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姫神奇譚 第九話

「戯れ」


作:南文堂
(原案:亜希みちる)


 一陣の風が森を吹き抜けた。木々の葉を裏打たせ、月光に晒された葉の裏が銀の波となり森を駆け抜ける。湿気を含んでいるわけでもないのに妙に重たい風であった。
「古都音様」
 脇に控えていた美光が淡い水色の色無地の着物を着た女性に躊躇いつつも呼びかけた。
 満月の光の下に浮かび上がる姿は燐光を発しているかのような神々しいまでの畏れを抱く美しさである。
 姫神。常世と現の狭間を繋ぐ神。
「行ってみたいのであろう?」
 女性は振り返りもせずにそう応えた。鈴を鳴らしたかのように美しい声があたりの空気を張り詰めさせた。
「お許しいただけますでしょうか?」
「よい」
「では……」
「まて」
「?!」
「私も行こう」
「古都音様?」
「よい退屈凌ぎ。近頃、少々暇を持て余す」
「御意」
 古都音と美光は風上へと向かった。かすかに薫る血の香りの方へと。
 さほど進むこともなく、空気が変わった。敵意、殺意、戸惑い、そして恐怖。
「古都音様」
 周囲を取り囲む空気の変化に美光は主に呼びかけた。
「ふん、獣風情に……」
 臆したか?それとも、臆するとでも思うたか?と、どちらを続けようとしたか永遠に謎となった。
「いえ、ただ、異常でございましょう」
「なるほど」
 既に鈍感な人間ですら気が付く血の匂いがあたりに充満している。獣たちがこの血の匂いに対し、こんな所で大人しくしているのは異常としかいえない。血の匂いに近づけない何かがあるらしい。
「面白い」
 古都音は赤みがかった虹彩を持つ瞳に喜色を浮かべて、目をすっと細めた。
 悠久の刻は精神を蝕む。永遠の時間、人として生きていた頃は何度か望んだものだが、こうして実際に手に入れると以外につまらぬものだと、みちるは思っていた。先代もそう思っていたのかもしれないとも。
 時を感じずに生きるのは姫神でいなくては人ではそれに耐えられない。そして、姫神に近づけば近づくほど強大となるが、人として心の死を迎える。
 それが姫神なのだろうか?みちるは考えたが、答えはない。いずれ来るだろう次代に姫神を押し付ければ、門をくぐり先代に尋ねてみよう。だが、まだそれは先の話である。
 問題の血の香りの源に辿り着けば、呆れるほど単純な話であった。
 木にもたれ、気を失っている少女を守るかのように白銀の大狼が口の周りを紅く染めて唸りを発している。周囲には他の狼の死体が転がっている。あたりに咽かえるような血の香りはそれら狼のものであった。
 面白いと言えば、大狼が少女を守っているぐらいで、これと言って見るべきものは無い。
 古都音は「またか……」と誰にも聞こえぬ呟きを発し、美光に目配せした。彼も黙って頷いた。
 引き上げようとした古都音と美光に対し、大狼は地を蹴り、無防備な古都音の背中に踊りかかってきた。
 しかし、古都音に達する遥か前に美光によって地面へと叩き落とされて、甲高い悲鳴を上げ、血だらけの地面へと転がった。美光は躊躇いもせずに、その喉笛に手刀を突きたてようとした。
「あ、兄を殺さないで!」
 その言葉で美光の手は狼の喉を掻き切ろうとする寸前で押し止められた。本来ならば止まるはずも無いが、何故か止まった。
「お願いです!兄を、兄を殺さないでくださいまし!」
 木にもたれて気を失っていた娘が目に涙を溜めて喉が張り裂けんばかりに美光に懇願した。魂を削るかのような叫びに人外の美光もわずかに躊躇いを見せた。が、しかし、主に牙を剥き、爪を立てようとした者を許しておける筈も無い。再び、手刀に力を込めようとした。
「美光」
 しかし、一部始終を背中で見ていた古都音が再び、美光の手を止めた。
「はっ」
「この兄妹を屋敷に招待する。連れて参れ」
「御意に」
 古都音は振り返らずもせず、そのまま一人で元来た道を戻った。
 満月が明るく道を照らしている。

