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お憑きあいしましょう

作&絵:南文堂




第1章



 初夏。
 明けても暮れても別段日常生活に支障のない梅雨明け宣言を、今日するか明日するかと気象庁が一番頭を悩ませる季節。
 日本の四季の中で一番風物詩が多い季節、夏に向かって様々なものが街角に登場する。
 氷の旗。風鈴。うちわ。夏祭り。浴衣。せみ。蚊取り線香。チュー○。林間臨海学校。甲子園。熱射病。靖国神社参拝。盆踊り。そして……
「確かに、夏といえば、定番中の定番だし、やたらとテレビ番組では特番も多くなるし、背筋が寒くなって納涼にいいかもしれないのは認めるけど……」
 珠久瑞巴(しゅく・みずは)は頭を抱えた。
 今日は日曜日。高校二年の彼は折角の休日を寝て過ごそうと、若さと時間を無駄にするようなホリデープランを立てていたが、爽やかな朝の日差しとともに現れたそれによって叩き起こされ、彼のプランは脆くも崩れ去った。
「幽霊がなんで、朝一番に出て来るんだよ!」
 世の中の理不尽もここに極まったという口調で瑞巴は大きな声を出した。
(そう言われても、夜って、何だか不気味じゃない。お化けとか出たら怖いし……か弱き乙女には危険な時間帯なのよね)
 瑞巴の目の前に浮かぶ半透明な人影がそれにふわふわと応えた。
「そういう自分は幽霊だろうが」
(それに睡眠不足はお肌に悪いもの)
「だから幽霊だろうが」
(もう!幽霊、幽霊ってさっきからしつこいわね。幽霊の前にあたしは女の子なのよ。全く、デリカシーのない男はもてないわよ)
「幽霊にもてたくはない」
 瑞巴はこめかみのあたりがきゅうっと引き絞られるように痛くなった。
 神社の息子としてこの世に生を受けて17年。生まれてこの方、心霊現象は金縛りの一回もなかった心霊的健康優良児の彼だが、その連続記録は今朝終了した。
「まったく。うるさいと思って目を覚ましたら、落ち武者の団体がラインダンスを踊ってるなんて、心臓が止まるかと思ったよ」
(呼びかけても全然目を覚ましてくれないから、近所をうろついていたあの人たちにちょっと手伝ってもらったのよ。普通はあの人たちが枕もとを行進するだけで目が覚めるのに、あなた全然、起きないから、あの人たちも「拙者らのあいでんてぃてぃが!」と意地になってくれたのよ)
 瑞巴の目の前に浮かぶほんのり向こうが透けて見える少女が、「起きなかったあなたが悪い」と言いたげに、かわいく頬を膨らませた。
 セミロングのさらりとした髪に少し幼さの残る顔立ちは間違いなく美少女の部類に入るだろう。くるくると変わる瞳の表情が見ていて楽しい。死んでいるのだが、彼女の活気のある表情が、幽霊なのに全く恐怖を感じさせなかった。もっとも、落ち武者のラインダンスに比べれば大抵のものには恐怖を感じずに済むだろうが。
「で、そうまでして俺を叩き起こした理由は何なんだ?まさか、なんとなくとか言うんじゃないだろうな」
(まさか。ちゃんと理由はあるわよ)
「じゃあ、さっさと言って消えろ。俺はこれから惰眠を貪るんだから」
 瑞巴は非生産的ホリデープランをまだ諦めきれないらしく、そう言って横になろうとした。
(そう言うわけにはいかないのよね)
「?」
(だって、あたし、あなたに取り憑いちゃったんだもの)
「なにぃ!」
 瑞巴は横になりかけた体を起こして幽霊少女に詰め寄った。
「取り憑いたって、どういうことだ!」
(どうもこうも、そのままよ。他に意味がある?)
