために見えるのは、瑞香には気のせいとは決して思えなかった。
「さて。そろそろ、お店の空く時間だから、お買い物に行きましょう。服とか下着とか色々必要でしょう。とりあえずは、私の服を貸してあげるけど」
「必要ないわよ!あたしに今、必要なのは胡椒!」
「違うわよ。今、あなたに必要なのは着替え。そんな格好じゃ、外に出られないでしょう」
 朋美は瑞香の攻撃をひらりと避けると胡椒をエプロンのポケットにしまうと不敵な笑みを浮かべながら指をぽきぽきと鳴らした。
「ま、まさか、女物を着せるつもりじゃ、ないでしょうね?」
 瑞香は嫌な予感がして、顔を青ざめさせて、攻撃を止めて逃げ腰になった。
「女の子が女の子の格好をするのは別に恥ずかしいことじゃないのよ、瑞香ちゃん」
 笑顔を崩さないまま朋美がにじり寄ってきた。
(さあ、観念しなさい)
「いやー!助けてー!」
 絹を引き裂く乙女の悲鳴を糸引くように残しながら瑞香は朋美に引っ張られて、夫婦の寝室の方へ連れて行かれた。

「何だか、恥ずかしいよぉ」
「なに言ってるの。今は女の子なんだから堂々と入ればいいじゃない。さあ、行くわよ」
 瑞香は朋美に引っ張られて男性客が滅多に立ち寄らない店に踏み込んだ。
 冷房の効いた店内はパステル調にトータルデザインされ、女性用下着がゆとりと効率の微妙なバランスで陳列されていた。
「いらっしゃいませ……って、朋美じゃない。久しぶり♪」
「ご無沙汰♪佐知子、元気してた?」
 店内でディスプレーの調節をしていた店員が作業の手を止めて、嬉しそうな笑顔を浮かべて瑞香達の方へやってきた。
「それだけが取り柄だもん。で、その娘は?朋美のところは、男の子……瑞巴君だったよね?親戚のお子さん?」
 店員の佐知子が朋美の後ろに隠れてモジモジしている瑞香を見つけて、朋美に訊いた。
「残念でした。これ、瑞巴よ。今朝、女の子の幽霊に憑依されたら、女の子になっちゃったらしくって」
「お、お母さん!」
(と、朋美さん!)
 朋美がいきなり正体をばらしてしまったことに瑞香だけでなく桃香も驚いて声をあげた。
「あら、そうなの。大変ね」
「そ、そんなあっさり……」
(驚きもせずに……)
 しかし、その告白に対する佐知子のリアクションは「そこで転んだの」って言われた程度で瑞香も桃香も拍子抜けした。
「朋美と付き合いが長いと大抵のことは『ありかな?』と思っちゃうのよねえ。それに朋美のお姉さんを知ってるでしょう。ねえ?」
 佐知子はなんとも言えない微苦笑を浮かべて瑞香に同意を求めた。
「はあ、なんとなく納得」
 佐知子の言う人物を思い浮かべて瑞香も複雑な表情で苦笑いした。
(朋美さんのお姉さんって?)