 屋敷に帰った後、美光の妹、早樹が少女を湯浴みさせ、美光は大狼を綺麗に洗い、怪我の手当てをした。もっとも怪我といっても美光に叩き落された時の打撲ぐらいであったが。
 古都音の居室は障子が開け放たれており、広縁の向こうに見える手入れの行き届いた庭が満月の光に晒され、時間が止まったように見える。肘掛に軽くしなだれ、古都音はその庭を眺めていた。
 開け放たれた障子に人影が二人映り、その際で影は跪いた。
「古都音様」
「入るがよい」
「失礼いたします」
 美光が少女を連れもって入ってきた。少女は早樹の服を借りて着ており、短い丈の着物のために白い太ももを月光に晒し、足首に包帯を巻いて、足を引きずっていた。左手にも包帯をしている。
「お客人。何か不足はありますかな?」
「……い、いいえ、怪我の、手当てまでしていただき、ありがとう、ございます」
 古都音の放つ神気の圧されてかどこかぎこちなく少女は応えた。
「その程度は当然のこと。気にするでない。さあ、私に何か用があるのであろう?言ってみるがよい」
「!」
「驚くことはあるまい。でなければ、このような所に人が迷い込むことはないはず」
「あ、兄を……兄をお救いください!」
「兄というのは、あの狼のことか?」
 庭へと視線を動かして古都音は言った。そこには白銀の大狼が庭先に大人しく伏せていた。
 その姿を見て少女は安堵の息をついた。さっきまでの不安は嘘のように消え去り、少女は気持ちが落ち着くのが傍目にも見て取れた。
「は、はい。その通りでございます」
「話を聞きましょう」
 古都音は面倒そうに少女に事情を話すことを促した。
「私達はここよりだいぶんと離れたところに住んでおりました。早くに両親を無くしましたが、兄妹、助け合ってひっそりとではございましたが、仲良く暮らしておりました。ある年の夏のこと、村に雨が降らなくなり、とある山伏に雨乞いの祈祷をお願いいたしました。その山伏の祈祷が利き、村に雨をもたらしていただいたのですが、その山伏が私を……私を気に入り、攫われそうになりました。兄が山伏を打ち払い、なんとか事なきを得たのですが、そのことを恨みに思った山伏が兄に呪いをかけたのでございます。兄の姿を狼に変えてしまったのです。呪いをかけられたものが村に居られるわけもなく、生まれ育った村を追い出されるように、旅に出ました。兄を元の姿に戻すため」
「そこで、姫神の古都音様の噂を聞き、呪いを解いてもらうために、ここへやって来た。そういうわけか」
 美光の推測を少女は黙って頷いて肯定した。
「しかし、呪いを解くのであれば、その山伏を探す方がよっぽど早くて的確だろう。姫神を知らないわけでもあるまい」
「わかっております。山伏を探し出して呪いを解くことができればやっております。しかし、出来ないのです」
「最初から諦めていれば、そりゃ、みつからないわな」
「美光。お客人に言葉が過ぎますよ」
 古都音の言葉に美光は軽く肩をすくめて、苦笑いを浮かべた。
「その山伏、国中を探し回り、昨年やっと見つけたときには既に鬼籍に入っておりました」
「それでは、さすがに無理だな」
「お願いでございます。兄の、兄の呪いを解いてくださいまし!」
「私がかけたわけではない呪い。何故、私が解かねばならぬ?」
「そ、そんな……」
「話はそれで仕舞いか?」
「……はい」
 古都音はゆらりと立ち上がり、少女に近づき声をかけた。
「それでは、今宵はこの館でゆるりと過ごすがよい」そして、庭先の大狼にも近づき「そちもな」と声をかけた。
 その刹那。それまで伏せていた大狼が後ろ足で立ち上がるように古都音に襲い掛かった。
 古都音のその透き通るような白い首筋に、生臭い口臭を放つ口から覗く白磁のような白い牙を突き立てるために。
 しかし、牙が首筋に到達するまでに古都音がかざした手によって、襲いかかろうとする姿のまま大狼は固まってしまった。
 まさに一瞬の出来事であった。狼を固めた次の瞬間、古都音がその場に崩れるように倒れた。
「古都音様!」
 美光が今更ながらに反応する。しかし、倒れた古都音は反応しない。
 少女の右手には左手が持たれていた。その左手は少女の左肩につながることなく、真っ直ぐに紅く染まった細い棒状のものが地面に伸びて、その先からは赤い液体が滴り落ちていた。
「やった!やったわ!姫神を、古都音を討ち取った!お兄様!」
 義手の仕込み刀から滴る血とそこに倒れる古都音の姿を見て、少女は高揚して叫んだ。
「お兄様、これで、これで、やっと、のろいが……」
 襲い掛かろうとしている姿で固まっていた狼が、もやがかかるように姿が霞み、次第にそれが人形を取りつつあった。
「あ、あああ、ああ……おにぃ……!」
 しかし、その人形は少女の予想しているものとはまったく違ったものであった。
「ど、どうして!」
「答えが知りたいのなら、足元を見るがよい」
 古都音が冷たく言い放った。少女は足元に視線を移して、絶句した。
 持っていた刀を取り落とし、それが地面に落ちる乾いた金属音で我を取り戻し、少女は足元に転がっているものにしがみついた。
「あ、ああ、お、おにいさま!」
「いくら満月では不死身といえど、神刀で刺されては助かるまい」
 古都音は仕込み刀を拾い上げ、月にかざした。神代の頃の神々の忘れ物の一つであろう。既に血は吸い取られ、不思議な刃紋が浮かび上がり青く光っていた。
「ああ、ああああ……」
 しかし、少女の耳にはその言葉は届かない。
「最初からわかっておった。そなたらの目的はな。ここまで付き合ったのは戯れ。その戯れついでに、そのものを助けてやってもよいが、どうする?」
「あ、ああ、お、おねがいします!私が、私がどうなっても構いません!おにいさまを、おにいさまを!」
 半乱狂になりながらも何とか残った理性で古都音の申し出を受け入れた。
「どうなっても構わぬ。それでよいのだな」
「構いません!おにいさまを、おにいさまを!お……」
 眉一つ動かさずに古都音は少女の胸を突いた。ぽっかりと黒い穴が穿たれ、少女はこときれた。