「だから、なんで、見ず知らずの何処の馬の骨ともわからない行きずりの幽霊に取り憑かれなきゃならないんだよ!」
(馬の骨なんて失礼ね!あたしには姫野桃香(ひめの・ももか)という立派な名前があるのよ。あなたと同じ、高校二年で、聖ジョルジュ女子高に通っていたのよ。今年の春に不幸な事故で儚く命を落としたの。美人薄命とはよく言ったものだわ)
「……」
 自画自賛と突込みを入れたいのをじっと我慢して、瑞巴はジト目で話を促した。
(だけど、この世に未練があって、こうして幽霊としてこの世に留まったというわけ)
「それが俺に取り憑くのと何の関係があるんだ?」
(決まってるじゃない。その未練を果たしてもらうためよ。鈍感ね)
「だから、なんで俺が!」
(それは……)
 桃香が何か言おうとしたその時に不意に部屋の襖が大きく開かれた。
「おっはよう!瑞巴ちゃん!休みだからって、いつまでも……あら、今日は珍しく起きてるのね。偉い偉い」
 瑞巴部屋に入ってきて彼の頭を撫でている彼女は彼の母親、朋美(ともみ)であった。
「か、かあさん……この情況を見て何か感じないわけ?」
 頭を撫でている手を払って桃香の方へ注意を向けた。
「あら!ごめんなさい。気が付かなかったわ。瑞巴ちゃんも、なかなかやるわね。こんな可愛い娘を引っ張り込むなんて。この、この、隅に置けないんだから。でも、ちゃんと避妊はするのよ。それじゃあ、ごゆっくりー」
 何を勘違いしたのか、朋美は意味ありげな笑顔を浮かべてそそくさと部屋から退散しようとした。
「違うだろ!母さん!ちゃんとよく見てよ!」
 瑞巴は朋美を呼び止めて、もう一度桃香を指し示した。朝日の中で薄く向こうが透けている少女を。
 朋美は桃香をじっと見つめ、一言。
「スケルトンって、今、流行ってるのね」
「ち・が・う!彼女は幽霊なんだよ!」
 瑞巴は何だか頭がおかしくなりそうな気分であったが、何とか正気を保って朋美の間違いを訂正した。
「わかってるわよ、そんなに大声出さなくても。あなたも神社の息子なら荒魂の一柱や二柱で慌てない。母さんが若い時はニ、三柱は常に手玉に取ってたわよ」
「……」
「まあ、神社の後継ぎとしてはこれくらいの荒魂は和魂に鎮めれないとね」
「そ、そんな!俺にどうしろっていうんだよ!」
「どうやら、この世に未練を残しているみたいだから、それを果たしてあげれば大丈夫。よかったじゃない。最初がこんな可愛い女の子の善良な荒魂でラッキーだったじゃない」
「善良と荒魂が矛盾している気がするんだけど……」
「まあ、頑張りなさい。これも神職に就く家に生まれたものの宿命と思ってね」朋美は瑞巴の肩をぽんと叩くと桃香の方に向き直って、「それじゃあ、あなたもしっかり未練を晴らしてもらいなさい。遠慮なんてしちゃダメよ」
(は、はい。ありがとうございます)
 桃香はそう応えると朋美は嬉しそうに笑顔を浮かべて瑞巴の部屋を後にした。
「……」
(……強烈なお母さんね。何だかすごく、あたし、影が薄かったわ)
「幽霊だから影が薄いのは仕方ないよ。でも、母さんにかかれば生きてる人間でも影が薄くなるからな」
(何だか納得……えーと……)
「87ページの5行目から」
(あ、ありがとう……って、違う!わたしがあなたに取り憑いた理由よ!)
「からかわれっぱなしじゃ、面白くないからな。それじゃあ、さっさとそれを聞こうじゃないか。こうなったら、とっとと未練を果たして、ぱぱっと和魂になってもらって、惰眠を貪る」
 そんなに寝たいのか、半ば意地のように惰眠を貪る事に固執する瑞巴に桃香は半ば呆れたが、自分の事を話すほうが重要だったので、それは無視する事にした。
(あのね……あたしね……実は………………好きな人がいるの)
「うん?」
(それで、その…その人に告白しようと決心した日に不慮の事故で死んでしまったの)
「なるほど。それじゃあ、俺はその人に、姫野桃香という女の子が君の事が好きだったという事を伝えればそれでいいわけだな。簡単、簡単」
(そんな事ぐらいで成仏するなら、誰も取り憑いたりしないわよ!)
