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CROS Juliet







作: 南文堂


 そこは目を開けているか閉じているかわからなくなるほど暗かった。そして、異常なほど静かだった。
 慣れていない者は、この暗闇と静寂の圧力に参ってしまうのだが、関根義孝は慣れている者であった。
 周囲を満たすほのかに温かい液体が身体にまとわりつくのを感じた。普段は感じないほど微かなものだが、視覚聴覚嗅覚と遮断されたことで触覚が敏感になっていたのであろう。
 静寂の中、うるさいほど聞こえてくる彼自身の鼓動がかなり早まっているのに気がついた。
「いつも、こうだな」
 彼は苦笑を浮かべたくなった。数えることも意味が無くなるほど、ここに来ているが、いまだに興奮してしまう自分が恥ずかしかった。
 高濃度の酸素が溶けている液体で満たされたこの静寂の場所を母親の胎内とたとえる者も多かったが、そこに留まりたいとは誰も言わなかった。その向こうにある騒々しくも華やかに明るい世界へと一刻も早く飛び出したいというのがほとんどであった。
 彼も彼らと同じ気持ち、いや、彼ら以上に早くこの暗闇を抜けて、明るい世界に――自分自身とは程遠い華やかな世界に産まれることを強く願っていた。
 彼は興奮している気持ちを落ち着けるために深呼吸を三回した。高濃度酸素溶液が肺の中まで満たして、液体呼吸している彼の体にとって、それはさほど肉体的意味を持たないだろうが、それが彼の儀式であり、彼の精神的には十分意味があった。
 深呼吸の効果でテンポを緩めて安定する鼓動を感じ、彼は口を開いた。声は出ないが、彼のしゃべりたい言葉は彼の身体に取り付けられたセンサーが読み取り、外で待機している人間にスピーカーを通して伝えられる。
「お待たせしました。準備OKです」
 しばらくすると明瞭だが、少し渇いた事務的な女性の声が頭に響いた。
「CROS――チャンネル・リモコン・オペレーティングシステム。診断プログラム始動します――脈拍、血圧、血中酸素濃度……許容範囲内、正常。待機モード解除します。起動プログラム始動します。よろしいですか?」
「ユーザー名、関根義孝で承認。“ジュリエット”起動」
「……生体情報再確認しました。関根義孝様。ジュリエット起動します。五、四、三、二、一……」
 女性の声は最後まで聞こえなかった。その代わりに彼の耳には機械が作動する音や定期的に鳴る電子音、人の息遣い、さまざまな雑音が聞こえた。生まれたばかりの耳には少々うるさくもあったが、彼は逆にそれを安堵した。
 目を閉じているので周りは見えないが、背中の感触で硬いベッドの上に寝かされていることもわかる。彼は忌々しいあの暗闇の棺桶から出られたことを感じて、心の底から喜びがこみ上げてきた。
「今度もうまくいった」
 失敗することは稀ではあるが、失敗すれば再調整に一日はかかる。そんなことになっては大変であるし、自分自身も辛い。
「ゆっくり目を開けてみてくれ」
 うれしさをかみ締めていると、野太い男性の声が聞こえ、彼はその言葉に従った。
 目を開けると少し眩しかったが、すぐに慣れて黒縁めがねの丸い顔の青年がにこやかな笑顔で覗き込んでいるのが視界に入った。
「んっ……っと」
 関根はゆっくりとベッドから身体を起こすと、朝起きたときにするように腕を上げて伸びをした。そして、目の前にある鏡を見やった。
 長い黒髪が発育の良い均整の取れた少女の身体に流れていく。ほんのり光すら放っているようにも見える肌の上に、極上の絹すらも色あせて見えるほどつややかな黒髪。服を着ることが神への冒涜のように思えた。
 大きい黒い瞳に通った鼻筋、桜色に濡れる唇、ほんのり赤く染まるつつきたくなるような頬。整っていたが、どことなく幼さを感じる愛嬌のある顔立ちは製作者の並々ならない愛情を感じずにはいられない。
 彼は鏡の中の自分に向かって「おめでとう」の笑顔をしてみせてから、改めて彼を起こした丸顔の青年の方に向き直った。
「おはようございます、丸山様」
 花もほころぶ愛嬌たっぷりの笑顔とともに鈴を転がしたような愛らしい声で朝の挨拶をすると、青年は少し顔を赤らめながら視線をそらした。
「おはよう、ジュリエット。気分はどうだい?」
 丸山は猫なで声で“彼女”の調子で尋ねた。それは彼の職務上、必要な質問だが、どちらかというと職務より彼女の声を聞ける役得と思っているだろう。
「丸山様がきっちりと整備してくださるので順調ですわ」
 少し上目遣いでベッドの上で軽くしなを作って答えると、彼は男の生理現象を隠すために椅子にさりげなく腰を下ろさなくてはならなくなった。
「それはよかった。それじゃあ、悪いけど服を着てくれないかな? マリオネット技師がマリオネットに欲情したら笑いものもいいところだよ」
 彼はもろ手を挙げて降参をした。
「まだまだ、修行が足りないですわよ。丸山様」
 彼女はくすっと笑って、ベッドから降り立つと脇に置かれていた衣装を手馴れた手つきで身に着けた。
「まったくだ。だけど、正直、君が“ジュリエット”を操っているから不覚を取るんだ。他の操者ならこんなことは無いよ」
 彼はドレスを着た彼女に少しの安心と、多くの『もったない』を感じつつ言い訳を並べた。
「ふふ、ありがとうございます。そういっていただけるとお世辞でも嬉しいですわ」
 彼女は少し恥らうように顔を赤らめた。おろし髪が幼さを感じさせつつも、ドレスによって強調された胸元に女性の色香が漂う。彼も顔を紅潮させて、それを否定するように頭を振った。
「参るよ。本当に。“ジュリエット”の中に入っているのが、関根君――男と知っていても、どきどきしてしまう。本当に――!」
 不意に彼の唇は彼女の人差し指に押さえられ、言葉を止められた。
 彼女は毅然としつつも寂しさを含んだ瞳を彼に向け、そっと唇から指を離した。
「それは言ってはいけない禁忌でございましょう、丸山様。今の私はジュリエット。ジュリエット・キャピュレット。ジュリエット・モンタギュー。ロミオ様の最愛の人。決して、関根義孝ではありませんわ。いいかしら?」
 両手を腰に当てて可愛く仁王立ちになったジュリエットは丸山に向かって冗談ぽく抗議した。しかし、彼女の瞳はまったく冗談の色はなかった。
「僕としたことが、すまん。悪かった」
 丸山は素直に頭を下げた。マリオネット操者の名前は決して公開してはいけないという禁忌はあるが、この場合、彼女は『本名を呼んで、役になりきろうとしている役者の邪魔をしている』ことを注意していることに気がついて、そんな初歩的なことを忘れていた自分を恥じた。
「すぐにわかってくださって、私はこの上なくうれしいですわ」
 仁王立ちをやめて一息つくと、少し落ち込んでいる彼の耳元に唇を寄せた。
「――本当のことを言うと、私、女性のマリオネットはそんなに経験がありませんの。しかも主役でございましょう? マリオネット起動してから役に入らないと不安になってしまいますの。許してくださいませ」
 小さな声で告白すると、さっと身を離した。装った強気を親しい人にこっそりと教えた少女のように照れ笑いを浮かべて、舌をちらりと出した。
「……本当に降参だよ。そのマリオネットをそこまで操るなんて、君にしか出来ないよ」
 丸山は再び両手を挙げて降参した。
「あら? そんなことはありませんわ」
 彼女はそういいながらも、まんざら悪くないという顔をしている。
「その“ジュリエット”はシビアなコントロールを操者に強いる設定になってるんだよ。並みの操者ならオーバーアクションになって、そんな細かい表現はできないよ」
 扱いづらいはずの機体を表情といい、仕草といい、自分の身体のように操る技術は、技師の彼から見ても見事としか言いようがなかった。
「もったいなきお褒めのお言葉、感謝いたしますわ。確かに反応はタイトで遊びはないですし、バランスがシビアですけど、私は好きよ。私の想いを素直に伝えてくれるのですもの。なんだか、これが本当の身体みたい思えてしまいますわ」
 彼女は自分自身を抱きしめるように両肩を抱いて、少し恍惚とした表情を浮かべた。
「扱いづらいが一級品。操り手を選ぶタイプの典型だね、“ジュリエット”は。……君みたいな人には一番あっているのかもしれないね」
「ふふ。それでは、“ジュリエット”に愛想をつかされませんように、お稽古をがんばらなければなりませんわね。いってまいります、ごきげんよう」
「ああ、いってらっしゃい」
 ジュリエットは軽く会釈をすると、ドレスの裾を翻し稽古場へとつながる扉を出て行った。

 マリオネット――人間が操縦する人型のロボットの総称。その用途は土木建築現場や危険地帯の作業用から福祉関係の介助、各施設のコンパニオンまで幅広い。マリオネットによって現代社会は支えられているといっても過言ではない。
 そこまで普及した要因は、人工筋肉や人工皮膚などの発明により、人間とほとんど変わらぬ外観と、人間以上のパワー、人間並みの器用さをもつロボットの製作できるようになり、それがコスト的に社会に受け入れられたこともあっただろう。
 しかし、操縦方法の革新があったためとも言えるだろう。チャンネル・リモートコントロール・オペレーティングシステム――通称“CROS(クロス)”。
 このシステムは操縦者(一般にマリオネット操者や単に操者と呼ばれている)の脳波を読み取り、それによってロボットを文字通り意のままに操縦することができる。また、簡単な手術は必要だが、ロボットのセンサーで感じた感覚を操縦者の脳にフィードバックすることもできる。
 余談だが、このシステムが完成した時、普段は物静かなことで有名なロバート博士が『人間は第二の体を手に入れた』と叫んだと科学史を紐解くと必ず記述されている。
 博士の言葉を借りるわけではないが、確かに人間は『第二の体』を手に入れた。これにより、危険な場所での作業に人間が赴く必要もなくなった。他にも重労働も楽にこなせるようになった。繊細な動きが可能になったことで介護や看護の分野にも進出した。容姿を自由にでき、表情なども作れることで、企業の受付やイベントのコンパニオンも使われるようになっていった。
 繊細な動きもトレース可能な人間そっくりな機械。それが高齢化、少子化の進む先進国で普及していったことは考えてみれば当然といえた。
 それらのロボットは、操縦の信号や電源を外部にしているためにコードつきが多い。もちろん、無線式のものや、内部電源方式、非接触型電源供給方式など用途に応じて様々なのだが、一番安価で信頼性の高いコードが最も多いのである。そして、そのコードが人や物に引っかからないように天井からコードをぶら下げているケースが多い。
 そのコードがまるで、操り人形の操り紐のように見えることから、それらのロボットはいつのころからか、『マリオネット』と呼ばれるようになった。最初はそれは蔑称として呼ばれることが多かったが、いつしかそれが市民権を得て、一般名称の地位に上りつめたのは非常に面白いことである。
 マリオネットは普及する際に、各業界に様々な波紋を起こした。よいこともあれば、悪いことも。革新的な技術が普及する過程では当然のことであり、ほとんどの業界はその波紋を吸収して沈静化していった。
 ただ、芸能業界はその波紋は大きく、嵐といってもよいものであった。
 美男美女を好きなだけ作ることが出来るマリオネットはまさに芸能関係者にとって理想である。それだけにタレント、特に俳優たちはマリオネットの芸能界進出に猛反対して、ハンストもどきの騒ぎもあり、国会でも討議されるほどの大問題となったことは記憶に新しいだろう。
 結局のところ、マリオネットは舞台演劇のみ使用を認めるものとし、テレビをはじめとする映像メディアには演劇の宣伝以外で登場させないと協定が結ばれた。さらにマリオネットを操縦している人間の名前は一般に公開しないことが取り決められた。
 つまり、マリオネットを操る人間を日陰者にしてしまえば、操縦する人間などいないだろうと反対した業界勢力――主に大手プロダクションは考えたのだろう。
 しかし、実際は『華がない』といった理由で演技力は認められているが、華やかな主役を張らせてもらえない役者たちが操者として参加するようになっていった。
 確かに、マリオネットを使用した演劇は『人形劇』などと呼ばれ、当初は生身の人間の演じる演劇よりも格下と見られていたが、現在では理想的な美男美女の演劇を見れるとあって、一般市民に支持され盛況を誇っている。実際、顔がいいだけの大根役者の『生身演劇』よりも、演技力のある役者の操る『人形劇』の方が質がよかったことも大きな要因といえよう。
 実際、ラスベガスの『カーネル劇団』などはマリオネット演劇専門の劇団だが、世界的に有名でVIPすらも訪れるほど人気を博している。
 それほどまでに人気を博している『人形劇』だが、それに使用される演劇用マリオネットは改良が重ねられ、より細かな表情や動きを操作するため、扱いが難しくなる傾向があり、ここ最近はマリオネットを操る専門の役者が主流となりつつあった。ちょうど、アニメや映画の吹き替えが役者から専門の声優になっていったように……
――長谷川健太郎著 『マリオネットと現代社会』より抜粋

「えーと……ここでロミオ様に手を取られて驚く……少しオーバーアクションかしら? でも、ジュリエットならそれぐらいの方が合ってますわね」
 ジュリエットは台本を片手に、誰もいない稽古場で想像のロミオを相手に演技をしてみた。
『きゃっ! ど、どなた……』
 驚きの表情を稽古場の鏡で確認しつつ、何度か演じて自分の“ジュリエット”を作りこんでいた。
「やはり、その後のロミオ様とかわす台詞のためにも、ここは少し緊張感を持たせるべきですわね」
 一人納得したジュリエットは再び演技を始めた。彼女にとってそこは稽古場ではなく舞踏会の会場で、今、彼女は名も知らぬ仮面の男性を探し回る少女となっていた。
 人ごみを縫うように歩みを進め、周囲を見渡す。探しているあの人は見当たらない。失望の色で輝く彼女の美しさが夜露に濡れる月のようにかげる。そして、手を――
「きゃっ!」
 本当に誰かに手を握られ、飛び上がらんほどに驚いた。そして、握られた手を見て、安堵と喜びの表情を浮かべた。
 彼女の手を握ったのは短髪のブロンドが眩しい美形の男性であった。彼は一瞬、悪戯っぽく笑顔を浮かべ、表情を引き締めて口を開いた。
『聖者様。巡礼のこの手が無礼にもあなたの聖地を汚してしまいました。その謝罪に唇が聖地に口づけをして清めさせてください』
 男はジュリエットの手の甲にキスしようとしたが、その寸前で彼女がそれを拒むように手を引っ込めようとした。それにより、彼の動きが止まって彼女を見上げる。
『いけませんわ、巡礼様。それはあまりにも手に対するひどい仕打ち。巡礼様は信心深く、敬虔なお方。その振る舞いに何の無礼がありましょう。聖者の手は巡礼が触れるもの。指と指が触れ合う。それは巡礼の優美なキスと申します』
 握られていない手で胸の動悸を隠すように自分の胸を押さえ、戯れる小鳥のようにさえずった。
『では、聖者と巡礼に唇はございませぬか?』
 戯れる小鳥を捕まえることの出来ない若い鷹が焦りと困惑を覗かせるように彼女をまっすぐ見つめた。
『いいえ。祈りを唱えるのに唇は必要です。聖者にも巡礼にも』
『では、どうか、今この時だけ、唇に手の役割を。信仰が絶望に変わらぬうちに。唇が祈りをささげます』
 若鷹は立ち上がり、強引に小鳥を抱きすくめた。小鳥はなすがままに若鷹の虜となった。
『聖者の心は動きません。祈りを受け入れようとも』
 小鳥はそういうとゆっくりと目を閉じた。
『では、動かないで。祈りを受け入れるあいだ。あなたの唇でこの唇の罪が――』
 台詞を続けようとして若鷹の彼は我慢の限界だったのか突然、彼女から身体を離して笑い出した。
「もうっ! せっかくいい調子でしたのに。途中で笑い出すなんてもったいないですわ。もう少し続けてくださればよろしいのに。駄目なロミオ様ね」
 ジュリエットはほほを膨らませてむくれたが、目は笑っていた。
「ああ、すまない。練習熱心なジュリエット。君があまりにも熱を入れて演技を続けるものだから、君が自分の胸に剣が突き立てるまで続けるのかと想像してしまってね」
 笑いをこらえながら“ロミオ”は楽しそうに言い訳した。
「そんなわけありませんわ。ティボルトもマーキューシオもいらしていないのに、最後まで通すことなどできませんわ」
 途中で殺される重要人物を挙げて肩をすくめた。
「君の想像力なら二人とも簡単に殺せるよ」
「あら? それでは、あなたの想像力では、ティボルトは殺せなくて? パリス伯爵も?」
 ロミオと少し距離をとって、じゃれるようにからかった。
「いいや。君が殺せというのなら、僕自身ですら殺してみせるよ」
 少し芝居がかった台詞を何の臆面もなく口にする彼に彼女は顔が赤くなるのを感じて、回れ右して彼から顔を隠した。
「そんなこと仰っていらっしゃるから、私一人置いて先立ってしまわれるのですわ。男の方って勝手ですわね。いつも一人で先にイッてしまわれるのですから」
 拗ねたように機嫌を損ねたを装ってみせたが、ロミオにはその偽装は通じなかった。
「耳まで真っ赤で可愛いよ、ジュリエット」
 彼は彼女を後ろから抱きしめた。
「もうっ! ロミオ様ったら」
 彼の腕を振り払って再び彼と距離をとり、舌を突き出した。それにロミオは余裕の朗らかな笑顔で応える。まさに――
「ラブラブだね。まったく、見ているこちらが恥ずかしくなるほどだよ」
 不意にロミオとジュリエット以外の声が稽古場に響いた。彼女らが声のした方を見ると台本片手に細身の中年男性が苦笑を浮かべながら稽古場の隅で壁に背中を預けて立っていた。
「細川さんっ。いつからそこに?」
 二人は顔を真っ赤にしてあたふたした。
「巡礼のキスあたりから。いいものを見せてもらったというべきかな? キスシーンの直前で幕になかったが」
「細川さんまで……」
 ジュリエットなどは恥ずかしさのあまり消えてしまいたいほどであった。演出家の細川はその様子をひとしきり笑い終えると表情を引き締めた。
「さあ、他の連中もそろそろ来るだろうから稽古を始めるか。開演まで時間がないんだ。ビシビシいくぞ」
「はいっ!」
 二人は仕事モードに切り替わり、真剣に練習を始めた。