 しばらく後に少女は目を覚ました。体を起こしてあたりを見渡した。
「ここは?おれは?」
「気が付かれたか、お客人」
 古都音が広縁に座って庭を眺めながらそう言った。
「姫神!」
 少女は身体に違和感を感じていた。だが、目の前にいる敵にそんなことを気にしている暇など無かった。
「そうせくでない。落ち着いて鏡で自分の顔でも見てみるのだな。それからでも遅くはあるまい」
 古都音が振り返らずに指差した方を見ると手鏡が一枚、少女の方を向けて置いてあった。
 少女は古都音を牽制しながら鏡へと視線を移した。そして、そこに写る自分の姿を見て少女は固まった。
「……おりょう」
「自分の妹、いや、愛するものと、正真正銘、一心同体になれた気分はどうだ?お客人」
「貴、貴様!おりょうを、おりょうをどうした!」
「自分はどうなっても構わぬから、お主を助けてくれと頼まれたのでな。その兄妹愛に免じて助けてやった。左腕はついでだ。気にするな」
 義手だった少女の左手は血の通った腕になっていた。しかし、少女にとってそんなことはどうでも良かった。
「き、きさま!おりょうをどうした!」
「このまま去るのであれば見逃してやろう」
「おりょうをどうした!」
「ああ、あの娘か。あの娘は、私の中で眠っている。永遠に覚めることのない、安らかな眠り……」
「ころす!」
 少女は床の間に置いてあった仕込みの神刀を握ると古都音に襲い掛かった。
 古都音は振り返って、片手をかざすと、神刀の刀身に無数のひびが浮き上がり、こなごなに砕け散った。その破片が少女の体に無数の傷を作ったが、それに臆することなく、少女は突進を止めようとはしなかった。
「痴れ者め。これを招いたは、自分の責と知れ」
 古都音はかざしていた手を横に払った。それだけで充分であった。

 古都音は美光を伴い、再び夜の散策に出た。
「美光」
「はい」
「……なんでもない」
「はい」
 姫神の日常なのだろう、これが。みちるは考えるのを止めた。せめて、今だけは。
 今宵も月が煌々と照り、森を銀の波が渡る。その風が古都音の髪をふわりと持ち上げる。漆黒よりも深い黒が悲しみを湛えて月光を吸い、更に黒く光った。


あとがき
南文堂です。皆様最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
短編をまとめるのは本当に難しいですね。今回、話がややこしくなっていて、心苦しい限りです。
「シリアスに姫神の性質を前面に」と思って書きましたが、これもまた、やっぱり難しいですね。
私の筆力では上手く表現しきれませんでした。



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