「じゃあ、どうしたいんだ?」
(……そうね、最低でも、告白してデートして、ロマンチックにキスすれば成仏しなくもないかな?それ以上はお上(文庫運営委員会)が許してくれないしね)
 桃香は腕組みをして少し不服そうにしていた。
「ちょーっと、まて!」
(なによ?)
「幽霊のお前がどうやってデートして……キスするんだ?実体もないのに」
(だから、取り憑いたのよ。鈍感ね)
「ていうと、何か?俺の体を使って、告白してデートして……キスするつもりなのか?」
(今更、なに言ってんのよ。そうに決まってるじゃない)
「一つ訊いていいか?好きな人って言うのは、男か?」
(バカね!男の人に決まってるじゃない!)
 瑞巴はバカと言われて、こめかみのあたりを引きつらせながらも静かに口を開いた。
「確認していいか?俺は女みたいな名前だけど、これでも正真正銘立派な男なんだぞ」
 瑞巴と言う女の子のような名前に、身長もそれほど高くなく、どちらかといえば小柄な体格で、顔立ちも優しく女顔である彼は、親戚やクラスメートからそのことを散々からかわれて、長年、辛酸を嘗めさせられていた。そのためか、自然と彼女を睨みつける目も厳しくなった。しかし、そんな威圧は桃香にとって柳に風どころか幽霊に風。どこ吹く風とばかりに平然としていた。
(そんなの見れば、わかってるわよ。視力は両方とも2.0なんだから)
 桃香はふんぞり返って偉そうにそう言い返した。幽霊になっても生前の視力が関係するのかどうかは知らないが、一応はちゃんと物は見えているらしい。
「なんで、男の俺が男に告白してデートして、……キスまでせにゃならんのだ!それなら、女の子に取り憑けばいいだろうが!」
(取り憑くのは誰でもいいってわけじゃないのよ。波長みたいなものもあるんだから)
「……と言うことは、波長の合う女の子がいなかった?」
 桃香は首を横に振った。
「じゃあ、おばあちゃんか、年端のいかない女の子ばっかりだった?」
 桃香は再び首を横に振った。
「ものすごーく不細工な子にしか波長が合わなかった?」
(そんなことないわよ。さすがにあたしと波長が合うだけあって、粒ぞろいだったわよ。まあ、あたしほどじゃないけど)
「じゃあ、なんで、そいつらに取り憑かないんだ?同世代でお前ほどじゃなくても美人の女子のほうが男の俺よりもデートできる確立は高いだろうが」
(わかってないわね。彼を知り己を知らば百戦危うからずってね。男の子の気持ちがわかる男の子に取り憑けば、成功間違いなし!失敗は許されないんだから、万全を尽くさなきゃ)
「あのなあ、もしそうなら、世の中同性愛者だらけになっちまうよ。……あ、そうか、そいつ同性愛者なんだ……って、それはそれでなおさら嫌だ!」
(ば、馬鹿なこと言わないでよ!彼は、……彼はホモでもサブでも薔薇でもジュネでもないわよ!れっきとしたノーマルよ!)
「その彼をアブノーマルな世界に引き込むつもりかよ。かわいそうに。……そう言えば、そいつの名前を聞いてなかったな。お前の好きな奴って誰なんだ?」
(え?!ど、どうしても言わなきゃダメ?)