『約束は違わぬ! 結婚式は木曜日だ。よいな!』
 すがりつくジュリエットをキャピュレットは突き飛ばし、退場していった。
 そこで台本を丸めたメガホンが派手に何かをたたいた音がして、演技が中断された。見ると、細川が怒りに目を血走らせていた。もちろん、近くにあったテーブルの上は激しい地震があったような惨状となっていた。
「キャピュレット! お前は何者だ? お前はこの街、ヴェローナのなんだ? 大公に次ぐ実力者。街を二分する有力者の一人。違うか?」
 細川はずかずかとキャピュレットに近づき、胸を台本の筒で突いた。迫力に押されたキャピュレットは黙ってうなずくしか出来なかった。
「じゃあ、考えろ! お前はキャピュレット。ヴェローナの支配階級。ヴェローナの政治だ。お前の行動はすべてがヴェローナの政治だ。お前が寝て、飯を食って、糞をするのも、全部が政治だ。よく、考えろ! パリスとジュリエットの結婚の意味を。ティボルトの殺された翌日に決めた意味を。わかるまで、どこかに行ってろ」
 細川は怒鳴るだけ怒鳴ると、解散といわんばかりに手を振り払った。休憩というよりも自習である。役者たちはそれぞれに自分の役を深く考え、それを演技につなげるための猶予期間を無駄にしないように各々の練習に励んでいた。
 いつの間にか倒れたジュリエットの側にやってきていたロミオはジュリエットをやさしく抱き起こした。彼女は衣装の埃を軽くはたいて怪訝な顔をした。
「ロミオ様はご自身のお稽古は大丈夫ですの?」
 ロミオもジュリエットの世話を焼いている暇はないはずである。ジュリエット自身も焼かれている暇はない。
「突き飛ばされて打ちひしがれるジュリエットを見ているのは痛快だよ。自分の稽古を忘れるほどにね」
「ロミオさまっ。私は怒られているロミオ様は見たくありませんわ」
 ジュリエットは怖い目でにらみつけた。
「おお、怖い顔をしないでおくれ、僕のジュリエット。『君の瞳は十の刃より恐ろしい』」
 ロミオは劇中の台詞を織り交ぜておどけて見せた。
「ほほう。ロミオ様、ずいぶんと余裕だな。それで下手な演技でもしたときは覚悟が出来ているんだろうな」
 細川がいつの間にかロミオの背後に回って、蛇が蛙でも狙うようなじっとりとした声で彼を絡めとった。
「細川さん。わかってますよ。ちゃんと稽古はしますよ。つきましては、ジュリエットを少しお借りしようと参じたまでです」
 さすがにロミオも演出家の細川に大見得を切るほど度胸はない。少し困惑気味に笑みを浮かべて、用件を伝えた。もちろん、演出家の許可など必要はない。ジュリエットの承諾があれば、自由に連れて行ってよいのである。
「それなら、とっとと連れて行け。開演のベルは待たないぞ」
 細川は不機嫌そうな顔で二人を追い払うようにした。
「それでは、お気に入りのジュリエット嬢をお借りいたします。失礼」
 そういいつつお辞儀する仕草は惚れ惚れするほど優雅で気品が漂い、どことなくユーモラスさも含んでいる。
 “ロミオ”の機体も“ジュリエット”に負けず劣らず癖のある機体なのだが、こうも完璧に操られると、細川は実は普通の機体なのではないかと疑いたくもなった。
「まったく。本当はマーキューシオの方が向いているんじゃないか。正直、あの機体じゃなければ、マーキューシオをやらせたいな」
 二人が立ち去ると細川はぼやくようにつぶやいた。ロミオの友人役で機知とユーモアに富んだマキューシオは最後まで舞台にいれば、主役を食ってしまうだろうと評されたほど存在感があり、それだけに難しい役としても知られていた。
「確かに、あのセンスはそっちに向いているかもしれないな」
 独り言に返事が返ってきて驚いて振り返った細川は、独り言に応じた人物を確認して思わず苦笑を浮かべた。いつの間にか細川の後ろにいたのは舞台監督の石山であった。
 石山は山のような巨体であるのに、ネコのように音もなく歩く。どんな古く痛んだ舞台でもきしむ音も立てずに歩くと噂されているが、それは本当かもしれないと、細川はこういうことがある度に確信を深めていた。
「明日からの舞台稽古は問題ない。道具は仕上がっているから、あとは調整するだけだ。実際、使ってみての話だからな。耐久性重視で補強しておいたが、お前にかかると『ロミオとジュリエット』もアクション活劇だな」
 石山は明日から行われる舞台装置の進捗状況を報告に来たのであった。
「ああ、ありがとう。助かったよ。実際、アクションだよ。ロミオとジュリエット。出会った瞬間に恋に落ちて数日で愛に死ぬ。若さゆえと言葉で言うのは簡単だ。若さはエネルギーだ。せっかくのマリオネットだ。生身では出来ないほどパワフルなエネルギーを見せないでどうする」
 昨年、公演された彼のライバル演出家である和田智明の『ロミオとジュリエット』を思い出して歯噛みした。
 和田智明の『ロミオとジュリエット』は斬新であった。台詞の部分に音楽をかぶせていくのである。台詞回しがシェイクスピアの売りであるのに音楽をかぶせては台無しになるはずであった。しかし、その音楽が感情を盛り立てて、音楽が流れていることを忘れるほど舞台から訴えかけるものを感じさせた。理屈ではなく引き込まれた。
『日本語に訳したところでシェイクスピアの言葉は死んでいる』
 和田智明のインタビューの台詞が細川の頭をめぐる。それは細川も同感だった。だが、生き返らせるのは音楽だけじゃない。和田智明とは違う、細川忠則の『ロミオとジュリエット』があることを見せたかった。
「死んだシェイクスピアを日本人としてよみがえらせてやる。だから、力だ。エネルギーが要る。箱をぶっ壊すぐらいにだ」
 細川は自分の方針を再確認するかのように拳を握った。
「これだから、お前さんとの舞台はやめられない」
 石山は細川のぎらついた言葉ににやりと笑ったが、すぐに表情を引き締めた。
「だが、気がかりがある」
 石山の言葉に細川は握り締めていた拳の力を緩めて、いつもの冷静な彼の表情に戻った。
「“ジュリエット”のアキレス腱か?」
 細川の言葉に石山はうなずいた。
「丸山の報告では今のところ、問題ないようだが、確実に負荷が溜まっていっているとのことだ。技術の人間は公演が終わるまで持つだろうという見通しだが、楽観は出来ないそうだ」
「わかった。――足首を細いのに戻したことがここで裏目に出るとはな」
 芸術的に造形美にあふれるジュリエットだが、ただ一箇所、足首が違う機体のものに付け替えられて太くされていた。造形的にも台無しだし、なによりジュリエットの十四歳たらずという若さが表現しきれていないと、細川の提案で本来のものを探し出し、それに付け替えられた。
 しかし、実際、付け替えてみるとバランスコントロールが難しくなり、並みの操者では無理ということになり、操縦に定評のある関根がオーディションで合格したのである。
「まだ裏目と決まったわけじゃない。コインは回っている最中だ。あとは公演が終わるまで回り続けておいてくれるのを祈るだけだ」
「神頼みか。好きじゃないな」
 細川は眉をひそめた。運や偶然などを嫌う彼に石山は苦笑を浮かべた。
「それなら、人事を尽くしておけばいいだけだよ。幸い、ジュリエットの操者は一流だ。うまくやってくれる」
 もっとも、関根の技量が予想以上であったため、機体のポテンシャルを発揮して動き、その負荷がアキレス腱に溜まっていたのであるが。
 稽古場の一角でロミオとロレンス神父と一緒になにやら盛り上がっているジュリエットをちらりと見やった。
 だが、ジュリエットのあの動きなくして細川の『ロミオとジュリエット』は成り立たない。関根の技量は感謝こそすれ、恨むものなど何もなかった。
「ああ。その点に関しては同感だ」
「お前さんのキャスティングだろう? そういうのは自画自賛というんだぞ。とりあえず、操者から自覚症状の報告がないからまだ大丈夫だろう」
「わかった。症状が出たら、早めに処置する。だが――」
「わかってる。舞台の手は抜かないだろ? こっちも抜かれちゃ困る。安心しろ、細川。そんなことしたら俺がお前さんをぶっ飛ばす」
 石山はにっこりと笑うと恐ろしいことを言って稽古場を来たとき同様、足音も立てずに出て行った。
「これは死ぬ気で手を抜けないな」
 細川は苦笑を浮かべて、他の仕事に取り掛かった。

 ロミオに連れ出されたジュリエットはロレンス神父のいるところまでやってきた。二人っきりでないことに少し不服な表情を見せた彼女にロレンス神父は温和の笑顔を浮かべた。
「ジュリエット、申し訳ないね。君たち二人だけにしてあげられなくて」
「いえ、そういうわけではありませんわ」
 ジュリエットは思わず自分が表情に出していたことに恥ずかしくなり、顔を赤らめて首を振った。
「僕たちの恋には絶えず障害がつきものなんだよ。ジュリエット、我慢しておくれ」
「私を障害にしてもらっては不本意だな。君たちの協力者だというのに」
 ロレンス神父は心外だと肩をすくめて見せた。
「そうでしたね。それじゃあ、善意ある障害ということで」
 ロミオはにこやかに切り返すと、神父も苦笑を浮かべるしかなかった。
「まったく。君には参るよ。で、相談というのは?」
「ええ。実は僕とジュリエットの結婚式のシーンです」
「ふむ。華やかではないが、二人が最高に幸せなときだね」
 ロレンス神父がシーンを思い出しつつ、首をひねった。変更するようなことはあまりないシーンである。
「はい。そのシーンでジュリエットが教会にやってくる。僕を見つけて駆け寄り、二人は再会を喜ぶ。神父は二人に挟まれ右往左往しながら、祭壇の前へと歩いていく」
「そうだね。そのシーンで何か問題が?」
「喜び合う二人だけど、神父が邪魔で抱き合うことが出来ない。そういう障害が結ばれない二人を案じさせる演出だと思うのです」
「だろうね」
 わかりやすい演出であるが、それだけに観客に伝わりやすい。
「でも、巻き込まれている神父というのは、どうも美しくない。そこで、二人が喜んで駆け寄り、手をとろうとするが、二人の間にはロレンス神父がいる」
「わかりましたわ。お互いに心通じ合う二人。目を見れば、気持ちが通じて、手を取ることも可能なはずですわね? でも、そこへ悪意のない偶然で神父の手や体が割り込んで邪魔をするのですね」
 ジュリエットがロミオの言わんとすることを理解して、顔をほころばせた。
「そう。神父はそれを多少はたしなめる気持ちはあっても、徹底的に邪魔するつもりはない。でも、うまく動きがはまってしまって、二人は手を取ることも出来ない」
「なるほど」
 ロレンス神父がうなずいたが、具体的にどうすればいいか想像もつかない。それを察したロミオが具体的な話に移した。
「ロレンス神父があまりキビキビ動かれてはイメージが違う。そこで、二人の間でもみくちゃにされている印象を残しつつ、こういった感じで――」
 ロミオは何かにもみくちゃにされてふらつく男の踊りを踊った。ちょっとしたパントマイムのようで、もみくちゃにしている人影が見えそうだった。
「悪いが、もう一度やってくれ。録画させておく。しかし、君は何でもできるな」
 ロレンス神父はロミオの万能ぶりに羨望のため息を飲み込み、視神経を録画モードに切り替えた。
 ロミオが再び、踊って見せ、録画し終えると、ロレンス神父も役者としての意地でその動きを真似て踊って見せた。
 ロミオは感心したように笑みをこぼした。
「いい感じです。じゃあ、ちょっとあわせてみましょう」
「ちょっと待ちなさい。ジュリエットの動きはどうするのだね?」
 この動きに合わせてジュリエットが動かなければダンスにはならない。ロミオは自分で考えたからよいが、何も知らないジュリエットが踊れるわけがない。
「大丈夫ですわ。多分、わかりますもの」
 ジュリエットは軽く応じるとカウントを取った。
 ロレンス神父は半ばやけくそで、先ほどの動きを再びしてみせると驚いたことにロミオは当然として、ジュリエットもきれいにその動きに合わせて踊るように動いた。しかも、手の取り合えないもどかしさに表情を曇らせ、あと少しで手を取り合えそうになると晴れやかな表情を浮かべ、それがかなわないとひどく悲しそうに表情を変える。もちろん、ロミオもジュリエットと同じで表情の演技を忘れない。
(まったく、この二人には役者根性に火をつけさせてくれる)
 ロレンス神父は内心で舌を巻きながらももみくちゃにされて困っている神父の表情を演じた。
 ダンスをひと通り踊り終わって、ロレンス神父は予想以上にダンスが大変なことを思い知らされたが、よりよい舞台を目指す役者として「できない」とは言えなかった。しかし、二人にしてやられっぱなしというのも少々、癪に障る。少しからかってやらないと気がすまないと、ロレンス神父は真面目な顔で二人を見つめて、
「それにしても、君たち二人は運命の恋人かのようだな。まったく、本当の恋人かと疑いたくなる」
 ロレンス神父の言葉に二人は一瞬硬直して、顔を赤く染める。かりそめの身体とはいえ、その反応は操者のものである。ロレンス神父は少しだけ仕返しが出来たことに満足し、一人でダンスの練習をするために二人と別れた。
「二人を見ていると、本当に愛し合っているかのようにも見えてしまうな。それが演技であればいいんだが……。操者同士の恋なんて、ロミオとジュリエット以上に困難な恋だからな」
 ロレンス神父は自分でからかったこととはいえ、息の合ったロミオとジュリエットに暗い不安の影を感じて、ほんの少し表情を曇らせ、誰にも聞こえないように呟いた。
 人間、見た目ではないと言いつつも、見た目は大事なのである。マリオネットでお互いに見慣れた二人には生身の再会は百年の恋が冷める並みの衝撃になることが多い。
(同性同士で打ちのめされたりもするんだよな)
 ロレンス神父は自分の思い出したくはない過去を思い出して気うつな表情を浮かべ、それを振り払うかのように新たに追加されたダンスをマスターするのに稽古に没頭した。

 高濃度酸素溶液が排水され、肺の中も洗浄が終了すると操者を収納するコクーンの扉が開き、眩しい光が差し込んできた。外気が入り込み、少し肌寒く感じた。高濃度酸素溶液に濡れている上に裸であれば、それも仕方ないことであったが。
 扉が開いても関根は丸山がセンサーの類をはずすまで身動きせずにじっと待った。下手に動くとセンサーが絡まって余計に時間がかかる。華やかな世界から引き戻された後にあるこの作業はいつも彼を惨めにさせた。
「いっそのこと、ずっとマリオネットの中に入れたらいいのに」
 そんな愚にもつかないことを真剣に考えてしまう。
「おつかれさま。不具合があれば聞いておくけど?」
 丸山がセンサーをはずし終わって関根に訊いた。彼の仕事はこれからである。
「そうだね。右の足首が少し硬かったかな? 反応は悪くないんだけど、少し違和感があった。それぐらいかな?」
 ダンスのシーンで少し感じた違和感を丸山に伝えた。丸山は少し考えてからあれこれと検査の準備に取り掛かった。
 関根はシャワーを浴びて高濃度酸素溶液を流し終えると私服に着替え帰り支度を始めた。
「足首の人工腱が少し炎症を起こしているようだね。交換するとなると、どんなに急いでも明日の昼までかかるけど、どうする?」
 簡易検査を終えた丸山がまだ帰らずにいる関根に聞いた。
「練習と公演の間、もちそうかな?」
「『ロミオとジュリエット』がアクション劇でないんなら大丈夫だと言い切れるけど」
 動きの激しい細川演出の『ロミオとジュリエット』では確証は言えないと言外に言っていた。
「交換して調整。馴染むのを入れれば、明日がつぶれるな――明日からは舞台で通し稽古があるし、このままいきたいな」
 交換すれば感覚が変わるのでそれを把握するだけでも時間を費やす。
「そうだね。練習でなるべく負荷をかけないようにすれば大丈夫だと思う」
「努力するよ」
 暗に練習しすぎを指摘され、関根は複雑な笑みを浮かべた。丸山の方もその顔の意味するところを知って苦笑を浮かべた。
「まあ、もし本番でいかれたら、ロミオ様に助けてもらえよ」
「な、なんでロミオ様がそこで出てくるんだよ」
 関根は顔を赤くして思わず大声を出してしまった。
「なんだよ突然。いかれる可能性が高いのはダンスのシーンだから一番近くにいるのはロミオ様だろう?」
 丸山はハトが豆鉄砲を食らったように目を丸くして怪訝な表情を浮かべた。
「あ、そういう意味か……」
 関根はばつ悪そうに顔を赤らめると頭をかいてごまかした。
「どういう意味と思ったんだよ。マリオネット操者同士で通信も出来るんだろう? やばかったらフォローを頼めば何とかしてくれるんじゃないか。なにしろ、仲がいいって評判なんだし」
 ロミオとジュリエットの仲の良さは技術者の彼にまで知られるほどこの舞台の関係者には有名であった。
「それはそうだけど、実際本番にならないと、な。何しろ、初顔だから」
 関根は困った表情を浮かべた。初めて共演するのに旧知の仲のようにここまで息がぴったり合うのは彼の経験でもなかった。
「本当か、それ?」
 丸山は正真正銘意外そうな顔で関根を見つめたが、その質問にも首を縦に振って肯定した。
「まあ、初顔であそこまで息が合うというのも信じられないかもしれないけど、本当だよ。この世界、広いようで狭いからな。名前が公表されてなくても、ある程度は演技の癖とかで誰だかわかるんだよ」
「そうらしいな」
 マリオネット操者の名前を公表しない禁忌があるとはいえ、蛇の道は蛇――昨今では有名無実になりつつあった。インターネットでちょっと調べれば、公演後に推定出演者としてほぼ正確な出演者リストが出回っている。
「ロミオ様のマリオネットもジュリエットに負けず劣らず癖のある機体っていう話だろ? それであの演技力。心当たりのある人間なんて限られているんだけど……」
「該当者なしってわけか。……うーん、あの話の真実味が出てきたな」
 腕を組んで考え込む丸山のつぶやいた言葉に関根が反応した。
「あの話?」
「あっ、いや、その……タブーだろ?」
「そこまで言っておいてタブーはないだろ? こっちは舞台に上がる身なんだから教えてくれよ」
 ごまかそうとした丸山だが、関根にしつこく迫られてついに口を割った。
「あくまでうわさの話だぞ。――村上信二。知ってるな?」
「一応、僕も芸能業界に身を置いているんだぞ。今人気ナンバーワンの男性アイドル、村上信二。通称、ムラシンだろ? 詳しいプロフィールまでは知らないけど、それなりには知っているよ」
 ちょっとワイルド系でかっこいいと評判のアイドル歌手でかなり人気がある。歌唱力はそこそこだが、ルックスとダンスでそれをカバーしている。クールなワイルドさだけではなく、バラエティーなどで見せる子供のような笑顔が人気の秘密といわれている。
「で、そのムラシンがロミオ様ってうわさがある」
「は?」
 関根は理解できないという字を顔に書いた。
「まあ、そう思うのも無理はないがな。あれだけのルックスがあるんだったら、生身で舞台に上がった方がいいに決まっているよな。大根でも看板で客が呼べる。客も演技力を望んでないしな」
 丸山の言葉に関根は「そのとおり」と首を縦に何度も振った。
「ところが、天下無敵のアイドル様はそれでは気に入らないらしい。そこで名前を隠して――というか名前を出してはいけない人形劇で演技の特訓をして、演技力を身につけて、ドラマ、映画、舞台に進出しようという腹づもりらしい」
 丸山はそこまで言って肩をすくめた。アイドルのわがままに反感を覚えたのだろう。
「はぁ〜……アイドルっていっても、いろいろ考えているんだな」
 しかし、関根は逆に感心した。確かに最初は名前で客が呼べるかもしれないが、それも最初のうちだけ。長い目で見るなら演技力をつけるために人形劇で修行するのは悪いこととはいえなかった。
「今回の舞台の演出をしている細川忠則さんはムラシンが大ファンで、この舞台に出演させてほしいってラブコールを盛んに送っていたという噂だ」
「なるほど。それなら初顔合わせも納得だな。しかし、あれだけ演技できるとはアイドルも侮れないな。舞台慣れしているのを割り引いても」
「どうせ事務所の力で一流の専門のスタッフを集めて、集中特訓でもしたんじゃないか?」
 丸山はどうしても男性アイドルに反感があるらしく鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「それでもだよ。スタッフが一流でも演じるのは本人だからな」
 関根は妙に心の霧が晴れたようなさわやかな気分で家路に着いた。