「お母さんの性格を1.25倍して、非常識さを100倍ぐらいした人よ。自分の子供を生身で成層圏まで飛ばしたり、ミクロの決死隊にしたり……」
 佐知子には桃香の声は聞こえないので、瑞香が独り言を言っているようにしか見えない。瑞香もそれはわかっていたので、なるべく小声で桃香の質問に答えた。
(……す、すごい人ね)
「うん。そこの子供に生まれなかったのが、あたしの最大の幸運かしらね?」
「み・ず・か・ちゃん。今度、姉さんに言っておいてあげるわ。その台詞、脚色して」
 瑞香が何か言おうとするのを遮って、地獄耳で聞いていた朋美が口を挟んだ。
「えーと……あたくしのお母さまと同じくらい美人で優しくって、とっても素敵なお姉さまですのよ。あたくし、敬愛してますのぉ。お母さまやお姉さまのように成れたらなぁって、思ってますのよ」
 放って置いても女の子らしい言葉と仕草が出てくるのに、瑞香はわざわざ、それに上乗せして、どこぞのお嬢様のような口調で慌ててフォローを入れた。
「今回は貸しにしといてあげましてよ、瑞香さん」
「ありがとうございますわ、お母さま」
 瑞香は口調に合わせて、スカートを軽く持ち上げて優雅にお辞儀をして見せた。
「あはははは、相変わらずねえ、朋美のところは。楽しそうでいいわ」
 一連のやり取りを見ていた佐知子は楽しそうに大きな声を立てて笑った。開店間もない時間で、瑞香達の他にお客さんがいないので迷惑にはならなかったが、瑞香はちょっと恥ずかしそうに俯いた。
「傍で見ている分にはそれでいいかもしれないけど、実際に関わると大変なのよ、えーと、佐知子お姉さん」
「ふふふ。大変っていうのが楽しいって事なのよ。いずれわかるわ」
「はあ?そんなものかなぁ?」
「そんなものよ。さて、朋美、自分の自慢のお姫様をお披露目にしに来ただけじゃないんでしょう?」
「まあね。悪いけど、この娘に下着を選んでくれない?プロにお任せする方が確かでしょ」
「じゃあ、先ずは採寸しましょうか」
 そう言って瑞香はフィッティングルームに連れて行かれ、下着姿にさせられた。とは言っても、ブラジャーは朋美とあまりにもサイズが違うのでショーツだけだったので瑞香は気恥ずかしそうにほんのりと顔を朱に染めていた。
「……アンダーが68、トップが78.5ね」
「A70ね」
(ちっちゃ)
「う、うるさいわね。いいでしょう、別に!」
「そうよ。そのうち成長するわよ。それに、形はいいんだから」
 佐知子は棚から一つ箱を取り出して、瑞香に渡した。
「これつけてみて。多分、合うと思うけど。つけ方わかる?」
「え?あ、はい。大体……でも、これB65って書いてありますけど?」
(ワンカップ大きいわね)
「ブラジャーはファンデーションだから、形を整える方を重視するのよ。瑞香ちゃんの胸の形だと、W社のこのシリーズのBカップがちょうどカップのラインとぴったりだから、それにしたのよ」
「ふぁんでーしょん?あの顔とかにパタパタはたくやつですか?」
「違う、違う」佐知子は掌を左右に振って苦笑を浮かべ「うーん、それじゃあ、ちゃんとしたつけ方も教えた方がいいかしらね」
 そう言って、佐知子は箱の梱包を解いてブラジャーを取り出して、つけ方を懇切丁寧に瑞香に教えた。
「まずは、ストラップを肩にかけ、そう。まだ調節はしなくていいわ。ブラジャーのカップワイヤーの部分をバストの下部に合わせるの。うん、そんな感じ。ホックの一番緩いところで留めて、どう?きつくない?きつくなかったら、1つずつホックを内側にずらして留めるの。でも、あんまりきつくすると、締め付けられたところで脂肪が分断されちゃうから無理はだめよ。でも、緩すぎると今度はお肉がお腹に流れちゃうけどね。それから、ストラップの長さを調節。指が一本入るぐらいが目安かな?それから、左手で左カップのワイヤーのところを押さえ、右手で胃の裏からお肉をカップに寄せる。右も同じに。そう、それで、背中をすっきりさせるの。前はストラップを持ち上げ、後ろアンダー、そう、その帯を下げてアンダーラインが水平になるように調整して。バストトップは、個人差はあるけど、肩と肘の中央にくるのが一般的に綺麗に見える位置ね。どう?」
 フィッティングルームの鏡に映し出された少女が、かすかに照れながらこちらを見ていた。何もつけていないときよりも一割増ほど自己主張をしている胸がかわいい。瑞巴は思わず「惚れてしまいそうだ」と言うのをぐっと堪えなくてはならなかった。
「そうやって、周りのお肉をカップの中に押し込めば、カップのサイズは別に気にならないでしょう?それに、そうしてやれば周りのお肉も、『もしかしたら自分は胸のお肉なのかもしれない』と錯覚して居着いちゃってくれるくれるから、一石二鳥。言い聞かせるように寄せてね」
「瑞香ちゃん、単純だからすぐに定着するわよ」
「はいはい、どうせ、あたしは単純ですよーだ」
「で、どう?つけた感じは?」
「うーん、何だか、胸に何か巻いてるって、変な感じ。だけど、別に苦しいって訳じゃないし、動いても固定されてるから、それは楽かな?」
(してなくても、さして揺れないくせに)
「いちいち、うるさいわね。男の時と比べれば充分揺れるんだから!桃香だって、そんなに大きくなかったじゃない」
(失礼ね!あたしは、Bはあったわよ)
「何だ、一緒じゃない」
(一緒じゃないわよ。あたしのは純然たるB。あなたのはAを無理矢理Bにしたんでしょう!)