「当たり前だろうが!デート云々はさて置いて、誰だかわからなきゃ、話になんないだろう」
(ううん、何だか恥ずかしいなあ。あたしだけ言うなんて不公平だよ。あたしが言ったら、あなたも自分の好きな人言いなさいよ)
「修学旅行の布団の中でお喋りしてるんじゃないんだぞ!」
(ちぇ。それじゃあ、言うね)
「ああ」
(あたしの好きな人は……)
「……」
(あたしの好きな人は…………やっぱり恥ずかしい)
 瑞巴はその場で突っ伏して、桃香は両手で顔を覆っていやいやと身体をくねらせた。
「だーかーらー!恥ずかしいとか何とか言ってたら、話が前に進まないんだよ!」
(もう!乙女心のわからない人ね。そんなデリカシーのない人はもてないわよ)
 布団に押し当てた顔を上げて瑞巴が怒鳴ると桃香も負けじと怒鳴り返してきた。
「はあああ、もう、俺のことはどうでもいいから、早く言ってくれ。いいかげん疲れてきた」
 瑞巴は本当に疲れてきて、心の底からため息をついた。
(じゃあ、言うね。ほんとに言うからね……あたしの好きな人は……藤沢雅宣(ふじさわ・まさのぶ)君。きゃ!言っちゃった!)
 桃香は見えない足をぴょこぴょこ跳ね上げながら部屋中を飛び回った。その余波かはわからないが、騒霊現象が起こったことはもはや、瑞巴の驚きに値しない事柄になっていた。そんなことよりも、彼を驚かせたのは、彼女の口?から発せられた名前であった。
「ふじさわまさのぶぅ?ふじさわって、藤沢雅宣?」
 瑞巴は空中に字を書いて見せた。桃香は首を縦に振ってそれを肯定した。
(そう。あなた、お友達でしょう?)
「ああ、そうだ」
 瑞巴が友人の名前を挙げろといわれたら、真っ先に藤沢雅宣の名前が挙がることは間違いない程度の友達であった。
(藤沢君のことをよく知っていて、男の子の気持ちがわかる。まさに理想の恋人像よ。これに惚れないでなにに惚れる?究極の理想よ)
「だから、俺は男で、雅宣も男。お前の言う通り、あいつも俺も、どノーマル。どこをどうひっくり返しても恋愛関係は成立しないって言ってるのが、わかんないのか?」
(それは男と男だからでしょう?男と女なら?)
 瑞巴は雅宣が女の子になった図を想像した。雅宣は長身で端整な顔立ちをしているので女にしたら、宝塚の男役みたいな感じで、間違いなく美人の部類に入るだろう。その上、自分のことをよく理解している存在が異性として身近にいたら……
「……惚れるかもしれない」
(でしょう?そう言うものなのよ)
「でも、それは、雅宣が女だって仮定したらの話で、あいつは正真正銘、男だぞ」
(当たり前でしょうが。藤沢君が女の子だったら、あたしがレズになっちゃうじゃない。気持ち悪いこと言わないでよ)
「それはこっちの台詞だ。人をホモにしようとしているくせに」
(あたしだって、ホモはちょっと……いいかもしれないけど、彼に悪いし、だから、あなたが女の子になれば問題はすべて問題は解決するのよ)
「なるほど。それは盲点だった。って、そう簡単に女になれるわけないだろうが!」
(なんだ。それができるなら問題ないのね。それじゃあ、遠慮なく……)
 そう言うと桃香は瑞巴に急接近した。半透明とはいえ、美少女が息のかかるぐらいに間近に迫って、心穏やかでいられる思春期の少年など滅多にいないだろう。その点、彼は何処にでもいる普通の少年だった。彼の心臓は外に聞こえるかと思うぐらい早く激しく鼓動を打ち鳴らし、顔面の毛細血管は最大限に拡張されて熟したりんごのように顔を真っ赤にして、瞬きするのも忘れるぐらい目を見開いていた。
 桃香はそんな瑞巴を知ってか知らずか、そのまま接近を止めようとはせず、ついには瑞巴の身体に重なった。
「な!」
 桃香に身体を重ねられて瑞巴は何が起こったか理解できずにいた。
 しかし、次の瞬間、瑞巴は全身が内側へ引っ張り込まれるような感覚に襲われ、天と地が逆転するような目眩がしたかと思うと、胸のあたりが急にむず痒くなり、視線を落とすと徐々にではあるが胸のあたりのTシャツが押し上げられ、女の子の胸のようになっているのが見えた。
「なに?!」