『ロミオ、ロミオ、おお、ロミオ。どうしてあなたはロミオなの。あなたが名前を捨ててくだされば、私の全てをあなたにあげるというのに』
 バルコニーで月に向かって狂おしい、身を焦がすような恋心を告白した。
『それならば、名前は捨てよう』
 突然、庭から声がした。ジュリエットは秘めた恋を聞かれたことに恥ずかしくなり、声を荒げて誰何した。
『庭にいるのはどなた! 名乗りなさい』
『名乗ろうにも、もう名前は捨ててしまった。そう、私のことは“恋人”と呼んでください』
 彼女は屋敷の中へと逃げ込もうとしたが、謎の男の声に聞き覚えがあった。足を止めて、バルコニーの下を覗き込む。そこには豪華なブロンドの太陽が落ちていた。
『その声は、わずか少ししか言葉をかわさなかったけれど、ロミオ様?』
『ああ、その名はもう捨てました。あなたのために』
 ジュリエットの胸が早鐘のように高鳴る。顔が紅潮するのが自分でもわかるほど。
『ああ、なんということでしょう』
『さあ。私はロミオという名を捨てました。あなたもジュリエットという名をお捨てになってください』
 ロミオはバルコニーの傍に生えている木に登り、彼女の目の前に現れた。
『それは……』
 ジュリエットは戸惑った。何か分けのわからない不安感が心の中に広がってきて言葉が出なかった。
『私はロミオという名を捨てて、村上信二という名を取り戻しました。あなたの真実の名を教えてください』
 ロミオの台詞にジュリエットは硬直した。見ると、ブロンズの美青年は茶髪の浅黒い顔の美男子、村上信二に変わっていた。
『あ、ああ……』
 ジュリエットの美しい身体が徐々に美しくない関根義孝の身体に変わっていく。身体を顔を隠そうとするが身体が動かない。
『さあ、あなたの真実の名を!』
 村上信二の顔がアップに迫ってきた。
「うわぁっ!」
 関根義孝は見慣れた自分の家、ワンルームマンションのベッドの上で叫び声とともに目を覚ました。
 しばらく状況が理解できずにあたりを見渡して、先ほどのが夢とわかるまで数分もかかった。目を覚ました時間が、タイマーをセットした時間の一時間も前だったため、致命的な数分にはならなかったのは不幸中の幸いといえよう。
「なんて夢だ……ぜんぜん、台詞が違うだろう」
 『ロミオとジュリエット』の有名なバルコニーのシーン。夢の台詞が最初からかなり端折ったことに文句を言いつつ、びっしょりとかいた寝汗が気持ち悪く、シャワーを浴びることにした。
 シャワーを浴びて出てきた関根は姿見の鏡に映る自分の姿を何とはなしに眺めた。
 顔はよくもなく、悪くもない平凡な顔立ち。少し童顔に見えるのが唯一の特徴かもしれない。身体は少し低めで、それほど太っているわけではないが、ふっくらして見える。運動不足がたたっているのか、少しおなかが出てきている。
 とりわけ醜いことはないが、ジュリエットを基準に考えれば、醜いに分類されるだろう。もっとも、その基準で醜くないといえるのは至難の業だが。
 しかし、この身体も自分ならジュリエットも自分という関根にとっては二つの身体は比較の対象であった。
「まいったな。新人のときに克服したと思ったのに」
 彼は鏡から視線をそらして、考えたことを忘れるように朝の身支度に取り掛かることにした。
 マリオネットはマリオネット。かりそめの身体。所詮は人形。ロボット。一皮向けば、炭素フレームと人工筋肉の寄せ集め。道具に過ぎない。
 マリオネットと自分の身体のギャップで自己嫌悪に陥るマリオネット操者は少なくない。特に新人のころには誰もが一度は通る道ともいわれている。これの重症になるとマリオネットから降りるのを嫌がり暴れだすものもいる。
 関根も自己嫌悪に陥ることは何度かあったが、何とか乗り越え、経験とともに割り切ってきたのであった。今回も同じことと自分に言い聞かせたが、今まで以上に聞き分けのない自分に手を焼いた。
「ああ、くそっ! 余計な夢を見るからだ! ムラシンの馬鹿ヤロウッ!」
 頭をかきむしって、朝食を胃袋に詰め込むと、かなり早かったが、劇場に向かうことにした。
 元々、稽古の集合時間よりも早く行くつもりだったところを更に早く出たためにかなり早く劇場についてしまった。どちらにせよ、技師が来るまでマリオネットを操れないどころかマリオネットの調整室にも入れない。仕方なく、近くの公園で台本のチェックをすることにした。
 公園の一角にあるオープンカフェに腰を落ち着けると台本のチェックを始めた。
 このカフェは劇場に近いこともあり、台本をチェックしている役者にさりげなく気を使ってくれる。一般の客を遠くの席に誘導したり、お冷のおかわりを黙って注いでくれたりと、落ち着いて台本をチェックできる出演者お気に入りのカフェであった。
 関根は台本から目を上げて、軽く伸びをした。台詞は全部はいっている関根にとっては細かな解釈の再確認ぐらいで、チェックといっても実際に演じてチェックする方がしたかった。
「とはいえ、全体を改めて見直すのはやっておかないとな」
「何がです、関根さん?」
 関根の独り言に、白地に薄いブルーのチェックのメイド風のドレスに白いエプロンをした制服のウェートレスが尋ねた。まだ若い、大学生ぐらいで、いかにも元気そうな印象のある女の子であった。
 関根はすでに常連で人懐っこい彼女とも少なからず面識があった。
「おはよう、佐代子ちゃん。んー、今度の舞台の話だよ」
「ふーん。あ、ロミオとジュリエット?」
「そうだよ。もしよかったら、観に来てね」
「残念。あたし、公演の日、友達と海外旅行に行く予定なんだ。ごめんね」
 佐代子は手を合わして愛嬌たっぷりに謝った。
「それは残念」
 関根が苦笑を浮かべていると謝っている佐代子が首を傾げ始めた。その様子に関根は怪訝な表情を浮かべた。
 佐代子は関根の表情に気づいて困ったような、恥ずかしいような微妙な笑顔を浮かべた。
「あのね、関根さん。ロミオとジュリエット……あれって、『おおロミオ、どうしてあなたはロミオなの』ってやつでしょ?」
「そうだけど?」
 関根は佐代子の質問の本意が見えずに少し困惑気味に答えた。
「よく考えたら、あたし、ロミオとジュリエット以外の登場人物知らないし、犬猿の仲の家同士で恋人になって、最後はどうなるかも知らないのよ。こんなに有名な話なのに」
「ああ、なるほど」
 関根は佐代子の言葉にやっと合点した。
「そうだね。『ロミオとジュリエット』は有名だけど、意外に細かい話は知られていないことでも有名だね」
「そうなんだ。よかったー。あたしがお馬鹿なのかって心配しちゃった」
 佐代子は胸をなでおろして安心した。
「ねえ、関根さん。もしよかったら、『ロミオとジュリエット』のあらすじ、教えてくれないかな?」
「あ! あたしも聞きたい」
「わたしも」
 ウェートレス数人が関根のところに集まってきた。店の中にいる店長が苦笑を浮かべていたが、お客も少ないので「別にいいよ」という仕草で許可してくれた。ウェートレスだけではなく、何人か他のお客もいつの間にか席を移動して集まってきていた。
 そこまで盛り上がってしないわけにはいかないと関根は仕方なく『ロミオとジュリエット』のダイジェスト版を話し始めた。
「舞台はイタリアの花の都といわれたヴェローナという大きな街なんだ。そこの領主は大公なんだけど、有力者としてモンタギュー家とキャピュレット家。この二つの大きな家があったんだ」
「その二つの家が仲が悪かったのね?」
 佐代子が相槌を打ってくれた。一人しゃべりは苦痛に思っていた関根は彼女の天然のアシストに感謝しつつ、話を進めることにした。
「その通り。二つの家はいつのころからか、ことあるごとに喧嘩をして、騒ぎを起こしていた。互いの家の使用人同士も仲が悪いほどだったんだ。それで領主の大公はずいぶんと頭を悩ましていたんだ」
「でも、領主ってことは一番偉いのにどうして言うこと聞かせられないの?」
 当然ともいえる疑問が投げかけられた。『ロミオとジュリエット』の書かれた時代はかなり古いために、現代とは感覚が違うところも多いし、事情もわかりにくいところもある。
「まあ、大人の事情? というのは冗談で、二つの家とも街の有力者だからね。領主といっても簡単に処罰はできないんだ。へたすると内戦になるからね」
「ふーん。それで、どっちがロミオの家で、どっちがジュリエット?」
「ロミオはモンタギュー家だよ。彼はそこの一人息子で跡取りだ。しかも、彼はヴェローナの誰もが礼儀正しくて紳士的だと誉めるほどすばらしい青年だった。一方、ジュリエットはキャピュレット家。こちらも一人娘で、歳は十四歳の誕生日まであと二週間の美しい乙女だった」
「えー! ジュリエットってそんなに幼かったの? 十四って言えば、中学生じゃない」
 佐代子は「ロミオってロリコン?」という言葉は何とか飲み込んだが、その表情にありありと書いていた。関根はそれがわかって苦笑で応えた。
「昔は十四といえば、少し早くはあったけど、結婚してもおかしくはない歳だったんだよ。なにしろ、この話が書かれたのは日本で言えば、戦国時代の終わり、関が原の戦いのころだからね」
「そんな昔の話なの?」
 『ロミオとジュリエット』は正確な創作年はわかっていない。というのも、ちゃんと出版されたわけではなく、出演した役者たちが台詞などを思い出して本にまとめたという代物だったため、シェークスピアが書き上げたはっきりした年数がわからないのであった。ただ、一五九一年から一五九七年までの間と言われているので、一般人にしてみれば『関が原の戦いのころ』で充分であった。
「まあね。で、話を続けるよ」
「ごめん。話の腰ばっかり折っちゃって」
 佐代子は申し訳なさそうに謝ったが、関根は首を振ってやさしく笑って見せた。
「いや、いいよ。で、最初はロミオは実は別の女性に夢中だったんだよ。だけど、相手に振り回されてなかなかうまくいかないで、結構落ち込んでいたんだ」
「なんだか、驚きの事実が次から次に出てくるわね」
 ジュリエット一筋と思っている人が多いらしく、佐代子以外のギャラリーも意外そうな顔をしていた。
「それを心配して、ロミオの友人で、大公の親戚でもあるマキューシオという青年が彼をとある舞踏会に誘うんだよ。その舞踏会で初めてロミオとジュリエットは出会ったんだよ」
「そ、そうなの? でも、同じ街に住んでるのよね? それまであったことないの?」
「二つの家は犬猿の仲なんだから、交流はほとんどなかったしね。かわいい娘を敵の家の舞踏会に出す親はいないよ。ロミオも敵の家の舞踏会に乗り込んでいくほど酔狂じゃない」
「ねえ、それじゃあ、どうして二人はその舞踏会で出会ったの?」
「そりゃあ、マキューシオがロミオをキャピュレット家の主催する舞踏会に連れ出したからだよ」
「な、なんで? 敵の家なんでしょ?」
 先ほどの説明と矛盾した理由に佐代子は目をしばたかせた。
「まあ、ロミオは仮面をかぶっていたからばれずに入れたんだろうね。キャピュレット自身が仮面のロミオを歓迎して迎え入れているし」
「いいかげんよね」
「実は途中で仮面の男がロミオとばれるんだけど、彼をたたき出そうとするティボルトという青年をキャピュレットが押しとどめているから、案外、知っていたのかもね」
「信じられない」
 佐代子たちは自分たちが思い描く舞踏会のイメージとのギャップに不服そうな顔を見せた。しかし、実際、昔の舞踏会とはそういものだったらしい。関根は彼女たちの不満を少しでも解消するため話を続けた。
「まあ、ロミオはさっきも言ったように、紳士的だったからね。ヴェローナ市民からも愛されていた。そのロミオをたかが舞踏会に紛れ込んだようなかわいい悪戯に過剰に反応しては名が廃るってところじゃないかな? 舞踏会をめちゃくちゃにするつもりなら、話は別だけど、そういうわけでもなかったしね」
「じゃあ、ロミオはどうして、敵の家の舞踏会になんて行ったの? 紳士的とは思えないけど」
「誘ったのはマキューシオだよ。ロミオは寸前まで乗り気じゃなかった。彼は真面目で誠実な青年だからね。でも、その友達のマキューシオは、伊達と酔狂に生きるユーモアと機知に富んだ青年だったからね」
「知ってる! そういう人、カブキモノっていうのよね」
 『ロミオとジュリエット』が戦国時代のころの話と聞いて、カブキ者、前田慶次でも思い出したのだろうか、佐代子が得意満面に手を打った。関根も意表をつかれたが、「なるほど」と感心して、うなずいた。
「そうともいうね。まあ、モンタギューの息のかかった家での舞踏会じゃ、ロミオは下にもおかれない歓迎を受けて、踊りを楽しむ暇もないだろうからね」
「ああ、そうか。考えたら次期当主様だもんね」
「そういうこと。というわけで、二人はそこで初めてであって、お互い名も知らぬまま一目惚れしたわけさ。そこは知っている人には有名なシーンで、ロミオはジュリエットの手を取り、彼女の手を聖地と呼んで、無礼を働いた手の所業を謝罪するために彼女の手にキスさせてほしいとお願いするんだ」
「き、キザー!」
 引き気味に佐代子は言ったが、どこか羨望の香りが漂っていた。
「そういうやり取りを楽しむのが社交界というわけだよ。やがて舞踏会が終わり、二人は相手の名前を知ることになり、その運命を嘆くんだよ」
「うん、それは知ってる。それでどうなるの?」
「ロミオはジュリエットが忘れられない。せめて彼女をもう一度見たいと、舞踏会の帰りに一人、キャピュレットの家に忍び込むんだ。庭をさまよっていると、バルコニーにジュリエットを見つけるんだよ」
「あっ。そこで、あのシーンね」
「そうだよ。だけど、みんな勘違いしているかもしれないけど、ジュリエットは庭にロミオがいることを知らずに彼への愛を告白するんだよ」
「へ? そうなの?」
「そうだよ。言ってみれば、自分の家で好きな人への告白の練習していたときにそれをうっかり通りがかった好きな人に聞かれちゃうようなものだね」
「そ、それは恥ずかしいわね」
 佐代子は自分がジュリエットと同じことになったらと想像して、微妙な苦笑を浮かべた。
「ジュリエットも相当恥ずかしかったようだよ。その後のロミオとのやり取りで恥ずかしがっていたからね」
「時代は変わっても乙女心は変わんないわね」
「それでも、二人は一晩中愛をささやきあった。そして、もし本気なら使者を出すから結婚の約束を伝えてとジュリエットはロミオに言うんだ。そして、ロミオはジュリエットと別れた後、その足でロレンス神父を訪ねて、ジュリエットとの結婚を取り持ってくれるようにお願いするんだ」
「それにしても、ずいぶんと電撃結婚ね」
「半日で結婚だからね。ジュリエットの使者、彼女の乳母なんだけど、彼女に結婚の意志を伝えて、ジュリエットは急いでロミオの待つ教会に行くんだ。そこで、ロレンス神父立会いの下に結婚式を挙げて、二人は夫婦になるんだ」
「ちゃんと結婚しているのね」
「まあね。幸せいっぱいのロミオだけど、この幸せは長くは続かない。結婚式の帰り道、ロミオの友人のマキューシオと、キャピュレット家のティボルト――ジュリエットの従兄が決闘しているところに出くわすんだ」
「また、急展開ね」
「確かにね。とうぜん、ロミオは二人の決闘を止めようとした。だけど、ロミオが割って入った時に運悪くティボルトの剣がロミオの影に隠れて、マキューシオは刺されてしまうんだ。これが致命傷になってマキューシオは死んでしまう。友人を殺され怒ったロミオはティボルトに決闘を申し込み、彼を殺してしまう」
「なんだかすごいことになってきたわね。それで?」
 佐代子は話にのめりこみ話をせかしてきた。
「大公は以前から二つの家が揉めるのに頭を悩ましていたと言ったね。そこで、今度騒ぎがあったら、極刑にするといっていたんだ。マキューシオを殺したティボルト。ティボルトを殺したロミオ。ロミオは見方を変えれば、刑を代行したともいえなくもない。ということで、ロミオはヴェローナを追放という判決がその日のうちに下されたんだ」
「じゃあ、ジュリエットは?」
「自分の従兄を殺された彼女はロミオを罵ろうとしたけど、彼女はロミオを愛していたから、彼を罵ろうとしても『天使の顔をした悪魔』とかそんな風な言い方しかできなかった。ロミオの方は追放と知らされ、ジュリエットのそばから離れるぐらいなら、いっそ殺してくれと泣く始末」
「情けないわね、男でしょ?」
「それほど愛していたんだよ。ロレンス神父と乳母が手引きして、一夜限りの逢瀬を二人に与えたんだ。初夜にして終夜。ひばりの声に追われるようにロミオはマンチュアへと旅立つことになる。しかし、不幸はそれでは終わらない。ジュリエットの父親は、彼女を前々から結婚を打診されていたパリス伯爵に嫁がせることを決めたんだ。しかも三日後の木曜日に」
「これもまた急な話ね」
「キャピュレットとして、政治的な計算もあっただろうと思うよ。はっきりとは書かれていないけどね。それはそれとして、当然、ジュリエットは結婚しないと父親に言うけど、それなら勘当だといわれる始末」
 関根はそこでいったん区切り、水を一口飲むと話を続けた。
「困り果ててロレンス神父に相談した。そこでロレンス神父に薬を渡され、結婚式の前夜にそれを飲んで仮死状態になるように言われるんだ。そして、彼女が仮死状態の間にロミオをマンチュアから呼び戻して、仮死状態からさめた彼女を連れてマンチュアに連れて行き、あとはロレンス神父が二つの家を説得するという作戦を立てるんだ」
「それもまた、思い切った作戦ね」
 佐代子は行き当たりばったりな作戦に苦笑してみせた。関根もそう思うが、それは口にせずに話を進めた。
「ジュリエットはその薬が本当に仮死状態になるだけのものか不安におびえながらも、ロミオと一緒になりたいがためにその薬を飲んで仮死状態になるんだ。当然、キャピュレット家は大騒ぎ。彼女の葬儀が大急ぎで行われた。ここまでは計画通りだったんだけど、ロレンス神父が出した使いはロミオに届かず、神父の計画はロミオに伝わらなかったんだ。ロミオはジュリエットが死んだという知らせだけを知り、追放の身を省みずヴェローナに戻ってくるんだ」
「そんな! 最悪」
「そして、墓所に安置されている仮死状態のジュリエットに再会して、絶望のあまり本物の毒をあおって自殺するんだ。仮死状態から覚めたジュリエットは自分の隣で死んでいるロミオを見つけて、計画の失敗を悟り、ロミオの剣を自分の胸に突き立てて死んでしまうんだ」
 関根は自分の胸に剣を突き立てる仕草をして、間をおいた。話を聞いていた周囲の人間は押し黙って悲しい結末に浸っていた。
「二人の死の真相がロレンス神父より語られ、二つの家は仲違いをやめてヴェローナの町は平和になった。これが『ロミオとジュリエット』のあらすじだよ」
 関根はあらすじを語り終わり、周囲を見渡した。語り始めたときよりも増えている人間に少し驚き、照れくさそうな笑顔を浮かべた。
「なんだか、悲しい話ね。知っているつもりだったけど……」
「シェイクスピアの四大悲劇の一つという人もいるからね。詳しいところは、舞台を見てくださいね」
「うー……なんだか見たくなっちゃったじゃない。聞かなきゃよかった」
 佐代子は口を尖らせて文句を言った。
「それは光栄だね。映画化されてたりもするからね、そっちをみてもいいと思うよ」
 『ロミオとジュリエット』は何度となく映画化されている。現代風にアレンジしたパロディーのようなものもあるが、しっかりと作られたものもあり、舞台の演出を映画にしたものをある。
「帰りにレンタルビデオに寄ってみようかな?」
 佐代子は早速、ビデオを借りるつもりで思いをめぐらしていた。関根はお薦めの映画化作品をコースターにメモ書きして彼女に渡した。そのついでにコーヒーのお替りを頼んだ。
「ありがとう、関根さん。コーヒー、ちょっと待っててね」
 佐代子はコースターを受け取ると、店の中に飛んで帰った。
 関根はその様子をほほえましく見送って、何とはなしに公園の方に視線を移した。そこにたまたま、演出家の細川が若い男と何か言い合いながら劇場に向かっていくのが見えた。
「あれは……」
 関根は演出の細川と一緒にいた若い男をどこかで見たと首をひねった。
 コーヒーのお替りを持って戻ってきた佐代子は首をひねる関根を怪訝に思い、彼の視線を追って、歩いていく二人の男に気がついた。
「ねぇねぇ! あれって、もしかして、ムラシンじゃない?」
「ムラシン?」
 佐代子の言葉に他のウェートレスもそちらの方を注目した。
(そんなまさか……)
 関根の心臓が跳ね上がった。
「え〜、見間違いじゃないの? ……って、本物じゃん!」
「やっぱりー! ……ああ、劇場に入っちゃった。おしいなぁ。もうちょっと早く気がついてたら、サイン貰いにいけたのに」
 佐代子が心底悔しそうに地団太を踏んでいたが、同僚のウェートレスたちは苦笑を漏らしていた。
「その格好で?」
 同僚の一人が放っておくとウェートレスの制服姿でサインを貰いに走るなんてみっともないことをしかねない佐代子に一応、釘を刺しておいた。。
「いいじゃない。かわいい格好なんだし、『萌えてるね、君』とか言われちゃうって、サインくれるかも♪」
「そりゃ、歌のタイトルでしょ。とりあえず――」
「とりあえず?」
「休憩時間に色紙とサインペンを買いに行こう♪ 帰り際を狙うのよ」
「あ、ずるーい。あたしもー」
 佐代子たち、ウェイトレスの会話にあっけに取られつつ、呆然としていた関根は我に返って、代金をテーブルに置くと台本を片手に劇場目指してダッシュした。
「せ、関根さん! コーヒーのお替りは?」
 佐代子の驚く声など関根に届いていなかった。
 関根は日ごろからの運度不足が祟って、だらしなく口を開けて、わき腹を押さえながら劇場の玄関ホールにたどり着いた。しかし、そこには細川もムラシンの姿もなく、見かけない二十歳前の女性だけがいるだけだった。
 若い女性はただならない関根の様子に驚きながら近寄ってきた。
「どうかしたの、お兄さん?」
「こ、ここに、いまさっき、細川さんと、ムラシンが……」
 呼吸も整わないままに関根は答えて、ますます呼吸が苦しくなって、倒れそうになった。
「くすっ。お兄さん、見かけによらず、ミーハーね。ええ、今、演出家の細川忠則さんと村上信二が中に入って行ったわよ」
 彼女がおかしそうに笑っている間に呼吸を整えて、なんとか倒れることだけは回避した。
「どっちにいった――行きましたか?」
「サインだったら、やめておいた方がいいわよ。村上信二はすごくサイン嫌いで有名だから。気に入った人しかサインあげないらしいわ」
 彼女は苦笑いをして肩をすくめた。
 ムラシンのサイン嫌いは関根も知っていた。
 彼はメンクイで有名でもある。彼にサインを貰えば、文字通り、ムラシンのお墨付き美人――サインをきっかけにデビューした女性アイドルも何人かいるほどである。カフェの女の子たちもお墨付きを貰うためにチャレンジするつもりだったのだろう。
 関根は、彼女がおおかたサインを断られて、その愚痴を自分にぶつけるつもりなのだろうと想像して苦い顔をした。
「それは残念だったね。でも、僕はサインを貰うんじゃないんだ」
 よく見れば彼女はショートカットで目鼻立ちのすっきりとしたボーイッシュな印象は受けるが、なかなかの健康系の美人だった。自分の容姿に自信があったからなおさら愚痴りたいのだろうと勝手に想像を加速させた。
「そういうわけで悪いけど、急いでいるんだ。どっちに行ったか教えてくれないか?」
 言葉は丁寧であったが、「関わっていられない」という苛立ち紛れの声が彼女の顔を曇らせた。
「スタッフルームに入って行ったわよ。細川さんはすごく不機嫌そうだったけどね。ちなみに、サインをもらえなかったんじゃなくて、もらいにも行かなかったのよ」
 彼女は少し不機嫌そうにして、踵を返しホールから出て行った。
 関根も細川が不機嫌と聞いて、頭に昇っていた血が冷えた。同時に彼女に対して随分と失礼な態度を取ったことを思い返して反省した。
「そうだよな。行ったところでどうしようもないしな……」
 冷静さを取り戻した彼はそろそろ出勤してくるはずの技師を待つためにマリオネットの調整室前に向かった。