「無理矢理じゃないわよ。教えられたとおりにしたのよ。じゃあ、あなたのサイズ言ってみなさいよ」
(な、なんで言わなきゃならないのよ、そんなこと!)
「言えないってことは嘘ね。そうね、嘘ついてもわからないよね、幽霊だし」
(う、嘘なんてつかないわよ)
「あ。でも、幽霊だから嘘ついたら、閻魔様に舌抜かれちゃうわね。でも、それはそれでいいかもね。あなた、喋らなくなったら、美少女度3割増だもの」
(何が3割増よ!嘘なんてついてないって言ってるじゃない!言うわよ!言えばいいんでしょ!ろ、67の、なな、79よ!)
「なんだ。ほとんど、あたしと変わらないじゃない!」
(変わるわよ!トップが0.5センチも違う!)
「そんなの誤差よ、誤差。すぐに抜いちゃうわよ、そんなの」
「はいはい、そこまで。胸のサイズで喧嘩するなんて、瑞香ちゃんもすっかり女の子ね」
 朋美に桃香の台詞を通訳してもらっていたらしく、佐知子が笑いながらそう言った。その台詞で瑞香は我に帰って顔を赤くして俯いた。
「うんうん、恥らう表情もグッドよ。男の心を鷲掴みね。でも、元男の子だからもっと抵抗して、恥ずかしがって、萌え萌え〜かと思ったけど意外にそうでもなかったわね。もしかして、女装するのが趣味とか?」
 佐知子は少し残念そうに感想を漏らした。
「ち、違います!そんなことありません!」
 瑞香は語気も激しく否定した。今の姿を見てそんな風に思われてはたまったものではないと言うことだろう。
「まあ、中学の頃は巫女さんをやらしてたけど、最近はさせてないし……」
 朋美も瑞香の言葉を肯定するようにフォローを入れた。しかし、あまりフォローになっていないのは朋美ならではだったが。
(そんなことしてたんだ)
「小遣いがほしかったのよ!いいでしょう!もう、やってないんだから」
「瑞巴の部屋にあるのは『普通のエロ本ばっかりだからつまらん』とお父さんが言ってたし……」
 朋美は更に全くフォローになっていないフォローを続けた。
(そんな本、見てたんだ。いやらしぃ)
「いいでしょう!男なんだから!雅宣だって見てるわよ!」
(藤沢君はそんなの見ないもーん)
 藤沢君の現実と幻想で口論を他所に朋美は言葉を続けた。
「女物の服も部屋にはないから、女装の趣味はないと思うけど。たぶん、桃香ちゃんの魂がオーバーラップしているせいね」
「ふーん、そうなの。何だかよくわかんないけど、ちょっと残念。まあ、これはこれでよいけどね」
 佐知子は納得したのかしていないのか、不満がありそうでなさそうな表情で頷いた。当の本人達はその横で「見てる」(見てない)を繰り返して朋美の話を全く聞いていなかったが。

 薄闇に包まれた屋外で重幸は藪蚊と格闘しながら息を殺して獲物を待っていた。獲物をとる為の道具もばっちりと揃っている。準備は万端整い、後は獲物が現れるのを待つだけだった。