 それが終わらないうちに腰のあたりが締め付けられるような感覚に襲われ、内臓がひっくり返るような気分にさせられ、それが落ち着くとお尻のあたりが妙に落ち着かなくなって、股間が何だか寂しくなった。
「ま、まさか?」
 最後に全身を何かに撫でられるような気持ちいいような、くすぐったいような感覚が通り抜けると、パサっと音がして髪の毛が一気に伸びた。
「あ、ああ、ああ……」
 瑞巴は男子にしては声変わりしてもやや高いほうであったが、それでも、今の声は高すぎた。澄んだアルトの声が喉を震わせ、唇から漏れた。
「まさか!本当に女に?!」

瑞香  瑞巴はTシャツを脱いで胸を見てみる。小振りながら形のよい胸が決して他人のでは見ることはないだろう角度で目に入り、きめ細やかな肌に目眩を感じながら、未だそれを信じることができず、小さくかわいくなった手をその膨らんだ胸に当てて、指に力を入れた。
「……ああ」
 柔らかい感触が掌を通して伝わり、胸からは妙にくすぐったい感覚が伝わってきた。
「あ、あわ、あわわわ……」
 瑞巴の脳はあまりにも非日常的な情報にオーバーロードを起こし、女性特有のパニック状態を起こしかけていた。
 パニックを起こしかけているところへ再び瑞巴の部屋の扉が開かれた。
「聞いたぞ、瑞巴!ついにお前も一人前の神主の息子……」
 薄い水色の袴に白の着物をまとった姿で部屋に飛び込んできたのは瑞巴の父親、珠久神社(しゅくじんじゃ)の神主、珠久重幸(しゅく・しげゆき)であった。
「おおお!瑞巴!おまえが悪いんじゃぁぁ。父さんをそんな姿で誘惑するおまえが、悪いんじゃぁ!」
 宇宙刑事が蒸着するよりも早く着物を脱いで、重幸は瑞巴に向かってアルセーヌ・ルパンの孫ばりのダイビングをした。
「ふ〜〜○こちゃああん!」
 とは、さすがに叫ばなかったが、しかし、重幸が瑞巴まで届く事はなかった。
「あなた!何やってるの!」
 朋美が足首をしっかり掴んだために、重幸はつぶれたカエルのように床に転がっていた。
「あ、あああ、あ、か、かあさん……」
 未だパニックの覚めやらぬ瑞巴は朋美の姿を見つけて、必死に意識を保ちつつ助けを求めた。
「大丈夫、落ち着きなさい」
 朋美は前屈みになって視線の高さを瑞巴にあわせると優しく静かにそう言って笑った。
 瑞巴は朋美の言葉を聞いて、その言葉が胸に染み込み、いくらか平静を取り戻した。
「それにしても随分と可愛くなっちゃたわねえ。とにかく、先ずは上を着なさい。また父さんが欲情するから」
 朋美にそう言われて、改めて自分の姿を確認して、顔を赤らめて瑞巴はTシャツを着た。Tシャツは男だったときから元々、彼には少し大きめのゆったりとしたものであったが、今の彼には大分とぶかぶかだった。まあ、それはそれでそそるものがある。
「ど、どうしよう?」
 布団の上で女の子すわりをして、Tシャツの襟首から艶かしく鎖骨のラインを覗かせて、不安そうに朋美を見上げている姿は思いっきり抱きしめてあげたくなる衝動に駆られるぐらい可愛かった。事実、朋美は思いっきりその衝動に従っていた。
「もう、瑞巴ちゃん、可愛い!」
 力の限り抱きしめて、かいぐりかいぐりと頬ずりしていた。
「か、母さん苦しい!」
「あ、ごめん、ごめん。あーんまり、かわいかったから、つい……」
「つい…じゃないよ!どうするんだよ、これ!」
 瑞巴は両手を広げて自分の姿をアピールした。
「まあ、その件は父さんが起きてから、四人でゆっくりと話し合いましょう」
「四人?」
「そう。でも、その前に、先ずは顔でも洗ってらっしゃい。すっきりして、それからでも遅くないでしょう?」
 朋美は意味ありげにウィンクすると重幸を引きずって部屋を出て行った。
 瑞巴は誰もいなくなった部屋でため息を一つついてからのろのろと立ち上がって洗面所へと向かった。いつも見慣れた家なのに何処となく違和感を感じるのは視線が低くなったせいだろうか、それとも女の子になったせいなのかはわからなかったが、何処かまるっきり違う世界にいるような気分にさせられた。