「よーし! 少し休憩だ。二十分後に再開する。休憩が終わって同じ演技をしているやつはマリオネットの殻を剥いでやるから覚悟しておけ!」
 演出家の細川の声で稽古が中断され、安堵と緊張が舞台に走った。ダメだしされた役者は休憩を返上して練習しておけなければ冗談抜きで細川ならマリオネットの殻――つまり、操者本体の収まった黒い筐体をこじ開けかねなかった。
 殻をこじ開けられると、本体に加わる強烈な外部からの刺激とマリオネットからの入力で脳がパニックを起こして、へたすると精神障害を起こしてしまう。マリオネット操者にとってこれほど恐ろしいことはない。
「それから、ジュリエット! 控え室まで来い」
 細川の追加の一声に舞台は緊張した。完璧に演じていたはずのジュリエットが細川に呼ばれたということは、ダメだしされなかった他の役者も合格点ではないということになり、余裕をかましていた役者もあわてて台本などをチェックし始めた。
「何の用かしらねぇ? あたしの処女に誓って、ジュリエットの演技に問題なんてあるとは思えないけど」
 ジュリエットの傍にいた年老いた“乳母”が冷却用の循環体液を補給しながら首をかしげた。
「演技に問題がないなんて神様が口にしても不遜だわ。ちがうくて? 役者はその気になれば神様だって演じられるのですもの」
 ジュリエットは不安を隠しつつ冗談を口にして優雅に控え室に向かった。
「ジュリエットです。失礼いたします」
 控え室に入ると細川忠則は機嫌が悪そうなオーラを隠しもしないで彼女にぶつけてきた。しかし、彼女はそれにひるむことなく気品を保って微笑んだ。
「細川さん。何か私に御用でございますか?」
 細川はしばらく不機嫌な顔を崩さずに彼女をにらみつけたが、彼女も微笑みは絶やさずに見つめ返していた。沈黙のまま時は過ぎたが、休憩時間は無限にあるわけではない。やがて、細川が大きなため息とともに視線をはずした。
「俺の言いたいことがわかるか? ジュリエット」
「申し訳ありません。私はジュリエットですもの。神様でも超能力者でもありませんわ」
「うまい言い逃れだ。それなら、ロミオの後を追って自殺するか?」
 ジュリエットは初めて微笑を凍らせた。
「わかっているんだな。だが、改めて言っておくぞ。役に入り込みすぎだ、ジュリエット」
 細川は心配そうな表情で彼女を見上げた。
「わかっていますわ。情熱に身を焦がしても芯は醒めた氷のように理性を保て。リアルは決して現実にあらず。虚構こそが人の目に真実」
 彼女は細川が昔、本で書いた文章をそらんじた。
「――できるか?」
 真剣なまなざしにしばらく沈黙が続いたが今度はジュリエットが折れた。
「ふふ。できないなんて言ってしまったら、細川さんは今すぐにでも私の殻を割ってしまうでしょ? 私たちを守る殻はハンプティ・ダンプティの身体よりももろいですのよ」
 冗談めかして言ってもその微笑みは儚げであった。その微笑みに細川はジュリエットの心の内を感じたが、その言葉は飲み込んだ。そして、大仰に両手を広げた。
「ああ、その通りだ。よーく覚えておけ、間違っても狂気に染まるなよ。いい演技というのはその半歩手前だ」
「あら? 薄皮一枚だと仰っていませんでしたっけ?」
「規制が厳しくなったんだ。今月から」
 もう話は終わったと休憩に戻るようにドアを示した。ジュリエットは優雅にお辞儀をするとドレスの裾を翻して控え室を退場した。
 細川はその後姿を見つつ、爆弾を抱える彼女を降板させない自分自身も狂気に染まっているのだろうとため息をついた。

 ジュリエットが稽古場に戻ると無言の視線が彼女に集まった。
 その視線の意味するところが、わかりすぎるほどわかるだけに彼女は内心苦笑をした。そして、軽く息を吸い込むと伸びやかな声を奏でた。
「どうなさったの、皆様? まるで死んだ私が生き返った帰って戻ってきたときのような顔をして」
「皆、不安なのだよ、ジュリエット。君が姿を隠して何をたくらんでいるのか? どんないたずらをするつもりなのか?」
 ジュリエットの声に答えたのはロミオであった。ジュリエット以上に動き回るロミオは連日の稽古の疲労がかなり蓄積しているだろうに表情は明るい。
「まあ、私がいたずらを? とんでもない。そんな大それたことが出来る女に見えて? 十四にも満たない力もない私が居並ぶ皆様にいたずらするなんて、とても信じられませんわ」
「おお、神よ。この忘れっぽい娘に祝福を。パリスとの結婚を避けるために仮死の薬を飲み干して皆をだましたいたずらを忘れるほどに忘れっぽいとは。きっと、台詞はおろか、僕の名前ですら忘れているに違いない」
 ロミオの仰々しい嘆きの芝居に稽古場のくすくすと笑いがもれた。
「名前を忘れる? 忘れるですって? ロミオ、忘れているのはあなた様。バルコニーの下で自分の名を捨ててしまったのではなくて? それとも、後でこっそり拾って帰られたのかしら?」
 やり返すジュリエットに隣にいた乳母が思わず噴出した。
「おお、その通り。あなたの望むままに名前を捨てた。僕は“恋人”という新たな名前を得たはずなのに、なぜだか、名を捨てることを望んだ人は本当に忘れっぽい。捨てた名前を呼び続けたので、あわてて地面に落ちていた名前を拾ったのです。全てはあなたの望むまま」
 一枚上手のロミオの切り返しに出演者はどっと笑い出した。ジュリエットは少し馬鹿にされている気分になって顔を赤くした。
「なんて意地悪なんでしょう。『蛇の心を持つ花の顔。美しい暴君。天使のような悪魔。ハトの羽をしたカラス。狼の心の子羊。高潔な悪党!』」
「ティボルトにも言ったが、『僕は悪党ではない』」
 台詞を使った決め台詞まで軽く台詞で返されてジュリエットは先をつなげられず頬を膨らせて背中を向けた。ロミオはそれを見て、にこやかに笑顔を浮かべると他の出演者の注意を引くように小気味よく手を叩いた。
「さあ、あと少しで休憩はおしまいだ。準備万端整えて、観客たちに一泡吹かせてやろう」
 程よく引き締まった空気に戻り、練習再開に向けて準備を始めた。
「仲のいいあなたたちが喧嘩するなんて驚きよねぇ」
 尻尾を巻いて逃げ出したジュリエットに乳母が追いついて話しかけた。“乳母”の中は妙齢の女性でコミカルな演技に定評のあるマリオネット操者で、ジュリエットも何度も共演したことのある役者だった。
「喧嘩なんてしていなくてよ」
 ジュリエットはそっけなく答えた。
「でも、今日のロミオ様はなんだか妙にお嬢様に突っかかってくるから」
 乳母が不安そうな表情でジュリエットを見上げた。ジュリエットは少し困った表情を浮かべるしかなかった。
 彼女の言うとおり、他の人が気づかないところでジュリエットをサポートしていたロミオが今日に限ってはどこか突き放したようであった。また、ジュリエットのサポートもさりげなく拒否をしている。休憩時間もわざと避けているようにも見えた。そして、先ほどのやり取りである。
「見た目にはじゃれあいに見えていますのね」
 ジュリエットは肩をすくめて見せた。痴話ゲンカにも認めてくれない二人だけにわかる仲違い。派手に喧嘩するよりもストレスがたまった。
「何か思い当たることは?」
 乳母もジュリエットの中が誰かは気づいているだろうが、まるで親しい女友達を心配するような目をジュリエットに向けた。
「……そうね。多分、あれが原因だと思うのだけど……すぐにはどうしようもありませんわ。でも、ばあや、安心してちょうだい。あなたのジュリエットは、ちゃんとしますわ。ええ、必ず」
 ジュリエットはおそらく、ロミオが先ほど自分が細川に言われたことと同じことを感じて距離を置いたのだと理解した。
「そうですか? それじゃあ、見守ることにしますが、ばあやはお嬢様の味方だっていうことを忘れずにいてくださいね」
 ジュリエットは乳母にお礼を言うと、乳母は自分の待機場所に戻っていった。その後姿を見送って、周囲に人のいないことを確認してから、小さな声でつぶやいた。
「ロミオ様のやり方はちょっと子供じみているけどね。でも、それがなんだかかわいく思えるって、これはかなり重症ね」