 待つ。ただ待つだけがどれだけ神経を削るか。まるで過ぎ行く時がヤスリでできているかのように人の心を削っていく。
 どれだけの時間が過ぎただろう?1時間?10分?もはや、時計の刻む時間など意味をなさず、重幸はただ待った。必ず現れる獲物のために。
 来た。獲物だ。重幸は興奮し、はやる心を落ち着かせて、道具の最終チェックをする。ミスは許されない。オールグリーン。重幸は満足そうな笑みを浮かべて、安全装置を外してファインダーを覗き込む。
 ファインダー中央に美しい肢体を引きずるように歩く獲物を捉える。獲物はこちらの気配にまるで気が付いていない。完璧だ。そして、重幸は人差し指を絞り込んだ。
『●録画 高画質 00:00.01』…2』…3』…4』…5』
 ファインダーに文字が表示され、カウンターがカウントアップされていく。
「これは決してやましい気持ちで撮っているのではないぞ。父として、親として子供の成長を記録するのは当然のこと。それに、将来、瑞巴がスランプに陥った時に初めての時のことを思い出して、初心に返れるようにその手助けになるためのものだ。決して、いやらしい気持ちで撮っているものではない。私の為に撮っているものでもない。編集作業で見ることはあるが、それは編集作業のためだ。そうだ。タイトルを決めなければ……よし!『瑞香ちゃん、はじめての入浴』にしよう。直接的だが、その方が想像力をかき立てられていいかもしれん」
 重幸は頭の中で誰に言うわけでもなく、そんないい訳を考えていたが、その時点でやましい気持ちがあるから自分の行為を正当化して理論武装しているといわれても仕方がない。
「もう、クタクタよ。脚が棒みたい」
(一日中、歩き回ったもんね)
「全く。お母さんったら、加減を知らないんだから。まさか化粧品まで買うとは思わなかったわよ」
(でも、基礎化粧品だけじゃない。そう言うのって今から始めてないと歳をとってからじゃ遅いのよ)
「桃香ちゃん。あたしはずーーーーーと、この姿でいるつもりはないの。おわかり?」
(わかってるわよ、そんなこと。でも、あなたがもたもたしてたら、ずーーーーーーーと、このままなんだからね。おわかり?)
「わかってるわよ、そんなこと。とっととあんたを成仏させるように頑張るわよ」
 瑞香は、重幸が覗いていることには全く気がつかずに、桃香と会話をしながら脱衣所で服を脱ぎ、下着姿になるとお約束で置いてある姿身の鏡に自分の身体を映した。
「瑞巴!父さんの知らない間に、そんな立派な体に成長して、父さんうれしいぞ!!」
 誰にも聞こえない独り言を頭の中で絶叫して重幸は涙でファインダーを曇らせたが、それでも瑞香をフレームアウトさせないのはさすがである。
「さあ、ここで、これがおれ?とか言えば完璧だ♪」
 既に瑞香が今朝その台詞を言っていることを知らない重幸はカメラを持つ手に力を込めた。
「はあ、勿体無いよね。こんな美少女が目の前にいるのに、それが自分なんて……」
(あなたって、ナル?)