 そのまま考えていても不安になるだけだと、とにかく、洗面台に向かい、水道の蛇口を捻った。生温い水道水の感触が伝わってきて、瑞巴はこればっかりはさすがに男女の差はないのだなと苦笑を浮かべて、顔を洗おうとしたところで動きを止めた。
「こ、これが、……おれ?」
 無駄に流されていく水道水の水音に蝉の声がやかましく重なっていたが、瑞巴の耳には遠く、何処か別世界の音のように感じられるほど鏡に写った自分の顔を魅入っていた。
 何処となく瑞巴の面影は残していたが、明るく快活そうな深い鳶色の瞳に、ほんの少しだけ光の加減でこげ茶色に見える艶やかな黒髪、柔らかな頬のラインから顎への曲線、愛らしい唇に筋の通った鼻、張りのある白い肌が目に眩しい。桃香に負けず劣らず美少女になっていた。
(な、なかなかじゃない。まあ、あたしほどじゃあ、ないけどね)
 桃香のその台詞に何だか余裕がなかったのを感じて、瑞巴は思わず吹き出した。笑った顔も可愛い。
「瑞巴ちゃ−ん。今年も水不足なんだから、お水止めてから、ナルシストしなさーい」
 居間の方から朋美の声が聞こえて、瑞巴は我に帰って急いで顔を洗って、居間へと向かった。

「事情は大体わかった。桃香殿。我々は荒魂をお鎮めするのが役目。協力いたそう」
 瑞巴の口から語られた経緯を聞いて、重幸はあぐらをかいて腕組みをしながら威厳のある声で桃香にそう言った。顔についた畳の跡さえなければなかなか絵になるのだが、生来の性格が災いしてカリスマ神主にはなれずにいる。もっとも、本人はそんなものにはなりたがっていないらしいが。
(ありがとうございます、おじ様)
 桃香の声は二人には聞こえているらしい。さすがに神主と巫女である。
「でも、身体まで変化させられるのなら、意識まで乗っ取れるのに、どうしてしなかったの?」
(本当はそうしようと思ったんですけど、意外に意識が強くて、身体を変化させるだけで、あとは感覚とかを共有するのが精一杯で……)
「瑞巴ちゃんって意外と強情だからね」
「そんなこと、今はどうだっていいだろう?変化してから大人しかったと思ったら、そんなことしようとしてたのか?」
(あたしだって、そんな事したくないけど、こっちも必死なの!)
「死んでるのに、必死もあるか。くそ!人を何だと思ってるんだ!」
(……)
 さすがに桃香も負い目があるせいか、言葉を詰まらせた。
「み・ず・は・ちゃん。男の子が女の子をいじめちゃいけません。それになんです、その言葉遣いは。女の子なんだから、もっと上品な言葉を使いなさい」
 好き勝手に言い放つ朋美の言葉が瑞巴の逆鱗に触れ、かわいい頬を引きつらせた。
「……ごめんあそばせ。排泄物のようですわ。わたくしの意思をどのようにお考えあそばしてるのかしら?」
 できうる限りに上品な言葉を選んで慇懃かつ無礼に瑞巴は軽くしなを作ってまでそう言った。
「桃香ちゃん。一生、取り憑いてていいわよ。こんなバカ息子の意識なんて私が封印して差し上げますから」
 神経をおろし金で逆撫でするかのような瑞巴の態度に朋美はこめかみに血管を浮かび上がらせて微笑んだ。
「やれるものならやってみろ!」
 瑞巴は立ち上がって朋美を見下ろした。いつにも増してその高さは低く、声は高く、迫力の点では共にマイナスであったが、気迫で充分カバーしていた。
「ええ!やってあげるわよ!元祖霊能力少女の名は伊達じゃないってこと見せてあげるわ!」
 こちらも立ち上がった朋美は瑞巴を軽く抜いて、逆に見下ろす形になり、懐から五十鈴を取り出して涼やかな音が居間に響いた。
「ええい!やめんか!ふたりとも!」
 それまで静観していた重幸が大声を発したおかげで、睨み合いは一瞬にして収まり、再び二人はその場に座った。
「これからどうするかが問題だろうが。子供のように喧嘩していてもどうしようもあるまい。とにかく、桃香殿は瑞巴の身体を動かす事はできんのだから、瑞巴は桃香殿に協力する事。目的が目的なだけに、言動にも注意する事。よいな?」
「……はい」
「朋美も必要以上に茶化さないように」
「……ごめんなさい、あなた」
「うむ。よろしい。それでは、桃香殿」
(はい?)