 翌日――
 関根は昨日と同じ時間に家を出て、まだ誰も来ていない劇場の前にやってきた。早いといっても一般社会的には少し遅めの朝と言える時間帯であるため、公園には人影が少なくない。
 柳の下の二匹目のドジョウを期待するようなものだと思いつつも、彼は昨日ムラシンが通った小道のベンチに腰掛けて、おそらくは来ない人を待っていた。
「冷静になるとばからしいな」
 苦笑を浮かべたが、それがあくびに変わった。昨日の稽古は夜中まで続いたために少しばかり睡眠不足であった。穏やかな朝の日差しと木の葉が風に揺れて擦れ合う音が心地よく眠りに誘う。
 現実と夢が混ざったような半分起きて、半分寝ている不思議な感覚に沈み込んでいったその時、ふと女性の黄色い声が聞こえた気がした。彼は目を覚まして、ベンチからずり下がった身体を座りなおし、周囲を見渡した。
 すぐに少し離れたところに人だかりができているのを見つけ、目を凝らしてみた。
「ムラシンーっ! こっちむいてぇー」
 どうやら二匹目がいたらしいと関根は飛び起きて、その集団の方へ駆け寄った。しかし、すでに人だかり、しかも女性ばかりとあっては分け入ることもできない。
 躊躇していると黄色い声に混じって大きなだみ声が彼の耳に飛び込んできた。
「村上さん! 一言、お願いします」
 聞き覚えのある声。よくテレビのワイドショーで芸能レポートをしている名物レポーターの声であった。
「マリオネット演劇で武者修行を重ねているっていうのは本当ですか!」
 関根の体がびくっと反応して、耳に神経を集中した。
「へぇー、そうなんだ」
 ちょっと気だるい、やる気のない返事が聞こえた。間違いなく、ムラシンの声である。
「武者修行が終われば、ついに映画進出ですか?」
 レポーターは相手の返答に関係なく質問を重ねた。さすが物怖じはしていない。
「あー、そういう話もあるかもね」
「では、マリオネット演劇に出演されているのは本当なのですね?」
「さあね。どうだろう」
 はぐらかすような回答でありながら、ほぼ肯定しているような香りが含まれている。それを感じてレポーターのテンションは高まっていた。
「では、今度の細川忠則演出の『ロミオとジュリエット』に出演されると言うのも本当なのですね?」
「あたし、知ってる! ムラシン、ロミオ様なのよね! ジュリエットになりたーい!」
 興奮したのはレポーターだけではなかったようで、ファンの一人がそんなことを口走った。それを聞いた関根の鼓動が急に早くなった。
 ファンの女の子たちは、口々に「私もなりたい」「ジュリエットの人、うらやましい」など騒ぎ立てていた。女の子たちの目は誰も本気であった。その雰囲気はどこか熱狂を帯びて少し怖いぐらいであった。
 関根はその様子に「僕がジュリエットと知ったら、殺されかねないな」と少し背筋に冷たいものが走り、後退りそうになったぐらいである。
「君たちなら誰でもジュリエットになれるぜ。バルコニーで愛の告白をしてくれればな」
 ムラシンのリップサービスにファンは悲鳴まがいの声を上げた。鼓膜が千切れそうな破壊力ある高周波に顔をしかめながらレポーターの言葉を何とか聞き取った。
「村上さん、ファンの人たちが言うとおりロミオ役という噂があるのですが、それについて一言!」
「おいおい。それは聞いちゃいけないし、言っちゃいけないタブーなんだろ? ルールは守ろうぜ」
 今度もはぐらかす返答であるが、これも肯定に聞こえなくもない。レポーターはそれで十分と判断したのだろう、人だかりを掻き分けて、早速つかんだネタをレギュラー番組の放送に載せるべく携帯であわただしく連絡を取りつつ公園を去っていった。
 残されたムラシンは人だかりを引き連れつつ劇場の方へと歩いていったが、関根はその後を追うのはやめて、もといたベンチに戻って腰掛けた。ムラシンに聞きたいことは図らずとも聞けた。それだけで十分であった。
 高揚していた気分が幾分落ち着いた関根は自分の座っている同じベンチに見覚えのある女性が座っているのに今更ながら気がついた。
「君は昨日の……」
「また会ったわね、お兄さん」
 ショートカットの彼女は軽く微笑を浮かべた。
「いいのかい?」
 劇場に入るため、ついてきたファンの子達に別れの挨拶をしているムラシンを遠くに眺めながら訊いた。しかし、彼女の返事は実にそっけなかった。
「なにが?」
「ムラシン。いっちゃうよ」
「そうね。劇場に入るみたいね」
「追いかけなくていいの? 君ぐらい美人ならサインもらえるかもしれないよ」
 昨日は細川と一緒だったので遠慮したのだと勝手に思い込んだ彼は彼女を後押しするつもりで口にした。
「別に興味ないし」
「そうなんだ」
 意外な返事に少し驚いていると、彼女は彼の方に向き直って、少し不機嫌そうな視線を向けた。
「村上信二って言えば、どんな女の子も夢中って思っているのよね。でも、それって大間違い。特にファンの芸能人いないし、変なタレントを口にして、センス悪いと思われたら嫌だから、とりあえず『ムラシン』っていっとけばいいかなって娘も多いのよ」
「へぇ、そうなんだ。でも、男の僕が見てもかっこいいと思うんだけどな」
 意外な事実を聞かされた彼は余計、不思議に思い、興味が引かれたのか身を乗り出した。
「そりゃあ、かっこうはいいわよ。だけど、だからファンになるとは限らないでしょ」
「まあ、そうだね」
「私はどっちかというと嫌いかな。だって、思いっきりナルシストなんだもの。そういうのって、私はダメ」
 眉根を寄せて腕をクロスさせた。よっぽど嫌いらしいことは良く伝わった。関根はなんだかムラシンが貶されていることに心落ち着かないのか、顔を少ししかめた。
「でも、まあ、仕方ないんじゃないかな? あれぐらい男前ならナルシストにもなりたくなるよ」
「でも、ナルシストってことは自分自身に欲情しているってことでしょ? ということは、ホモってことよね――お兄さん。ムラシンのファンみたいだけど、チャンスあったりして」
 彼女は冗談で笑いながら関根をからかったが、言われた関根は顔を赤くしてしまった。
「お、大人をからかうんじゃない。そんなわけないだろう。ムラシンぐらい男前ならわかるけど、僕みたいな醜男を好きになるわけないだろ!」
 顔を赤くした恥ずかしさを隠すために怒ってみたが、余計にむなしく切なくなって泣きたい気分がこみ上げて、それをぐっとこらえた。
「そんなに怒らないでよ。冗談で言ったんだから。でも、気に障ったんだったら、ごめんなさい」
 彼女は急に怒り出した彼に素直に頭を下げた。それを見て、関根も冷静さを取り戻した。
「いや、こっちこそ急に怒って悪かった。冗談を真に受けるなんて、どうかしてた。――あ、そろそろ行かないと。それじゃあ、昨日といい、今日といい、失礼ばかりで申し訳ない……ああ、そうだ。お詫びのかわりにこれをあげるよ。暇なら観に来て」
 関根はスタッフに配られた『ロミオとジュリエット』の招待券を二枚、手渡した。
 彼女は受け取りつつ驚いて、彼を見返した。さほど高くないとはいえ、名も知らない人から貰うにしては高すぎる。
「こんなの貰ってもいいの?」
「いいよ。どうせ、あげる相手を探してたんだよ」
 女役に抵抗はなかったが、知り合いに見られるのは少し気恥ずかしさがあったので、ズボンのポケットに入ったままになっていたのである。
「ありがとうございます」
 彼女は丁寧にお辞儀をして、バックの中にチケットを仕舞った。
「気にしないで。それじゃあ」
 関根は手を振って彼女に別れを告げ、劇場の方に歩き出した。
「はい。お芝居、がんばってくださいね。ジュリエット、期待してますよ」
 彼女はにこやかに手を振って彼を見送った。

 公演前の最後の稽古が終わって調整室に戻ってきたジュリエットは少し表情を曇らせた。
「丸山様。足首の痛みが徐々にひどくなってきていますの。明日から三日間、大丈夫かしら?」
 おとといの右足首の違和感がはっきりとした痛みに変わってきていた。丸山は調整用のベッドに乗るように彼女に指示すると簡易測定器を持って足首を調べ始めた。
「うーん、炎症が進んでいるようには見えないが……。ちょっと触るね。これは痛い?」
 少し足を動かして様子を見た。
「いえ、そんなには」
「じゃあ、こっちは?」
 別の角度に足を動かす。
「あっ! そちらは少し痛いですわ」
 丸山は手を離して、簡易測定器の波形をチェックした。しばらく、画面をにらんでから顔を曇らせた。
「どうやら、外の腱の内側で炎症が進んでいるようだね。困ったな。冷却循環で十分だと思ったが、意外に重症だったな」
 丸山は自分の診断ミスに苦い顔をした。彼の名誉のためにいうと、内部の炎症はわかりづらく、現在もそのあたりの改良と診断方法が研究されているが、決定打は出ていない。この炎症は人工筋肉を使ったマリオネットの宿命であった。
「どうにかなりません?」
「変性反応が出ていないからまだ大丈夫だろうけど、三日六公演は正直、このままでは無理だな」
「そんな……」
 ここで腱の交換をしていたら、交換自体は公演に間に合うだろうが、ぶっつけ本番になる。しかも、ダンスのある舞踏会のシーンは序盤である。経験豊かなジュリエットでもかなり不安であった。
 結局、二人で考えていても仕方ないと演出の細川と舞台監督の石山、プロデューサーの小島を呼ぶことにした。
「きみぃ! 困るんだよ、そんなことでは! 整備は君の仕事だろう!」
 事情を聞いた小太りの男、プロデューサーの小島はマリオネット技師の丸山を茹でダコになりながらののしった。それも仕方ないことで、公演直前に主役の怪我など悪夢以外のなんでもない。
「まあ、小島さん。怒っても仕方ないことですよ。マリオネット演劇ではよくあることです」
 舞台監督の石山は山男のような大きくがっちりとした身体の通り、どっしりと落ち着いてプロデューサーをなだめた。
「すいません。僕が甘く見たばっかりに」
「それはもう済んだことだ。それに難しい判断だっただろうからね。で、私は技術的なことは専門外なので確認したいが、交換するとして問題点は?」
 細川が石山がプロデューサを抑えている間に話を進めた。
「交換自体は今晩徹夜ですれば、調整も含めて明日の昼公演には間に合います。ですが……」
「慣らしは出来ないからぶっつけ本番か」
 細川もさすがに不安な表情を覗かせた。普通の機体ならまだしも、扱いづらい“ジュリエット”をぶっつけ本番は乗りたくない賭けであった。
「それと明日の朝は『おはよう目覚ましズームイン』に出演して、宣伝の予定だからな」
 石山は更に渋い顔をした。
「そうだった。チケットは?」
「昨日のムラシン騒ぎがあって結構売れたが、当日券でもう少し稼ぎたいな」
 ムラシンがロミオ役かもしれないというワイドショーのニュースで問い合わせが殺到して、前売りの駆け込みがかなりあってほぼ完売した。だが、追加公演を狙いたいのが小島プロデューサーの思惑であった。
「当然だ。何のためにキミに演出を頼んで、超一流の高いマリオネットを用意したと思っているんだ」
 小島が再びわめきだした。正直に言うと、彼の企画した三日昼夜公演で稲川記念劇場大ホールは箱が大きすぎたのであったので前売り完売で十分成功だったが、売れればもっと儲けたいのは人情であった。細川としても追加公演は認められたという象徴でもあり、興味はあった。
「丸山。交換以外に手はないのか?」
「炎症を抑える薬剤を循環させれば、なんとか最終公演まで持ちこたえるかもしれませんが、正直、自信はありません。公演が五回なら大丈夫と思いますが」
「ふむ……非常用のドーピングがあっただろう? 最終公演はそれを打てば何とかなるんじゃないか?」
 石山が何度か使った最終手段を思い出した。丸山もその薬は知ってはいたが、問題が多いことも知っていた。
「ええ、でも、あれは限界を超えないと使えないんです。炎症が限界まで達して、リミットがかかって腱がフリーの状態――つまり、ブランブランになってからでないと効果がありません。もともと、あの薬はリミットを越えて無理をさせる薬なので」
「つまりは、舞台の上でこけてから袖に運び込んで、ドーピングしてから舞台に復帰して芝居を続けるってことになると」
 細川はそのシーンを想像して苦笑した。
「はい。そうなります」
「そうだったな。前のときも先に負荷をかけてわざと限界して舞台裏で使ったんだった」
 石山も今更ながらそのことを思い出して渋い顔をした。
「だが、仕方ない。今回もそれで行きましょうか」
「ただ、非常用のドーピングをした場合、おそらく脚一本分の人工筋肉はダメになります。そういう薬なんで」
 丸山は更にもう一つある問題点を示した。その副作用も知っている細川と石山は驚きもせずうなずいた。
「それも仕方ない。脚の一本ぐらいくれてやろう」
 人工筋肉は決して安くないが、ジュリエットの細い足ならそれほどでもないとタカをくくった。
「仕方ないものか! ジュリエットに使われている人工筋肉がいくらするか知っているのか! 脚一本? 興行を赤字にするつもりか!」
 小島は茹で上がり完了のタコのように顔を真っ赤にした。その発言に細川と石山が顔を見合わせて、丸山の方を見た。
「“ジュリエット”の人工筋肉は、ラゾルシーム社のゴルバティCS228です。ジュリエットが本気で蹴れば人間を簡単に肉団子に変えれますよ。まあ、安全装置はかけてありますけど」
 品質と性能と高価格のラゾルシーム社。その中で最高級のゴルバティCSシリーズといえば、マリオネット一体分の人工筋肉で豪邸が建てられる。
「どこのどいつだ……こんな酔狂なもの作ったのは……」
 細川は頭を抱えたくなった。演劇用のマリオネットにはオーバースペックもいいところである。
「とりあえず、そういうことなら腱の交換が一番だな」
 石山は不安を感じつつ苦渋の選択をした。しかし、細川がそれに異を唱えた。
「いや、交換しないでいこう」
「細川!」
「石山。舞台のクオリティーを考えるなら交換はなしだ。――ジュリエット。君の意見を聞かせてほしい。交換して慣らしをしないで舞台を踏めるか?」
 蚊帳の外に放り出されていたジュリエットは突然、細川に呼ばれて、しばらく返事に戸惑ったが答えは決まっていた。
「踏めというのであれば――でも、正直な私の意見を言わせて貰うのなら、自信はありませんわ」
「決定だな。責任は俺が持つ。危ない橋を渡ってくれ」
 細川はにっこりと微笑むと石山の肩を叩いた。
「まったく、お前というやつは。ジュリエットの万が一に備えてフォローできる体制を整えておくよ」
 石山は苦笑を浮かべて、肩の手を軽く叩くと調整室を出て行った。
「ドーピングは認めんぞ! 絶対認めんからな!」
「善処します、小島プロデューサー」
「認めんからな!」
 小島はまだ興奮気味に怒鳴り声を上げたが、細川に促されて、調整室を出て行った。
「というわけで、丸山。大変だが、そういうわけだ。やってくれるな?」
 調整室を出る間際に細川は丸山に確認した。
「ありがとうございます。やってみます」
「頼んだぞ」
 細川がドアを閉めると嵐の後の静寂が調整室に訪れた。
「さあ、忙しくなったぞ」
 丸山は気合を入れて、調整装置に向かおうとしたが、ジュリエットに袖口をつかまれた。
「ジュリエット、悪いけど、ふざけている時間はないんだよ。少しは炎症を抑えるように処置しないと」
 丸山は苛立ちをあらわに眉をしかめて、眼鏡の位置を直した。
「それはわかっていますわ。でも、その焦りで慎重さを欠いては何も出来ないのではなくて?」
 彼女は苦笑交じりに装置横手のスリットを指差した。最初、丸山は何のことか意味がわからなかったが、すぐにその意味に気がついた。
「カードを抜いていたんだった。すっかり忘れていた」
 丸山は自分のポケットからカードを取り出してスリットに差し込んだ。
「素人のプロデューサーが来るからスイッチとかを触られないようにロックしておいたんだった。忘れてたよ。ありがとう、ジュリエット」
 マリオネットはデリケートであるため、調整室の機器を下手にいじられるとマリオネットを操縦している人間が非常に危険であるため、技師以外が機械を触れないようにブロックする仕組みがあり、解除するためのカードキーが備え付けられていた。
「生体認証だけにしてくれると楽なのにな」
 ロックをはずすためにはカード以外に手の静脈による生体認証が必要であった。
「ふふ。たぶん、今の丸山様のように頭に血が昇らないようにカードも必要にしているんじゃないのかしら?」
「まったく、返す言葉がないよ。それじゃあ、整備に入るからリンクを切るよ」
 降参と手を上げて、ジュリエットを関根義孝に戻す作業に取り掛かった。

 全国放送の朝のニュース番組『おはよう目覚ましズームイン』は安定した視聴率を誇る長寿番組であった。
 大仏のような顔をしたメイン司会に、怪しい蝶ネクタイのアナウンサー、たどたどしいお天気お姉さんが番組を進行し、道路に面した壁がガラス張りのサテライトスタジオでの生放送であった。さらに、エレクトーンの生演奏によるBGM。何故かウサギのマスコットがスタジオをうろつくなど、ニュースよりもワイドショー的な要素が強い番組である。
「今日はお客様に来ていただきました。演出家の細川忠則さんと出演のマリオネットの皆さんです」
 司会者に紹介されて細川とともにロミオとジュリエットがスタジオに姿を現した。眩しい照明と複数のカメラが彼女らを追った。
 ジュリエットは右の足首に負担をかけないように金属フレームで固定された状態だったが、話すだけならば別に問題はないし、ドレスで足元は見えない。澄ました表情でロミオの傍らに寄り添っていた。
「細川さんは今回、今日から公演となる稲川記念劇場大ホールでマリオネット演劇『ロミオとジュリエット』の演出をされたらしいですね」
「ええ、こんな大きなホールの舞台で演出を任されるのは緊張しますね」
「手ごたえのほうはいかがです? 『ロミオとジュリエット』といえば、昨年、和田智明氏が斬新な解釈で公演して話題となりましたが」
「そうですね。私は彼のように独創力が欠けますから、オーソドックスなものですよ」
「また、そんなご謙遜を。それでは、主役のマリオネットさんたちにも一言いただきましょうか。今回の舞台の意気込みをお聞かせ願いますか、ロミオさん?」
「皆さんよくご存知のスタンダードなお話ですから、少しでも期待に添えないと非難されそうで内心びくびくしています。ですが、そこにいらっしゃいます細川さんにみっちりとしごかれましたので、きっとお客様に満足いただけるものと思います。どうか、皆様、お誘い合せの上ご来場ください。お待ちしております」
 ロミオはそつのない返事を返してにっこりと微笑んだ。色男は口ではなく微笑だけで話ができるよい例だろう。
「ジュリエットさん。素敵なロミオ様ですが、思わず惚れちゃうことはありませんでした? 本物のジュリエットのように」
 アシスタント役の女子アナウンサーのずれた質問にジュリエットはしばらく真面目な顔で考え込んだ。そして、おもむろに答えた。
「ええ、それはもう何度も」微笑をこぼし、「なにしろ、毎日恋に落ちて、愛に死んでおりますもの。もう、すっかり慣れっこですわ。それに、私よりもロミオ様の方が私にメロメロですもの」
 いたずらっぽく笑顔を向けると蝶ネクタイのアナウンサーは顔をだらしなく伸ばしていた。
「そ、そうですか。それは失礼しました。えーと、時間がまだあるということなので、せっかくですから、ロミオとジュリエットのダンスをお願いできますか?」
 司会者のお願いに一瞬、三人の表情がこわばりかけたが、何とかそれをこらえて笑顔を保った。しかし、当然、受け入れられないお願いである。細川は丁重にもっともらしい理由をつけて断ろうとしたが、その前にジュリエットが割り込んだ。
「よろしくってよ。でも、何を踊れば? チャチャ? サンバ? タンゴ? サルサ? まさか、ランバダ? できれば、ワルツをお願いしたいわ」
「ええ、もちろん。ワルツをお願いします。それでは時間もありませんし、早速お願いします」
 司会者の言葉にスタジオの中央がステージに変わる。ダンスには少々狭いがステップさえ工夫すれば何とかなりそうであった。しかし、ロミオにはそれよりももっと重大な懸念があった。
「いったいどういうつもりだい、ジュリエット」
 マリオネット同士にしか聞こえない通信でロミオはジュリエットの無謀を責めた。
「あら? 私をフォローしてくれるのでしょう? ぶっつけ本番よりも練習した方がよろしいのではなくて?」
 ジュリエットはロミオの手を握り、肩に手を置いた。ロミオもジュリエットの腰に手を添える。社交ダンスのオーソドックスなポジションを取った。
「忘れているのかい? これも本番だよ」
 音楽が流れ始めた。ゆっくりしたテンポのワルツの調べに合わせてステップを踏む。といっても、ジュリエットは周りに気づかれないようにロミオの手と肩につかまって、ほんの少し身体を宙に浮かせている。マリオネットの力があって可能な荒技だった。
「これぐらいの緊張感があった方が身が入るでしょ? 大丈夫。ダメっぽかったら、うまくごまかすわ。いきなり予定にないことを言ってきたんですもの。少々、痛い目にあっても文句は言えないわよ」
 文字通り、宙を舞うように踊るジュリエット。二人分の体重を支えていながら軽快に淀みのないステップを踏むロミオ。猥雑なスタジオに社交界の美麗な空気が漂う。
「ジュリエット。君にかなうものがいるとすれば、それこそ史上最強だよ」
 余裕が出てきたのか、ロミオは軽くジュリエットをターンさせてみたり、リフトしてみせる。
「あら? 私なんて、ロミオ様の愛の前にはただの無力な小娘よ。私が強いとおっしゃるなら、それはロミオ様への愛がそうさせているのよ」
 ジュリエットが笑顔とともにロミオにウィンクすると、フロアディレクターが『ダンス終了。次のコーナーに』の指示を書いたスケッチブックが目に入った。
 二人は音楽の止まるタイミングを読んで決めのポーズをとって、ダンスを終えた。スタジオに拍手が沸き起こり、そのあとは女子アナウンサーが当日券のあることや問合せ先をお知らせして、テレビ出演は終了した。
「まったく、ひやひやさせる! 寿命が縮んだぞ」
 控え室で細川はジュリエットをしかりつけたが、どこかしら口調は柔らかかった。
 それというのも演出家の和田智明は彼のライバルで、このテレビ局主催の舞台を何度もプロデュースしている。おそらくは予定にないダンスはそのあたりからの圧力なのだろう。プロデューサーの小島もこの番組への出演は半ば強引に取ってきたらしいので、そのあたりも反感を買っていたのかもしれない。
 しかし、それもジュリエットの無謀なダンスのおかげで逆によい宣伝になったわけである。
「でも、これで練習ができましたし、いつ足が不調になってもばっちりですわ」
 ジュリエットもそのあたりの裏事情を心得ており、細川の叱責を柳に風で受け流して、しれっと返した。
「君には負けるよ」
 細川はジュリエットの肝っ玉に完敗の意思を示した。ロミオもそれに同意してウンウンとただ頷くだけであった。
「恋する乙女は強いのですもの」
 ジュリエットはにっこり微笑んでだらしない男性陣に勝利宣言をした。