「ち、違うわよ。男としての意見よ。これなら雅宣だって惚れるわよ、きっと」
(そうなってくれないと、あたしが困るの。いつまでもこんな格好してたら風邪引いちゃうから、早くお風呂に入りましょうよ)
「そうね」
 瑞香の手が背中に回る。重幸はここから先を撮り逃すまいと身を乗り出さんばかりになっていた。
「へ、へ……」
 夏とはいえ、下着姿で長く居たために汗をかいた身体を冷やしすぎたのか、瑞香は鼻の頭にむず痒さを覚えた。
「……へっくちゅん!てやんで、べらぼうめ!」
 瑞香はくしゃみと同時に魂の再編が行われ、瑞巴の心の一部を覆っていた桃香の心が、潮が引くように引いて、男の意識が表面に現れた。
 瑞香は姿見に写る自分の姿を見て、急に自分が女性用下着を着けていることの羞恥心が沸き起こり、全身の血液が顔に集中したのではないかと思うほど顔を真っ赤にした。
「うわ、わ、わ、わー!」
 悲鳴とも叫びともわからない声をあげて、瑞香はその場に身体を小さく、隠すようにうずくまった。
「おおっ!」
 一瞬、自分に勘付いたかと思った撤退を考えた重幸だが、瑞香がこちらに気付いた様子はないので撮影は続行し、恥らう乙女の姿を堪能、いや、彼流に言うと記録していた。
 瑞香の悲鳴を聞きつけて、朋美が脱衣所に飛び込んできた。
「一体、何事?!」
 そう言いながら、朋美は最初に床にうずくまっている下着姿の瑞香を見つけ、次に明り取りの窓から覗くレンズを見つけた。
「あなた!何やってるの!」
 朋美はわずかな隙間しか開いていない明り取りの窓に向かって天花粉の入った入れ物を投げつけた。絶妙のコントロールでそれはレンズに向かって一直線だったが、重幸もそれが当たるまでボーっとしているわけではなく、当然それを身を捩って避けた。
 ドサっ!
 投げつけられた天花粉は一直線と見えたが、結局、窓枠に当たって周囲に白い粉を巻き散らしただけだった。が、小さな台の上に絶妙のバランスで立っていた重幸は身を捻った瞬間に台の上から転げ落ちて、派手な音を立てた。しかし、すぐに起き上がると倒れた台を回収し、脱兎のごとくその場を撤退していった。
「ちっ!逃げられたか。……でも、女の子になって初日に覗きに遭うなんてついていないわね、瑞香ちゃんも」
(あたしは憑いてるんだけどね、運にはつかれてないのね)
「のぞき?知らないよ、そんなの!母さんも出てってよ!」
 瑞香はいまだ床にうずくまって小さく身体を隠しながら耳まで真っ赤にしていた。
「あらあら。くしゃみして、感覚が男の子に戻っちゃったのか。しょうがない子ね」
 朋美はポケットから5円玉を取り出して瑞香の目の前にぶら下げて、「あなたは女の子。女の子なのよ、ドーン」と呪文を唱えた。
 それによって再び、桃香の心が瑞巴の心を覆って、羞恥心が薄らいで行くのを感じて、瑞香はホッと一息ついた。
「まったく。気をつけないとだめよ。こんなことにならないように、首から5円玉ぶら下げておきなさい。それじゃあ、後がつかえているんだから、早く入りなさいよ」
 そう言って、朋美は瑞香に5円玉を手渡して脱衣所を後にした。
「はぁぁあ」
 脱衣所に一人残された瑞香は、女の子の姿でいるためにくしゃみ一つできないのかと深いため息をついたが、下着姿でいつまでもこんなところにいては、また同じようにくしゃみが出かねない。それは大変とばかりに、下着も外して浴室へと入っていった。

 窓枠に当たって周囲に白い粉を巻き散らした天花粉が重幸の髪をブラックジャックよろしく、半分を白髪に染めていて、それを朋美に見つかり、顔の形が変わるぐらい殴られたことは本編とはあまり関係のないこと。
 しかし、その心意気に敬意を表して、合掌。

あとがき
 最後までお読みいただき、ありがとうございます。南文堂です。
 作中で出てきた下着のつけ方は、昔どこかで聞いたような気がするという恐ろしく不確かなもので、本職さんが読んだら失笑ものかもしれません。
 さて、次回からはやっと学校へと舞台を移します。が、その前に二ヶ月以上、ほったらかしにしている(^^;『ラスカル☆ミーナ』第六話に取り掛かりますので、少し間が空くかと思います。気長に待っていただけると幸いです。


編者註:
天花粉【てんかふん】 カラスウリの根から採れる白い粉。あせもを防ぐ。ベビーパウダー、シッカロールとも言う。


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