「瑞巴の変化を解いてやってくれまいか?」
「(ええ!)」
「どういうことですか、あなた?」
「瑞巴を病気と言う事で学校を休ませて、桃香殿を自由に行動させるのもよいが、桃香殿の想い人が瑞巴と同じ学校にいるのであるなら、いっそのこと、瑞巴は修行の為に欠席させて、桃香殿を瑞巴の里子に出していた双子の妹と言うことにして学校へ行かせれば、出会いは倍増、恋のチャンスは選り取り見取りと言うわけじゃ」
「で、でも、そんなことできるの?」
「お前の通っている高校の校長には貸しがある。それぐらいチョチョイとやってくれてもまだ返し足りんぐらいのな」
 神職にあるまじき悪魔的な笑顔を浮かべて重幸はそう言った。瑞巴はその顔を見て、一体どんな借りかは知らないが、校長が少し哀れになった。
「しかし、瑞巴がいきなりいなくなっては周りに不信がられる。だから、いったん瑞巴に戻り、学校でクラスメイトにちゃんとお別れの挨拶をして、それから女の子として転校してくるほうが自然だろう?そういうわけだ。どうだ、桃香殿にもよい話だと思うがな」
(そういうことなら……)
「あ!ちょっと待って!」
 桃香は瑞巴の変化を解こうとしたが、朋美にそれを止められた。
「なんだよ、母さん!」
 さっきの喧嘩は重幸によって収められたが、全て払拭されたわけではなく、燻っていたものが瑞巴の中で再び大きくなってきた。
「すぐに戻れるんでしょう?それなら、明日の朝で充分じゃない。せっかくだから、瑞巴に女の子の話し方や立ち居振舞いとか、女の子のいろはを教えるのはどうかしら?服とか用意するのにも女の子の時のサイズとか測りたいし」
 朋美は朋美でさっきの件の仕返しを効率よく仕事に転化していった。ここらあたりの老練さが年の功なのだろう。
「そ、そんなの!と、父さん!」
「それもそうじゃな。それじゃあ、朋美、瑞巴を一人前の女の子にしてやってくれ。男がおっては色々とやりにくかろう。ワシは神社に戻るとしよう」
「任せて、あなた。先ずは、下着からね」
「た、たすけてぇ!」
 悲痛な乙女の悲鳴が今に響いたが、それを助けてくれるものは、居間にも、そしてディスプレイの前にも一人もいなかった。
 合掌。
つづく


あとがき
 先ずはお読みいただき、ありがとうございます。南文堂です。
 夏だからホラーを。と思い立って書き始めて、数文字でリタイヤしてしまいました。これこそ、ホラー?もはや、性分なのでしょうか?
 50k程度で終わる予定の話でしたが、予想以上に長くなりそうなので第一章とつけました。また、馬鹿馬鹿しいお話ですが、しばしお付き合い願えれば幸いです。
 今回は自分の文に自分で絵を描いてみました。オーソドックスなシーンを描きましたが、Tシャツを着ていないのは読者サービスです。決して、描くのが面倒だったわけではありません。信じてください。本当です……(笑)



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