 関根は劇場の裏口から外に出た。今夜は満月で月明かりが公園の照明に負けないほど明るく影を落としていた。
 警備員に挨拶をして公園を抜けて駅に向かう。生身の舞台なら打ち上げがあるのだが、マリオネット劇はそれがない。有名無実となっていても、建前上は誰が演じているかは秘密なのである。
「それも慣れてるはずだけど、こんなときは打ち上げできないのが悔しいよな」
 初日の公演は大成功に終わった。テレビの宣伝効果があったのか、当日券も完売して満員御礼の祝儀袋が配られた。プロデューサーの小島は、この調子で千秋楽までいけば、全員にボーナスを出すとまで言い出して、昨夜のゆでタコがえびす顔に変わっていた。
 もちろん、成功したとはいえ、トラブルがなかったわけではない。照明装置の一つが故障したり、舞台で使う剣の中に資料用で取り寄せた本物の剣が混じっていたり、おそらく新人なのだろう召使役が台詞を飛ばしたり、出の順を間違えかけて楽屋が大騒ぎになったり……。裏方、役者ともども大騒ぎであった。
 しかし、舞台は大成功。観客の鳴り止まない拍手が今も耳にこびりついている。
 関根はカーテンコールでロミオの傍らで手を振るジュリエットを思い出して、思わず顔がほころんだ。
「お兄さん、いい顔してるね」
 不意に声をかけられ、関根は驚いて声の主を探した。声の主はコンクリート壁の上に腰掛けて楽しそうに笑っていた。
「君は昨日の……こんな時間まで仕事かい?」
 おととい、昨日と出会ったショートカットの女性に妙な縁があると関根は笑顔で話しかけた。
「ええ、そう。ついさっきまでね。それはそうと、舞台成功おめでとう」
「ありがとう。でも、よく知っていたね」
「あんなにいい顔していたら、誰だってわかるわよ」
 彼女は塀の上から飛び降りて、ネコのようなしなやかさで地面に着地した。
「そんなににやけた顔してた?」
 思わず顔を触ってみたが、緩んでいるかどうかなどわかるはずもない。
「それはもう、すごくね。絶世の美女に会ったようだったわよ」
「まあ、舞台で満場の拍手を浴びるのは、絶世の美女に会うのに負けず劣らず素敵な体験だよ」
 この麻薬のような快感が忘れられず、マリオネット操者となって役者を続けている。不安定な生活だろうが、多少の貧乏だろうが辞めるつもりはなかった。
「そうかもね」
 そう言いつつ、何か含みのある彼女の瞳に関根は心を見透かされているような気がして落ち着かなくなった。
「そうさ。そりゃあ、まあ、舞台は美男美女のオンパレードだよ。それも楽しいけど、終わった後の観客席が輝いて見える時は格別だよ。君も興味があったらどこかの劇団を見学しに行ったらどうだい?」
 愚にもつかない不要ないい訳じみたことを口にして関根は自分の墓穴掘りにうんざりした。
「ふふ、機会があればね。それじゃあ、呼び止めてごめんなさい。おやすみなさい」
 彼女はにっこりと微笑んでぺこりと頭を下げた。彼に背を向けて大通りの方へと歩き出した。
「ああ、おやすみなさい」
 彼は狐につままれたような顔で彼女を見送った。すると彼女はしばらく歩いたところで突然振り返った。
「ああそうだ。テレビのダンス、とっても綺麗だったし、素敵だったわよ。あと二日、がんばってね」
 大声でそういいつつ手を振ると再び大通りの方へと軽い足取りで去っていった。
「ありがとう。がんばるよ」
 彼は彼女の背中に手を振って大声でお礼を言って、ゆっくりと手を下ろした。
「そうか……ロミオ様ともあと二日なんだな」
 関根は先ほどまでの高揚した気分が奇妙に醒めて、ため息を一つ吐き出すと大通りとは反対の駅の方へと歩き出した。

 学校の演劇部といえば、体育会系文化部などと揶揄される。劇団などもそのノリが色濃いことが多い。したがって、円陣は基本であった。
 公演最終日千秋楽、最後の公演を前にスタッフで円陣が組まれた。演出の細川がその細身に似合わず迫力のある声で気合を入れる。
「泣いても笑っても次が最後の公演だ。今までの演技で満足か?」
「いいえ!」
「稽古でやってきたことは全部出したか?」
「まだまだ足りません!」
「公演で学んだものはなかったか?」
「たくさんありました!」
「よし! それでは、開幕だ。全てを出し切れ。灰になって来い! 舞台のシミになれ! 骨があったら拾ってやる! お前たちの力でお客を喜ばせて来い! それが全てだ!」
「はい!」
 最後に気合の掛け声をかけて円陣は解散となった。解散後に細川とロミオがジュリエットの元にやってきた。
「ジュリエット、調子はどうだ?」
「何も問題はありませんわ。ご心配は無用ですわ」
 ジュリエットは涼しい顔で答えたが、その足元では技師の丸山が作業を続けていた。
「何が問題ないだ。おおありだよ。ここまでもったのは奇跡かもしれない。炎症の進行が早い。かなり痛いはずだ」
「私が問題ないといったら、問題なんてありませんわ、丸山様」
「監督。技師として保障しかねます。負荷をかけて薬を使ってよろしいですか?」
 丸山はジュリエットを無視して監督の石山に話をした。
「待って! 薬を使ったら、感覚がしびれてしまいますわ。せめて、限界を超えるまで」
 薬の作用で全身の感覚が鈍くなる。限界を超えて無理させるためにその苦痛からマリオネット操者を保護する措置であった。
「超えたら遅いよ、ジュリエット。舞台で倒れるつもりか?」
 丸山が聞き分けのないジュリエットに表情をゆがめた。
「でも――」
「でもじゃない。許可をください。僕にも技師としてのプライドがあります」
 細川は丸山に迫られて判断に迷った。丸山の言い分は多分正しいが、この舞台のクオリティーを任されたものとしてはそれを下げたくはない気持ちは強かった。しかし、十中八九負けの決まった賭けに出るほど馬鹿でもなかった。
「わかった――」
「丸山さん」
 細川が決断を下そうとするのをそれまで沈黙を守っていたロミオが割って入った。
「ジュリエットのわがままを聞いてくれませんか?」
「ロミオ! 君までそんなことを」
「何かあったら僕が彼女をフォローします。細川さん、お願いします」
 ロミオは細川と丸山に頭を下げた。ジュリエットは二人をにらみつけて断固拒否の意思を示していた。
「しかしだな……」
「細川さん。わたしらもいるんだから、少しわがままに付き合ってくれませんかね」
 いつの間にかやってきていた乳母がしわだらけの顔をくしゃくしゃにして笑って言った。細川は振り返ると後ろにはマーキューシオ、ベンヴォーリオ、ティボルト、ロレンス神父、パリス、モンタギュー夫妻、キャピュレット夫妻、大公、ピーターから役名のないものまで集まっていた。
「最後の最後でジュリエットのぬるい演技なんてお客さんがゆるさねえぜ、細川さん」
 マーキューシオが全員の言葉を代弁した。いつの間にかやってきていた石山も無言で細川の肩をたたいた。
「まったく、お前たちは……ああ、もう、わかった。俺も同意見だ。責任は取ってやる。とっとと、舞台のシミになってきやがれ」
 細川の決断に歓声が上がり、ジュリエットは何度も全員に頭を下げた。
「いいってことよ。あんたは主役で、俺たちは脇役。あんたを支えるのが俺たちの仕事さ」
「そういうことさ。思い切ってやってくれ」
「ありがとう、みんな。ありがとう!」
 ジュリエットは涙があふれそうになったが、何とかこらえて笑顔を作った。傍らではロミオがそっと彼女の肩を抱き、このままこの時が永遠に続けばいいのにと真剣に思い、神様に祈った。

 紳士淑女が集い、ろうそくの炎がきらびやかな衣装を照らして、幻想的に部屋を染める。香ばしいにおいが食欲をそそり、たっぷりの肉汁が胃袋を満たす。優美な音楽が途切れることなく流れ、その合間に気品ある話題が談笑される。誰もが礼儀正しく仮面をかぶる舞踏会。
 たとえ、かりそめの虚飾であっても今この時は現実のとき。誰もがその非日常を楽しんでいた。
『さあ、踊りましょう。今宵、この時を楽しむために。楽師たち、音楽を。とびっきり愉快になれる音楽を』
 ホストのキャピュレットがゲストたちを楽しませるために愉快に手を打った。ゲストたちはペアを組んで音楽が始まりダンスが始まる。しばらくダンスが続いて、ゲストたちの踊る中央にぽっかりと舞台が出来上がる。
 そこへ進み出る男と女。男は仮面で顔を隠しているが、その美しさは仮面越しでも見て取れる。女は初々しい若い果実のようであってもその美しさは比べることなどできないほどであった。
 二人は自然の成り行きのように歩み寄った。
 そのあと、二人は互いに手を取れずにすれ違い、別の人間と踊る。最終的に一緒になれない暗い未来を暗示する演出であった。
 ジュリエットはひどく痛みの増す右の足首をかばって歩けば不自然になると、覚悟を決めて舞台の上に出来た舞台に足を踏み出した。一歩、二歩――順調と思われた歩みも、それはろうそくの炎の最後の瞬きであった。
 右足首にまったく力が入らずに世界が倒れていくのがわかった。わかったが、どうすることも出来ない。ジュリエットは無力な自分を思い知らされた。
 しかし、誰かの手がそっと自分を抱きとめ、倒れこむことはなかった。はっとして、その手の主を見上げると輝くばかりに美しい男性が優しい笑みを浮かべてそこにいた。その笑顔にジュリエットは泣いて抱きつきそうになった。
「ついに限界がきたんだね、ジュリエット」
 ロミオはマリオネット同士の、外には聞こえない通信で語りかけてきた。舞台をとめるわけには行かないので、予定とは違うが、そのままジュリエットと踊りに入った。
「どうしましょう。本当にどうすればいいの。こんなに力が入らないなんて、信じられない。固定されているときなんてもっとしっかりしていたのに」
 ジュリエットはオロオロするばかりでパニックを起こしていた。おかげでロミオはジュリエットをひとりで支えることになり、ダンスも精彩が欠けている。
 観客もテレビであのダンスを見ているものも多かったために違和感をおぼえて軽いざわめきが立ち始めていた。
「しっかり。自分をしっかり持つんだ、ジュリエット。君は史上最強だろう?」
「でも、私は無力な小娘よ。そう、一人でたっていることも出来ないほど無力なのよ」
「いい加減にしないか、ジュリエット。君は誰よりも早く稽古場に来て、誰よりも熱心に練習していたじゃないか。私はそんな君をずっと見ていた。無力な何も出来ない小娘なんかじゃない。愛する人のためにロレンス神父の仮死の薬さえ飲み干すほど強い。私は知っている。一人で立てない? みんながいるじゃないか。さあ、君はジュリエット。私の愛する史上最強のジュリエットなんだ」
 ロミオの言葉がジュリエットに染みこんでいくほどにダンスは精彩が蘇り、鮮やかな色を光り輝かせた。
「ロミオ様。ダンスのあとにあなたを探すことなどこの足では無理だわ。巡礼のくだりにそのまま続けて。――それから、お母様のところへ行くときはどなたかエスコートを」
 ジュリエットは段取りを決めて芝居を続けた。
 ダンスが終わり、互いに手を取ったまま向かい合った。
『聖者様。巡礼のこの手が無礼にもあなたの聖地を汚してしまいました。その謝罪に唇が聖地に口づけをして清めさせてください』
『いけませんわ、巡礼様。それはあまりにも手に対するひどい仕打ち。巡礼様は信心深く、敬虔なお方。その振る舞いに何の無礼がありましょう。聖者の手は巡礼が触れるもの。指と指が触れ合う、それは巡礼の優美なキスと申します』
『では、聖者と巡礼に唇はございませぬか?』
『いいえ。祈りを唱えるのに唇は必要です。聖者にも巡礼にも』
『では、どうか、今この時だけ、唇に手の役割を。信仰が絶望に変わらぬうちに。唇が祈りをささげます』
『聖者の心は動きません。祈りを受け入れようとも』
『では、動かないで。祈りを受け入れるあいだ。あなたの唇でこの唇の罪が――清められます』
 ロミオはそっとジュリエットのキスをした。優しいキス。
『まあ、それでは私の唇に罪が移ってしまったのね』
 ジュリエットは顔を赤らめて、頬に手を当てた。
『おお、それはいけない。その罪をお返しください』
 再びロミオはキスをする。ジュリエットはここで全てが終わればよいのにと思ったが、時間は、劇は無常に進む。
 そして、乳母がジュリエットを呼び、召使のエスコートで舞台を退場した。
 その後すぐに舞台に戻り、ダンスを踊った男性が家の敵、モンタギューのロミオを知って愕然とする。そして、再び舞台袖に戻った。シーンは舞踏会が終わり、ロミオの友人であるマーキューシオとベンヴォーリオが姿を消したロミオを探すシーンとなった。
 この次のシーンが有名なバルコニーのシーンである。ジュリエット不在はありえない。
 丸山は急いで用意していた薬剤のアンプルを取り出し、アンプルの首を折ろうとした。しかし、そっとその手を止める手があった。
「邪魔しないでくれ、ジュリエット」
「丸山様。お願いがあるの」
「却下だ」
 にべもなく宣言するとアンプルの首を折った。そこに注射器を差し込んだ。
「まだ何も言ってないわ。お願い、時間がないの。薬を打たずにリミットだけを解除して。出来るでしょ?」
 法律で禁止されているが、不可能ではないことであった。
「時間がないんだ。それをするには調整室まで君を連れて行かなければいけない。そんな時間なんてない」
 ロミオを探すシーンなど、たかが知れている。マーキューシオの長い台詞はあるが、それほど引き伸ばせるシーンではない。
「時間のことなら気にしなくていい。五分は大丈夫。細川さんがしっかり仕込んでいたからね」
 舞台袖で待機していたパリスがにこやかな笑みを浮かべて丸山に告げた。
「みんな、グルか。コンチクショウ!」
 丸山は苦々しく吐き捨てると注射器を脇に置いて、ジュリエットを車椅子に座らせた。
「エレベータは待機させてある。通路も障害物はどけてある」
 パリスは赤絨毯こそ敷いてはいないが、調整室までの花道に案内した。
「まったく、用意周到なことだな」
「パリス。ありがとう。あなたとは結婚できないけど、好きよ」
 ジュリエットは目に熱いものがこみ上げてきた。この仲間たちと一緒に舞台ができることに心の底から感謝した。そして、永遠に続けていたいと願った。
「ありがとう、ジュリエット。その言葉だけで報われるよ」
 パリスは恭しく頭を下げた。
「時間がない。急ぐぞ。ここまでされて五分で戻ってこれなかったら僕が殺される」
 丸山はジュリエットを乗せて駆け出した。そして、調整室までレコードタイムでたどり着くと、ジュリエットを調整用ベッドにも寝かさずに背中のプラグにアクセスコードをつないだ。
 カードをスリットに差し込み、生体認証する。その時間さえ惜しいように思えて仕方なかった。
「確認しておくが、リミットを解除したら機械的に足首が壊れるまで動かせるようになる。だけど、代わりに骨折した足で動き回るよりもひどい激痛に襲われる。下手したら精神障害を起こすかもしれないぞ。いいんだな?」
「私を誰とお思い? 役者よ。しかも主役。全身の骨が折れたって舞台では踊って見せるわ。それに、みんな始まる前に言ってたでしょ? 『ぬるいジュリエットなんて見たくない』って。まったくその通りよ」
 ジュリエットはにっこり微笑んで見せた。リミットがかかるまでもかなりの激痛だったはずなのに、それまでもそう言い切る彼女に役者根性というよりも執念を感じた。
「わかった。君がそれほどの覚悟なら何も言わない」
 丸山はリミットをかけているコードを探し出して、それらを解除していく。本当ならばもっと時間のかかる作業のはずだが、まるであらかじめ知っているかのように作業を進めていった。
 ジュリエットはそれを不思議そうにそれを眺めていた。その視線に気づいたのか、丸山は苦笑を浮かべた。
「ジュリエットは『宇宙戦艦ヤマト』って古いアニメを知っているかな? それに出てくる技術者が窮地になると、『こんなこともあろうかと〜』って、秘密兵器を出してくるんだよ。僕もあれにあこがれてね。一度言ってみたかったんだ。だけど、今回は言いたくなかったよ。こんなこともあろうかと、コードを調べておいた、なんてね」
 言い終えると同時にリミットのコード解除が終了した。同時にジュリエットの脳天を突き上げるような激痛が走り、身体をくの字に曲げた。
「大丈夫か? やっぱり――」
「平気。大丈夫。ちょっと、驚いただけ。もう、慣れたわ」
 丸山は心配そうに駆け寄ろうとしたが、それを押しとどめてジュリエットは車椅子から立ち上がった。激痛は脳の神経を焼くほど熱く、雷のようにしびれた。
「無理だったら、薬を打つ。正直に言ってくれ」
 丸山はアクセスコードを外して、ネームプレートからカードを外してズボンのポケットにしまった。薬剤を打つならコントロール装置をロックしておいた方が効き目が早いという伝説があった。気休めだが、気休めでもするのが技術者であった。
「ふふ。ありがとうございます。丸山様。でも、ご安心を。ジュリエットはロレンス神父の教会の床をすり減らさないほど軽やかに歩けるのよ」
 その場でステップを踏んでターンして見せた。
「ジュリエット……」
「ごめんなさい。丸山様にはいつも無理ばかり言って……本当にありがとう。私のわがままに付き合ってくれて」
 ジュリエットは潤んだ瞳で丸山に擦り寄った。彼はそれに少し腰が引けて身を離そうとしたが、彼女が離しはしなかった。
「い、いいんだ。これも僕の仕事だから……」
「いいえ、仕事以上にしてくださったわ。でも、私は何もお返しできないの。だから、せめてものお礼をさせて」
 ジュリエットは更に丸山に寄り添った。そして、彼の唇に彼女の唇を重ねた。
 ほんの一瞬であったが、十分に感触を感じられる時間であった。その瑞々しいまでの処女の唇の感触に丸山は頭が真っ白になりかけた。しかし、すぐに正気を取り戻した。
「ええい! マリオネット技師がマリオネットに恋をしてどうするんだ! 冗談が過ぎるぞ、ジュリエット」
 丸山はジュリエットを突き飛ばしはしなかったが、振りほどいた。
「少しぐらい役得がなくてはもったいないでしょ。単なる、お礼よ。素直に受け取ってほしいわ」
 ジュリエットはいたずらっぽく微笑むと車椅子に座った。
「次からはそのお礼はゴメン被る。ええい、時間のロスだ。急ぐよ」
「もちろん。あんまり待たせると、バルコニーの下でロミオ様がおじい様になってしまうわ」
 ジュリエットはそういいつつ、衣装の中にそっと丸山のズボンから抜き取ったカードを一枚、仕舞いこんだ。

「ぎりぎり五分だ。もう時間がない。いけるか?」
 舞台監督の石山は言葉こそ質問だが、口調は「イエス」しか認めない確認だった。
「ご心配をかけまして、ごめんなさい。でも、代わりに最高の舞台を約束しますわ」
 ジュリエットは自分で車椅子から身軽に立ち上がると優雅にお辞儀をして、出番を待つため舞台袖に軽やかな足取りで向かった。
 その様子をあっけに取られつつ見送った石山は丸山にだけ聞こえるぐらい小さな声で話しかけた。
「大丈夫なのか?」
「正直言うと、大の大人でも気絶するぐらい痛いと思います。でも、何か変なスイッチが入っちゃっているようで……役者根性というのでしょうかね、ああいうの」
 丸山は自分の知識上、ありえないことを見せ付けられて自信なさげに肩をすくめるだけであった。

 ジュリエットはバルコニーへと物思いにふけながら歩み出た。手すりに身体を預け、夜の星を眺めていたが、星の光は彼女の目には映っていなかった。
 やがて、大きなため息をひとつつくと、両肘を手すりについて、再び夜空を見上げた。
 そこへ庭に忍び込み、彼女を偶然見つけることのできたロミオは、月に照らされる彼女の美しさに心奪われ、ただただその場に立ち尽くしていた。
『あの手袋になることができたなら、あの頬に触ることができるというのに』
 ジュリエットの気持ちを知らないために声をかけることもできず、ただ彼女を見つめているしかなかった。
『ああ……』
 ジュリエットの口から悩ましい吐息が漏れた。ロミオはその声を聞こうと、耳をそばだてる。
『おお、ロミオ! ロミオ! どうしてあなたはロミオなの? お父様と縁を切って、ロミオという名をお捨てになって。それがかなわないのなら、私を愛すると誓って。そうすれば、私もキャピュレットの名を捨てます』
 ジュリエットは恋焦がれる本人が庭にいることも知らず、夜空を照らす月に自分の気持ちを打ち明けた。ロミオもいきなりのジュリエットの告白に驚き、戸惑った。彼のいることさえ知らない彼女はさらに続ける。
『私の敵といっても、それはあなたの名前だけ。モンタギューの名前を捨てても、あなたはあなた』
 名前を捨てても自分は変わらぬロミオを受け入れると言うように自分の身体を抱きしめた。そして、やおら両手を広げた。
『名前って何? 手でも足でもない。腕でも顔でもない。人間のどの部分でもない。だから、お願い、別の名前に』
 彼女は祈りをささげるように手を胸の前に組んだ。
『バラを別の名前で呼んだとしても、その美しい香りが変わることはないわ。だから、あなたが別の名前になったとしても、その姿が変わるわけではないわ。名前を捨てて、その代わりに私を受け取って』
『受け取ります! “恋人”と呼んでください。それが僕の新しい名前。ロミオという名は捨てました』
 ロミオは熱烈な告白を聞いて、もう居ても立ってもいられずに茂みを飛び出した。
『どなた! 私の秘めたる思いを盗み聞きするのは』
 突然の声にジュリエットは驚き、誰何の声を上げつつも建物の中へと逃げ込もうとした。
『名乗ろうにも、ああ、憎らしい。僕の名前はあなたの敵なのです』
 侵入者の声にジュリエットは足を止めた。そして、恐る恐るバルコニーの先端まで戻った。
『多くの言葉を交わしたわけではありませんが、そのお声。忘れることはできません。あなたはロミオ様? モンタギュー家の』
『聖者様。その名前は捨てました。あなたがお気に入らない名前ゆえ』
『どうやってここへ? 誰の手引き?』
『恋の手引きで』
『でも、周りの塀は高くて越えるのは難しいはず。どうやって?』
『恋の翼にかかればどんな高い塀でも軽々と越えれます。たかが石垣ごときがどうして恋を締め出せましょう』
『あなたの身を考えれば、家のものに見つかれば殺されてしまいます。なんて危険なことをなさるの』
『恋は危険なことをさせてしまうもの。今の僕には敵意を持った二十の刃など、あなたの優しいまなざしがあれば、跳ね除けてしまいます。しかし、もし、あなたの愛が得られないのなら、この場で殺された方がどれほど幸せでしょう』
『ああ、夜の闇よ。あなたの姿を家のものから隠してちょうだい。そして、私の顔も隠してちょうだい』
 ジュリエットは頬に手を当てて身をよじった。
『私の顔は乙女の恥じらいで真っ赤になっているわ。心の内を聞かれてしまうなんて。優しいロミオ様。私を愛している? “はい”と言ってくださいます? あなたの言葉を信じますわ。でも誓わないで。恋の誓いを破ってもジュピターは苦笑するだけ、何の咎めもありませんわ』
 ジュリエットはバルコニーから身を乗り出して、庭のロミオに微笑みかけた。ロミオはバルコニーのそばの木に登り、彼女を向き合える高さまでやってきた。
『優しいロミオ様。愛しているとおっしゃって。少し率直過ぎるかしら? でも、恋の駆け引きを知る手練手管の女よりよっぽど真心がありますわ。でも、聞かれてしまったもの、私の胸の内を。そうでなければ、もっと控えめにしていたわ。だから、軽い女と思わないで。重たい夜の闇が心の内をさらけ出させたのだから』
『ジュリエット。あのこずえにかかる月に誓おう――』
『だめ! 日ごと形を変える月になんて誓わないで。あなたの愛も日ごとに変わる不実なものになってしまいますわ。もし、誓うのならあなた自身に。私の神であるあなた自身に誓って』
『では、もしこの心からなる愛が――』
『ああ、やっぱり誓わないで。あまりにも早すぎる愛は一瞬で消えうせてしまいそう。この愛のつぼみが次に会うまでに美しい花を咲かせていられるように』
 ジュリエットとロミオは互いの愛を戯れるように、しかし真剣に誓い、確かめ、そして再び誓い合った。そして、東の空から夜の帳が上げられて、ついに別れの時を迎えた。
『おやすみ。おやすみ。永遠におやすみを言い続けたい。このまま、永遠に』
 ジュリエットは衣装の中に忍ばせたカードを上から押さえ、別れの台詞を心から歌い上げた。

 舞台は進み、ロレンス神父の立会いでロミオとジュリエットは二人だけで結婚式を挙げた。その結婚式の帰りにロミオは、彼の親友のマーキューシオと、ジュリエットと仲のいい従兄弟であるティボルトが喧嘩をしているところに出くわした。ロミオはその喧嘩を仲裁しようとしたが、運悪く、その拍子にティボルトの剣がマーキューシオに致命傷を負わせ、マーキューシオは死んでしまう。怒りに燃えるロミオはマーキューシオの仇を討つためティボルトに決闘を申し込み、彼を殺してしまう。
 それを知った街の支配者、大公殿下はロミオを追放することを宣言した。ロミオは街を離れる前にジュリエットと最初で最後の夜を共にして、ひばりの声に追われて街を離れた。
 ジュリエットは父親にパリス伯爵との結婚を強いられ、ロレンス神父を頼った。そして、結婚前夜に仮死状態になる薬を飲み、死んだふりをして結婚をうやむやにして、その隙にロミオを呼び寄せ、一緒に逃げるように策を講じた。
 予定通り、薬を飲んで仮死状態となったが、その計画を知らせる使いがロミオに出会えず、ジュリエットの死の知らせだけを聞いたロミオは大急ぎで街に戻ってきた。
 そして、墓地にいたパリス伯爵を殺し、ジュリエットのところにやってきて、彼女の後を追って、本物の毒をあおって死んでしまった。
 目を覚ましたジュリエットは自分の傍らで死んでいるロミオを見て、計画が狂ったことを悟った。
『ああ、ロミオ。ひどい人。どうして、私の分の毒を残しておいてくれなかったの。あなたの唇に残る毒で――ああ、まだ暖かい。ロミオ……』
 泣き崩れるジュリエットの耳に、異変を感じて集まってきている夜警の声が聞こえた。感傷に浸っている時間はない。彼女はロミオの剣を拾い上げた。
『ありがたい。おお、剣よ。私をロミオの元に連れて行って。今から私の胸はあなたの鞘』
 そして、ジュリエットは自分の胸に剣をつきたて、絶命した。
 事の真相をロレンス神父が語り、若い二人の魂により長年いがみ合っていたモンタギューとキャピュレットの両家は和解して、街に平和が訪れた。
 こうして、舞台の幕は引かれた。
 舞台に引き込まれていた観客が現実へと戻るわずかな間があり、まばらに拍手が鳴ったかと思うと、唸りを上げる喝采の渦が劇場を埋め尽くし、緞帳が完全に降りても、鳴り止む気配はなかった。
 カーテンコールで姿を現したマリオネットたちに賞賛が惜しみなく浴びせられ、舞台袖では裏方の人間たちが抱き合いながら成功を喜んだ。
 ただ、マリオネット技師の丸山だけはジュリエットの足の状態が気になり、喜びもそぞろである。
 カーテンコールから戻ってきたジュリエットは放心状態で舞台のセットの上に座り込んだ。丸山がその姿を見て彼女に駆け寄った。
「ジュリエット!」
「あら、丸山様。どうでした? 最高の舞台でしたでしょう?」
 丸山はジュリエットの浮かべる妖艶な微笑に背筋が寒くなった。人が操っているとはいえ、機械人形の表情ではなかった。
「ああ、最高の舞台だった。さあ、早くリンクを切ろう」
 言い表せない不安にかられ、彼女の手を取ったが、その手は払いのけられた。
「どうして? まだ、舞台は終わってないわ」
「終わったんだよ。最終公演は幕を下ろしたんだよ。足の痛みで混乱しているだけだ。さあ、早く!」
 丸山は焦った。さっき手と取ったときに彼女の手は異常なほど汗ばんでいて、ほんのり熱かった。明らかに機体が異常な状態である。
「終わった? どうして? だって、ロミオ様は私に永遠の愛を誓ったわ。ジュピターなんかじゃなくて、ロミオ様自身に。どうして、うそをつくの? まだ舞台は終わっていないわ。終わるわけないじゃない。永遠に続くのよ」
 瞳の色が濁っていた。丸山は彼女の手を強く握り、強引に立たせて調整室まで無理やり引っ張っていこうとした。
「あなたも私の恋の邪魔をするのね! やめて! どうしてみんな、私の邪魔をするの!」
 ジュリエットは叫び、腕を振りまわすようにして、丸山を投げ飛ばし、舞台袖の方へ駆け出した。
 互いに喜び合っていた他の出演者や裏方たちもただならない様子に喜びを一時中断してざわつき始めた。
「一体、どうしたんだ? 喜び合うには少し過激すぎるぞ」
 監督の石山と演出の細川が舞台のセットにもたれかかって倒れている丸山に駆け寄った。
「石山さん、細川さん。ジュリエットが暴走しました」
 丸山は吹き飛ばされた眼鏡をかけなおして、あちこち打ち身で痛む身体を起こした。
「暴走?」
「おそらく、足首の痛みに操者の脳がブロック現象を起こしたのでしょう。脳内麻薬が過剰に分泌されて、躁状態になったところを舞台でジュリエットを演じている自分自身に暗示がかかったと思います。早く止めないと……」
 丸山は言葉を切った。“ジュリエット”の力は人間以上である。下手すれば誰かを怪我させてしまうかもしれない。石山も細川も顔を青くした。
「一体、何事だ!」
 プロデューサーの小島が騒ぎを聞きつけて彼らの元にやってきたが、落ち着いて説明している暇などない。
「とにかく、歩きながら話します。調整室に急ぐぞ」
 石山が先頭を切って、調整室に向かおうとした。しかし、その途中で小道具係の青年が彼を呼び止めた。
「忙しいんだ。後にしてくれ」
 普段は温和だが、熊のような大男の石山にすごまれて小道具係の青年は縮み上がった。
「す、すいません。……ここにあった資料用の真剣のサーベルが見当たらないので……もう一度、探してみます」
「サーベル? ……君、ジュリエットとすれ違わなかったか?」
 細川が気になる単語を耳にして青年に訊いた。青年はすっかり萎縮して、首を横に振った。しかし、そこに通りかかった照明係の女性が口を挟んできた。
「ジュリエットちゃんなら、さっきすれ違ったわよ。すごい真剣な顔だったから、声をかけなかったんだけど。そういえば、なんか長細い包みもっていたわね」
「鬼に金棒。ジュリエットにサーベル。けが人どころか、死人が出るぞ!」
「角田さん! ジュリエットが客席に出ないように警備用のマリオネットで客席につながる出入口を封鎖させるように警備主任に連絡してくれ。大至急だ。ジュリエットが暴走している」
 石山は照明係の女性に最悪の事態を避ける措置を取るように指示すると、一刻も猶予がないと走り出した。
 調整室に駆け込むと丸山はズボンのポケットに手を突っ込んだ。
「少し危険ですが、強制的にリンクを切ります」
「わかった。許可する。非常時だ」
 石山が許可したが、丸山は相変わらず、ズボンのポケットをまさぐっていた。その様子に細川がいらだって怒鳴った。
「早くしろ!」
「カードが……カードがない!」
 丸山は泣きそうな顔で、ポケットをひっくり返して中身を確認したが、埃以外は出てこなかった。
「なんだと!」
 どこかに落ちていないか床を見回したが、落ちているはずもない。丸山はシャツやズボンを脱いで確認したが、見当たらなかった。
「カードがなくても無理やりこじ開ければいいだろうが!」
 小島はジュリエットの操者が入っている黒い殻に近づこうとしたが、石山に止められた。
「そんなことをすれば、下手したら操者がショック死してしまう」
「そんなことを言っている間に何かあったらどうするつもりなんだ! かまわん! 暴走したやつが悪い。こじ開けろ!」
「無茶言わないでください。他に方法はないのか?」
 細川は興奮した小島は無視して丸山に詰め寄った。
「マリオネット本体がリンク解除ボタンを押せばリンクが切れます。あとは、マリオネット本体が破壊されてリンクが切れるか」
「馬鹿なことを言うな! 一体、あれがいくらすると思っているんだ!」
 丸山の言葉に小島の血管が切れそうになった。“ジュリエット”はおそらくどこかからのレンタルだろうが、破壊すれば弁償させられるのは当然だろう。
「他にはないのか?」
 非現実的な案に石山も苛立ちが隠せない。
「他はマリオネット犯罪防止法で、警察が強制割り込みのマスターカードを持ってます。それがあれば……」
 丸山はそういいつつ、ちらりと小島の方を見た。
「仕方ない。時間はかかるが、警察に連絡しよう」
「そうだな」
 石山と細川が納得したが、一人納得していない人間がいた。
「警察はいかん」
 小島はそれまでの興奮が一気に醒めて、ポツリとつぶやくように反対した。
「しかし、小島さん、このままでは――」
「とにかく、警察はダメだ!」
 小島は取り付くしまもなく警察を呼ぶことに反対した。
「……ラゾルシーム社のゴルバティCS228。気にはなっていたのですが、まさか……軍事用マリオネット」
 丸山は眉をしかめた。整備していて、明らかに演劇用にしてはオーバースペックであり、演劇用には不要なディティールまであった。
「小島さん!」
 軍事用のマリオネットは輸入禁止であるし、その使用は重罪である。
「ああ、そうだ。高級将校の“個人”副官として作られたものだ。配属される先々で高級将校が不幸に見舞われるんで、払い下げにされたいわくつきのな。裏ルートから借り受けた。コード番号は偽造してある」
 小島の告白に三人は沈痛な面持ちになった。警察が来れば、そのあたりのことも調べられるだろう。知らないと言っても、信じてもらうには時間がかかるだろう。
「しかし、このままというわけにはいかないだろう」
 石山は備え付けの受話器を取り上げようとした。
「待て! ジュリエットを探して説得しよう。それに時間が経てば、冷静さを取り戻して戻ってくるかもしれない」
 小島はなんとか電話をかけさせないように石山にしがみついた。
「往生際が悪いですよ、小島さん。腹を括りましょう」
 細川が小島を羽交い絞めにして引き離した。
「お願いだ! 警察は、警察はやめてくれ! ジュリエット! 戻って来い――戻ってきてください!」
 細川に羽交い絞めにされた小太りな身体をじたばたさせ、悲痛な叫びを上げたが、石山の指が三つ目のダイヤルを押そうとしていた。
 しかし、その時、調整室の扉が乱暴に開けられた。石山は驚いて、ダイヤルを押す指を止めて、そちらを見た。
 扉の向こうにはジュリエットが抜き身の剣を下げて幽鬼のように立っていた。その不気味なほどの威圧感に小島以外は寒気を覚えた。
「おお、ジュリエット! 戻ってきてくれたか! ありがとう。本当にありがとう! さあ、リンクを切ろう。舞台は終わったんだ」
 小島は細川の力が緩んだ隙に羽交い絞めから抜き出るとジュリエットに駆け寄った。しかし、駆け寄った途端に彼女に殴り飛ばされた。
「終わった? 何が終わったといいいますの? 舞台が終わったのなら、どうして私は生きていますの? 私はロミオ様の後を追ったはずですわ。まだこの命が永らえているのは終わってない証拠ですわ。ええ、そう。まだ、終わっていませんわ」
「いや、終わったんだ。舞台は終わった。ジュリエットは関根義孝に戻る時間がきたんだ。さあ、戻ろう」
 丸山はジュリエットの剣を持っていないほうの手にカードが握られているのを見取って、全てを悟った。
「関根、ジュリエットのままで居つづけることなんて不可能だ。わかるだろう? ベテランのお前なら」
「さあ、関根。馬鹿な真似をやめて、カードをこっちに渡してくれ」
 石山と細川もジュリエットを説得しようと距離を保ちつつ彼女を囲んだ。
「関根義孝……」
 ジュリエットはうめくようにつぶやいた。
「そうだ。お前はジュリエットではなくて、関根義孝だ」
 少し正気を取り戻したのかもしれないと三人は喜色を浮かべた。
「ああ、関根義孝。関根義孝! 私はジュリエットではなく、関根義孝!」
 ジュリエットは嘆くように声を上げた。
「そうだ。その通りだ」
「さあ、関根義孝に戻ろう。ジュリエットの時間は終わったんだ」
 三人は必死に彼を説得しようと声をかけた。しかし、ジュリエットの様子がおかしなことは変わりなく、逆に悪くなったようにも見えた。三人の希望的観測が崩れかけ、顔が引きつり血の気が引く。
「そう。私は関根義孝。冴えないマリオネット操者の関根義孝。光り輝くジュリエットではありませんわ」
 剣を掲げ、寂しく笑った。
「ロミオ様が愛したのはこのジュリエット。決して、関根義孝ではない。関根義孝って何? この手でも足でもない。腕でも顔でもない。マリオネットのどの部分でもない。だから、関根義孝は要らない……だから、捨てるの。さあ、剣の鞘となりなさい。私がジュリエットになるために!」
 ジュリエットは剣を構えて、関根義孝の体が入っている黒い殻に突進した。
 黒い殻は厚く丈夫にできているが、衝突のショックで生命維持のラインが損傷する可能性があり、そうなれば操者は助からない。しかし、軍事用マリオネットの突進を生身の人間が止められるはずもない。三人はただ、突進するジュリエットをスローモーションのビデオでも見るように眺めていた。
 そこに一つの金色の影が飛び込んできた。金色の影は黒い殻を守るようにジュリエットの前に立ちはだかると、ジュリエットはその金色の影が何か分かり、突進をやめた。
「ロミオ様……」
 金色の短い髪をした美青年、ロミオが両手を広げて大の字になって立ちふさがっていた。ジュリエットの剣は切っ先が服に触れるか触れないところで止まっている。おそらく、剣で刺されてもロミオは身体で突進を止めるつもりだったのだろう。
「ロミオ様……」
 もう一度、ジュリエットはつぶやいた。そのつぶやきは悲しみに満ちて、彼を非難する香りが漂っていた。
「ジュリエット。この中にあるのは、ジュリエットの心だよ。僕の愛したジュリエットは、その美しい手と足、顔と腕。それだけだと思っていたのかい?」
 剣を握る手にそっと手を重ねる。ジュリエットは魔法が解けたように剣を床の落とし、騒がしい金属音が部屋に響いた。
「僕が愛したジュリエットは、一番愛したジュリエットはその魂の美しさだよ。それを消し去ろうとするのかい? 僕からジュリエットを奪おうとするのかい? そんなことをしたら、僕は毒をあおって死ななければいけなくなる。罪なジュリエット。僕まで殺してしまうのかい?」
「ロミオ様!」
 ジュリエットは彼の名を呼び、それ以上は言葉もなく、抱きついて、ただ泣きじゃくっていた。
「さあ、おやすみ。信じていれば、また会えるよ。決してあきらめずに、生きていれば」
 ロミオはジュリエットを抱き上げると調整用のベッドに寝かした。
「ああ、おやすみ、ロミオ様。もう、会えることもないかもしれないけど、私は信じて待っています。だから、どうか私を忘れないで」
「ああ、忘れないよ、ジュリエット」
「ロミオ様……おやすみのキスをしてくださらない。そして、さよならのキスを」
 ジュリエットは駄々っ子のようにキスをせがむと、ロミオは優しく彼女のおでこにキスをして、ゆっくりと唇を重ねた。
「ありがとう、ロミオ様。もう一つお願いがあるの。私の心がこの身体と離れるのはご覧にならないで。きっとあなたは幻滅してしまうわ。だからお願い」
「幻滅なんてしないよ。でも、わかったよ、ジュリエット。君が望むなら。おやすみ、僕の聖者様」
 ロミオは再び彼女にキスするとジュリエットからカードを受け取り、丸山に手渡すと調整室から出て行った。
 ロミオが扉を閉じる音が響くと、丸山はカードを差し込んで、認証を終了した。
「じゃあ、ジュリエット。リンクを切るよ」
 ジュリエットは何も言わずに目を閉じたままうなずくと、その目尻から一筋の涙が流れた。
 丸山はリンクを切断するコードを打ち込んだ。
「CROS――チャンネル・リモコン・オペレーティングシステム。リンク切断プログラム始動します――脈拍、血圧、血中酸素濃度……異常値。許容範囲外。手動切断しますか? パスワードを……認証しました。接続モード解除します。終了プログラム始動します。よろしいですか?」
「ユーザー名、関根義孝で承認。“ジュリエット”停止」
「……生体情報再確認しました。関根義孝様。ジュリエット停止します。5、4、3、2、1……」
 リンクが切断され、関根は暗闇に沈んだ。

 実害はなかったが、マリオネットを破壊しかけたことや、プロデューサーの小島に暴行を働いたことで関根は契約破棄された。本来ならギャラも支払われないところだが、舞台監督の石山と演出の細川が彼をかばってくれたおかげで、かなり減額されたが支払われることになった。
「勘違いしないでくれ。無茶させた責任を感じてのことだ。正直、君とはこれから組みたくはない。いい演技をしても役に飲まれるような役者は役者といわない」
 細川は関根に荷物をまとめてすぐに出て行くように冷たく言うと、顔も見たくないと調整室を後にした。
「残念だが、俺も同感だ。おしいな。俺たちはお前さんを結構、買っていたんだぞ。今回も無理を言ってお前を主役に抜擢したんだ。残念だよ」
 石山も眉をしかめて細川の後を追った。
「本当を言うと、殺してやりたい気分だよ。二度と面を見せるな。僕の純情を馬鹿にしやがって」
 丸山は怒りをあらわにして机を殴って、彼を無視するように“ジュリエット”の修理を始めた。
「すいませんでした。ありがとうございました」
 関根は頭を下げて劇場を後にした。
 すっかりと夜も更けて、観客たちもとっくの昔に家路について、公園は閑散としている。関根はため息をついて、駅に向かおうとした。
「お兄さん」
 不意に声をかけられて、振り返るとここ数日、妙に縁のあるショートカットの彼女が立っていた。
「ああ、君か……」
「キミかとは、随分とご挨拶ね。せっかく待っていてあげたのに」
 彼のそばまで彼女は歩み寄ると頬を膨らませた。彼はその愛らしさに思わず笑顔をもらした。彼女の表情を見ていると、なぜかさっきまでの騒ぎと自分の落胆がまるで劇中のことであるかのように思える。
 彼女には空気を一瞬に変える才能がある。役者になったら大成するかもしれない。
「でも、とっても綺麗だったわよ、ジュリエット。ほんと、恋しちゃいそうだったわ」
 彼女は思い出すように空中に視線を移すと、胸の前に手を組んで悩ましく息を吐いた。
「ありがとう。でも、君は席にはいなかったみたいだけど?」
 彼のあげた席には外国人の男女が座っていた。それを見たときはがっかりしたが、券を無駄にしなかっただけでも感謝していた。
「あ、ちゃんとチェックしてたんだ。なに? 私をナンパする気だったの?」
 いやらしいと言いたげに含み笑いをされて、関根は両手を振って否定した。
「違うよ。これでも僕は役者だよ。観客席はちゃんと見ているよ。自分の上げた席なら特にね」
 ナンパはする気はなかったが、彼女のことが妙に気になったのは確かであった。
「そうなんだ。ごめんなさい。どうしても仕事があって、行けなかったから」
 彼女が申し訳なさそうに謝ったので、彼は首を振った。
「いいよ。無駄にならなかっただけでも御の字だよ」
「ありがとう。優しいのね。でも、ジュリエットが輝いてたのは本当の話よ」
「ああ、テレビを見たんだったね……。そういえば、どうして僕がジュリエットだって知っているんだい?」
 彼はふと彼女が秘密であることをなぜ知っているのか。よく思い起こすと、これまでも彼女は彼がジュリエットであることを知っていたことに気がついた。
「ふふ、どうしてだと思う?」
 彼女はやっと気がついたかと言いたげに含み笑いを浮かべた。
「劇場の関係者?」
 公表はされていないが、関根ほどの経歴があれば知られていることもある。
「ハズレ」
「その手のマニア」
 インターネットなどでマニアが予想していることもある。実際、初日が終わって言い当てられているサイトがいくつかあった。
「そうかも知れないけど、ハズレ」
「僕のストーカー」
 最もありえないが、残るのはこれぐらいだと思った。
「大ハズレ」
 彼女は腕を交差させて、大きくバッテンして見せた。
「……まさか、出演者?」
 関根は眉根を寄せた。同じ劇の出演者にチケットを渡すなんて、いくら顔を知らないとはいえ、恥ずかしい。
「ピンポーン♪」
 彼女は腕で大きく丸を作って、明るく正解のチャイムを鳴らした。
「って、誰だ? モンタギュー夫人? いや、あれは違う。キャピュレット夫人? それも違う。……正体不明といえば、召使役?」
 関根は出演者を思い浮かべた。主役、準主役級はほとんど予想がついていた。わからないのは端役の人たちぐらいである。
「失礼ね。あんなくされ大根に思われるなんて」
 彼女は眉をひそめて、真剣に嫌そうな表情をした。
「ごめん」
 関根は素直に謝った。確かに召使役は大根であった。棒立ちで台詞を言ったり、台詞の間が悪かったり、そのくせ無理に目立とうとしており、正直なところ出演者たちから邪魔にされていた。
 比較的、演技力不足の役者に寛大な関根もあまりのひどさに嫌味を言ったぐらいであった。
「召使は村上信二よ。予想以上の大根で細川さんも苦労したようね。そのくせ、役が小さいって文句を言うんだから困ったやつよね」
 彼女は腰に手を当てて鼻息を荒くした。彼はロミオが村上信二と思っていたので、驚きに口をぽかんと開けたまま間抜けな顔をさらしていた。
「どうかしたの?」
 呆けている関根に彼女は怪訝な顔をした。
「じゃあ、ロミオ様は? いったい誰なんだ?」
「はぁ〜。やっぱりね」
 彼女は外人がよくするように肩をすくめてため息を吐きながら首を左右に振った。
「どういうことだ?」
 彼が状況についてこれないのを見て、彼女はコンクリートの腰壁の上から飛び降り、彼の前にひざまずくと、少し芝居がかったふうに目を閉じ、片手を胸に当て、もう片手を彼に伸ばした。
「――僕はそんな君をずっと見ていた。無力な何も出来ない小娘なんかじゃない。愛する人のためにロレンス神父の仮死の薬さえ飲み干すほど強い。僕は知っている。一人で立てない? みんながいるじゃないか。さあ、君はジュリエット。僕の愛する史上最強のジュリエットなんだ」
 すっかり夜の更けた公園に朗々と彼女の『台詞』が満たされていく。
 彼女は台詞を言い終わると片目を開けて意地悪く笑った。
「その台詞は……」
 足首を痛めたときにロミオがジュリエットに言った台詞である。この台詞を知っているのは、ジュリエットである彼とロミオを演じていた人間だけ。
 なによりも、その――言葉も内容も言い方もキザなくせに気に障るいやらしさのない自然な仕草はロミオ以外に不可能であった。
「信じていないのかい? 信じていればきっと会えると約束したじゃないか。それとも、キスをするまで思い出せないのかい? わすれんぼうのジュリエット」
 彼女は立ち上がると歩み寄り、いきなり彼にキスをした。姿形は違っても、それはロミオのキスであった。
「どうして……ロミオ様がこんなところにいらっしゃるの? どうして?」
 姿かたちが違っても、目の前の彼女がロミオなら今の関根はジュリエットであった。オカマ言葉で気持ち悪いどころか、彼の声はジュリエットの華やかな、そして危うげで繊細なそれであった。
「本当に忘れっぽい、私が愛したジュリエット」
 彼女はロミオのまま苦笑を漏らした。
「私はジュリエット、君の魂の美しさに惚れたと言ったはずだよ。だから、私も魂だけとなって君に会いに来た」
 彼は彼女の告白に息を呑むだけで何もいえなかった。彼女はおもむろに、ロミオを演じるのをやめ、素の彼女に戻って、ぺろりと舌を出した。
「恥ずかしい話、私もジュリエットに恋をしちゃったのよ」
 彼女は照れ隠しに苦笑いしたが、その目はふざけても、いい加減でもない真剣なまなざしであった。
「役者として失格だけどね。でも、それぐらいあなたの演技は心に響いたわ」
 彼女の告白に彼は首を振った。あれは演技ではない。
「でも、感動させたのは確かよ」
「ありがとう。そういってもらえると少しは救いがあるよ。最後の舞台となりそうだけどね」
「最後?」
 彼女の意外そうな顔に彼は苦笑で返した。
「あんな騒ぎを起こしてはもう仕事はもらえないよ。劇団の座長からもさっきクビって電話があったからね」
 覚悟はしていたが、まさか劇場を出る前に電話があるとは思わなかった。座長とは古い役者友達であったので、迷惑かかる前に辞めるつもりだったが、そんな心配は杞憂だったようだ。
「まあ、役者一筋でやってきたが、アルバイト経験も豊富だし、別の職も苦にはならないと思うよ」
 彼女を安心させるというよりも、彼自身が安心しようとするように今後の方針を口にした。
「ふーん。だけど、舞台の、あの快感を忘れられるの?」
 痛いところを突かれて関根は眉をしかめた。
「忘れられる? 忘れられるわけないじゃないか! 忘れられているのなら栄養失調で倒れる寸前までなりながら役者を続けたりしない。ああ、そうだよ。他の仕事を探しながらでも、きっと、どこかで役者を続けられないか無様にあがくよ。悪いか? 僕は演劇、役を演じるのがすきなんだ。くそっ」
 八つ当たりをしているのはわかったが、関根は自分の言葉を止められずに胸の中にあった澱を吐き出した。
「悪くないわよ。大歓迎。ということで、ねえ、私のいる劇団にこない?」
 彼女の唐突な誘いに関根は変な表情のまま固まった。
「変な顔で固まらないでよ。それで、来るの? それとも、断る?」
「いや、その……劇団? 君のいる?」
 関根は彼女の言葉が正確に理解するまでまだ時間がかかりそうだったので、思わず彼女の言葉を聞き返した。
「そうよ。私がいちゃ嫌?」
 冗談めかして彼女は笑った。
「いや、そうじゃなくて」
「あ、そっか。お給料の心配ね。最高とはいえないけど、そこそこは出せるわよ。少なくても役者以外の仕事しなくても生活できて貯金もできるぐらいには。詳しいことはマネージャーと相談しないとだめと思うけど、それぐらいは保障するわよ」
「いや、そうじゃなくて」
 役者で貯金できるなど一流半以上の待遇に内心驚いていたが、関根の聞きたいことは他にあり、同じ言葉を繰り返しはした。
「役の心配? それは実力次第よ。そんなに甘くはないんだから。もっとも、あなたなら大丈夫よ。私についてこれるんですもの」
「いや、そうじゃなくて」
「じゃあ、何よ!」
 彼女の忍耐が限界に達して、いらだたしげに逆に聞かれた。
「僕は役に呑まれるような危ない役者だよ。また、あんなことをするかもしれないよ。それでもいいのかい?」
 関根は自分自身のマリオネット操者としての危険性を他の誰よりも感じていた。しかし、彼女は明朗に笑って、明快に答えた。
「なんだ、そんなこと。たまにはあってもいいんじゃない? そういうのも」
 彼の心配が「そんなこと」扱いされて驚いていたが、彼女がまったく気にせずにいるので、彼も本当に「そんなこと」のように思えてきていた。
「――というわけで、そろそろ、答えを聞かせてくれないかな?」
 彼女の性急な回答を求める声に彼は思わず苦笑を浮かべた。
「考える時間はないんだ」
 関根の言葉に彼女は少し不安そうに顔を曇らせた。
 しかし、それはここまで彼女に振り回されたことへの仕返しで、すでに彼の答えは決まっていた。
 一つ深呼吸をすると目をつむり、月光のスポットライトを感じた。
「行きますわ――愛するロミオ様がいるのなら、どこだってついて行きますわ。死の国だってついて行ったじゃありませんか。お忘れになったの? だったら、思い出して。私はあなたのジュリエットだということを」
 ジュリエットのは、先ほどのロミオの意趣返しをして、にっこりと微笑んだ。
「おおっ。それでこそ、愛する僕のジュリエット。さあ、本物たちはたどり着けなかった二人の新天地へ。二人揃えば、そこが最高の舞台だ」
  二人は抱き合って、熱い抱擁を交わした。
「ところで、名前を教えてくれないか?」
 抱擁をひとまず離れて関根は彼女に聞いた。彼女はいたずらっぽく笑って聞き返した。
「名前? 劇団の?」
「いや、君の名前だよ、ロミオ様」
「それじゃあ、どっちも同じね」
「同じ?」
「カーネル劇団よ。ラスベガスの。そして、私はエリザベス・佐代子・カーネル。劇団オーナーの娘にして、看板マリオネット男優よ」
 関根はその答えにしばらく目を丸くした。そして、もう一度彼女を抱きしめた。
「ああ、やっぱり、あなたは最高よ。ロミオ様!」

終劇














あとがき
 お読みいただき、ありがとうございました。
 まず最初に、この話を読んでジェイムズ・ティプトリーJr.著の『愛はさだめ、さだめは死 』に収められている『接続された女』を思い出された方も多いでしょう。はい、設定が非常に似ております。元ネタにさせていただきました。
 さて、この作品はキーワードを出してもらってTS作品を書くというのをすることになり書いたものです。
 そのお題は『チャンネルリモコン』。
 チャンネルというのは『経路』という意味で、リモコンは『遠隔操作』。ということで、身体を遠隔操作する経路というもので書いてみました。
 それにしても、TS萌えはほとんどない作品で申し訳ないです。たまには萌えなしも良いということでご勘弁ください。
 あと、演劇もまったくの素人で、ほとんど想像で書きました。舞台なども見に行ったのはほとんどないし。というわけで、おかしな部分が多々あると思います。「実際はこうですよ」など、詳しい方は教えてくださるとうれしいです。

 ちなみに『ロミオとジュリエット』は、フランコ・ゼフィレッリ監督、映画『ロミオとジュリエット』(1968年制作)を参考にさせてもらいました。古い映画ですが、雰囲気があっていい映画です。もっとも、一番、目を引いたのはジュリエット役のオリビア・ハッセーがかわいかったことですが。
 それと、劇中劇の台詞は『シェイクスピア全集――ロミオとジュリエット』小田島雄志訳(白水uブックス)を参考にさせていただきました。
 台詞が文字通り、芝居がかっているのですが、妙に癖になります。雰囲気をできるだけ壊さずに現代語訳されて読みやすいと思えます。興味のある方にはお勧めです(個人的には、映画などを観てからあらすじを把握してから読まれるとわかりやすいです)。
 余談ですが、シェークスピアの時代は女優が存在せず、女役も歌舞伎のように男性がしたそうです。シェークスピアの作品には、「男装の女性が、その女性に片思いの男性の、告白の練習相手として、告白される女性役をする」という頭が混乱しそうな話があり、その男装の女性を男の人がするのだから、すごい話を考えたものだと……さすがシェークスピア?



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